EP 14
衛生革命! 恐怖の「抜き打ち監査」と滅菌の聖域
「……ふむ。向かいのパクリ店、客足が完全に止まったようでござるな」
帝都本店のカウンターで、良樹は漆黒の布で、すでに鏡のように輝いているステンレスをさらに磨き上げていた。
ギルドが放った粗悪な『黄金肉丼』は、その「旨味の欠如」と「劣悪な品質」によって、わずか数日で自爆した。だが、美食ギルドの執念は、良樹の想像を遥かに超える方向にねじ曲がっていた。
「ヨシキ様! 大変です! 帝都の『衛生局』を名乗る官吏たちが、武装した騎士を連れてこちらに向かっております!」
マルセルの叫びと同時に、店の扉が乱暴に開け放たれた。
「動くな! 帝都衛生局である! この店には『不浄の魔術』によって病を撒き散らしているという、極めて具体的な通報があった!」
現れたのは、美食ギルドから多額の賄賂を受け取った汚職官吏・バイキン。彼は鼻を指で押さえながら、大げさに部屋を見渡した。
「ふん、暗黒男爵よ。貴様の料理を食べた者たちが、次々と腹痛を訴えているのだ。もし厨房に一点の曇りでもあれば、即刻営業停止、さらには帝都追放に処す!」
騎士たちが剣を抜き、殺気立った空気が店内に満ちる。
だが、バイキンの宣告を聞いた瞬間。
「…………ッ!!!」
良樹の背筋に、氷のような戦慄が走った。
だが、それは恐怖ではない。かつてのブラックバイト時代、抜き打ちでやってくる「保健所の監査」や「本部のQSC調査」の際にだけ発動する、極めて特殊な防御本能であった。
(……保健所!? 抜き打ち監査でござるか!? しかも『不浄』……つまり、食中毒(O-157)の疑いをかけられたということでござるな!?)
良樹の脳内では、緊急警報のサイレンが鳴り響いた。
深夜のワンオペ。一人でも食中毒を出せば、店は潰れ、自分は損害賠償で一生を棒に振る。その恐怖は、魔王や古竜の襲撃などよりも、今の良樹にとってリアルな「死」を意味していた。
「……マルセル殿。……全従業員、配置に付けでござる」
良樹の声が、低く、重く響いた。
その瞳から感情が消え、機械的なまでに冷徹な「店舗責任者」のオーラが溢れ出す。
「よ、ヨシキ様……?」
「監査員殿……よくぞ指摘してくれたでござる。拙者も、この異世界の厨房の『甘さ』には、ヘドが出る思いをしていたところでござるよ!!」
良樹はシステムを限界まで回し、善行ポイントを「衛生・消耗品」のカテゴリーへ全投入した。
「ルナたん! 屋敷のすべての開口部を魔力で密閉! 外部からの塵一つ、入ることを許さないでござる!」
「えっ、ええ……分かったわ!」
「モウラたん、ロード殿! 貴殿らは、この『究極の滅菌結界(アルコール噴霧)』を全身に浴びて、不浄なる微生物を徹底排除するでござる!」
良樹は、ポイントで召喚した**『業務用アルコール消毒液』と『粘着式糸くず取り(コロコロ)』**を手に、狂ったような速度で騎士たちの周囲を旋回した。
「な、なんだ、この透明な液体は!? 鼻を刺すような香りと共に、肌の油分が奪われていく……!?」
「静かにするでござる! 貴殿らの甲冑の隙間、そこに潜む不浄が、拙者の聖域を汚すことは断じて許さないでござるよ!!」
騎士たちの戸惑いを無視し、良樹は厨房へとバイキンを突き飛ばした。
「さぁ、見るが良い! これが、拙者が提唱する異世界の衛生新基準……『サニテーション・レボリューション』でござる!!」
バイキンが目にしたのは、異世界の常識を数百年飛び越えた、狂気的なまでの「清潔」であった。
床には塵一つなく、全ての調理器具は一定の間隔で整然と並べられている。
スタッフは全員、ポイントで召喚した**『使い捨てマスク』と『不織布キャップ(ヘアネット)』**を着用し、一分の隙もない。
「……なんだ、これは。この冷え冷えとした空間は……。それに、この白い布で、一度拭いただけで捨てているのか!? 贅沢な……いや、異常だ!」
「贅沢ではない、『当たり前』でござる! 監査員殿、そこのカウンターの裏を指でなぞってみるが良いでござる。もし指に煤がつけば、拙者はこの場で首を差し出すでござるよ!」
バイキンは悔しげに、わざと油が溜まりそうな換気扇の縁を指でなぞった。
だが。
「……っ!? 滑る……!? 指が、滑るだと!? 脂のぬめりが微塵もない……それどころか、指の指紋さえ奪い去るような、徹底的な脱脂……!」
「フハハハ! 当店のダクトは毎日分解清掃済み! ネズミの一匹、ゴキブリの幼生一体、この『結界(店舗)』内に存在する確率は、天文学的にゼロでござる!!」
良樹は、さらに隠し持っていた**『ブラックライト』**を取り出し、バイキンの鼻先に突きつけた。
「さぁ、今度は貴殿の番でござるよ。その『洗っていない手』で拙者の聖域を汚そうとした罪……この光の下で晒すが良いでござる!」
ライトがバイキンの手を照らし出した瞬間。
肉眼では見えなかった汚れが、おぞましい蛍光色となって浮かび上がった。
「ひぃぃぃっ!? な、なんだこの禍々しい光は! 私の手が、穢れに満ちている……!?」
「左様! それこそが貴殿の不摂生の証! その手で食材に触れるなど、大量殺戮に等しい暴挙でござるよ! 立ち去れ、不浄なる者よ!! 当店には、貴殿を検閲する資格など存在しないでござる!!」
圧倒的な「清潔」という名の暴力。
良樹の狂気的なQSC(品質・サービス・清潔)への執念に、バイキンたちは精神的な敗北感を抱いて、店から逃げるように退散していった。
数時間後。
「暗黒男爵の店は、あまりの神聖さに病の悪魔さえも一瞬で消滅する『滅菌の聖域』である」という噂が、騎士たちの口から帝都中に広まった。
結果として、美食ギルドが仕掛けた「食中毒」の噂は、良樹の異常なまでの潔癖症(社畜の防衛本能)によって、最強の「信頼」へと変換されてしまったのである。
「……ふぅ。これで監査は乗り切ったでござるな。……さぁ、マルセル殿! 気が緩んでいるでござるよ! 裏のゴミ集積場のタイルに、まだ0.5ミリの泥が残っているでござる! 再清掃開始でござるぅぅッ!!」
「よ、ヨシキ様……ほどほどに……」
スローライフを求める良樹の背中は、今日も洗剤の泡と、終わりのない清掃の渦に飲み込まれていくのであった。




