第六話 立川君は考えてみる(後)
城から屋敷に戻った勘蔵は、まず父のもとへ行こうと思った。
知親が養子になることをいつから知っていたのか、どうして隠していたのか。聞きたいことは山ほどあったが、一番に話したいことはそれではない。
ーーー藩のために尽くすということは、何が正解なのか。
藩の混乱を防ぐために知親を藩主から退けることが藩のためなのか。民を救わんとする知親の行いが藩のためなのか。
誰が明重の養子となっても、普通ならあまり無茶なことはできない。どうしても実家の名前を背負わなければならないからだ。無茶な行いをすれば誰かが咎め、実家の印象自体が悪くなってしまう。
しかし知親はどうだ。はっきり言って、青木家の評判はすでに落ちるところまで落ちている。今さら彼が何を恐れるというのか。
それに知親はきっと、保身のことも出世のことも、何も気にしてはいないのだろうと思う。
そのとき、勘蔵は見覚えのある影を見つけた。
「あら、旦那様。おかえりなさいませ」
「……何をしておるのだ、そんなところで」
「もうすぐ旦那様がお帰りになられるかと思いまして」
勘蔵の妻である志乃は、一人縁側に腰かけていた。
「ほら、ご覧ください。今宵は満月にございますよ」
志乃はそう言ってにこにこと笑う。
彼女は立川家の分家筋から迎えられた妻であり、なんというか少し、変わっている。
「父上がどこにおられるか知っているか」
勘蔵が聞くと、志乃は少し首を傾げた。
「ご隠居様はお帰りになられていませんよ。今晩は城で過ごされるのでしょう」
「そうなのか」
父は屋敷にいると聞いていたのに、まさか入れ違うとは。
難しい顔をする勘蔵を、志乃は覗き込んだ。
「なにか、悩んでいらっしゃるのですか?」
「……そうだな」
志乃に促されて勘蔵はその隣に座る。縁側からは煌々《こうこう》と光る満月が見えた。
確かに悩んではいるが、志乃に話すことでもない。そう思い、勘蔵は黙ったままただ月を見ていた。
すると、勘蔵の手に志乃の白い手が重なる。
勘蔵が驚いて志乃を見ると、彼女は薄く笑った。
「旦那様は、もう答えを出していらっしゃると思います。ただ、それが本当に正しいことなのか迷っていらっしゃるのですね」
…………やはり彼女に隠し事はできないようである。
志乃のことは本家分家の付き合いで昔から知っているが、その人の心を見透かしたような物言いはやはり昔から変わらなかった。
「……その通りかもしれぬ。だがもし正しかったとしても、到底叶わぬ絵空事のような答えなのだ」
「叶います」
被せるように、志乃は言った。
勘蔵は目を丸くして彼女を見る。
「旦那様が辿り着くべくして辿り着いた答えならば、叶います。たとえ絵空事のようなことでも、貴方はそれを叶えることができるお方なのですから。私には分かるのです」
志乃は目を細めて笑い、もう一度「分かるのです」と言った。
釣られて勘蔵も、顔の緊張を少し緩める。
「……そうか。お前がそう言うなら、そうなのであろうな」
昔から、志乃の言うことはあてずっぽうのように聞こえて嘘になったことはなかった。そういう不思議な女子であった。
だから何だか、勘蔵もきっと大丈夫だと思ったのだ。
*
翌朝、勘蔵はまた知親の部屋を訪れていた。今度は瀬川も一緒である。
「旦那様、本当にそれでよろしいのですね」
「ああ」
先ほど勘蔵の決意を伝えたばかりなので、瀬川にはまだ少し不安の色が見える。
しかし彼は勘蔵の決めたことならばどこまでもついてきてくれるであろう。そういう意味では一番の味方と言えた。
「青木殿。立川だが、よろしいか」
そう告げると、またしても襖の方からすらりと開いた。
「立川様、瀬川様も。昨日はご足労いただきありがとうございました」
「いや、ろくに礼もせずに立ち去ってしまい、申し訳なかった。そのこととは別に、少し話をさせてもらえないだろうか」
「話、ですか……。承知いたしました」
部屋に通された瀬川と勘蔵は、知親と向かい合って座る。
「一つ伺いたいのだが、貴方は藩主となられることを、どう考えておられる?」
「それは……道理のゆかぬことだとは思います。しかし、殿がどのようにお考えなのか、私には見当もつきませぬ」
青龍の後継のことを含めても、それは知親の嘘偽りない気持ちだった。
「ですが、私が藩主となるからこそ、できることもあるのではないかと思っております」
真っ直ぐにこちらを見据える知親の言葉は、まさに勘蔵が考えていたことと同じであった。
やはり思った通りだ。
勘蔵の決意というのは、立川家は士蔵と共に知親を擁立するということ。藩内の混乱を鎮めるだけでは一時的な解決に過ぎない。この長見全体をよく治めてこそ、回り回って藩の安定につながるはずだと勘蔵は考えたのだ。
すると、知親は「……ただ」と続けた。
「昨日お伝えしたようなことを行うとなれば、私の力では不十分です。それは皆の同意あってのこと。そのために………………どうかお力添えいただけませんか、立川様」
勘蔵は瞬きした。
おかしい。さっきまで知親に協力する旨申し出ようと、こちらが思っていたのではなかったか。なぜ、今まさに同じことを知親から頼まれているのだろうか。
「……貴方は昨日、聞いたはずだ。私が貴方を藩主から退けようとしていることを」
「そうなのですか?」
「いや、それはあの町奉行が勝手に申しておっただけだが……。どうして、私なのか。私がそれを断るとは思われなかったのですか?」
勘蔵がそう聞くと、知親は何だそんなことか、というような顔をした。
「貴方様が保身も野心も抜きに、誰よりも長見のことを真剣に考えておられるからです。ならばきっと、私を藩主にして利用するのがもっとも良い策だと考えられるだろう、と」
まるで何もかもを知っているように。さも当たり前のことだと言わんばかりに。
「それに、」と知親は言う。
「躊躇いなく粗末な着物をお召しになる立川様を見て、長見にはこの方が必要だと思ったのです」
そのとき、勘蔵には確かに見えた。
群青の衣を身にまとった青年の、美しく気高い、青い気配が。
「もったいなきお言葉でございます」
気がつけば、頭を下げていた。
「この立川、これより誠心誠意、貴方様にお仕えさせていただきまする」
後ろで瀬川も頭を下げる。
知親だけが焦ったように「頭を上げてくださいませ」と言うが、もはや勘蔵には今の身分など関係なかった。
必ずやこの方は立派な藩主になる。
そんな未来が、すでに彼には見えていたのだ。




