第一話 夏には龍がやって来る(後)
じゃり、と草履が地面を踏みしめる音が響く。
表通りから聞こえてきた喧噪もすっかり消え失せ、仄火以外の足音もない。だが、念のためハクから刀を受け取っておいた。
しん、と静まりかえった通りを歩きながら、仄火は立川家の屋敷を探す。
「意外と静かだな。城の方では揉めてるんじゃねえのか?」
「どうも連中は、本当に城まで潜り込んだのかもしれんな。ほれ」
ハクが遠くの城を指さすやいなや、静かな街に銃声が響き渡った。
「あんな夢病の巣窟みたいなところで、同業者の相手までしてんのかよ。よくやるぜ」
「逆に言えば、城まで潜り込まんと次の藩主のことが分からんのじゃろ。こりゃ相当高値で売れるんじゃろうなあ」
カジュギンカ。それが、この世界の一応の名前である。
現世からわずかに逸れたこの世界では、見た目だけでは現世と違いはないものの、そこに住むのは魑魅魍魎や妖の類。
そして、最も商売になるのが人の魂だ。
「さてと、立川士蔵様失踪の謎は、手始めに屋敷の女中にでも聞くとするか」
魂を覗くなら女性の方がいい、というのが仄火の持論だが、意外と同じ意見の同業者は多い気がする。女性の情報網は男性の比ではない。特に知られたくない情報であればあるほど。
屋敷の中に入ると、人の魂がふわりふわりと、青白く光りながら彷徨っているのが見える。部屋を出たり入ったりするそれらは、現世での人の動きになぞらっているのだ。
仄火は人魂たちとすれ違いながら、屋敷の廊下を奥へと進んでいった。
「ちょっと、お湯がまだ沸いてないじゃない」
「奥様はお部屋にいらっしゃるのかしら」
「近頃の旦那様は機嫌が悪いからなあ……」
人魂は近づくと、その人の声のようなものが聞こえてくる。
仄火はその一つひとつに耳を澄ませてみるが、士蔵の話はなかなか出てこない。
と、その時。
「ご隠居様はいつお帰りかしら」
若い女性の声だった。近寄ると、魂の内側に質素な和室の風景が透けて見える。
仄火は立ち止まり、その魂に向かって口を開いた。
「ご隠居は、どこかへ出かけているのか?」
その声を受けて、魂はぴたりと動かなくなった。その色は段々と薄れて透明に近づき、原形を崩して外へ外へと広がっていく。
見えてきたのは老人の顔だった。顔の皺は深く、上等な着物を纏う体の線も細い。
「……殿の元へ参上する。少しばかり長居するかもしれぬが」
穏やかで、芯の通った声だった。
立川士蔵は、城へ。ではその後、行方不明に?
…………待てよ……。
ある違和感に気がついた仄火は、もう一度周りの人魂の声を聞いた。
「今日も旦那様の夕餉はいらないそうよ」
「奥様がお可哀想だわ、いつもお一人で……」
「一雨来そうね、早く乾くといいけれど」
誰も、士蔵の話をしていない。唯一この女中でさえ、あまり深刻ではない様子だった。
屋敷の者は士蔵が失踪したことを知らないのか? だとしても、何日も屋敷に帰ってこないのなら少しは……。
…………いや、もしかすると。
「ご隠居がここを出たのはどれくらい前だ?」
「仄火、」
ハクが横から口を挟んだが、女中の魂が答える方が先だった。
「二日前の゛……お」
女中の声は途中で不気味な音へと変わった。人魂はぐにゃりと歪んで黒く溶け、竜巻のような風を起こす。
仄火は急いで中庭へと降り、刀を抜いた。
「ちっ。もう喋っちゃくれねえか。思ったより真面目な女だったな」
「わしは止めようとしたぞ。責任もってお前さんが大人しくさせとくれ」
「はいはい」と仄火が返事をする間にも、黒い煙は大きくなる。その中に見え隠れする一際黒い影は女中の姿をしていた。
カジュギンカでは現世に生きる人間が魂として現れる。問いかければ鏡のように、真実を映す魂だ。
しかし、残念ながらただでとはいかない。人の心を覗き見た業として、夢病という厄災が発生してしまう。
影が一歩踏み出すと、取り巻く煙が仄火に向かってまっすぐに襲い掛かる。
