第十七話 Brother Zoneに楔を打って(後)
「藤が幼いころ、父親が仕事で失敗して謹慎を受けたらしいんだ。そこから元の役に戻ることも許されないまま、藤の家はまだ苦しい生活を送っているんだってさ」
山車蔵の外、仄火と春日は並んで山車の台輪に腰かけていた。ハクが寝ている一方、ヨリメは山車の上で遊んでおり、先ほどから微妙に仄火をハラハラさせる。
しかし春日は特に気にしていないのか、話を続けた。
「でも藤は、カジュギンカの魂から親が本当は誰かに陥れられたことを知ったんだ。それが久世里進という家老だと、当たりをつけたみたい」
「ああなるほど。それであの反応か」
藤と伊波、彼らの獏たちは今も山車蔵の中で話をしている。
仄火は伊波に「ちょっと待っててくれ」と言われたので外で待っているだけなのだが、なぜかそこに春日も付いてきたのだ。
……家老の久世家、か。
正直、仄火はここで離脱する気でいた。
調べるべきは横領ではなく青龍だ。伊波に報酬の値上げを交渉したら帰って寝ようと、そう考えていた。
その時、上の方でガチャリと音がした。仄火が見上げると、いつの間にか山車の上の方まで登っていたヨリメが宙づりになっている。
片手だけで掴まる姿は今にも落ちそうだ。
「おい、あれ……!」
思わず仄火が立ち上がると同時に、ヨリメの手が離れた。真っ逆さまに小さな獏は落ちる。
が、その落下は途中で止まった。
ヨリメの着物を掴んだのは春日の手である。
「大人しくしてろよ」
そのままヨリメを地面に降ろす春日に、仄火は呆気に取られた。
今、少しでも落ちてくるヨリメのことを見ていたか? 春日は当たり前のようにやってのけるが、とんでもない動体視力と瞬発力だ。
「……それ。昨日も聞いたが、何で戦えることを藤に隠してるんだ? いやまさか、あんなに強いとは思ってなかったけどな」
「何でそんなこと気になるのさ」
春日の目は、どこか遠くを見ているようだ。
「まあ、興味本位だな。戦えることを隠したって得なんて一つもないだろうに。好いてる娘相手なら尚更な」
すると、春日はゆらりと仄火を振り向く。
まずい、怒らせたか。少し踏み込みすぎたかもしれない。
春日の顔色をそっと窺うと、勢いよく仄火の両肩が掴まれた。
「…………やっぱり、そうだよね」
「は? 何がだよ。てか痛てえんだけど……」
仄火は春日の両腕を持って肩から引きはがそうとするも、彼の手はぴくりとも動かない。
春日は俯いていた顔をゆっくりと持ち上げる。
「やっぱり、強くて頼りがいのある男の方が女子は好きだよね……」
そう言う春日は今までで一番神妙な顔つきだった。仄火は苦笑いを浮かべながらも、その両手をなんとか引きはがすことに成功する。
「そう、思うなら自分は戦えるって言った方がいいんじゃねえの。せっかく強いんだし」
仄火が言うと、春日は一転して弱った顔になり、「いや」とか「でも」とかぶつぶつと呟き始めた。かと思えば大きなため息をついて片手で顔を覆う。
「……僕が、捨て子だってことは話したよね?」
急に変わった話題に、仄火は一体何の話だと疑問に思いながら、一応「ああ」と頷いた。
「僕が育ったところは、周りも貧しい人や病人が多くて……。皆心まで荒んでた。馬鹿だったから、他所へ移り住むことも考えつかなかったけど」
仄火は相槌も忘れて黙る。
そういった場所に住んだことは仄火にもあったが、一人ではなかった。親もいない子供がそこで生き抜く過酷さは並大抵ではないだろう。
「死にかけることも多かった。ヨリメを拾って、情報屋の仕事を始める前からね。運よくそれなりに戦える素質はあったみたいだけど、でも『ここ』はむしろ人より弱いくらいだったんだ、僕は」
春日は着物の、ちょうど胸の辺りを握りしめた。
仄火は巨人から真っ先に逃げた春日や、怖いからと下手人を追わなかった春日の姿を思い出す。強いとはいえ、進んで危険に身を投じたくはないのだろう。
それは仄火にもよく分かる。死んでしまえばお終いだ。命の危険なんて避けた方がいいに決まってる。
春日は、着物を握っていた手を下ろした。
「でも、一人だった僕を初めて助けてくれたのが藤だったんだ」
そう語る彼の瞳は、心なしか光を取り戻したように見えた。
「名前も知らない僕を、何の理由もなく助けてくれた。当たり前のことみたいに。あんなに清らかな人に、僕は出会ったことがなかったんだ」
