第十二話 密談にはお茶を添えて(前)
伊波から手紙が届いたのは、知親が長見をあとにして数週間後のことであった。
「仄火様へ」とわざわざ表に書かれた手紙を広げると、きれいだがやや走り書きされたような字が現れる。
そういえば、伊波は仄火の家を知っているのである。それだけで仄火が顔をしかめるのには十分だったが、直接家に来るよりはいいかと思い直した。
「なんだって? この度組合の名を『夢遊』と定め、カジュギンカの山車蔵に拠点を構え候……」
「伊波さんからの手紙ですか?」
ちょうど夕飯の支度をしていた清が、仄火の声に振り向いた。
「ああ。拠点を構えたから遊びに来い、だと」
「ちょうどよかったじゃないですか。伊波さんのこと、探していたんですよね?」
「やめろ、気味の悪い言い方は」
とはいえ、清の言うことは間違ってはいない。
伊波は何やら情報屋の集まりからなる組合を作っているらしく、青龍を調べるとっかかりとして仄火はそこに接触しようとしていたのだ。
前は仄火をしつこく勧誘してきた伊波も、あの人魂の件以来めっきり姿を見せなくなった……と、思えばこの手紙である。
仄火は手紙を折りたたんで懐に入れた。
「じゃあ、出かけてくる」
「今からですか? 夕飯までに帰ってきてくださいね」
「気ぃつけてなー」
清に続いた声の方を見れば、いつの間にかハクが座っていた。探す手間がはぶけたとばかりに、仄火はその腕を掴む。
「お前も来るんだよ!」
「嫌じゃ、わし帰って来たところなのに。拠点で待っておると言うのだから、明日でもいいじゃろう」
「まだ青龍のことが分かると決まったわけじゃねえんだ。もし駄目なら次を考えなきゃならねえ。早い方がいいんだよ」
仄火がハクを表に引きずり出すと、ハクが指をパチンと鳴らした。
とたんに辺りは静まり返り、清が包丁を鳴らす音も止む。
「わしはここで待っとる。終わったら起こしとくれ」
ハクはそう言って、大きなあくびをしながら家の中へと戻っていった。なんだか今日は一段とやる気が出ないらしい。
しかし仄火も、伊波に会いに行くのにやる気など出るはずもなく。大きくため息をついて、一人山車蔵に向かって歩き出した。
*
カジュギンカと現世の影響は双方向ではない。
カジュギンカは現世に影響されるが、現世はカジュギンカに影響されない。
だから、カジュギンカの城で情報屋たちが争おうが、刀が寺の講堂の壁に突き刺さろうが、現世では何も起こらないのである。
しかし、これはやりすぎではないか。
蔵から運び出されたであろう山車がその横に放置されているのを見て、仄火はそう思った。夏の祭りで役目を果たした山車がぽつねんと野にさらされているのは、何だか哀愁漂う光景である。
蔵の戸には鍵がかかっておらず、差し込んだ光で中の様子が見えた。山車がしまわれていた広い蔵の中には四畳の畳が敷いてあり、その上に文机がある。壁際には箪笥なんかも置かれていて、まるでどこかの店のようだ。
その時、からりと響いた下駄の音に、仄火は振り返った。
「やあやあ仄火じゃないか! 久しいね」
声の主は、もちろん伊波だ。後ろには彼の獏である静寂も見える。
相も変わらず飄々《ひょうひょう》としたその風貌に、仄火はげんなりとするのを隠さなかった。
「さあどうぞ」と背を押され、仄火は伊波と共に蔵の中へと入る。
「ずいぶんとまあ……でかい拠点を作ったもんだな」
「立派なものだろう? でも、山車を運び出すのにはさすがに苦労したよ」
伊波は箪笥の上に積まれていた座布団を二つ取ると、畳に置いた。続けて湯呑を取り出し、水瓶から水をくんで「茶じゃなくて悪いけど」と仄火に渡す。
「お前こんなの、どっから持ってきたんだよ」
「うん? まあちょっと、ツテがあるのさ」
自分の水をくみながら伊波は答えた。
……伊波が裕福であることは、仄火も薄々察していた。しかしここまでの拠点を作れたとなると、仄火が想像するよりももっといい家の出なのかもしれない。それとも、ごまかしではなく本当にツテがあるのだろうか。
一番不可解なのは、金に困っていない伊波がなぜ情報屋なんてものをやっているのかということだった。
「それでここに来たってことは、『夢遊』に入る気になってくれたのかい?」
「それは、どういうもんなのかを聞いてから決める」
仄火が言うと、伊波は「もちろんだとも」と今度は紙と筆を文机から取り出した。
「まず『夢遊』というのは、情報屋同士のいさかいをなくすための組合なんだ」
ああ、と仄火は相づちを打つ。
情報屋は争いが多い。夢病との対峙だけでなく、同じ情報を求めて競争相手同士で争ったり、殺し合ったり……。
仄火は先月切られた左腕が、今さら痛むような気がした。
伊波は、紙の中心に「夢遊」と書いて丸で囲む。
「まず組合の人間が欲しい情報を集めて、組合の中でそれを知っている者がいないか探す」
丸の外側に人の形が付け加えられ、中心の丸に向かって線が引かれた。
