第二話 十両あったら、何をしますか?(前)
青龍。青い龍。
それをただの戯言だと笑い飛ばすには、仄火はあまりに人ならざるものに触れすぎていた。
知親の切れ長の瞳から、仄火はゆっくり視線を上へと逸らす。
龍なんてものは、カジュギンカでも一度も見たことがない。
「そなたは、前にも奇妙なことについて調べていると耳にしたのだが」
「それは……」
知親の言葉に仄火は詰まる。
……確かに、そういうことも前にはあった。人が突然消えたとか、人魂を見ただとか。
結局、前者は情報屋がカジュギンカに入るところを見られてしまっただけのことで、後者はカジュギンカに住む妖の仕業だった。
だからと言ってそれと一緒にしてもらっちゃ困る。依頼主の格もその内容も、あまりに次元が違いすぎるからだ。
青龍とは、一体なんだ。
情報屋をやって長い仄火でも、聞いたことのない名だった。それに知親は、「憑いている」と言わなかったか。
「……それに、そこにいる者もおおよそ人の気配ではないようだが」
「え?」
仄火が知親の目線を辿った先には、いつの間にかハクがいた。相変わらず気配もなく帰ってくる……。
そこで仄火は、勢いよく知親の方を振り返った。
知親には、ハクが見えている。
妖は、常人には見えない。仄火や清にハクが見えるのは、ハクの意思で二人に姿を見せているからだ。他にハクが見える人間に、仄火はいまだ会ったことがなかった。
仄火が動揺している隙にハクは知親に音もなく近づき、その片頬をつまむ。
仄火がぎょっとするのもつかの間、表口から清の声が響いた。
「ちょ、ちょっとハクさん!? 何してるんですか、その方はこの国でお殿様の次に、」
偉い人なんですよ、と続くはずだった清の言葉は、仄火が口の前に立てた人差し指によって止められた。
いくら人通りが少ないとはいえ、壁に耳あり障子に目あり。情報屋の常識である。
仄火は自身を落ち着かせるように深く息を吐いた。ハクも、やれやれと知親の顔から手を離す。知親は無礼を特に気にしていないのか、得体の知れないハクのことをただ眺めていた。
ハクは仄火を振り返る。
「仄火、この若造の言っていることは嘘ではないぞ。中に、なにかおるようじゃ」
「本当かよ……」
「現に、わしが見えているのがなによりの証拠じゃろうて」
嘘のような話だが、妖であるハクがそう言うのなら今は信じるしかない。
一方で、ハクの言葉に知親も少なからず衝撃を受けているようだった。
「今まで、青龍が憑いているなどと言われてもまったく身に覚えはなかったが……。本当に、そうなのか」
言葉と共に閉じられたその瞼は、何かを諦めているようにも見えた。
その様子を見た仄火は、とりあえず話を聞いてみることにする。
「お聞かせ願いたいんですが、青龍が代々日浦家当主に憑いているというのは一体どういうことなんですか」
日浦家は、この長見藩の藩主の血筋だ。そして養子の知親も、今はその一人のはずである。
しかし、知親は仄火の問いには首を横に振った。
「詳しくは分からない。青龍は以前、今の藩主であらせられる明重様に憑いていたらしい。だがなぜかそのもとを離れ、日浦家とはなんの所縁もない私のところへやって来たのだ」
知親の言葉に、仄火は少し引っかかった。知親は日浦家の養子なのだから、縁も所縁もないということはあるまい。その言い方では、まるで…………。
「…………まさか、貴方が養子に迎えられた理由っていうのは」
「ああ。青龍が憑いているから、だそうだ」
仄火は頭を抱えたくなった。なんだそれは。
カジュギンカに出入りし妖と暮らしている仄火なら、まだ青龍の存在を認めることはできる。しかし藩主が、この国の長がそんなものを鵜呑みにしているのか。しかも跡継ぎまでそれで決めようというのだ。
今、下級武士であった知親が日浦家に養子入りした、その真相を調べている情報屋もきっといるだろう。しかしその答えがこれでは彼らも大損である。龍が原因でした、など依頼主に報告できるはずもない。
そんな仄火の様子を見て、知親は言った。
「納得できないのは、私とて同じだ。藩を混乱させてまで私を養子にする理由がどこにあるのかと」
「…………藩主になるのは、嫌なんですか」
「皆を、困惑させるだけだ」
知親の表情は変わらない。その声色だけでは、彼が怒っているのか嘆いているのかさえ仄火には分からなかった。
*
「調べてほしいことは、主に三つだ」
知親は仄火の前で、それらを一つ一つ指折り数えていった。
「一つ、なぜ青龍は日浦家に憑いているのか。一つ、なぜ青龍が憑いている者が藩主にならなければいけないのか。一つ、他の者に青龍を移す方法はないのか」
なるほど、と仄火は黙ってそれを聞いていた。中身は突飛だが、それさえ無視すれば依頼としての筋は通っている。
「前に青龍が憑いていたっていう、殿様にはお伺いされたので?」
仄火が聞くと、「いや」と知親は否定する。
「殿には城に上がってからの四年間、一度もお会いしていない。私は城でもあまり人の目に触れぬよう暮らしているからな。それに、殿は参勤交代のご準備でお忙しいだろう」
ああ、そういえばもうそんな時期かと仄火は思い出す。何年か前に参勤交代が半年になったせいで、まだ感覚が慣れていなかった。
「貴方様もご一緒に江戸に行かれるんですか?」
「ああ、そこで殿のご息女であられる千代姫様との婚姻により、正式に養子となる。だから正確には私はまだ青木知親だ」
「はい?」
今、信じられない言葉が聞こえた気がする。婚姻?
