第十三話 金は命の親、たまに敵(前)
横川家は、家老である納橋家の分家である。
当主の横川源吾は勘定奉行らしくつつましい暮らしを送っているが、一方で妻のお松は派手好きで、もともと金に糸目をつける性分ではなかったようだ。
それが近頃では買い物の額も大きくなり、彼女が阿蘭陀のギヤマンの鏡を買ったことは、奉公人たちの間でも噂になっているらしい……。
と、伊波から聞いたのはここまでだった。
仄火は昨日に続いて、カジュギンカの山車蔵へと向かっていた。今日はハクも引っ張ってきている。
「山車蔵ごとなくなってたりせんといいのう」
「そんなこと……あるわけねえだろ」
お松について探ることは、伊波から紹介された依頼だった。
その報酬は、なんと三両。
……いや、俺が詐欺なんかに引っかかるわけがない。確かに伊波は情報屋をやってる割には羽振りが良さそうで、「夢遊」を作った目的も、金の出所も謎だが……。
とにかく俺はだまされてなんかいない。山車蔵に行って伊波に一言、「依頼主の名前を教えろ」とでも言ってやる。
すると道の前方に山車が見え、仄火は一応胸をなで下ろした。
山車の向こうにある蔵は、今日も鍵が開いていた。仄火は勢いよく戸を開ける。
「おい伊波! お前昨日の……」
戸の向こうに立っていたのは、小さな子供だった。
短い髪を後ろでひっつめた、その女児……のようなものは、口を開けたままぼんやりと仄火を見ている。
「なんだこいつ」
仄火が聞くと、ハクは少し子供に近づいてふむ、と見定めるような素振りをした。
「こいつは……」
「僕の獏だよ」
声は少し薄暗い、蔵の奥から響いた。見ると、文机の奥には髪の短い青年が座っている。
どこか陰鬱そうな雰囲気に眠たげな眼を備えた彼は、こちらに向かって手招きした。
「ヨリメ」
彼がそう言うと、子供の獏は青年に向かって、とてとて歩き出す。仄火たちも、外からの光を背に受けながら蔵の中へと足を踏み入れた。
「ヨリメ?」
仄火の問いに、青年は子供を文机の向こう側から抱き上げる。
「寄り目だから、ヨリメ」
子供の顔の半分近くを占めそうな大きな目は、確かに寄っているといえば寄っていた。
「お前さんが名をつけたのか?」
「そう。まだ獏としても生まれたてみたいで、喋れないんだ」
畳の上に降ろされたヨリメは、またどこかへと歩き出す。
「で、あんたたちは『夢遊』の人? 何か用?」
そうぶっきらぼうに聞く青年は、おそらく伊波が言っていた「中枢」の一人なのだろう。
「ああ。伊波に用があるんだが」
「伊波なら、あそこに」
青年の目線の先にはヨリメがいて、その向かう先、一際薄暗い本棚の影に人がいた。その影は確かに伊波のようだったが、仄火たちが来たことにさえ気がついていないようである。
周りに散乱した本や帳簿を踏み越えて、ヨリメが人影の肩や腕をぺたぺた触る。
するとようやく、彼は本から顔を上げた。
「伊波、客が来てるよ」
「客?」
振り向いた伊波は、本も投げ捨てて勢いよく仄火たちに駆け寄ってきた。
「仄火! もしかして、何か分かったのか?」
「は? 何がだよ?」
「お松さんのことに決まってるじゃないか! 昨日言っただろう?」
仄火の肩をつかむ伊波の剣幕に気圧されながらも、仄火は首を横に振った。
「まだ何も調べてねえけど……。どうしたんだ一体」
伊波は我に返ったのか仄火の肩から両手を離し、「悪い」と息を整えるように言った。
その肩を落とした姿からは落胆の色がありありとにじんでいる。
「実は、依頼主から急かされてね。しょうがないから中枢の人間総出で調べているところなんだよ」
「え、じゃあ三両は?」
仄火が真っ先に気になってしまうのは、どうしてもそこだった。あれほど詐欺ではないかと疑っていたにもかかわらず。
