第五話 立川君は疑っている(後)
「撒かれただと……?」
「た、大変申し訳ございませぬ! 旦那様が真剣に我が藩の行く末を案じておられるというのに、お役に立てず……!」
日も暮れかける頃、瑞穂城の一室には勘蔵と、畳に頭を擦り付けて平伏する瀬川宗四郎の姿があった。
「この瀬川、いかなる罰も受ける所存です」
瀬川の言葉に、勘蔵は深くため息をついて脇息に肘を置いた。
「よい。そなたをかような事で手打ちにはせぬわ」
「は、はっ! 有難き幸せにございます。このご温情、決して忘れませぬ!」
瀬川は今にも泣きだしそうな顔で面を上げた。この男は昔から自分の傍に仕えているくせに、いちいち大袈裟なのである。
行動が早く、芯の通ったひたむきなところは勘蔵も評価しているが、こういうところが時々面倒な侍でもあった。
「しかし、なぜ勘づかれたのだ。まさか堂々と後ろを歩いていたわけではあるまいな」
「とんでもございません。恐れながら私、今まで後をつけた者に勘づかれたことなどありませぬ。しかし……」
瀬川は俯いて、目を凝らすようにして畳を見つめた。
「しかし、この度は私が勘づかれたとも思わぬうちに、青木殿はいつの間にか姿を眩ませてしまわれたのです」
それを聞いた勘蔵は、どうも完全に瀬川に非があるわけではないように思えた。
青木知親は武芸、特に剣術に秀でているという噂は耳にしたことがある。いち早く瀬川の気配に気が付き、警戒して撒いたというのもあり得ない話ではない。
…………ならば。
「やはり、それ程人に知られては困る用向きという事か」
これでますます、知親の目的を突き止めないわけにはいかなくなった。
人に知られてはならないようなやましいことがあるのなら、藩主の座から退ける格好の理由になる。
「こうなれば、私が直接話を付けよう」
「旦那様自らですか? それは……」
「良いか、参勤交代まで二十日もない。ここで私が動かねば、いよいよ思い切ったことをしでかす輩も出てくるかもしれん。その騒ぎがお上に伝われば……我が藩がどうなるか、そなたにも分かるであろう」
勘蔵の言葉に、瀬川は感極まったように口元を結んだ。
「なんとご立派な。旦那様なら、青木知親など敵ではございませぬ。この瀬川も、お力になれることがあればなんでもいたします」
*
その後、一人廊下を歩きながら勘蔵は考えていた。最後に瀬川が言った言葉が、なぜか腑に落ちなかったのだ。
…………青木知親を退けた後には、誰が藩主となるのだろうか?
……殿には幼い頃からの御恩がある。父にも、立川家を継いだ暁には藩のために尽くすようにと、ただそれだけを言われて育った。
だからこそ、長見を守るためにも青木知親を藩主にしてはならないという、それだけの理由だ。
…………では、一体誰ならばこの藩を守ることができるのだろうか…………?
