第十六話 逃げる恥より役立たず(後)
人が五人と、獏が三匹。
「さすがに多すぎる」と静寂に言われ、協議の結果、伊波と藤が歩くことになった。昨夜から寝ていない仄火たちを気遣ってのことらしい。
そんなわけで、箱の中には仄火と春日とハク、ヨリメ、気絶したままの青葉が乗っていた。
「ねえ、あの変な娘はどうしたのさ」
揺れる箱の中は真っ暗だが、なぜだか春日の顔は見える。「あの娘」というのは、千代のことだろう。
「あのお姫さん、なんでも急に消えちまったらしい。と、ハクは言っている」
「本当じゃぞ。なあ、お前さんも見ておったじゃろ」
ハクはヨリメを見下ろすが、ヨリメはただ見つめ返すだけである。
春日はそれを聞いて腕を組んだ。
「じゃあ、人じゃなかったのかな。妖か、もしかすると幽霊……」
「しかし、気配は人間のそれじゃったがのう」
たとえ人間だとしても、あの娘は一体どこの誰なのか。それこそ幻影のように現れて、消えた彼女は。
仄火はなんだか胃がもたれるように気持ち悪かった。これしきの揺れで、まさか酔ったのだろうか。
「着いたわよ」
その時、静寂の声で箱の一面が開いた。たちまち差し込む朝日のまぶしさに、仄火は目を閉じる。
そこはちょうど横川家の表玄関近くだった。昨夜とは違い、人の魂があちこちで動き回っている。
「伊波たちはまだみたいね」
辺りを見回す静寂に、仄火は箱の中を指さした。そこには気絶した青葉が残されている。
「なあ、こいつはここに置いといてもいいか?」
正直、気絶した人間は重いので運びたくはない。血を浴びているならなおさらだ。
しかし、静寂は冷ややかな顔で仄火を見た。
「嫌。私、けっこう綺麗好きなの。文字通り血なまぐさい人殺しを、これ以上入れておくなんてまっぴらごめんよ」
「でもさっきまで入れてたんだから、もう同じことだろ。それに、前は時雨のことだって運んでたじゃねえか」
仄火は覚えていた。以前の人魂事件が解決した後、静寂は下手人を現世まで運んでいたはずだ。
「あれは伊波の頼みだから、しょうがなく聞き入れてあげたの! あんたは別!!」
すると箱が音もなく傾き始めた。滑り落ちてくる青葉を、仄火はしょうがなく引きずり出す。
姿は女でも、獏は獏。仄火が頼んだところで人間の女子のようにはいかないらしい。それにしても、伊波の野郎の何がそんなにいいんだか……。
結局、春日が腕、仄火が両足を持って青葉を運ぶことになった。ハクはここぞとばかりにヨリメを抱えて、難を逃れている。
「こいつ、どこに置いとこうか」
春日は後ろ歩きでもずかずかと進んでいくので、そのうち壁に頭をぶつけそうで、見ている仄火の方が怖かった。
「そうだな、半夏と同じところだとそろって逃げられるかもしれねえし……。…………って、おい、ちょっと待て」
仄火の視界の端に、解けた縄が見えた。嫌な予感がした仄火は青葉の足を床に置いて駆け出す。
その柱には、半夏を括り付けておいたはずだった。そして、半夏の姿はそこにはなかった。
*
「逃げられた!?」
声をそろえる伊波と藤の横で、紫苑が呆れたように仄火を見ていた。せっかく気絶させてやったのに、とでも言いたげだ。
「それはもうかたく、胴と両手首まで縛ってたのにな。どうやって縄を解いたのやら」
あえて軽い調子で仄火が言うと、その場には重い沈黙が流れ、紫苑の視線はいっそうじっとりとしたものになっていく。仄火は思わず目をそらして唇を噛んだ。
……まあ確かに、迂闊な判断をしたことに違いはない。
「その、見張りはつけておくべきだった。………………すまん」
仄火が嫌々ながらに謝ると、黙っていた伊波が肩に手を置いた。
「いや、仄火は悪くないよ。俺たちのところに来てくれようとしたんだろう。最悪、半夏はいなくとも、青葉がいる限り証言は取れる。大丈夫だよ」
伊波は優しい声色で仄火を励ますように言った。その顔を張り飛ばしたくなったが、自分に非があることは確かなので、仄火はぐっとそれを抑える。
「今はまず、お松さんの魂だ。部屋を案内してくれるかい?」
伊波が言うと、春日が「こっちだよ」と歩き始めた。
春日は解けていた縄で、半夏と同じところに青葉を括り付けたようである。青葉はまだ目を覚ましていない。
部屋の惨状を見て、伊波と藤は驚きこそしたものの、とくに入室をためらうようなことはなかった。情報屋とはやはり物騒な仕事である。
その血まみれの部屋には、お松とその侍女らしき魂が浮かんでいた。現世では何も起こっていないので、お松はいつも通りに朝の支度でもしているのだろう。
伊波は仄火たちを一度振り返って頷きかけると、おもむろに口を開く。
「……貴女が使った、十両の出所はどこだ?」
するとお松の魂はふわりと揺らめき、その内側から真実を映し始めた。