伊波は苦い顔をした。
「まだどうなるかは分からないけれど……いったん、忘れてくれないか」
その瞬間、仄火は途方もない脱力感に見舞われた。「あれま」とつぶやくハクの声も遠く聞こえる。
三両は、無し。
……じゃあどうするんだ。こいつらがもらうのか? それは……。
「それはおかしいだろ。いくら依頼主に言われたからって、そんなにあっさり動かされてちゃキリがねえぜ」
「うーん。その通りなんだけど……」
伊波は珍しく、というか初めて弱ったような顔を見せた。項垂れてため息をつき、「まあいいか」と諦めたように言う。
「此度の依頼主は、『夢遊』に金を出してくれた張本人でね。困ったことにおいそれとは逆らえないんだ」
だからって、と仄火は三両への未練ゆえに反論を重ねそうになったが、そこで思いとどまった。
ここで伊波を詰めたところで、もうなしはなしなのだ。仄火がいくら言ったところで易々とは覆らない。
……まあ、こいつが困ってるところを見られただけで満足しておくか。
うんうん、と仄火が自分を納得させたのには、いくばくか自省の気持ちもあった。主には昨日清が発した「すぐ金につられる癖、直した方がいいですよ」という言葉に対しての。
すると、戸から差し込んでいた光にゆらりと影が映り込んだ。
「……あら、お客さん?」
そこに立つのは少女、といっても、ぱっと見の年頃は仄火とあまり違わない。その足元にはなんというか、犬のようなものを付き従えていた。
「藤! どうだった?」
伊波が少女に駆け寄る横で、仄火はまたしても渋い顔をした。
「なんだあれ、犬か?」
藤、と呼ばれた少女の横にいる生き物は、犬にしては手足が短いし、狸にしては耳の形が変だ。
「いやあ。気配からして、獏じゃろうなあ」
「あれがか?」
ハクは肩をすくめた。
「そうは言っても、獏の気配がするんじゃから。必ずしも人の姿をしとるわけでもないのじゃろう」
「聞こえてるわよ」
響いた女の声に、仄火はついびくりとする。
しかし、藤の声とは違った。一体どこから声がしたのだろうか。まさか……。
仄火はさまよわせていた視線を、先ほどの獏に向けた。
「人の姿じゃなくて悪かったわね」
…………喋った。
「うわ喋った!!」
心の声がそのまま口に出た仄火に、獏は「失礼しちゃうわ」と不満げな顔をする。
「ああ仄火、紹介するよ」
伊波は気がついたように言って、少女と獏の方に手を向けた。
「こちらは藤と、獏の紫苑」
そして次に、文机に座ったままの青年に。
「あっちが春日と、獏のヨリメ。二人とも『夢遊』の中枢だ。……で、昨日『夢遊』に入った仄火と、ハク」
藤は真面目で勝ち気そうな顔立ちに、凛とした瞳が印象的だった。「よろしく」と彼女に言われて、仄火も一応「よろしく」と返す。
それから春日のことも振り返ってみたが、彼は宙を眺めてばかりで仄火のことは眼中にないようだった。
「……で、鏡屋はどうだった?」
伊波は真剣な顔に戻って、藤にそう問いかける。
「お松さんがギヤマンの鏡を買ったことは間違いないわ。ほら、今月初めに二両で買ってる」
おそらくカジュギンカの鏡屋から持ってきたのであろう、一冊の帳簿を藤は広げた。
伊波はそれをのぞき込むと、頭を抱えた。そして前髪をぐしゃりとかき上げる。
「あーーー…………。やっぱり、私金か……」
「私金?」
伊波が「ほら」と帳簿を示すので、仄火も近寄ってそれをのぞいてみた。
「藩の公的な買い物は基本掛け、後払いで払われるんだ。でもこの鏡は即金、つまりお松さんの私的なお金で払われているんだよ」
「それの何がおかしいんだよ。お松さんの鏡を藩の公金で買うほうが、よっぽどおかしいじゃねえか」