その時、勘蔵は前から歩いてくる人影に気がついた。
「誰かと思えば立川殿ではないか。こんな時分にどこへ行かれる?」
「! これは、榊原殿」
勘蔵の前に現れたのは筆頭家老、榊原善司だった。
筆頭家老は家老を取りまとめる役で、士蔵が隠居した今、榊原は最も長く家老として仕えている人物である。
「いえ、少し厠に」
青木知親のもとへ行くことは言わない方がいいだろう、と勘蔵は判断した。
しかし、すれ違いざまに「そういえば」と榊原が呟く。
「ご隠居殿はようやく屋敷に帰られたようで。……立川殿はまだ当主となって日も浅いことであるし、一度先代のお父上とよくお話になってみるのもよいのではないだろうか」
榊原はそう言ったかと思うと、「失礼、他所の家の者が口を挟むことではないな」とそのまま通りすぎて行った。
…………暗に、父親を説得できていないのはどういうことだと言われたのだろう。
榊原達が口を揃えてもなお明重を説得できない一番の原因は、士蔵が明重側についているから。逆に士蔵ならば明重を説得できるかもしれないと、榊原は考えているのだ。
まったく舐められたものだ、立川家当主は私であるというのに。父でなくとも現状を変えられると、今に示してみせる。
勘蔵は榊原の背を見送って、廊下の奥へと足をはやめた。
青木知親の部屋は、城の奥、人気のない隅の方にある。一体いつから彼がここに住んでいたのかは勘蔵にも分からなかった。
部屋の外から勘蔵が呼びかけると、その襖が開く。
開口一番、「城を抜け出してどこへ行っているのか」と、単刀直入に問い詰めるつもりだった。
が、初めて間近で見る知親の姿に勘蔵は口を閉ざしてしまう。
青木知親は勘蔵より六つ歳が下だという。しかしその上背は勘蔵より高く、面持ちも凛として、まるで下級武士の出であることを感じさせない。
城内のほとんどを敵に回しているとは思えない、堂々たる佇まいであった。
「何かご用でしょうか」
部屋の中、向かい合って座った知親に尋ねられ、勘蔵はふと我に返る。
「こうして言葉を交わすのは初めてかと存ずる。家老の立川勘蔵と申す」
「よく存じ上げております。お父上には教えを賜った身ゆえ」
「……何、そうなのか?」
思わず、勘蔵は声をあげてしまった。
……父が、青木知親の師であるとは。まさか彼が養子となることを前々から知っていて…………。いや、父と殿の仲ならあり得る話だ。
勘蔵は気を取り直す。そんな話をしに来たわけではない。
「失礼。……貴方は、度々単身で城外まで赴いているとのこと。さらには私が後をつけさせた者をわざわざ撒いたとなれば、余程人に知られては不都合がある様子」
そこまで言っても、知親に焦りの色はない。それどころか眉一つさえ動かない。否定するでも肯定するでもない彼に、勘蔵は少し不安を覚える。
「……後をつけさせたことはお詫びしますが、一体何用で外に行かれているのかと気に掛かりましてな」
知親はしばらく黙っていたが、勘蔵が答えを待ち続けているとようやく口を開いた。
「……それは、立川様が疑わしく思われるのも当然のこと。実は、長見の街の様子を見に行っておりました」
「街の、様子を?」
「はい。城からは長見のほとんどを見渡す事が出来ます。しかし、そこで民がどのように暮らしているかは分かりますまい」
……詰まるところ、この侍は皆が次期藩主をめぐって争っている間にも、自分が治める民の実情を確かめに行っていたということか。
「民を貴しとなし、社稷はこれに次ぎ、君を軽しとなす」。
孟子の言葉である。統治者は民に親しみ、導かなければならない。
父が教えたのだろうか、この侍に。
勘蔵も藩政を学んだ。孟子の言葉も知っていた。それを今、この藩で最も実践しているのが青木知親だとは。
「街の知り合いに頼んで、案内をさせているのです。瀬川殿を撒いたのも、顔を知られれば知り合いに不都合かと思いやむを得ず。ですがその結果立川様の気掛かりを作ってしまったこと、誠に申し訳ございません」
頭を下げる知親を、勘蔵は見つめ直す。
……本当だろうか。危うく彼の言葉を鵜呑みにしそうになったが、言葉巧みに不都合を隠し通そうとしているのかもしれない。
だが知親の動かない表情をいくら見ていても、事の真偽は到底分かりそうになかった。
「……なるほど、その心掛けは大変ご立派であられる。なれば是非、この私もお供させていただきたい。お知り合いについても、誰にも口外せぬと約束しよう」
「それは……」
「できることなら、明日にでも」
「…………承知致しました。では明日に」
知親の声色は変わらなかったが、その視線が一瞬揺らいだのを勘蔵は見逃さなかった。
……やはり嘘なのだろうか。いや、それも明日確かめればいいこと。
部屋を出た勘蔵は、夜になった長見の街を見下ろす。
知親の不祥事を突き止めるはずが、思いがけない方向に事が進んでしまった。
…………必ずや見極めてみせる。青木知親の本性を、どれほどの器の持ち主であるかを。




