第二十九話 昨日の友と今日の客(後)
城は首を真上に持ち上げてようやくその姿が見えるほどの、急で、それでいて途方もない数の石段の上にあった。
「これを、あがるのか……」
はあ、と仄火が呆気にとられたような声を漏らすと、その石段を当たり前のようにのぼりかけていたサロが振り返った。その視線は仄火を見て、それから伊波の足元に注がれる。
「確かに、その履き物では危ない。少し時間はかかるが、坂から行こう」
「俺は別に、大丈夫だけれど……」
伊波はそう言ってカラリと背の高い下駄を鳴らしたが、仄火は内心で安心していた。こんなもの、のぼりきった頃にはハルイに会うほどの気力も残っているか怪しい。
サロは石段を逸れた細道を真っ直ぐに進んでいくと、その先にある馬小屋の人間に何かを話しかけた。しばらくして、馬小屋から車輪のついた籠のようなものを引いた馬が二頭小屋から出てくる。どうやらこの籠に乗って城まで行くようだ。
「そこの妖たちも乗るか?」
籠の扉に手をかけて、サロは言った。ハクと静寂に向けて。
そうだ。ここは現世でなくてカジュギンカなのだから、ハクたちの姿も見えているのだ。つい忘れそうになってしまう。
「わしは乗るぞ。お前さんはどうする」
「ええ、じゃあ……。箱に乗るのは、変な感じだけど」
ハクと静寂も乗り込むと、籠が動き始めた。先ほどサロが話していた人間と、似たような格好のもう一人が前で馬に乗り、手綱を握っている。
サロは坂と言ったが、籠が走る道は崖を細く切り抜いたような、緩やかな斜面だった。
「カジュギンカに住んでるってことは、やっぱり妖の類にも馴染みがあるのか」
ガタガタと揺れる籠の中、そう聞いたのは伊波だった。
「いや、やつらは街には滅多に寄り付かない。ただその存在が確かな分、占いや神の信仰はそちらより盛んだ」
「へえ。でも静寂……彼らはほとんど人と見た目は変わらないだろう? どうして妖だと分かったのかな」
「そんなもの、どうやっても人とは気配が違う。それにあなたたちのような情報屋と共にいるのは大抵が獏だろう」
これには仄火たちも虚を突かれた。情報屋、それに獏のことまで。随分と仄火たちについても知っているようだ。
すると、それまで横に座って話を聞いていた少女が、ピクリと反応した。
「……じょうほうや?」
彼女はそう言うと、サロにつかみかかるように身を乗り出した。
「ユペルア!? トヤクソユイエデアテシ、チスシニカ?」
籠がその衝撃で大きく傾き、仄火はひやりとする。が、何とか籠は横転せずに元に戻った。少女はそんなことは気にも止めず、依然としてサロに食ってかかる。
「トヤクソユイアロクシチレバ、オアイク……」
「コハヌ、エデニ。シハヌマイノチュリバ」
サロは怯みもせず、少女にはっきりと言った。何を言ったのかは分からないが、それを聞いた少女は渋々といった様子で引き下がり、元の位置へと座る。
サロは驚いている仄火たちを見て、頭を下げた。
「すまない。こいつはどうも気性が荒くて」
「いや…………。彼女も、その長の家臣か?」
「…………まあ、そんなところだ」
仄火が聞く言葉に、サロの答えは少し間が空いた。家臣なら家臣だと言うだろう。では少女はそうではないのか。
…………たとえば、少女が身につけている黒い胴当てのようなもの。それは現世の甲冑と質感がよく似ている。
曲がり道で壁にぶつかった籠が、大きく揺れた。
「…………戦か。それも、相当長いことやってるだろう」
仄火が言うと、サロははっとした顔で何度か瞳を瞬かせた。
「…………なぜそれを」
「来る時、門には警備にしては多すぎるほどの人がいた。それに、街の様子もおかしい。おそらくは戦場から逃げて来た人間が街に流れてきて、物が足りていない」
「そういえば、やけに怪我人も多かったね」
伊波の言葉に仄火も頷き、そして付け足した。
「おまけに城だ。階段が多く、あそこまで急なのは敵に攻められた時に矢か何かで落とすためだろう。この坂だって、上から岩でも転がせば敵を潰せそうだ」
本当に道ならばこんなに曲がり角を多くする必要もないし、もっと道を整えるはずだ。先ほどから酷く揺れる籠がそれを裏付けていた。
「…………そうだな、あなたの考えは正しい。確かにこの国は戦をしている。いや、戦になりかけている。そのあたりは長から聞いてくれ」
サロがそう言うと同時に、籠が止まった。どうやら目的地に着いたようで、サロは籠の扉を開ける。
「ようこそ。アロの地で最も高い、カヒ城へ」
言葉通り、そこからは街の全てが見渡せた。下に比べると幾分か寒くなった空気を、崖の方から吹き下ろす風が音を立てて切る。
