第二十九話 昨日の友と今日の客(前)
その古びた見た目よりも軽やかに門は開いた。その向こうから上から、何十という目が仄火たちのことを見ている。門を通り終わると、門番らしき人間がまた門を閉め直した。
何人かは弓やら槍やら武器を構えたままだったが、先導する少女の一喝でそれらを下ろす。そして少女はふと立ち止まると仄火たちの方を振り返った。
「ガイハ、タリカ?」
がいは、たりか。なるほど、まったく分からない。仄火が伊波の方を見ると、伊波もなぜこちらを見るんだ、というように見返した。
あの後、手招きする少女に着いて来た仄火たちに一切の攻撃が仕掛けられることはなかった。一応この少女には、長であるハルイの客だと伝わっていたのだろうか。
…………となれば、やはりここがアロ国。周りの人間は皆奇妙な服を着て、奇妙な言葉で喋る。
すると少女がこちらにずかずかと近づいて来たと思うや否や、仄火の腰に差さった刀を鞘ごと奪い取った。
「あ! おい、返せよ!」
慌てて手を伸ばす仄火に、しかし少女は素早い動きで仄火たちから距離を取る。
「まあ、見慣れない客なのは向こうにとっても同じだ。こちらに敵意がないことを示さないと」
「なにが敵意だ、さっき思い切り矢撃ってきたじゃねえか。今攻撃されたら死ぬぞ、いいのか?」
「この人数に囲まれたら、刀一振りあったところで結局死ぬだろう」
言い争う仄火たちを横目で見てから、少女はまた歩き出す。置いていかれるわけにもいかないので、しょうがなくそれに続いた。
門から続く道は、道といっても深い森に囲まれていてただ足場があるだけ、といった塩梅だ。こんなところで少女に置いていかれれば、迷うことは間違いなかった。
しばらく斜面を下ると、細い道は段差になる。木で作られた階段は、何度か曲がりくねる内に石の段へと変わっていった。数段先の石段が陽の光に明るく照らされているのを見て、もうすぐ森を抜けるのだろうと仄火は思う。
そして、そのすぐ前を行く伊波の足が止まった。少女の足が速いのでつられて早歩きになっていた仄火は、思わず伊波にぶつかりそうになり、なんとかそれを避ける。
「おい、危な」
「すごいな、まるっきり街だ……」
伊波の呆然とした呟きに、仄火は顔を上げた。
きっとそれが、仄火の人生で一番信じられない景色だったことはその先も変わらないであろう。
斜面を切り開いて作られたその街は見渡す限り続いていた。木で出来た建物が立ち並び、道があり、見慣れぬ服を着た人々が行きかい、馬が荷車を引き、川が流れ、橋がかかり、そして崖に切り立つようにして赤く大きな城が奥に聳えていた。
それは仄火の知る城とは全く違う。しかし平たくて横に長いそれは確かにこの街の象徴のようで、そういう意味では間違いなく城だったのだ。
「はあ、いつの間にこんなものが」
仄火の横から覗き込んだハクが感心したように言う。
「いつの間にって、」
この街が、十年、数十年で作られたような代物には見えなかった。そしてカジュギンカの奥深くに、こんなにも多くの人が住んでいることも到底信じられない。
夢でも見ているのか、それとも狐に化かされているのか。ありうる、幻影を作る妖だっているのだし…………。
そこで仄火は、少女が随分先で苛立ったように待っているのに気がついた。固まったまま言葉の出ない様子の伊波を前へ押しやって、二人は石段を降りきる。するといきなり伊波が聞いた。
「仄火、どう思う?」
「は?」
「カジュギンカは現世の模倣。なら、この街はなんだ? 現世には絶対、こんなものはない」
「それは…………」
カジュギンカでは、現世の人間は魂の形をして現れるはず。しかし彼らはどう見たってこの世界に生きている。現世にはいない、模倣の世界でのみ、存在している…………。
「カジュギンカって世界に、住人がいた…………。そういうことだろ。もしくはこいつら全員が妖か」
「ああ、確かに」と伊波は気がついたように言ったが、どこか上の空である。その可能性はあまり高くないと仄火同様に思っているらしかった。
仄火たちが近づいて来たのを見て再び歩き出した少女を、また追いかける。
すると、少女との間に人影が立ちはだかった。
青年である。黒く短い髪をした、背の高い男。いや、安直に背が高いというのはどうかと思うほど、背が高かった。仄火が今まで見た男の中でも一番なのではないかと思う。
「…………ソユイクエラ、ナルセカネドユレハシナ?」
その青年は、威圧感のある声でゆっくりと少女の方を振り向いた。少女は明らかに顔を歪めて、青年を見る。
「…………キソトカ……」
「イルシ、シハヌイヨニタ? マイス、ソユイダシタカ!?」
それからも少女と青年は分からない言葉で何かを言いあっていたかと思うと、青年が仄火の刀を少女から取り上げた。そして刀を持ったまま、仄火たちの方へと向き直る。
「…………失礼。あなた達が志乃の使いか?」
「えっ? …………あ、はい」
急に言葉が通じたことに大いに戸惑いながらも、仄火はほとんど反射的に返事をした。「え、」と伊波も横で口を開けている。
「あなたたちには長のところへ来てもらう。が、城では武器を持った客を入れることはできない。この刀はしばらく預かってもいいだろうか?」
「まあ……返してくれんなら」
青年はそれを肯定するように頷いて、刀を抱えた。
「では、案内しよう。名乗り遅れたが俺はアロの長であるハルイの従者、サロだ」
仄火と伊波、そしてハクと静寂は青年につられて、城へと続く大きな通りを歩いた。その後ろを、腕を組んだ先ほどの少女が歩く。
「……なあ、ハルイとサロって志乃さんの話に出てきた子供だよな」
「だろうね。まあ、あれ自体少し昔の話なんだろう。別に大人になってるのは不思議じゃないさ。それより…………」
伊波は辺りの人々を見回した。彼らは前を行く青年に敬意を払うように道を開け、そして仄火たちのことを眺めている。居心地が悪いことといったらない。
「なんだか小さくないか、俺たち」
「……こいつらがでかいんじゃねえの」
サロだけに限らず、この街の人々は皆背が高い。仄火たち二人も現世では特別背が低いわけでもないのだが、今ではじろじろといくつもの視線に見下ろされている。
そしてもう一つ、違和感があった。
入り混じる人々の中に、さっきからやたら怪我人が多い。立派な家がいくつも建っているというのに、地面に座り込んで身を寄せ合う親子も隙間隙間にちらほらと見える。
そして随分現世とは様子が違うが店のようなものも見受けられる中で、その商品もほとんどが残り少なく、賑わいもない。
……この街では、おそらく何かが起きている。