仄火が刀で弾くと、煙からはキイン、と鋭い音がした。
夢病は変幻自在だ。しかも、その場にいる者には無差別に襲い掛かってくる。
仄火は全方向から狙ってくる黒い煙たちを避け、女中の影めがけて刀を一突きした。
「悪りいなお嬢さん。ありがたくあんたの情報はもらってくぜ」
その瞬間、影と煙は砂のように崩れ、元の青白い人魂と黒い塊に分かれた。
「いやあ、ご苦労ご苦労」
それまでどこかに隠れていたのか、姿を現したハクはその黒い塊を拾い上げ、口に放り込む。
ばりばり、と彼の口の中でかみ砕く音がした。
「まずまずじゃな。はあ、たまには重ーい秘密を知られた夢病を食べたいもんじゃのう。あれは何とも言えん旨さじゃ」
「本当に食いもんの趣味悪いな、獏ってのはよ」
獏は夢病を食べ、情報屋は得た情報を金に換える。そんな人と妖の協働が始まったのは、一体いつの頃からか。
ここには獏の力によってカジュギンカに導かれた情報屋が多くいる。一見楽な商売にも見えるが、夢病との戦いや情報屋同士の争いで命を落とすことも少なくない。
そしてこんな命がけの仕事をしているのは、大抵仄火のような身分を持たない者だった。
「ところで、だ。士蔵が城へ向かったのはたったの二日前。屋敷の者が誰一人として心配してねえのも頷ける話だ」
「おん、そーじゃな」
腹が膨れて満足したのか、ハクはもうあまり聞く気がなさそうである。仄火は話しかけるのをやめた。
城に着く前にいなくなったのか、城に着いてからいなくなったのか。それは分からないが、何よりおかしいのはあの侍がたった二日で仄火のもとへやって来たことだ。
一国の大名ならどんな手でも使って探せるはず。それを二日で情報屋のもとに頼みに来るのは、どう考えても不自然だった。
思い当たることが仄火にはあった。次の藩主は誰なのかと、その情報をめぐって争う情報屋たち。
仄火が城を見上げると、また何かが崩れるような音がする。
「……ハク、気が変わった。城に行こう」
「城に? …………珍しいのう、お前さんが自ら危険な場所に行くとは」
「そうだな。けどもしかすると、一攫千金が狙える話かもしれねえぜ」
そう言って歩きだす仄火に、「まあせいぜい死なんようにな」とハクは呟いた。
*
翌朝、侍は一人道を歩いていた。昨夜の雨で、道はまだ少しぬかるんでいる。
例の情報屋はどうなっただろうかと道の先を覗いて、彼は目を疑った。その暖簾はすでに白く染まっていたのだ。
まさか、昨日の今日で。
あの情報屋はどう見ても庶民だったというのに、城の内部の情報を手に入れたというのか。どうやって。
侍はどうにも信じられない気持ちで店に近寄った。
「どうもお侍様。お待ちしておりました」
店先にはあの青年が腰かけていた。相変わらずどこか人間離れした風貌の彼は、片手で白い暖簾を持ち上げる。
「立川殿の所在を突き止めたのか」
「ええ、もちろん」
青年は笑うと、もう片方の手を開いて侍に見せた。
「お代は五両です。よろしいですか?」
「……誤りでないならな」
「決して誤ることなどございません。さて、ではお話しいたしましょうか」
「どうぞ」と青年に招かれ、侍は店の奥へと入っていった。
*
清には「表を見ているように」と伝え、仄火は店の裏で侍と向かい合って座る。
この家に一つしかない継ぎはぎの座布団は、侍の立派な着物にはどうも似合っていない。
「お探しになっているのは立川士蔵様とお見受けします。元長見藩家老。今はご子息に家督を譲られ、隠居の身であらせられる」
「ああ、」
「ご隠居様は二日前に立川家の屋敷を出た後、城に向かわれたようです。そのまま屋敷には帰っていません。そして今、ご隠居様は……」
侍は静かにその続きを待った。
少し、この情報屋を甘く見ていたかもしれない。たった一日でここまで調べるとは、恐ろしい情報網を持っているようだと侍は思う。
ならば、その先を見抜いているのではないか、とも。