「それはそうさ。でも、もはや藩の公金じゃないとおかしいんだ」
いまいち要領を得ない仄火に、伊波は「こっちだ」と本棚のあたりまで案内する。そして床に散らばった本や帳簿を拾い集め、畳の上に並べてみせた。
「お松さんの私金の使い道を調べたものだ。まず、さっきの鏡が二両。着物一反に三両。先月の末、掛け軸に一両。極めつけには柘植の櫛に、何と四両! この二か月で、実に十両も使っているんだ」
仄火は帳簿を眺めるうちに、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
……俺が青龍の依頼で必死に手に入れようとしてる十両を、着物や櫛なんかにほいほい使いやがって……。
会ったこともないお松だが、仄火はすでに嫌いになりつつあった。
「……仄火?」
「え? ああ、悪い。続けてくれ」
すると伊波は、訝しむような、戸惑うような表情をした。
「続けるも何も、おかしいだろう! 横川家は家老である納橋家の分家とはいえ、その奥方が十両も私金を持っているなんて。どう考えてもおかしい」
「そうなのか?」
「そーだよ」と、伊波は少し呆れたように言う。
面倒なことが多いので、仄火はあまり武家にまつわる依頼は受けない。だからお松が十両持っていることにも、金持ちならそれぐらいは持っているのだろうと思っていた。
「じゃあ、お松さんはどうやって十両も手に入れたんだ?」
「分からないのはそこだよ。怪しい商人とのつながりもないし、何かを質に入れたわけでもない。旦那である横川源吾の暮らしぶりは質素なままなのも気になるし……」
するとそこで、藤が畳の近くまでやって来た。
「ねえ、椚は?」
「椚?」
三度目の新しい名前に仄火が聞き返すと、伊波は思い出したように言う。
「中枢の最後の一人だ。今、お松さんの魂を探りに行ってもらってる」
「それを早く言え」
仄火は思わず言葉をかぶせた。
そうだ。ここはカジュギンカなのだから、十両の出所など本人の魂に聞けばいいだけではないか。なんのために頭を悩ませていたのやら。
伊波はそんな仄火の心の内が読めたのか、至って真面目な顔で口を開いた。
「『夢遊』の目的は、夢病との戦いを避けるためでもあるって言っただろう? 椚はあくまで、お松さんの魂を探しに行っただけ。もし魂を頼ることになっても全てを聞き出すことは難しいだろうし、情報を集めておくに越したことはないさ」
もっともらしいことを口にして、伊波は仄火から視線を外した。その目は蔵の外、赤く色づき始めた空を見ている。
「……だが、確かに遅いな。春日、ちょっと椚の様子を見に行ってきてくれないか?」
伊波の言葉に「えっ」と声を上げたのは、春日ではなく藤だ。
「危なくない? 春日は戦えないのに、一人で行かせるの?」
「え? あー…………。でもほら、俺も藤も夜には帰らないといけないだろう。それまでここでできることはやっておきたいし、人手もほしい」
そこで伊波は、あ、と思いついたように仄火を見た。
「仄火、悪いけど春日と一緒に行ってくれないか?」
「あ? なんで俺が」
突然話を振られた仄火は怪訝そうな声を上げる。
冗談じゃなかった。さっきはついつい頭を悩ませてしまったが、三両もなしとなれば仄火がこれ以上関わり合いになる意味はない。
「……三両のうちの、二分でどうだ?」
伊波が立てた二本指を、仄火は思わず見つめた。
……もし、本当に自分に金に釣られる癖があるなら、伊波はそれを利用しようとしているのだ。金さえ出せば動くと思われるのは、なんだか面白くない。
仄火がしばらく黙り込んでいると、伊波の指が三本に増える。
それを見た仄火は目を閉じて、ふっと鼻で笑った。そして手を前に出す。
「…………即金で」




