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カジュギンカ  作者: 谷山
第一章
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第八話 井戸端会議は奥深い(後)


 善光(ぜんこう)寺に着くや否や、人の足音がして戸が開いた。仄火(ほのか)たちは慌てて物陰に隠れようとするが、間に合わずに戸を開けた青年と目が合ってしまう。

 仄火はやむを得ず刀を抜いて切り込むも、どうしたことか青年は微動(びどう)だにしない。その戸惑った顔は知親(ともちか)を見ているようだ。


 その時、がくりと足に力が入らなくなった。倒れこんだ仄火の手から投げ出された刀は青年の方へと飛ぶ。

 悲鳴を上げて逃げる青年の後を、少年のような姿の獏(ばく)が追った。


 ハクと知親はわけも分からずそれを見送ったが、とにかく倒れている仄火のもとへ近寄る。


「大丈夫なのか?」


「おそらく獏の能力じゃ。なに、眠らされているだけじゃろう」


 ハクが本日二度目の拳《こぶし》を仄火の頭に落とすと、たちまち仄火は目を覚ました。


「! …………なっ、何がどうなった!?」


「おー、起きたか」


「さっきの男は? 逃げられたのか?」


 知親は「ああ」と頷(うなず)いて、すぐに青年の後を追いかけようとした。仄火も立ち上がって知親に続こうとするが、一つの声がその足を止める。


「おい、そこを動くな」


「清(さやか)!」


 寺の講堂《こうどう》の中にはあの時の男がいた。盗みを働き、子供を攫《さら》い、さらには小火(ぼや)騒ぎまで起こしたあの男。

 男は短刀を清の喉《のど》元に突き付けていた。


「一人で来いと言ったのに、獏どころか侍まで連れてきやがって。餓鬼(がき)を殺されたくなかったら、そこを動かず刀を捨てろ」


 仄火は言われるままに刀を手放した。

 男との距離はそう離れていない。とはいえ、仄火が男のもとへたどり着くより、短刀が清の首に届く方が圧倒的に速い……。


 どうする。こちらが動かない限り清は無事だろう。だが、そうなると知親が……。


 その時仄火は、知親が刀を持ったままであることに気がついた。それは相手の男も同じで、短刀の先をこちらに向けて「おい!」と怒声を響かせる。


 何をやっているんだ、早く刀を―――。


 キイン、と高い音が幾重《いくえ》にも反響した。

 吹き飛ばされた男の短刀は、講堂の壁に突き刺さっていた。知親は刀の切っ先を男の喉元へと移動させる。


「そこを動かず、子供を解放するんだ」


 そこでようやく、仄火の理解が追いつく。


「なあ、今……いつ刀抜いたんだ?」


 全く見えなかったと言ってもいい。まるで知親が瞬時に移動したようだ。


「まさか、あれも青龍の力か?」


「いや、カジュギンカに入るだけでも多少手間取っておったのに、すぐにそんな力まで引き出せるわけなかろう。単に剣の才に恵まれとるだけじゃ。……しかし世が世なら、養子になどならんでも剣の腕だけで大名ぐらいなれたかもしれんの」