光を取り戻した瞳は段々恍惚とした色へと変わり、そして伏せられる。まるでその日の記憶を辿っているかのように。
「……え、じゃあまさか藤に助けてもらいたいから、戦えないふりをしているってことか?」
目を開けた春日はけろりとした顔で頷いた。まったく当然のことだと言わんばかりに。
……なんだか、思っていたよりもずっと変な奴かもしれない。いや変というか、何というか。
「……いや、けどなあ。いい歳した男が守られてばかりってのは、藤にも少し情けなく思われてるんじゃねえか? お前、今いくつだよ?」
仄火は少し心配になって、一応の助言のつもりでそう言った。それを聞いた春日の表情はまた曇りはじめ、目つきも不安げなものへと戻る。
「…………十九」
十九。どちらかと言えば幼げな顔つきのわりに、しっかりいい歳である。
「へえ……大体俺と同じくらいだな……。俺は捨て子だから正確な歳は分かんねえけど……」
それ以上のことを、仄火は何も言えなかった。
十九にもなって女子に守られている男とは……。本当に藤は春日のことをどう思っているのだろうか。
「僕も本当の歳は分からないよ。去年藤が十八って言ってたから、僕も同じにしようと思って」
「気持ち悪」
そう真顔で言ってから仄火はハッとする。つい思っていたことがそのまま口に出てしまった。
いやでも冷静に気持ち悪い。なんだ、「同じにしようと思った」って。
春日の考え方というのは、どうも常識からかなり外れているようである。感覚としては人間より妖を相手にする時の方が近い気さえした。
その時。山車蔵の中から物が落ちる音が聞こえた。
「そんな! じゃあ、どうすれば……」
続くのは藤の声だ。だが、そこからの会話はよく聞こえない。
「どうしたんだろう」
春日が立ちあがって戸の方へと歩いて行くので、仄火も迷いながら後に続く。少し開いた戸から中を覗くと、伊波と藤、静寂の姿が見えた。
「ちょっと、盗み聞き?」
突然の声に揃って肩を跳ねさせる仄火と春日だったが、見れば声の主は足元に立つ紫苑だった。ちょうど戸で死角になっていたせいで気がつかなかったようだ。
紫苑の声でこちらを向いた伊波は、「なんだ春日たちか」と二人に中へ入るよう言った。
「どうかしたの? 外まで声が聞こえたけど……」
春日が聞くも、藤はただ悔しそうに唇を噛みしめるだけだった。代わりに伊波がため息をつく。
「どうも、久世里進は今江戸にいるらしいんだ。長見からでは手も足も出せない」
江戸に。仄火は息を呑む。
では、その横領をしているかもしれない男は、今は知親の近くにいるということだ。
「だが、おそらく来年にはまた長見に帰って来る。それまでは、とりあえず待つしかなさそうだ」
「来年って、それまで何もできないって言うの!? もし、久世が不正の証拠をすべて江戸に残していたらどうするつもり?」
藤の声は悲痛だったが、それでも何とか感情を抑えているようだった。対して伊波は、口元に手を当てて考える素振りを見せる。
「もし久世が証拠を持っていなかったら……。気は進まないが、利用できるものは利用しなくちゃならない。家系図を見るに、久世には息子がいるようだし」
「それって、久世を脅迫するってこと? 確かに久世は許せないけど、子供は無関係じゃない」
今度は怒りを露わにした声で藤は言った。
……親の仇ともあれば憎くて当然だろうに、自分よりその子供の為に怒るのか。
藤も情報屋としてはなかなかに珍しい種類のようだと仄火は思う。
しかし、伊波の表情は動かなかった。いつもの飄々とした様子ではなく、真剣な目で藤を見ている。
「久世は家老で、おまけに君のお父上を陥れるような人間なんだ。そう生易しい考えでどうにかできる相手じゃない」
藤は返す言葉がなくなったのか、俯いて黙り込む。
一方で仄火は、妙な方向へ風向きが変わるのを感じていた。
久世は家老、紛れもなく知親の家臣。もし伊波達が久世を脅迫すれば、仄火は依頼人の家臣を脅している組織の一員ということに……。
それはまずい。夢遊と長見藩が敵対する関係性となってしまえば、仄火はまさに板挟みだ。
焦った仄火は考える。そして重い沈黙が降りる山車蔵の中、静かに、しかし思い切って手を挙げた。
「俺に一つ、策があるんだが……」




