第六話 立川君は考えてみる(前)
翌日、勘蔵は正門の外で知親を待っていた。
その傍には瀬川宗四郎も控えていて、じっと門の方角を見つめている。
「来ませんな、青木知親は」
「ああ」
昨晩、退室した勘蔵を追って来た知親は、城内で待ち合わせると勘蔵にも都合が悪いだろうからと、城の外で落ち合う事を提案してきた。
勘蔵は了承したのだが、知親は約束の時刻になっても現れない。
「もしや逃げたのではありませぬか。旦那様に自身の行動が知られることを恐れて」
「………………」
知親は、民の実情を知るために一人街まで降りていると言う。
話を聞いただけではその真偽を確かめることはできなかったが、こうしてやって来ないということは、やはり……。
「こちらにいらっしゃいましたか」
「!!」
勘蔵は思わず肩を跳ねさせる。
背後から声をかけてきたのは、知親だった。
「申し訳ございません。私はいつも南門を使っているもので、立川様が正門からいらっしゃるとは考えが及びませんでした」
「いや……。それはいいが、しかしなんだその格好は」
知親は昨晩の群青色の着物とは打って変わって、煤けた粗末な着流し一枚を着ているだけだ。しかも手には同じような風合いの羽織を持っている。
「外でもどこに人の目があるかわかりませぬ。立川様とはわからぬようになさった方がよろしいかと」
「これを着ろと言うのか?」
思わず顔を顰める瀬川だったが、その横で当の勘蔵はあっさりと羽織を受け取った。
「瀬川、そなたもだ」
「そ、そんな。よろしいので? 姿を変えるのは青木殿だけで十分ではありませぬか。旦那様がこのような物をお召しになる必要は……」
「今日の仕事は終わらせたとはいえ、昼間に私が城外をうろついていてはおかしいだろう」
「それは、仰る通りですが……」
渋々といった様子で羽織を受け取る瀬川を横目に、勘蔵は知親が道の向こうを見つめていることに気がついた。見れば人影が一人、こちらに歩いてくる。
その人影が刀を差しているのを見た勘蔵は、知親といる所を見られてはまずい、と手にした笠を被って顔を伏せた。
しかし、知親は一向に姿を隠すような素振りはなく、ただ人影を見つめ続けている。
一体どうしたのかと勘蔵が思っていると、次第に近づいてくる人影の顔が見えた。
「これは立川様。どこかへお出かけになられるので?」
「父上、なぜこちらに?」
知親の声には、少し焦りがあった。
青木知孝。知親の実父である。現在は長男と共に、郡奉行でとても要職とは言えないような部署に勤めているはずだ。
「いやなに、仕事がひと段落したのでな。それより立川様、外に行かれるのでしたら是非とも息子を護衛に。親の贔屓目を抜きにしても、息子は刀を持たせればなかなかの働きをします故」
当然だが、知親が婿養子に抜擢されたことで青木家の評判も地に落ちている。
いくら明重が決めたこととはいえ、青木家が卑劣な手で明重に取り入ったのでは、という疑いの目は免れなかった。
「父上、護衛には瀬川様がすでにいらっしゃいます。私はただ、外へ行くのに目立たないお召し物を立川様がお探しとのことで、この着物をお渡しするために参上したまで」
「そうであったか。かようなもので立川様のお役に立つのであれば喜ばしいことです。なにせ我が家には似たような着物ばかりございますので」
知孝は冗談めかして笑うが、勘蔵はその笑顔の中にどこか必死さのようなものを感じた。
青木家は藩内では立場のない状態で、頼みの綱であった次男の藩主就任も周りの反対により実現が危ぶまれている。恐らくは、この機に少しでも立川家と繋がりを作っておきたいのだろう。
「ではこれにて」と知孝は正門へと姿を消した。その後ろ姿を見送る瀬川は、不安そうな顔をする。
「要らぬことを触れ回らないといいのですが」
「…………父が申し訳ございません」
知親はきまり悪そうに、少し沈んだ声色で言った。
*
知親の「知り合い」に会ったのは、町人街に出てすぐのことだった。
「知り合い」は白い鬣のように四方に広がった髪で顔はほとんど見えず、曲がった腰に杖をついていた。彼は、もごもごとくぐもった声で話し始める。
「ああ、お侍様。そちらのお方たちは?」
「名を明かすことはできぬが、とある高貴なお方だ。此度は街の様子をご覧になるためいらっしゃった」