仄火は聞き間違いかもしれないと思いながら、恐る恐る知親に聞いた。
「その、俺はてっきり貴方は殿様の息子として養子入りされるものとばかり思っていたのですが、千代姫様とのご結婚というのは、一体…………?」
「そのままの意味だ。私は日浦家の婿養子ということだな」
……つまり、日浦家と、そのへんの武士である青木家との婚姻…………。
いやいやいや。
仄火は心の中で盛大にため息をついた。何かの間違いだろうと思わずにはいられない。
「武士の結婚なんて、家同士の結びつきを作るためのものでしょう。それを自分の家来の息子と結婚させてどーするんですか。ただでさえ長見は外様で、領地も広くはないっていうのに……」
「まったくもって、我が藩には百害あって一利なしだ。一体殿が何を考えておられるのか、私にも分からない。もちろん藩の皆そうだろうと思うが」
下手を打てばお上からのお咎めもあり得る。そこまでして知親を養子にしようとするとは、日浦家にとって青龍とは一体何なのだ。
「もっとも避けなければならないのは、藩の中で大きな騒動が起こることだ。藩の混乱を鎮めるためにも、何とか周りを説得できればよいが……」
そう言う知親を見ながら、仄火は考えた。この依頼を受けるべきかどうか。
わけの分からない青龍に、正直あまり関わり合いになりたくない武家の揉め事まで絡んでいる。今までの仕事のやり方は全く通用しないであろうし、成功するかどうかも見当がつかない。
ではこの依頼は断るか。…………いや、断れるのか?
仄火は城中で起こっていることや、藩主がおそらく家臣にも秘密にしている青龍のことを知ってしまった。ここで断れば待っているのは死か、よくても牢に繋がれるのではなかろうか。
もう、引き返せないのかもしれなかった。
ひそかに焦る仄火に、知親はふと、思い出したように言った。
「言い忘れていたが、報酬は十両だ」
「えっ」
十両。
仄火は思わず、床に置かれたままの五両を見た。この倍だ。
十両あったら食い物に困らないどころじゃない。このあばら屋から引っ越してもっとまともな寝床を手に入れられるし、仕事の量だって今より減らせる。
「受けましょう」
「仄火さん!?」
清が横から驚いた声をあげる。仄火はそんな清を引っ張って、「ちょっと失礼」と店の外へ出た。
仄火は店から五、六間ほど離れたところまで移動すると、周りに声が聞こえないように清の肩を引き寄せる。
「仄火さん、どれだけ無茶な依頼か分かってるんですか? いくら次期藩主様の頼みと言っても、無理難題が過ぎますよ」
「いいか、ここまで秘密を知ってしまったら断るのもただでとはいかねえよ。殺されたっておかしくはねえ」
仄火の真剣な物言いに、清も息をのむ。つい、知親がいる店のほうを清は振り返った。
仄火はその様子を見て、今度はにやりと笑う。
「なら一か八か、十両に賭けてみるのも悪くねえだろ? なに、もし駄目ならここを出て遠くまで逃げりゃいいさ」
「………………仄火さん、もしかして十両に釣られてませんか? 釣られてますよね?」
「釣られてない釣られてない」
そう言って店に戻る仄火の後ろ姿は、どこか浮かれているように清の目には映った。清はやっぱり釣られているじゃないかと思いながらも、渋々といった様子で仄火の後に続く。




