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カジュギンカ  作者: 谷山
第一章
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第一話 夏には龍がやって来る(前)


 その侍が訪《たず》ねてきたのは夏の日だった。



 店番の清《さやか》に叩き起こされ、裏で居眠りをしていた仄火《ほのか》は渋々と表へ出る。暖簾《のれん》の下からは群青の着物が覗《のぞ》いていた。


 …………なんだ、男かよ。


 やる気をなくす仄火の目に、次に飛び込んできたのは腰に刺さった刀である。侍だ。

 その侍は背が高く、屋台の屋根で顔が隠れていた。


「いらっしゃいませ」


 はらりと、風が暖簾を仰《あお》いだ。現れた侍の顔を見て、仄火はほう、と思う。派手ではないが涼やかで端正な顔立ち。役者でも十分食っていけそうなほどの美丈夫だ。

 同時に仄火の顔を見た侍の方にも、息を呑む気配が感じ取れた。


 日に焼けることのない白い肌と赤い目を持つ仄火には、そんな反応も慣れたものである。


「それでお侍様、ご用件は?」


 仄火の店は小間物屋だ。玩具《がんぐ》や日用品なんかを置いているが、まさか侍がこんな物に用があるわけがない。

 侍は気を取り直したように「ああ」と頷《うなず》き、そのよく通る声を潜めた。店の前に人通りはないが、静かなぶんかえって声は響きやすい。


「人を探している。立川《たてかわ》という老人だ」


 仄火はにんまりと笑った。

 詳しいわけではないが、侍の刀はそんじょそこらの侍が差せるような代物ではないことは分かる。


 ……四両、いや五両か。こんな坊ちゃんが裏社会に馴染みがあるとは思えないし、もう少し儲《もう》かるかもしれない。


「掴《つか》み次第、暖簾を白くします」


 仄火がそう言うと、侍は帰っていった。その群青の羽織を靡《なび》かせて、一度も振り返ることはなかった。



 侍を見送ってから、仄火は清の肩を抱いて意気揚々と店の裏へ戻る。


「見たかよ、ありゃ下級武士じゃねえな。いい儲《もう》けになりそうだ。近頃こっちの依頼が少なくて、あやうく飢え死にするところだった」


「食べ物も大事ですけど、お金が入ったら食器を買い替えませんか。ほら、この茶碗なんか今にもひび割れを食べてしまいそうです」


 清が手に取った茶碗は確かにあちこち欠けていたが、仄火はなんでもないような顔でそれを受け取り、床に置く。


「食器なら問題ねえよ。当てがある」


「それって、この前会っていた行商の娘さんですよね。確かこうさんでしたか。そうやって貢《みつ》がせてばかりじゃ、いつか刺し殺されても文句は言えませんよ」


「俺が女に殺されるわけねえだろ」


 まったく、子供のくせに可愛くないやつだ。……いや、清がこうもしっかりしてしまったのは俺にも責任があるのだが。


 仄火は、話題を先ほどの侍に戻した。


「ところで立川だ。清、名前を聞いたことはあるか? 老人だそうだ」


 清はため息をついて、視線を上の方に向ける。


「……立川士蔵(しぞう)様のことでは? 家老《かろう》である立川家の先代で、今は御子息に家督《かとく》を譲り、隠居されています。長見《ながみ》のお殿様とは乳母《うば》兄弟だとか」


 元家老とは、これまた大層な御身分だ。仄火は先ほどの侍の身なりを思い出す。


「さっきの武士も、藩の上級武士だろうな。でも今、うちのお大名様は跡継ぎ問題で揉めてるしなあ……。…………まあ、《《あっち》》で探るか」


 それならハクを探しに行かねばならない。

 困ったことに、もう一人の同業者は店番もせずしょっちゅうどこかへ出歩いているのだ。


 情報屋。それが仄火の本当の生業(なりわい)だった。高値で取引されるその情報は決して誤ることなく、どこで仕入れたのかと疑いたくなるような話も取り扱う。この長見という街では、知る人ぞ知る存在だった。


「清、今日ハクはいつ出て行った?」


「巳《み》の刻を過ぎたころでしょうか。正確には分かりませんけど」


 仄火もその時は家を空けていた。正確には女をひっかけていたのだが。

 しかし困った。何年一緒に暮らしていても、ハクの行き先など見当がつかない。彼は普通の人間には見えないので、誰かに尋ねることもできなかった。


「なんじゃ、わしに帰ってきてほしかったのか?」


 背後からの声に振り返ると、宙に浮いた男が逆さまにこちらを覗《のぞ》き込んでいる。


「いたのかよ」


 消えるのも突然なら現れるのも突然だ。他の人に見えないだけで実体を消すことはできないはずだが、いつもこうして気配もなく現れる。


 獏《ばく》。古来より夢を食べると伝えられるその妖《あやかし》は、最近では人の姿をしているものも多いらしい。

 ハクは薄鼠(ねずみ)色の半纏《はんてん》に股《もも》引きという、まるで浮浪者のような格好をしている。


「仕事の依頼でも来たんか?」


 ハクは音もなく床に胡坐《あぐら》をかくと、見た目とは裏腹に年寄りくさい口調で言った。


「ああ、しかもお侍からだ」


「それはまた珍しい。ふむ、いい稼ぎにはなりそうじゃが、今、城のあたりは何かときな臭いじゃろう」


「どうせ次の藩主が誰かって、情報屋が嗅《か》ぎまわってんだろ。でも今回は城まで行くことにはならねえと思うし、問題ねえよ」


 ハクは真面目に聞いているのかいないのか、眠そうに欠伸《あくび》をひとつする。


「まあ、わしは腹が膨れりゃなんでもいいがな」


   *


数刻後、清に見送られて仄火とハクは城下町に来ていた。

 表通りはさすがに活気があるが、仄火はその中にどこか浮ついたような違和感を見つける。きっと皆、国の主が変わることに不安があるのだろう。情報屋も儲かるわけである。


 …………しかし、こんな折に元家老が失踪《しっそう》とは。しかも現藩主の乳母兄弟ともなれば、二人の間には相当な信頼関係があったはずだ。

 先ほどハクにはああ言ったものの、果たしてこの件が藩主の代替わりに関する騒動とは無関係だと言えるのだろうか。


「で、今日は誰が狙いじゃ?」


 ハクは相変わらず眠そうな顔と声でそう問いかける。


 仄火は辺りを見回した。表通りから少し離れたこの場所なら人通りも少ない。

 なにせこの先は武家屋敷。仄火のような粗末な身なりでは怪しまれてしまうだろう。


「城まで行くのは骨折り損だ。ひとまず立川家の屋敷に行く」


 仄火がそう言うと、ハクは「そうか」と頷《うなず》いてひらりと手を振った。


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