第二十四話 獏の手も借りたい次第です(後)
「おーい若造。起きとるか」
頭上から声がして、知親は閉じていた目を開けた。仄火のもとへ行ってから一日が経ち、約束通りハクが来たようである。
「声は出してはならんぞ。わしは他の人間には見えとらんからな」
知親は少し離れたところで控えている小姓の方を見やった。まったくハクに気がついた様子はない。
知親はこっそりと布団の中に持ち込んでいた羽織りを抱え、細長く丸めた予備の布団を自身の代わりとして布団の中に置いた。それを見て、ハクがぱん、と両手を合わせる。
布団から顔を覗かせると、さっきまでいた小姓はいない。代わりに青白い野火のようなものが浮かんでいる。
「あれが、人の魂か」
「そうじゃ。じゃが、今は構っている暇はないぞ。ついて来い」
移動するハクに、知親も羽織りを寝巻きの上から着て後に続く。本陣の中を歩いていくと、暗い部屋の中に時折先ほどのような青白い光が見えた。
そして玄関からすぐ近くの部屋に、仄火がいた。その横には似たような年頃の少女と青年が一人ずつ座っている。髪の短い青年はなんだか独特の雰囲気をしていて、知親は何となく気に掛かった。
「ああ、来た来た。これが俺の知り合い」
仄火が立ち上がって、知親を指し示す。
青龍の力を使わず、ハクに知親を迎えに行かせたのは仄火の案だった。そうでなければ、どうやって知親がカジュギンカに入ったのかを藤と春日には説明できないからだ。
「で、こっちが情報屋仲間の藤と春日」
今度は二人を指す。そして、知親だけに聞こえるよう「名乗るなよ」と小さく言った。知親もそれに頷いて、二人の方を見る。
「久世里進の件についての協力、感謝する。が、訳あって私の名は明かせぬ。無礼は承知の上で、どうか分かってほしい…………」
「……あなた、青木さんのところの弟君?」
驚いたような声が響いた。その場にいる、藤以外の全員が固まる。
「え、」と仄火が知親を見ると、彼も絶句して瞬きを繰り返していた。知親はよくよく藤を見て、そして何かに気がついたようだ。
「………………まさか、小笠原の」
「「えっ」」
今度は仄火と春日の声が重なった。
「…………もしかして、知り合いか?」
仄火が恐る恐る聞くと、知親が答える前に藤の声が飛んできた。
「仄火、あなたの知り合いって、まさかこの藩のお殿様のことなの?」
武士は家老などの上級武士以外は、藩から与えられた場所に固まって暮らしている。なれば家族ぐるみの付き合いで、その子供同士が知り合いなのは当然のことであるらしかった。
仄火は白状した。知親からとある依頼を受けていること、知親に久世の横領の証拠を集めてもらうように手紙を出したことも。青龍以外のことはほとんど。
「……信じられない。まさか『知り合い』が殿様だったなんて」
春日は驚いているというよりかは、青ざめた顔で知親を見た。その横で、藤は心配そうな顔を向ける。
「お城に上がられてから、もう五年になりますか。いったいどうして貴方が藩主になられたのです? あれからというもの、お母上は……」
仄火がその質問はまずいと思うや否や、その前に知親が言葉を切った。
「いらぬ気苦労をかけ、申し訳ない。しかし、今するべきはその理由を語ることではあるまい。久世を成敗せんとする志のもと、私たちは集ったのであろう」
知親の言葉は芯が通っていて、藤も口を閉ざした。すると、知親は静かに目を伏せる。
「…………小笠原殿のことは、やはり真実ではなかったか……」
先程よりも柔らかくなった声の響きには哀しみが宿っていて、藤もその言葉に俯いた。春日が彼女の顔色を心配そうに伺う。
「……真実なわけがありません。父上も母上も、私に謝る必要などないというのに。全てあの、久世という男のせいなのに…………」
藤の父親は、久世に陥れられあらぬ失態を押し付けられたと言っていた。その理由が、父が久世の横領について知ってしまったからでは、とも。
藤は涙を飲み込むようにして顔を上げ、頭を下げた。
「不躾なことをお伺いし、大変申し訳ございませんでした。仰る通り、私のするべきは父の仇を討つことに他なりません。お力添えできることがあれば、何なりとお申し付け下さい」
春日も釣られるように、不慣れな様子で頭を下げる。
それを見ながら、やはり自分が知親に敬語を使わないのはまずいのではないか、と仄火は一人場違いなことを考えていた。
「協力者は家老の立川勘蔵、その用人である瀬川宗四郎。そして久世の息子である久世進太郎のみだ」
「はあ!? 息子?」
仄火は思わず声を上げた。藤と春日も引き攣った顔で知親を見ている。
「なんでその息子が父親の敵に回るんだよ、信用できるのか?」
「久世が笹田屋に金を送っている。そう申したのは進太郎だ」
知親は仄火の問いにも淡々とした顔で答える。だからって、横領をしている罪人の息子を味方に加えるなど仄火には到底理解しがたかった。
「……嘘だったらどうする。お前らが笹田屋行ってる間に、久世が別のところに金を回したら?」
「親の罪を暴くような外道は『不孝』という罪になる。それを承知で、父が裁かれる時は共に首を刎ねてほしいと進太郎は申しておる」
「………………」
仄火は声が出ず、ただ息をついた。藤と春日も同様である。果たして信用していいものか、という不安と共にその苛烈さにただ唖然とするばかりだ。
「進太郎には、久世を取り押さえる際に同行させるつもりはない。なのでいつ久世が動くかという見張りは、そなたたちに頼むことになるやもしれん」
「まあそれは、カジュギンカを使えば簡単だけど……」
春日は藤を見た。しかし彼女は先ほどの戸惑いを振り払ったかのように、真っ直ぐな目で「承知いたしました」と頷く。
「……それはともかく、何で息子に横領のことを話したんだ。俺の手紙を見られた、とかか?」
つい気にかかって、仄火は聞いてみる。
横領をその息子に話すほど迂闊な真似を知親がするとも思えないが……。
「そうだ。進太郎は仄火の手紙を、最初は父親に見つからぬように隠していたのだ」
それは、ますます怪しくないか。
口には出さなかったが、仄火は眉を顰める。
「じゃあ、お前は手紙を見られなかったんだよな? どうやって久世のことを知った?」
「立川家の奥方であられる、志乃という方からの手紙だ」
「…………志乃?」
思わず聞き返す。
それがどうしたのかとでも言いたげに、知親は頷いた。