「左様でございましたか。しかし道中は常に安全とは言い切れませぬ。十分に用心なさいませ」
「知り合い」は勘蔵たちに背を向け、街の外れに向かって歩き始めた。
勘蔵たちもその後へ続く。
「あの者はどこの誰なのだ。一体どうやって知り合われた?」
目の前の男は、老人にしては上背があるような気もするし、かといってしわがれた声は若い人間のものではないような気もする。
勘蔵が知親に囁くと、知親も前の男に聞こえないよう声を落とした。
「あまり詳しくは私も存じ上げませんが、何でもずっと昔から長見に住んでいるとのこと。偶然私が彼に話しかけてからというもの、こうして街の様子を聞きに来ているのです」
「そうなのか」
勘蔵は歩きながら周囲を見回す。
街まで降りて来たのは随分久しぶりだった。城下町は相変わらず活気があり、人々の声で賑わっている。
男は人の多い表通りを抜けると、長屋の立ち並ぶ通りへ向かっていく。歩みを進めるにつれ、人の声も次第に少なくなっていった。
「申し訳ない、どうかもう少し待ってくれないか」
ふと、そんな声が聞こえてきた方を見ると、通りの奥で男が二人何やら話し合っている。
片方は質の良さそうな着物を着ているのに対して、もう片方は生活が苦しいことが一目でわかった。
「何か揉めごとだろうか」
勘蔵の言葉に、前を行く男が振り返る。
「ありゃ高利貸しの取り立てですよ。大抵は日貸しなんですがね、それが返せねえとどんどん利息が重くなる。ただでさえこの辺りではその日暮らしの奴が多いですから」
取り立てられているだろう男は、地面に手をついて頭を下げ始めた。
そんなことは気にも留めず、男はまた歩みを進める。
「放っておくのか」と勘蔵は言いかけたが、自分たちが行ってもできることはないのだ。あの男の借金を肩代わりすることも、ましてや踏み倒すことなど到底できはしない。
後ろ髪を引かれるような思いでその場を後にすると、男たちの声もだんだんと遠ざかっていった。
町人街をしばらく歩き続けると、今度は田畑が広がる農村に出た。
田植えはもう終わったのか、青々とした苗たちが日差しを受けて光っている。その向こうには海も見え、なんとも気分の晴れる夏の長見の光景だった。
「今年も豊作でございましょうな」
瀬川の言葉に勘蔵も頷く。長見の領地は決して広くはないが、例年よく米の穫れる恵まれた土地だ。他領が飢饉に苦しんだ時もこの地はなんとか食い繋いできた。
秋になればまた黄金色の稲が実るだろう、と勘蔵は思ったが、男の言葉はそうではなかった。
「今年はそうもいかないでしょうね」
「何?」
「以前の大飢饉の折、長見は被害が少なかったとはいえ、多くの百姓が年貢を納めるのに精一杯で暮らしてゆけなくなりました。先ほどのような高利貸しに金を借り、返せなくなった者も」
勘蔵は息を呑んだ。男の顔は見えないが、視線の先はどこか遠くを向いている。
「しまいには田畑を捨て、逃げる者も多い。百姓の数は減っているんですよ。だというのに、今年の夏もあまり暑くはない。以前の飢饉程でなくとも、実りは良くないでしょうね」
「一体この内のどれだけが米となるのか」と言う男の呟きに、勘蔵は返す言葉がなかった。
お前たちは藩に米が滞りなく入ってくるだけで豊作だと決めつけ、農民たちの実情などはまるで考えていないと、そう指摘されたのではないか。
*
日も傾いて、勘蔵たち一行は帰路についていた。
あの後、農村を歩いて回ってもどことなく農夫たちの姿がまばらなように見え、町人街の賑わいにもどこか、その裏にあるものを考えてしまう。
「…………私はずっと、長見は小さくとも豊かな街だと思っていた」
勘蔵は言いながら知親の顔を見た。相変わらず、その表情が何を考えているのかは分からない。
「が、現実は想像よりもはるかに厳しいものだった。……貴方はこのような街の現実を、今まで見に行っていたというわけか」
知親は何も言わなかったが、しばらくしてゆっくりと視線を勘蔵に向ける。
「立川様、我々は何を為すべきでしょうか」
「何を……?」
何を。貧しい町人に、米不足に苦しむ農民に、また起こるかもしれない飢饉に、何をするべきなのだろうか。
藩の中で、民の暮らしについてなど話題に上ったこともなかった。皆、年貢が無事納められればその他に関心は無く、ただ己と家の保身についてばかり考えている。