 感心したようなハクに、仄火は「はあ……」と狐《きつね》につままれたような顔をした。

 そこへ男から逃れた清が駆けてくる。


「仄火さん!」


「清!」


 清は五体満足で、怪我を負った様子もない。

 ようやく肩を撫で下ろした仄火に、一方で清は「あ!!」と声を上げる。


「どうしたんですかその左腕!? 鏑(かぶら)に斬られたんですか?」


「鏑?」


「はい。あの時雨(しぐれ)って男と手を組んでいた情報屋です」


 ということは、先ほど逃げて行った青年のことだろう。そして今知親に縛《しば》られているあの下手人(げしゅにん)は時雨という名前らしい。

 「これはその辺の情報屋にやられたんじゃ」と、仄火より先にハクが答えた。清は呆(あき)れたように眉を顰《ひそ》める。


「ちゃんと傷口は洗いましたか? その着物、後で繕《つくろ》うので出しておいてくださいね」


 先程まで殺されそうになっていたというのに、もういつも通りの清がおかしくて、仄火は思わず笑った。「何がおかしいんですか」と清は口を尖《とが》らせる。

 そこに、時雨を連れた知親がやって来た。


「この下手人は、また牢《ろう》に繋いでおくべきだろうな」


 時雨は項垂《うなだ》れていて、その表情は見えない。


「さっき逃げた、鏑ってやつはどうすんだ?」


「おそらく彼がこの男の脱獄を助けたのだろうし、清を攫ったとなれば十分罰するに値するが……」


 だが、鏑がどこの誰かは分からない。流れた沈黙がそれを十分に物語っていた。


 その沈黙を打ち破ったのは、清の言葉だった。


「彼がどこの誰かなら、分かりますよ」


「本当かよ。もしかして、あいつが自分で言ってたのか?」


 驚く仄火に、清は首を横に振った。


「いいえ。ですが彼は、おそらく西岡村の庄屋《しょうや》の息子だと思います」


「……西岡村の庄屋って、あのろくでなしのことか? あそこの次男坊がしょっちゅううちに来てるじゃねえか」


 仄火の言葉に、今度は清が驚く番だった。幸太《こうた》が来るとき、仄火はほとんど留守にしていたし、清の方からも幸太の話をしたことはなかったからだ。


「知ってたんですか?」


「そりゃ、うちによく来る子供のことぐらい知ってるだろ。情報屋だぞこっちは」


 なんともまあ、出歩くばかりで留守の間の様子などまるで知らないのだと思っていた。案外仄火は家のことも、清のことも見ているのかもしれない。


「で、なんで庄屋の息子だと思うんだ?」


「鏑が家に来た時、実は幸太……その次男坊もいたんです。でも攫われたのは俺だけで、この寺に幸太はいませんでした」


 「そうですよね」と清は知親を見る。


「ああ。中にはもう誰もいなかった」


「つまり幸太は無事だった。鏑はきっと、俺が幸太に話した仄火さんの名前を弟から聞いたんじゃないでしょうか。それで弟のあとをつけ、仄火さんの家に辿(たど)り着いた」


 仄火と知親は何も言わなかった。清自身も推測の域を出ない情報だと思っている。ここまでは。

 清は頭の中で地図を広げる。噂を聞くたびに書き換えた、長見《ながみ》の地図を。


「西岡村の庄屋は藩にばかりすり寄って、小作人(こさくにん)たちのことを考えていない。母親がすでに亡くなっているのに、二人の息子にも無関心気味であるとか」


「その兄貴の方が、鏑だっていうのか?」


「はい。幼い弟とは違い、兄は親が咎《とが》めないのをいいことにあまり家にも帰っていないそうで。最近は牢の付近で姿を見たという話も」


 清は「それに、」と付け加えた。


「やっぱり兄弟なだけはあって、どことなく幸太と顔が似ていますから」


   *


 現世に戻ってから、知親は時雨を連れて行った。鏑もすぐに同心《どうしん》に探させるということだ。

 仄火たちはその姿を見送ってから帰路についた。


「あ、そういえば、どうして知親さんがカジュギンカにいたんです? 教えてよかったんですか?」


 清はたった今気がついた、というように尋ねた。


「俺は反対したぞ。文句ならハクに言え」


「何を言う。あの若造を連れて来たから、清が無事なんじゃろうが」


 ハクの言うとおりであったが、仄火はなんとなく悔しくて口を噤《つぐ》む。


「……そういえば、お前なんか喋ったか? ほら、青龍のこととか」


 鏑が仄火と知親の繋がりを知ったのは、おそらく前に街を案内した帰りを見られたのだろう。カジュギンカの魂から知親の容姿を知っていれば、粗末《そまつ》な着物を着ていてもすぐにそうと分かったはずだ。


「それは聞かれましたけど、上手く凌《しの》ぎましたよ」


「上手く?」


 清は自身が考えた遊技について説明した。それを聞いた仄火は、愉快そうに声を上げて笑う。


「そりゃいい。『いいえ』を言わせないためには、あまり踏み込んだことは聞けねえからな。ましてやたった三問で青龍に辿り着けるはずもない」


 清としても、その場しのぎの割には上手くいったと思っていた。実際に青龍のことは少しも喋らずに時間を稼げたのだから。


「で、結局三回言ったのか?」


 仄火の問いに、清は少し考えた。


 どうだったか。……いや、ああ、そうだ。


 見上げるともう日が傾いて、長見の空を赤く染めている。

 まるであの日のようだが、男か女かも分からなかった彼の上背はすっかり大きくなって、清はと言えば、見た目はあまり変わっていない気がする。


 あの日から、父の迎えは来ていない。


「…………迎えが来なくたって、もう、俺はここに帰ってきますよ」


「ん?」


 振り返った仄火に清は笑って、思い切りよく大きな声で言った。


「それはもう、ちゃんと三回言ってやりましたよ!」

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