第二十六話 神も触らなきゃ犬も喰わないわ(後)
仄火は少し後ろで座っている清の方を思わず振り返った。しかし、清も何と言えば分からずにいるようだった。
仄火は否定したかった。夢でも見たのではないかと。
だができない。仄火も見ているからだ、奇妙な服装をした男を。その男に預けられた手紙も今目の前に残っている。
「カジュギンカに行けなくなってから、ずっとあの子たちのことが気がかりだった。だから伊波さんの、色々な情報を集められる『夢遊』にお金を出して、それに繋がることが見つけられないかと思っていたの」
志乃は、手紙に目を落としながら言う。
「これは、ハルイからの手紙ね」
「……手紙には、何と?」
仄火が尋ねると、志乃は手紙を置いて仄火を見た。
「手紙の内容を話す前に、一ついいかしら」
「なんでしょう?」
「この手紙の中身を知るからには、私の依頼を受けて欲しいのよ。私の代わりに、カジュギンカの彼等に手紙の返事を届けてくれる?」
仄火は閉口した。
そんなところまで、行くことができるだろうか。それも得体の知れない者たちを相手に。
だが、そうしなければ青龍の仕事が進まないのもまた事実。青龍が日浦家に憑いている理由を明らかにするには、九葉山を調べなければいけないのだから。
「……かしこまりました。その依頼、お引き受けいたします」
「ありがとう。…………手紙には、こう書かれています。情報屋殺しは、アロ国の隣国の者の仕業だと」
仄火は息を呑んだ。
伊波が調べている、「夢遊」の組合員ばかりが狙われている情報屋殺し。それがここで出てくるのか。
そう言えば、殺された情報屋は刀ではない、矢傷のような跡が残っていたと伊波は言っていた。それは志乃の話に出てきた少年が持つ武器と同じものではないのか。
「情報屋殺しが絡んでいるなら、伊波にもこのことを伝えた方がいいんじゃないですか」
仄火のその提案には、伊波を巻き込めば静寂の箱で遠くまで移動できるという算段も裏にあった。
仄火の提案に、志乃は「そうね」と頷く。
「これは伊波さんにも伝えた方がいいわね。仄火さん、お願いできるかしら」
「……伊波には、直接お伝え頂くわけにはまいりませんか。少々突飛な話ですので、あいつが簡単に信じるかどうか」
カジュギンカの山奥に人が住んでいるなど、仄火もこの目であの男を見ていなければ絶対に信じていない。しかし、志乃は残念そうに首を振った。
「ごめんなさい。でも、きっと伊波さんも信じてくれるわ、カジュギンカなんて何が起こっても不思議じゃないのだし。今は旦那様がお帰りになっているから」
ああ、なるほど。確かに、勘蔵がいるのに伊波を部屋まで呼ぶのはまずいだろう。
「それなら俺のことも気軽に呼ばないで欲しいのですが……」
「あら、仄火さんは大切な話があったのだからしょうがないでしょう。でも伊波さんは『夢遊』の話を聞くのもそうだけれど、正直に言うとたまにはお客さんがいないと退屈なのよ」
どうも、あの伊波が退屈凌ぎの話相手に使われていたらしい。
仄火がそう思ってなんとも言えない顔で志乃を見ると、志乃は口元に手を当てて笑った。
「けれどね、旦那様が一番面白いのよ」
表情も仕草も上品だが心底愉快そうな志乃に、仄火は内心であまり関わり合いになりたくない種類の女だと思った。
…………立川君も大変だな。
そこから志乃が返事を書き終わるまで、仄火と清は隣の部屋で待たされていた。
「なんだよお前、全然茶飲んでねえじゃねえか」
清の湯呑みには、まだ一杯目の玉露が残っている。もうすっかり冷めてしまったのではないか。
しかし清は首を振る。
「玉露なんて、もうこの先一生飲めませんよ。そうごくごく飲めるわけないでしょう」
そう言って少しずつ玉露を味わっている。
仄火は呆れた顔でそれを見て、そして視線を宙にうつした。
「なあ、どう思う。カジュギンカの山奥に人が住んでいるなんて、信じられるか?」
「俺からすれば、獏の能力だとか青龍も同じようなものです」
清は何を今更、と言った風に仄火を見た。
確かに、清はその全てを同じように仄火から聞いているだけなのだから、何が出てきたところで驚かないのだろう。そう言われると、仄火もカジュギンカでならありえるかもしれないという気になってくる。
「それより、なんだか静かじゃありませんか? さっきまで人の声がひっきりなしに聞こえてきたのに」
「……そういえばそうだな。何かあったのか?」
仄火は庭に面する襖を少し開けて、外を見ようとした。すると、襖は仄火が思ったよりも大きく開かれる。
「え?」
瞬間、隙間から伸びてきた鉄の棒で仄火は畳に押し付けられた。
刺股だ。咄嗟のことで仄火は反応できず、押し除けようとするも間に合わない。
「なっ…………!」
仄火は自分を見下ろす男を見た。
瀬川宗四郎。なぜここに。
いや立川家の屋敷なんだから、勘蔵の用人がいるのは別におかしくないか。
「旦那様、曲者を捕らえました!」
瀬川が言うと、襖の向こうから勘蔵本人が顔を出した。
「お前か、度々ここに出入りしていたという不届者は」
「俺じゃありません違います」
仄火は必死で首を振る。仄火は今日初めてこの屋敷に来たのだから、それはどう考えても伊波である。
ちょっと志乃さん、旦那にばれてますけど。
「とぼけるな」と厳しい目をする瀬川の後ろで、勘蔵も疑わしげに仄火を見る。どうしたものか。
すると、隣の部屋へと続く襖も開いた。
「ご無事のお帰り何よりでございます、旦那様」
「志乃。留守の間に屋敷に何度か見慣れぬ者を招いていたと聞くが、どういうことだ」
志乃は勘蔵の追求にもあら、と涼しい声だ。
「それはきっと、京からのお茶やお菓子を届けてくれた商人の方でしょう。どうも私、最近甘いものに目がなくて。その方がいらっしゃった時はずっときよも側についておりましたよ」
ねえ、と志乃が同意を求めると、きよも「左様にございます」と頭を下げた。
「そちらの方はほら、少し前にここでの奉公を終えて隣町の町人に嫁いだ娘がいましたでしょう。その方への手紙を届けてもらおうと思い呼んだのです。それに、そんな人が弟を連れて来ますか?」
志乃の言葉に、勘蔵たちは動けずにいる清の方を見た。一応納得したのか、勘蔵は瀬川に仄火を放すように言う。
刺股から逃れた仄火は、きよに差し出された手紙を受け取ると「失礼いたしました」と言って、すぐに清と共にその場を離れた。もう二度とここには来るまい、と意志を固めながら。
「…………やっぱり、旦那様が一番面白いわ」
御簾の向こうで志乃が笑って呟いた言葉は、仄火と勘蔵には聞こえるはずもなかった。




