第二十五話 世間も見通す胸算用(後)
「………………で、なんで俺まで着いて行くんですか」
翌日の昼過ぎ、往来を歩きながら清はそうこぼした。
「いいか。昔痛い目をみてからというもの、俺は人妻には手を出さないと決めてるんだ。あったとしても、せいぜい何か物を恵んでもらうだけ」
重々しく言う仄火に、はあ、と清は呆れたように相槌をうつ。
「武家のご正室なんてもってのほかだ。もし浮気だと疑われたら即死罪は間違いない。だからそれを防ぐため、万が一の時は親子ってことでごまかすのさ」
「親子は流石に無理があると思いますけど……」
どう見たって、仄火と清に親子ほどの年齢差があるようには見えない。本当にそれでごまかせると思っているのだろうかと、清は心配そうに仄火を見た。
歩いているうちに、二人は武家屋敷が並ぶ辺りへと近づいてきた。先ほどの表通りよりも人は多いぐらいで、かっちりと身を引き締めた商人の姿ばかりだ。
流石は大名行列のお帰りとだけあって、武士も商人も忙しいようだった。慌ただしい方が紛れ込みやすくなるので好都合なのだが。
「それで、どうやって立川家の屋敷に入るんです? 怪しまれたら、そもそも志乃さんにも会えないんじゃないですか」
「まさか向こうがそれを考えていないってことはねえと思うけどな。だがまあ、一応は商人って体でいくか」
恐らくは伊波もその手を使っていたのだろうと思う。志乃への手紙は何かの商品に見えるよう、大袈裟に風呂敷で包んで清が持っていた。
間もなくして、立川家が見えてくる。去年一度、知親の偽の依頼で来たのみで、現世で訪れるのは初めてだ。
最初に表玄関の様子をうかがってみたが、家老である立川家の屋敷にはひときわ人通りが多い。
「やっぱり裏の勝手口から回った方がいいんじゃないですか」
清の言葉に仄火は頷いて、二人は屋敷をぐるりと回り込む。裏の方からも忙しなく人々が動き回る音が聞こえた。
「ごめん下さーい」
仄火がそう言うも、誰も人は出てこない。
「ごめん下さーい」
もう一度そう言って戸を叩くと、ようやく勝手口が開いた。中から一人の女中が顔を出す。
「はい。どちら様でしょうか」
「商人の仄火、といいます。奥方様への荷物をお届けに参りました」
仄火が愛想よく言うと、その女中は覚えのない荷物に「え?」と言って困惑していたが、しばらくして清の風呂敷包みを見た。
「かしこまりました。お預かりいたします」
女中はそう言って手を伸ばす。
今度は仄火が困る番だった。このままでは荷物だけが持って行かれてしまう。やはり志乃が仄火を呼んだことは、屋敷の皆に知れているわけではないようだ。
やむなし。仄火は女中の手を取った。
「なっ……!」
「あれ、もしかして荷物が届くことはご存知なかったのですか? ……いけねえ、もしかすると俺が日を間違えたかもしれません。お嬢さんさえよければ、一度奥方様に荷物が届く日取りはいつだったか聞いてきてもらえませんか?」
「ね?」と仄火が首を傾げると、女中は呆然とした顔で「……わ、分かりました…………」と言って、赤い顔でばたんと勢いよく勝手口の戸を閉めた。
「『親』が『子供』の前で、そんな手を使いますかね」
「どんな手だよ。俺はただ普通にお願いしただけじゃねえか」
ため息をつく清に、仄火は先ほどまでの優しげな笑みとは打って変わって白々しい顔で言った。
「お待たせいたしました。どうぞ中へ」
少しして出てきた女中は、さっきの女中とは違う、美人だが真面目で怖そうな女性だった。仄火も清も頭を下げて、その女中に続いて屋敷の中へと足を踏み入れる。
「すみませんね、何だか忙しい時にお邪魔しちゃったみたいで」
「とんでもございません。こちらこそ、客人を門の前でお待たせしてしまい、お詫び申し上げます」