降り立ったのは城の左端。中央部の建物まで赤い柱の廊下が続いていた。
城は正面から見た印象よりも奥行きがあり、ちょうど後ろに位置する谷にのびていた。
仄火たちが行き着いたのはちょうどその、一番奥にある部屋である。周りには警備らしき人間が何人か立っていたが、サロが通ると皆一様に頭を下げた。
鉄か何かで出来ているらしい扉をサロが叩く。
「マイ、シノシバニンクタリ」
「イレ」
中から聞こえてきたのは若そうな男の声で。おそらくハルイのものだろう。イレ…………入れ、か? と仄火は漠然とした思考を巡らせる。
鉄の扉がキイ、と音を立てるとともに、聞こえてきたのは滝の音だ。見ればその部屋の奥には壁がなく、簾のようなものと引き戸で外と仕切られている。その戸も簾も今は引き上げられて、小さな池に落ちる滝がその向こうに見えた。
そして、部屋の中央に座る、といってもこれまた鉄で出来た頑丈そうな椅子に腰掛けるのは、鳶色の髪をした青年だった。首にはじゃらじゃらと眩しい首飾り。
「よく来たな、アロ始まって以来の客人よ」
*
「さて、まあ座れ。志乃の使いらしいが、名はなんと言う?」
ハルイ自ら鉄の椅子の前に腰ほどの高さがある机を運んできたかと思えば、サロが二人分、こちらは木でできたものだが椅子をその向かいに置いた。
仄火と伊波はそれに座り、ハルイと向かい合う。
「俺は伊波、こちらは仄火と言います。後ろにいるのは、獏の静寂とハクです」
「イナミにホノカか。妖はともかく、ユマカにも変わった名前の奴がいるんだな。そうだ、志乃は元気か?」
元気に人を夫婦喧嘩のダシにしてます、と仄火は心の中で思ったが、伊波が「お元気です」と無難に返す。そして仄火を横目で見た。仄火は懐から志乃から預かった手紙を取り出し、ハルイに渡す。
「お返事を預かりました」
ふむ、とハルイは手紙を受け取り、封を切った。
「ユマカの言葉は話せるが、文字を読むのはそこまで慣れないんだ。少し待ってくれ」
そしてサロを近くまで呼び寄せると、二人で何か話し合っている。それなら仄火たちが読み上げれば話が早いのだが、人の手紙を見るのもどうかと思い仄火は出された茶を大人しく飲む。
茶は普通の色だったが花が浮いていたので、口に入るままに食べてみる。茶はすっきりとした口当たりで番茶に近い味わいだったが、花は特に味がしなかった。
「え、食べたのか」
「え? 食わないやつか、これ」
「いや……分からない」
ぼそぼそと伊波と仄火が喋っていると、案外すぐ手紙を読み終えたのか、ハルイが二人を見た。
「……志乃は、カジュギンカにはもう入れないんだな。よって情報屋殺しを調べているお前たちが力を貸すと書かれていた」
「はい。一体、隣国が情報屋殺しをしているというのはどういうことですか?」
「ああ、それか」
ハルイはまた、立ち上がって何かを取りに行く。サロが代わりに動こうとするも遅かったようで、彼は代わりに仄火のお茶のおかわりを淹れてくれた。
ハルイが机の上に広げたのは地図だ。書いてあることは分からないが、海の近くには城のようなものが描いてある。位置的にもこれが瑞穂城だろうか。だとしたら長見の街を小さく描きすぎだ。
その城の裏からずっと九葉山を越えて、赤い線で囲われたところをハルイは示す。
「これがアロだ」
「…………じゃあ、こっちは?」
仄火は聞かずにはいられなかった。赤い線で囲まれたアロは山一つ分ぐらいの領地を持っているようだ。しかしどうしても目が行くのはその隣、青い線で囲まれた山二つも三つもありそうなアロの何倍もある土地だった。
「それは隣のトヤクだ」
「もしかして、ここが敵国ですか?」
「そうだ。昔は唯一の同盟国だったけどな」
つい背筋が伸びた。こんな大国相手に戦をしている国に、仄火はのこのことやって来てしまったのだ。「危険」の二文字が脳内を駆け回る。
「心配するな、まだ本格的な開戦には至っていない」
するとその様子を察知したのか、ハルイが言った。しかし表情は安心させる、というよりも深刻そうな、という方が近い。
「この、黒い線から向こうは?」
伊波が指差したのは、ちょうどそのトヤクの領地を南北に走る黒い線だ。その線の向こう、アロとは反対側にもいくつか国のようなものが並んでいる。
「そこから先は、もうない」
「ない?」
ハルイの指が、少し掠れても見えるその線の向こう側を撫ぜた。薄く被った埃が取りのぞかれ、幾つもの国と国境が見える。
「消えた。…………カジュギンカの消失と共に」




