第二十四話 獏の手も借りたい次第です(前)
「九葉山、か」
うーむ、とハクは唸った。
「まあ、行ってみれば分かるじゃろ」
「だから、九葉山のどこにだよ? 第一現世の九葉山なのか、カジュギンカの九葉山なのかもはっきりしねえ」
冷めてしまった味噌汁を飲む仄火の横には、白い手紙が置かれている。
仄火は飲み干した椀を置いた。
ついさっき、カジュギンカで仄火を襲った奇妙な男。あの男が巷で流行りの情報屋殺しなのだろうか。
仄火はどうにも腑に落ちない。仄火が殺されかけたというのは事実だ。だがあの時「死ぬ」とは思わなかったし、男から殺気も感じられなかった。
あの男は仄火を殺すつもりはなく、手紙を渡すことだけが目的だったのではないか。やり方が少し物騒過ぎるが。
「そうだ清、志乃って名前に心当たりは?」
仄火は手紙に書かれた字を清に見せた。清は食器を片付ける手を止める。
「しの、という名前ならこの街にも何人か思い当たりますけど……こんな硬い漢字を使うかどうか」
「そうか…………」
そういえば、あの男は仄火になにかを言っていた。先ほど一緒にいたのは武士か、と。
あれは知親のことだろうが、もし仄火が武士と繋がりがあると見込んで手紙を預けたなら、この志乃という女性も武家ではないだろうか。
「もし武家の人間なら、明日知親に聞いた方が早いかもしれねえな」
「そうですね。流石に俺も、武家の内事情にばっかりは詳しくなれませんから」
清はなんとなく不満そうだ。
それは情報屋としては便利には違いないが、あまり詳しくなっても碌なことにならないだろう。
仄火はまあともかく、と仕切り直す。
「ハク、お前明日は家に居ろよ。夜は知親のところに移動しなきゃならねえし、その前に『夢遊』の拠点にも行かなきゃならねえ」
「まったく、年寄り使いの荒いことじゃわ。なら、今のうちにわしは寝るぞ」
そう言ってハクは床に寝転がる。
「そんなところで寝てたら風邪ひきますよ」
清が声をかけるも、次の瞬間には寝息だけが聞こえてきた。
*
「やあしばらく。元気そうで何よりだよ」
伊波は一応仄火を振り返りはしたが、その声にあまり温度感はない。いつもの飄々《ひょうひょう》とした鼻につく様子がないところを見ると、よっぽど情報屋殺しの件は難航しているようだ。
拠点には伊波に藤、春日も勢揃いしていた。
「仄火じゃない。昨日の今日でどうしたの?」
「昨日?」
春日が不思議そうに首を傾げた。すると藤の獏である紫苑が口を挟む。
「ああ、藤ってば昨日ちょっと現世に寄るっていうから何かと思ったら、仄火のところに行ってたのね」
「え、そうなの?」
こちらを見る春日に、仄火は慌てて顔の前で手を振った。
「いやちょっと、この前の久世の横領の件で話をしただけだって。そうだよな?」
「ええ。……あ、そう、話をしたら春日も協力してくれることになったの。まだ具体的な策は、考えている途中だけれど…………」
仄火はちらりと横目で伊波を見た。伊波は目の前の作業に没頭していて、こちらの声は聞こえていないかのようだ。
仄火は藤たちに向き直った。
「俺もそのことで話があって来た。実は、例の知り合いからようやく返事が来てな。久世は横領した金を笹田屋に横流ししているらしい」
「笹田屋に?」
真っ先に声が返って来たのは、意外にも伊波だった。本を机の上に置いてこちらを見ている。一応、話は聞こえていたようだ。
「笹田屋っていえば、長見では一番の大店じゃない。確か藩のご用商人だったはずよ」
「そうだ。そこでその知り合いたちは、久世が笹田屋に金を送るところを取り押さえる手筈らしい。その計画に藤たちも入れてもらえないかと頼んだら、一度会えないかと言われた。どうだ、今夜来れるか?」
「僕は大丈夫だけれど、藤は……」
春日はそう言って藤を見た。
そういえば、藤は武家の娘だった。たしか夜は家を空けられないのではなかったか。
「大丈夫、私も行くわ。夜なら皆が寝静まった後カジュギンカに入ればいいもの。でも、その知り合いは武士なんでしょう? どうやって会うのよ」
「向こうもカジュギンカのことは知ってるから落ち合えるさ。ただ、今は長見に帰ってきている途中だ。俺たちが大名行列の本陣まで行かなきゃならない。なあ伊波、静寂の箱を借りれるか?」
仄火が言っても、伊波は黙ったままだった。今日の伊波は何だか変だ。お松のことを調べていた時もこんな感じだったが、それよりも近寄りがたい雰囲気がする。
伊波はしばらく俯いてから言った。