「……ご隠居様は二日前から今まで、ずっと城にいらっしゃいます。つまり、行方不明というのはお侍様のお芝居でございますね」
「…………なるほど、五両の価値はありそうだな」
「そうでしょう?」と笑う仄火に、侍は座り直した。
「では聞くが、なぜ私が芝居を打ったかも分かっているのであろうな?」
「俺を試すため、でしょう。噂の情報屋がどれほどの腕かを、あなたは確かめようとした。俺を試したうえで、本当に頼みたい依頼は別にあるといったところでしょうか」
「……左様。そなたの実力は、正直思った以上だ。その力を見込んで頼みたいことがある」
侍のまっすぐな視線を受け止めた仄火は、「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。庶民以下の仄火と侍、二人の間には見上げるほどに大きな身分の差がある。
しかし仄火は、この侍は自分を切って捨てはしないと思った。なぜだかは分からないが。
「その前に、一つお聞きしてもよろしいですか」
昨夜、仄火は城へと向かった。確かめたいことがあったからだ。
士蔵の失踪が芝居だとすれば、目の前の侍は芝居のために元家老の隠居を使ったことになる。そして士蔵は、彼の指図を聞いた。
……今、長見藩は跡継ぎで揉めている。現藩主の日浦明重に息子がいないからだ。
では元家老に指図できる目の前の侍は、一体誰なのか。
答えは一つしかない。
「お侍様。あなたのお名前は、日浦知親様でございますね?」
沈黙が流れる。侍は驚く様子こそ見せなかったが、ただ浅く息をついて「見事なものだな」と呟いた。
それが、仄火の答えが間違っていないことへの証明だった。
日浦知親。彼は別に日浦家の親族ではない。もとをたどれば、長見藩の下級武士の次男だ。とてもこんな立派な刀を差せるような身分ではなかった。
そんな彼を日浦家の養子にすると、藩主が決めたのはひと月ほど前のこと。
長見藩の中では当然反発の声があがり、知親の代わりに次期藩主になろうとする勢力が乱立した。
その中の誰が最も有力なのか、それとも本当に知親が藩主になってしまうのかと、今情報屋たちが必死で探っているのはそのことである。
「私の身元を暴いて、それでどうする」
知親の言葉に、仄火は薄く笑った。
まだ養子の段階と言っても、すでにこの男は元家老を動かせるだけの権力がある。
今回の依頼で五両。さらには情報屋たちが欲しがっている次期藩主の情報でどれほど儲けられるだろうか。
この男はまさに金のなる木である。
しかしいくら金を稼いでも、死んでしまえばそこにはなんの意味もない。
「単純な話ですよ。つまりあなたは、俺に他の藩主候補について調べてほしいって、そういうことでしょう? ですがもし嗅ぎまわっていることが知れたら、俺の首なんて軽いもんです。そりゃ仕事柄死にかけることは何度もありましたが、はなから死にに行くのはわけが違うんでね」
「つまり武家の人間を調べるような仕事は断る、と」
「そういうことです」
仄火の返事に、知親は懐から包みを取り出し、床に置いた。中の小判同士が触れて、チャリ、と小気味よい音を立てる。
「五両だ。名前だけで立川殿の所在を突き止め、ひいてはそれが芝居であることや私の身元まで見抜いたこと、誠に見事であった」
仄火はその包みを見て、今さら切ない気持ちになった。しかし欲に溺れれば身を滅ぼすということもまた、よく分かっているつもりだ。
その時、知親が帰る素振りもなくこちらを見ていることに気がつく。知親はそのまま口を開いた。
「改めて、そなたに仕事を頼みたい。案ずることはない、調べてほしいのは私自身のことについてだ」
「は?」
つい間抜けな声がでた。
どういう意味だ。自身のことについて調べてほしいと、そう言ったか?
仄火は聞き返そうとしたが、知親の言葉がそれを遮る。
「長見藩日浦家当主を代々守護し、そして今は我が身に憑いているという、『青龍』について探ってほしい」




