第十四話 曇りときどき姫予報(前)
なかなかどうして、人生とは分からぬもの。
まさか急に現れた巨人に叩き潰されて一生を終えることになろうとは。
目を開けると夜空が見えた。とっくに秋だというのに、相変わらずじっとりとした暑さが肌にまとわりつく。
仄火が体を起こすと、そこは見覚えのある……巨人から逃げていた道の上だった。
その時、腕にぺたりと生暖かいものを感じる。ぎょっとして振り返ると、その正体は春日の獏であるヨリメの手のひらだった。
「……ヨリメ?」
喉は張りついたように乾いている。きっと息が切れるほど命からがら走ったせいであろう。
…………というかこれ、生きてるな。
仄火は辺りを見回した。巨人はどこにいったのだろう。ハクと春日の姿も見えない。
すると、ヨリメが歩き出した。仄火たちが向かっていた横川家の屋敷の方角である。
「あっちか?」
仄火も後に続いて歩き出したが、三歩歩いたところで追い越してしまった。しょうがなくヨリメを抱えて歩く。
ヨリメは意外と重みがあって、人間の子供のように温かかった。
さすが勘定奉行を務める家なだけはあって、横川家の屋敷は広かった。
正門から屋敷の敷地へと入った仄火は、春日とハクを探す。闇の中、屋敷内を移動する魂の数は少ない。
「奥様、次はお香を探していらっしゃるとか」
「奥様のお部屋だけ、まるで別の屋敷みたい」
「奥方様は『ちょっとした小遣いだ』と仰るが、まさか旦那様が? ……いや、それはないか……」
魂の声に仄火が耳を傾けていると、それまで大人しく抱えられていたヨリメが急に手足をばたつかせた。今にも落としそうで、仄火がヨリメを地面に降ろすと、ヨリメは暗い庭を走って屋敷の角を曲がっていく。
その後をついていくと、曲がった先の縁側には春日が立っていた。
「あ、仄火! そうだ、忘れてた」
「あ?」
忘れてただと?
春日は縁側をよじ登るヨリメを拾い上げて座らせると、「今それどころじゃなくて」と怪訝な顔の仄火に言った。
それどころじゃないってなんだ。こっちは危うく死にかけたと思ったのに。
「何があったんだよ。というか、あの巨人はどうした?」
「あれは……」
春日が口を開くと同時に、縁側の先から足音が聞こえてきた。
足音の主は一人の男で、獏を一匹連れている。
……待てよ、あの獏の姿…………。
「さっきの巨人じゃねえか!」
今は普通の人間の大きさだが、大きな体躯に迫力のある顔つきは先ほどの巨人と同じものだった。
仄火が叫ぶと、獏を従えている男がこちらに駆け寄ってくる。
「本当にごめんなさい! 怪我はないですか?」
「ねえけど……。まさか、あの巨人はお前の獏の能力か?」
男は頷く。
男は彼の獏よりも背が低く、仄火たちと同じくらいか、もう少し上に見えるぐらいの痩せた男だった。
「私、青葉といいます。こちらは獏の半夏。実はあなたたちを追い払おうとしたのは、椚さんに頼まれてのことだったんです」
「椚って……」
その名前は確か、夢遊の中枢の一人、お松の魂を探しに来ている情報屋のものだ。仄火と春日は伊波に頼まれて、帰ってこない椚の様子を見に来たのであった。
「仕事をしている時、偶然ここで椚さんと会いました。椚さんに『今は邪魔をされたくないから、人が来ないよう外を見張っていてくれ』と言われて、私も少しの間なら、と引き受けたのです」
青葉は「しかし、」と続けた。
「あなたたちがやって来て、驚かせるだけのつもりが……半夏がやりすぎてしまって。すんでのところで慌てて止めたんです。本当に申し訳ありませんでした」
眉尻を下げて謝る青葉とは対照的に、半夏は不満げに息をついた。どうも気性が荒いようだ。
だが青葉の言う通りだとするなら、仄火はただ失神しただけということになる。なんだか少し情けないような気もしたが、いや、半夏が悪いのだと仄火は開き直った。
「それで、椚はどこにいるんだ?」
仄火の問いに、青葉は「それが……」と困ったように春日の顔を見た。しかし春日も春日で首を捻っている。
「駄目だった。こっちも見つからなかったよ」
「見つからない?」
春日は頷いた。
「椚が消えちゃったんだ。お松さんの部屋ごとね」
*
気絶した仄火のもとにヨリメを残して、春日は青葉と共に椚を探したらしい。だが当人どころか、椚がいるはずのお松の部屋さえ見つからないという。青葉にも、椚がどの部屋に入ったかまでは分からないそうだ。
「武家の奥方様の部屋って、どの辺りにあるんだろう」
「俺も詳しくはねえが……。あるとしたらこの辺だろ」
仄火たちが立っている廊下は、表玄関からはずっと奥の方だ。しかしここらの部屋は粗方探し尽くしたのか、春日は「そうだよね」と疲れたように肩を落とすだけだった。
「もう一回りしてみますか。暗いし、私も見落とした部屋があるかも」
青葉の提案で、仄火たちは三手に分かれた。
とりあえず辺りを照らす手燭を手に入れるべく、仄火は近くにある障子を開ける。
思ったよりも狭かったその部屋からはほんのりと香の香りがした。おそらく女中の部屋か何かだろう。
女中の部屋があるということは、お松の部屋も近くにありそうなものだが……。
仄火は布団の横に置かれていた手燭に火をつけ、部屋を出た。
……先ほどの魂の声によれば、お松の部屋は別の屋敷かと見紛うような雰囲気のはずだ。いくら夜で暗いとはいえ、簡単に見落とすとは考えにくい。
では、一体どこに。
その時。仄火は庭の奥にある勝手口の側に、なにやら見慣れた影を見つけた。
「ハク?」
「おお、起きたのか」
カジュギンカの暗闇の中、月の光がハクの着物や髪を青白く照らしている。
「お前、いるなら手伝えよ。何が起きてるかは分かってんだろ?」
ハクは仄火の言葉に一瞬振り返るも、またすぐに視線を宙へと戻した。
「わしが加わったところで、ないものはない。どうしてないものを探さにゃならんのじゃ」
「あのなあ、あるはずだから探してんだろ。そうでなきゃ見つかるもんも見つからねえ……」
仄火は呆れながらも、ハクの視線の先を辿る。
そして、思わず目を細めた。
横川家の屋敷の数軒隣。屋根の上に、何かが見える。
……あれは、人か? それとも妖だろうか。
目を凝らすもはっきりとは見えず、仄火は諦めて縁側から降りた。
まったく、今宵はおかしなことばかり起きる。