「俺は流石に夜は抜け出せないし、今は情報屋殺しの件で忙しいから笹田屋の計画にも参加できない。でも、静寂だけカジュギンカに行ってもらうことはできるし、問題ないよ」
「静寂」と伊波が呼ぶと、山車蔵の奥の棚の辺りからそれまで姿を見せなかった静寂が顔を出した。
「何?」
「聞いてただろう、今夜仄火たちを運んでやってくれないか」
「えー。まあいいけど…………どこまで?」
面倒だと思っているのを隠し切れていない静寂に、仄火は考える。知親は、あと一日二日で長見に着くと言っていたから…………。
「江戸への道筋を、十里ちょっとってとこだな」
「遠っ! 嘘でしょ、夜中にそんな遠くまで移動させる気!?」
「まあまあ、遠いからこそ静寂に頼みたいんだろ」
伊波が宥めると、静寂は納得いかなげだったが、それでも「まあ伊波がいうなら……」と引き下がった。
「悪いな。じゃあこの拠点に夜四ツに」
藤や春日が頷いたのを確認して、仄火は一度帰ろうとハクを振り返った。
「おい、夜なんじゃし、この子供は置いていったらどうじゃ」
うんざりした顔で言うハクの首にはヨリメがぶら下がっている。随分と懐かれてしまったようだ。
「春日も来るんだからそんなわけにいかねえよ」
ほら、と仄火がヨリメを抱えて地面に降ろすも、ヨリメは諦めずにまたハクによじ登ろうとする。しかし、見かねた春日がこちらに来て「ヨリメ」と名を呼ぶと、ヨリメは春日の方に駆け寄っていった。
「最初からそうやって子守りをしといてくれんかの」
ハクはまるで腰を痛めたかのように伸びをした。
妖でも腰を痛めるのだろうか。
*
そういえば、昨日の男のことを伊波に伝え忘れた。夜、また拠点に向かいながら仄火は気がつく。
何だかいろんなことが同時に起こりすぎている。今から知親のところへ行くのは、久世の横領の件。これは知親と藤、春日に任せる。そして情報屋殺し。これは伊波が何とかしている。
……昨日の男は、仄火の直感だが情報屋殺しではない気がする。だからと言って、伊波に黙ったままでいいのだろうか。
そして青龍が日浦家に憑いている理由。それに関係があるとされる、九葉山。
仄火が調べなければいけないのはこれだ。昨日の男は九葉山の方へと走り去って行ったが、本当に山まで行ったのかは分からない。
仄火は振り返った。山は風に吹かれて、木々が触れ合う音がただざあざあと響くだけである。
「仄火!」
声の方を見れば、拠点の前には仄火とハク以外の皆が揃っていた。
「早く行きましょう、行って朝までに戻ってこなきゃいけないんだから」
藤が言うと、静寂がやれやれといったように箱を出す。人が三人、獏も三匹。紫苑とヨリメが小さいとはいえ、箱の中は狭い。
真っ暗な箱の中で揺られながら、仄火は九葉山からの奇妙な男と、渡された手紙のことを話そうかと迷った。
「なあ、カジュギンカで九葉山に入ったことあるか?」
仄火が聞くと、藤と春日はえ、と顔を見合わせた。
「私はないわ。現世でもあの山には人は住んでいないし、特に行く理由もないもの」
「僕も。現世でも行ったことは殆どないかな」
「そうか……『夢遊』の拠点に、何か九葉山に関する情報は集まってないもんかな」
「さあ……。伊波なら何か知ってるかもしれないけど、カジュギンカで山に入る情報屋なんてまずいないと思うわよ。どうして? 九葉山に何かあるの?」
「いや、ちょっとあそこに人が住んでるのかどうか気になってな」
結局、男と手紙については話さなかった。
手紙の中身を見たら、いつでも分かると男は言っていた。はったりだろうが、見られたくない手紙ならなぜ自分で志乃に渡しに行かないのか。
「着いたわよ。あれでしょ、本陣って」
「え、もう着いたの?」
外からの静寂の声に続いて、藤が驚いたように声を上げる。箱が開いて、仄火達は外を覗いた。
本当だ。垂れ幕が掛かった立派な本陣がある。まだ拠点を出てから四半刻も立っていないというのに。
「相変わらず速いわね、静寂は」
「まあね。私はここで待ってるから、さっさと用を済ませてきてよね」
静寂が近くの幹に腰を下ろすと、ハクが彼女にヨリメを差し出した。
「こいつも持っといてくれ、邪魔で敵わん」
「え〜…………。この子何考えてんのか分かんないから苦手なんだけど」
渋る静寂に、紫苑がハクの近くまで行ってヨリメを背中に乗せた。
「はいはい。私もここに残るから、行ってきなさいよ」
「おお、じゃあ頼んだぞ」
ヨリメは紫苑の背中に乗せてもらい上機嫌なようであった。獏が四匹も集まると全員が全員不思議な身なりをしているので、何とも奇妙な空間になる。
……もしかすると、あの男も人ではないのかもしれない。