「知っている者があれば『夢遊』が……たとえば六十文ほどで情報を買い取り、それを知りたい組合員に知らせる。そこで六十文の情報料を取るわけさ。要は情報屋が直接争わないよう、そして夢病との戦いを避けられるようにする組織、と言ってもいいかな」
「それじゃ儲けがねえじゃねえか」
仄火がそう言うと、伊波は丸の外にもう一つ人型を描き足した。
「また、同じことを知りたい情報屋がやって来ればその場で答えを教えられる。そして六十文得るわけだ。それが儲けさ」
「ふーん…………」
仄火は一口水を飲んで、しばらくその紙を見つめていた。
「つまり、金を儲ける気はないってことか」
情報には常に流れがあり、人と人との間で一瞬にして広まる。まるで倒れた湯呑からこぼれる水のごとく。
過去に一度やり取りが行われたような情報を後から求めに来るような輩がいたとすれば、情報屋の素質はないと言っていいだろう。
つまりこの組合は不自然なのである。何か、別の目的があるのだ。
仄火は人型から伸びる線を指さした。
「欲しいのは金じゃなくてこっちだな。情報の中渡しをすればするほど、この組合にはどんどん情報が集まる。それもありとあらゆるたぐいの。『夢遊』を作ったのはそのためだろ」
仄火の言葉に、伊波と静寂は顔を見合わせた。そして伊波は向き直ると、湯呑を持つ仄火の手を握る。
「いやあ、さすが仄火だ! お見事、その通りだよ。やはり俺の目は間違っていなかった!」
感極まったような声に、仄火は水がこぼれないよう湯呑を机の上に置いた。まるで世辞のような言葉だが、それが本心にも聞こえるのがこの男の厄介なところだ。
「仄火はぜひとも『夢遊』の中枢に迎えたいな。どうだろう?」
「中枢?」
仄火が聞き返すと、伊波はもう一度紙の中の「夢遊」を指し示した。
「ここで実際に情報の中渡しをする役さ。俺一人でずっと張り付いている訳にもいかないしね。すでに三人ほど集まっているが、もう少し人手が欲しい」
仄火は悩む。
中枢になれば、入ってくる情報はただで見放題。それも青龍のことを伊波に話さずとも、勝手に調べることが出来る。
だが…………。
「断る」
仄火は伊波の手を軽く払って答えた。
やっぱり、金を稼ぐ気が無い組合のためにここで張り付くことなど御免だ。待っていても青龍の情報が入って来るかどうかすら確かではないのに。
「だが、『夢遊』自体にはただの組合員として入りてえな。それはいいんだろ?」
伊波は「分かったよ」と答えて、本棚から帳簿を一冊取り出した。どうやら組合員の名簿らしいそれに、仄火の名前が書き足される。
あまり残念そうではないその様子から見るに、最初から仄火は断るであろうと思っていたのかもしれない。
「それで、仄火は何が知りたいんだ?」
「…………青龍、とかいう妖について」
少し迷ったが、これだけで知親や日浦家と結びつける者はいないだろうと判断する。どの道、青龍を調べるうえでは避けられないことだ。
「青龍?」
不思議そうな顔で伊波は言う。静寂も初めて聞いたのか、「何それ?」と首をかしげていた。
「なんでお前が、『夢遊』を作ってまで情報を集めているのかは聞かないでやったろ? だからお前も俺の依頼を深掘りしない。それでおあいこだ」
伊波は興味を抑えきれていないのが丸分かりだったが、それでも一応仄火の言葉に納得したような顔をした。
伊波はまた、別の帳簿をめくる。
「あまり、妖についての情報はまだないな……。まあ、何か分かったら知らせるよ。逆に、この中に仄火が知っていそうなことはあるかい?」
ばさり、と手渡された厚い帳簿にはかなりの文字が書き込まれていた。浮気調査や色恋の相談事から、果ては下手人に関することまで。どれも情報屋の依頼としてはありがちな内容である。
その中に、仄火は一つの見知った名前を見つけた。
「この、おみつさんの浮気は本当だぜ。柳坂の近くにある、茶屋の女将さんだろ?」
「証拠は?」
「相手は隣町の菓子屋の旦那だ。月に一度は川沿いで会っているから、調べりゃ分かるぜ」
なぜそれを仄火が知っているかというと、そのおみつの娘を仄火がたぶらかしていたからである。だが余計なことは言わないでおいた。
伊波はふむ、と言ってその帳簿や別の帳簿をしばらくめくっていた。そして顔を上げる。
「菓子屋の主人だね。分かった、伝えておこう」
伊波は静寂を呼んで例の箱を出させた。静寂の能力である、どこからでも出し入れできる箱だ。
その中には以前にはなかった金庫が入っている。伊波は立ち上がってそれを開けた。
「本当は情報が正しいことを確かめてから渡すのだけれど。今回は信用料ということで」
六十文がちゃり、と仄火の手の上で鳴った。
……これは、案外良い小遣い稼ぎになりそうだな。
仄火がそう思っていると、箱は消え、伊波も座り直した。そしてまた帳簿を広げる。
「女性関係なら、こっちはどうだ?」
「……長見藩勘定奉行横川家のご正室・お松について……?」
伊波は頷いた。
「この件は少々特別でね。依頼人はなんと、この情報に対して三両出すそうだ」




