第十二話 密談にはお茶を添えて(後)
「勘定奉行の横川家、ですか?」
夕飯を食べながら清は言った。すっかり日も暮れた仄火の家で、食事を囲むのは仄火と清だけである。ハクは帰ってくるなり、またしてもどこかに行ってしまった。
「ご正室のお松さんについてだ。なんでも近頃、急に金遣いが荒くなったらしい」
「勘定奉行の奥方様の金遣いが荒い、というのは気になりますが……。今日は伊波さんのところに行ったんですよね? どうしてそんな話になったんです?」
仄火はどこから話したものかと悩んだ末、今はいったん「夢遊」の話は後回しにする。
「詳しいことはまた話すが、伊波の組合に依頼を紹介してもらったんだよ。報酬はなんと三両」
するとその言葉を聞いた清は、怪しむような顔をした。
「本当ですか? 一体、どこの誰がそんな金を出すんです?」
「知らねえよ。別に依頼人が払わなくても、伊波から巻き上げれば済む話だろ」
仄火がそう言うも、清の表情は変わらない。むしろいっそう険しくなった。
「それ、詐欺じゃないですか? 組合があると見せかけて危ない依頼を請け負わせ、最後には組合が報酬を持ち逃げするのかも……」
「いやいや、そんなわけねえだろ。一応拠点もしっかりしてたし」
…………待てよ。あの文机や箪笥も、もしかして詐欺で手に入れた金なのか? たしかにそれなら、伊波が金の出所をぼやかしたことにも納得が……。まさか、今日の六十文も三両に飛びつかせるための罠か?
「仄火さん、すぐ金につられる癖、治した方がいいですよ」
すっかり黙ってしまった仄火を見て、清はその心中を見透かしたように言う。
「……お、俺が詐欺なんかにひっかかるわけねえだろ。そうだ、他にも中枢の人間がいるって言ってたし、本当にそいつらがいるのか明日この目で見てきてやる」
焦りをごまかすように言い放つ仄火に、「どーせ詐欺の仲間ですよ」と清は白い目をして味噌汁を飲んだ。
*
翌朝。伊波は一人武家屋敷の通りを歩いていた。手に持った風呂敷包みの中身は、京の都の高級菓子、「つぶや」の豆羊羹である。
伊波はきちんと髪を結わえ、昨日とはうって変わってその表情も静かだ。
通りをまっすぐに進み続けると、立川家の屋敷へとたどり着いた。伊波は裏の勝手口に回り、「ごめんくださーい」と声を上げる。
少しして、「はーい!」という声とともに一人の女中が戸を開けた。
「あれま、伊波屋の! 若旦那さん自らどうされたんです?」
「奥方様に京からの荷をお届けに参りました。なにしろ高価なものですので」
すると奥からもう一人、別の女中が二人の間に割り込んだ。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
彼女は伊波に背を向けると、戸を開けた女中に「ここはいいから、戻りなさい」と囁く。
……やはりそうくるか。
伊波はそう苦々しい気持ちで、されどつとめてにこやかに「失礼いたします」と戸をくぐった。
「奥様、伊波屋さんがお着きになられました」
屋敷の奥にある一室の前で、その女中は告げた。
「どうぞ」と柔らかな声が部屋の中から響くと、女中が障子を開ける。
中では立川家のご正室、志乃が待ち構えていた。
「これが『つぶや』の豆羊羹ね。美味しそう」
御簾の向こう、志乃は菓子切りで羊羹を一口に切り、口に運んだ。
「……とっても美味しい。やっぱりお菓子は京のものが一番ね」
片頬に手を置いてうっとりとする志乃に、伊波は縁側から頭を下げる。
「奥方様のお気に召していただき、何よりにございます」
「ああ、そういえば。今日は静寂さんはいらしてないの?」
伊波はぎょっとした。隣には女中もいるというのに何を言い出すのか。
しかし伊波はそれを表には出さず、平静を装う。
「本日は私のみにございます」
伊波の返事に志乃は「……そう」と答えた。その息遣いと間は、「面白くない」という志乃の気持ちを物語っている。
「きよ」
志乃が伊波の隣の女中に向かってそう呼びかけると、おそらくきよというのであろうその女中は「失礼いたします」とその場を後にした。
今度こそ伊波は、わずかにだが顔色を変える。
「奥方様。旦那様は今、江戸にいらっしゃるのでしょう。そのような折に私のような者をわざわざ呼びつけて、人の噂にでもなったらどうされるおつもりですか」
「あら、大丈夫よ。きよは口が堅くて信頼できるもの。旦那様も、そんなことで勘違いなさったりしないわ」
志乃はそう言って、また一口羊羹を口にする。
「それより、お松さんの件はどうなったのかしら?」
伊波は反論することを諦めた。話すことを話して、さっさと帰ってしまった方がいい。
「その件でしたら、すでに何人かに話を通してあります。昨日も一人、請けてくれそうな者が見つかりました」
「あら、どんな人かしら」
「よく頭の切れる男にございますよ。その場ですぐにとはいきませんでしたが、近々何かを突き止めるはずです」
志乃は「そうなのね」と呟いた。その声色もまだ、満足げではない。
「ねえ伊波屋さん。あなたが調べてはくれないの? あなたの組合にお金を出しておいて、こんなことを言うのもおかしいかもしれないけれど」
「それは……」
伊波は、志乃にお松について依頼されたときのことを思い出す。「最近お松さんがつれないの。なんだか様子もおかしいようだし」と言われたのは、志乃が「夢遊」に金を出してくれることが決まった日だった。
つまり伊波屋として、さらに伊波個人にとっても超が付くほどのお得意様である志乃に、はなから逆らう選択肢などないのだ。
「分かりました。今日にでもすぐ」
「無茶を言ってごめんなさいね。けれど、この件はなんだか急いだ方がいい気がするの」
なんとなく、ね。
そう言って、志乃はまたきよを呼ぶ。
「お代を伊波屋さんに。それから、彼を表までお送りして」
「かしこまりました」
きよが代金を準備するのを見て、伊波も荷物をまとめ始める。
「奥方様。今後は手紙などで用向きをお伝えいただきとうございます。このような形ではなく」
伊波がそう言っても、聞こえるのは笑い声ばかり。
そうしてきよから代金を受け取った伊波は、来たときと同じように廊下を戻る。
その時、背後から「伊波屋さん」と声がかかった。
「次は、京の玉露が飲みたいわ」
御簾の向こうで、志乃はそうにっこりと笑った。