屋敷の中でもちらちらと仄火達を見る者はいるが、その前を歩く女中を見ると特に不審がることもなく目を逸らす。恐らくはかなりえらい女中なのだろう。
彼女に案内された部屋は、屋敷でも奥の方にあった。
「奥様。お客様をお連れいたしました」
「どうぞ、入って」
中から聞こえたその声は、柔らかく落ち着いた響きがする。するりと開いた障子の奥、御簾の向こうに女性が座っていた。
「お待ちしておりました、仄火さん。お話はかねがね」
仄火は少し緊張しながらも部屋に足を踏み入れ、志乃の向かいに座る。あっているかは分からないが、畳に手をついて頭を下げた。
「お初にお目にかかります、仄火といいます。こちらは手伝いの清。俺の話というのは、伊波から?」
「え? …………ああ、そうですね。伊波さん。彼からお話を伺っていました」
その時、部屋の外に影が見えた。姿形からして先ほどの女中のものだろう。障子を開けた彼女は片手に湯呑みの乗った盆を持っていた。三つ載せられた湯呑みを、女中はすばやく静かに仄火たちの前へと置いた。
「京から取り寄せた玉露です。どうぞ」
志乃に促され、仄火は湯呑みを手にする。まともな茶など飲んだことはないが、何だか高貴そうな奥深い、それでいてどこか甘い香りがした。一口飲むと、濃い風味が一気に喉の奥まで流れていく。とても仄火が知っている茶ではなかった。じわりと口の中に甘い余韻が残る。
志乃は驚く仄火をほほえましく見ると、自身も一口茶を飲んだ。
「さて、お茶も入ったことだし、まずは仄火さんのお話から聞かせて頂こうかしら」
優美な声は、どこか圧のような、底知れぬものを感じさせる。まるで玉露のようである。
仄火は清に風呂敷包みを開けさせ、中から出てきた手紙を畳に置いた。
「先日、この手紙を届けるようにと見知らぬ男から渡されました」
女中が間に立って御簾の向こうに渡すと、志乃は手紙を手に取り、何も言わずに開いた。
「これをもらったのは、カジュギンカよね?」
仄火は頷いた。やはり、志乃はカジュギンカのことを知っているらしい。まあ「夢遊」に金を出しているのだ、知らないわけがない。
すると、志乃はまた笑みを浮かべる。
「…………それで、仄火さんの話はこれで終わり?」
「……いえ、いくつかお聞きしたいことが」
志乃は何も言わずにいる。仄火は続けた。
「なぜ、お松さんの依頼を急がせたのです。それが結局は久世の横領に繋がった。まるで、初めからそうなると知っていたかのようです。…………それに、俺が用があることも知っていた。それは、一体なぜです?」
「そうね……」
志乃は声の調子を少し薄くして、頭を少し傾けた。うーん、と悩むような声を出す。
「一つずつ説明しましょうか。まず、お松さんのことだけれど……。夫の横川様が質素な暮らしをしているのに、お松さんが贅沢できるのは、きっとご実家の久世家からお金をもらっているのだろうと思ったの」
それは自然な考えだろう。なにせ、久世家は家老。嫁に行った姉に仕送りをするぐらいの余裕はあってもおかしくない家柄なのだ。
「では、どうしてお松さんの贅沢について調べさせたんです」
「だって、ありえないもの。久世家は借金をしていて、そんなにお金に余裕はないはずだから」
「借金?」
そうか。それで久世は横領を。横流しの金を笹田屋に流しているのは、笹田屋に借金があるからだ。
仄火はひとしきり納得したところで、志乃を見た。
……どうして、知っているのだろう。借金があるなど、久世が言うわけがない。言えないから横領という手に踏み切っているのだ。
それをどうして、立川家の正室が…………。
「どうして私が知っているのかって、そう聞きたいのよね」
志乃はまた湯呑みを持ち上げる。ゆっくりとした動作でまた一口、彼女は茶を飲んだ。
ふふ、と志乃は笑う。
「だって私、情報屋だもの」