「思うに、諸藩が財政難に苦しむ中、我が藩にはまだ蓄えがございます。それもこの恵まれた土地と、農民たちの懸命な仕事によって支えられたもの。……もしまた飢饉が起これば、その時には年貢を減らし、藩の蔵から不足を賄えば良いのではないでしょうか」
「……! しかしそれでは、飢饉が続けば藩の財政は傾く一方。それに一度年貢を減らせば、元に戻さざるを得なくなった折に余計に民を苦しめるやもしれぬ」
「そもそも、」と勘蔵は言いかけてやめた。間違いなく皆の反対にあうとそう言えば、まるで自分も保身に走っているだけのような気がしたからだ。
「節制すればよいのです。勘定方の過去の帳簿の見直しも長らく行われていませんし、探せば必ず無駄が見つかるはずです」
知親の言葉に勘蔵は呆気に取られた。
なんと大それたことを。藩の帳簿をあらってまで年貢を軽くしようなど、頷く者がいるはずがない。運が悪ければ家の俸禄が減らされる憂き目にあう。
その時、海の方角から強い風が吹いた。ほのかな潮の匂いを運ぶ風は、山の木々を揺らし、どこかの店の風鈴を鳴らす。
見れば、赤い夕陽が海に沈んでいくところだった。
…………できたなら。もし本当にそんなことが実現したならば、長見の街は美しく豊かでいられるだろうか。
そこで勘蔵はふと、あることに気が付いた。
そういえば、横で夢のような事を語っている煤けた着物を着た男は次の藩主になるのではなかったか。
とすると、どこまでも大真面目な顔で、本当にやってのけてしまうのでは…………。
「……様、旦那様!」
「な、何だ、どうした」
瀬川の呼びかけに、勘蔵は考えごとから意識を引き戻された。
「あそこにいるのは、確か町奉行の」
瀬川が指さした先を見ると、街中に立っているその武士は確かに藩の者のようだ。その視線に気が付いたのか、こちらを振り返った彼と目が合う。
勘蔵がまずいと思うや否や、向こうもあっというような顔をしてこちらへ向かってきた。
「失礼、そちらにいらっしゃるのは立川様ではございませぬか?」
「……ああ、そうだが…………」
もはやごまかすこともかなわず、勘蔵は正直に名乗った。
彼は後ろの知親には全く気がついていない様子である。服装のこともあるが、おそらくは元々知親の顔を知らないのだろう。
「このような所で、何をなさっておいでで?」
「いや、少し街の様子を見にだな」
「……左様でございましたか。しかし、今はどうかご用心なさりませ。藩の内情も乱れておりますし、御身に何かあっては一大事にございます。青木知親を退けるために、貴方様はなくてはならないお方なのですから」
勘蔵は、何を言えばいいのか分からなかった。知親がどのような顔で聞いているのかも。
「さあ、城までお送りいたします」
そう言って歩き出す男に連れられて、瀬川と共にその場を離れることしかできなかった。
勘蔵たちの姿が見えなくなると、残された知親と案内の男は顔を見合わせた。
男は曲がっていた、いや曲げていた腰をすっと伸ばすと、顔を覆っていた毛を取り去る。
「お前これ、追加料金だからな……」
今朝早く、仄火の元を訪れた知親に頼まれたのは「知り合い」を演じることだった。一人歩きを勘蔵に怪しまれた時、咄嗟にそうごまかしてしまったのだと言う。
付け焼き刃の演技だったが、勘蔵と瀬川に疑った様子はなかった。
「まあ確かに、勘蔵殿は夜遊び好きではなさそうだったな。どちらかというと…………馬鹿真面目?」
「いや、今日は私にも思うところがあった。……己が何を為すべきかも。それは立川様も同じ気持ちでいらっしゃるだろうと思う」
微妙に嚙み合わない会話に、仄火は知親を振り返る。
……先ほどの会話から察するに、本当に知親が藩主になることを歓迎している者は少ないようだ。
「お前、この先大丈夫なのかよ」
知親は答えない。
その目は真っ直ぐに宙を見つめていた。
「……今日は助かった。いくらだ」
「あ?」
ったく、こいつは人が心配してやってるっていうのに……。
仄火はため息を一つついた。
「今日はもういい。ただし後でまとめて請求してやるからな」
仄火は家に向かって歩き出す。途中で振り返ると、もう知親の姿もそこにはなかった。




