第十三話 命は金の親、たまに敵(後)
「こら、やめんか。髪を引っ張るな。ああ~~~もう、やめろと言うとるじゃろうが」
ハクは、抱きかかえたヨリメに悪戦苦闘していた。ヨリメはハクの声にもお構いなしに、その髪や顔で遊んでいる。
「おい、お前さんの獏じゃろう。自分で運んだらどうじゃ」
「別に、浮いてるんだから重くないだろ」
「重い重くないの話ではないわ、まったく……」
ハクと春日の応酬を横で見ながら、仄火は内心で愉快愉快、と笑っていた。いつもはのらりくらりとつかみどころのないハクのこんな様子は、滅多に見られるものではない。
沈む夕日の光を正面から浴びながら、椚が向かったと思われる横川家の屋敷へ仄火と春日は歩いていた。畦道を挟む田んぼは夕日の光を反射して、水面は風に揺れている。
「あの、静寂とかいうのはどうしたんじゃ。あやつの箱で行けばよいではないか」
そういえば、山車蔵の中では静寂を見なかった。
仄火がそう思い出していると、春日が歩みを止めることなく答える。
「静寂はお松さん本人のことを調べに行ってる。でも、もうすぐ伊波と一緒に現世に帰るだろうね」
「それ、さっきも思ったが、どういうことだ? 夜になったら現世に帰らないといけねえのか?」
春日は首を少し動かして頷いた。
「藤は武家の娘だし、伊波はどこかの商人の息子らしいよ。夜に家にいないと、心配されるから」
商人の息子。なるほど道理で、金で人を使うのが上手いわけだ。
商人相手なら、それならまあ仕方がないか、と、仄火はひとまずそう思うことにした。即金で払われた三分はすでに懐の中だ。
「お前は? 帰らなくてもいいのか?」
「僕は捨て子だから、一人で住んでる。一応ヨリメがいるけど、そいつ喋れないし」
春日の視線の先で、ヨリメは相変わらずハクで遊んでいた。ハクはもはや諦めたのか、好きにさせることにしたようだ。
「なんだそうなのか。俺も捨て子だったぜ。親の顔も知らねえし」
「そうそう。わしが拾っていなければとっくに野垂れ死んどるところじゃ」
春日は、驚いたように仄火とハクを見た。
「え、ハクが仄火を拾ったの?」
「あのまま放っておいたらすぐ死にそうじゃったからのう。もうすっかりふてぶてしくなってしもうたが」
仄火は「覚えてねえよ」とこぼして前を向き直した。面倒な風向きになった話題を、いったん変えることにする。
「それよりお前、なんであの藤って娘に嘘ついてんだ?」
しかし春日は、まるで心当たりがないらしい。「嘘?」と目を丸くして仄火を見た。
「いくらなんでも戦えないってことはねえだろ。伊波が中枢に置くってことは、それなりに情報屋としての腕はあるはずだ」
それに先ほどから、春日が歩くたびに小さくカチリと鳴る金属音。懐に刃物を隠し持っているのだ。
春日は一度俯くと、何かを考えるような間を空けた。
「……僕は…………」
ふと、その足が止まる。どうしたのかと、仄火も立ち止まった。
顔を上げた春日は目を凝らすようにして、前方の武家屋敷がある方角を見ていた。その口から小さく言葉が漏れる。
「なんだ、あれ…………」
春日の視線の先を追いかけて、仄火は目を疑った。
その人影は、屋敷の塀の二倍、いや三倍はゆうに超える背丈で見下ろしていた。いや、人ではない。妖か。
ぎょろりと剥いた眼が仄火たちの姿をとらえると、壁のような手がこちらに向かって伸ばされる。
「逃げろ!!」
そう叫んだのは仄火だったか、春日だったか、それともハクだったか。分からないが、三人は一斉に来た道を走り出した。
後ろから、巨人は足音もなく追いかけてきた。ハクと同じで浮いているのだ。
その速度は仄火たち人間の足よりも速く、どんどん差が縮まっていく。仄火が全力疾走しながらも前を見ると、少し前にはハクが、そして春日は遥か先を走っていた。
嘘だろ、逃げ足速すぎないか。
「仄火!」
ハクの切羽詰まった声を聞いて上を見上げれば、巨大な手が上から仄火を叩き潰そうとしている。
目の前が暗くなった。




