EP 2
美食ギルドの刺客と「伝説の薬味」
開店からわずか数十分。
帝都の一等地に構えた『丼亭よしき』の周囲には、異様な静寂が漂っていた。
本来なら皇帝直々の肝煎りという触れ込みで、野次馬が殺到してもおかしくないはずだが、通りの人々は遠巻きに店を伺うだけで一向に暖簾をくぐろうとしない。
「……おかしいでござる。拙者の計算では、今頃はレジ待ちの列が隣の区画まで伸びているはずだったのに」
良樹は震える手で、カウンターの端に置かれた「呼び出しベル」を磨いた。
店内のテーブルは鏡のように磨き上げられ、従業員たちは各々の持ち場で完璧なスタンバイを完了している。だが、肝心の客が一人もいない。
「ヨシキ様。どうやら美食ギルドの息がかかった者たちが、通りで『あの店は呪われている』『不浄な魔術を使った料理だ』とデマを流しているようです」
マルセルの報告に、良樹は眉間にシワを寄せた。
(デマ……ボイコット……! つまりこれは、ライバルチェーン店による組織的なネガティブ・キャンペーン(営業妨害)でござるか! 飲食業界の闇は深いでござる。だが、こちらには現代日本が誇る『集客の奥義』があるでござるよ!)
良樹はシステムウィンドウを展開し、これまでの善行で貯まったポイントを迷わず消費した。
「マルセル殿、プランB――『香りテロ(アロマ・マーケティング)』を開始でござる! ターゲットは通りを行くすべての人類の、本能的な空腹中枢でござるよ!」
良樹が召喚したのは、漆黒の漆塗りの容器に入った『究極の七味唐辛子:雷神の息吹』、そして鮮やかな真紅に染まった『特選・紅生姜:真紅の結晶』。
「モウラたん! 牛肉の鍋の火力を最大に! ルナたんは風魔法で、この『旨味の爆風』を帝都中に拡散するでござる!」
「おうよ、任せな! アタイの熱気で一気に揮発させてやるぜ!」
「ええ、街中の鼻腔をジャックしてあげるわ」
厨房の巨大な鍋が、魔力を帯びた熱源で加熱される。
直後、醤油と砂糖が肉の脂と混ざり合い、熱せられた瞬間に放たれるあの抗いがたい香ばしさが、ルナの風魔法に乗って店の外へと強引に押し出された。
それは単なる匂いではない。数種類の厳選されたスパイスが複雑に絡み合い、通行人の鼻腔を物理的に叩くような、暴力的なまでの「食欲」の奔流だ。
通りを歩いていた美食家たちの足が、ピタリと止まった。
「な……なんだ、この匂いは!? 胃袋が直接掴まれたような感覚だぞ!」
「嗅いだだけで、口の中に唾液が溢れて止まらん! これが暗黒男爵の精神攻撃か!?」
騒然とする群衆。そこへ、美食ギルドから送り込まれた「味覚の刺客」……帝都屈指の調味料職人、ソルトンが群衆をかき分けて現れた。
「惑わされるな、愚民ども! これは香料を過剰に使ったまやかしだ! 私の鼻を誤魔化せると思うなよ、男爵!」
ソルトンは挑戦的に暖簾をくぐり、カウンターへドカリと座った。
「いらっしゃいませぇぇぇぇっ!! カウンター一名様、ご案内でござる!!」
良樹のマッハ2の接客挨拶にのけぞりながらも、ソルトンは目の前に差し出された湯気を上げる『ネギ玉牛丼』を睨みつけた。
「ふん、所詮は肉と米。私の秘蔵の塩があれば、こんなものは……」
「お客様。まずは、こちらの薬味を、心ゆくまで振りかけるが良いでござる!」
良樹が七味の容器を開けた瞬間、山椒の鮮烈な痺れと、陳皮の爽やかな柑橘の香りが、牛丼の熱気に乗って爆発した。さらに紅生姜の酸味が、視覚からも脳の報酬系を直撃する。
「……ッ!! なんだ、この香りのオーケストラは!? 七種類の素材が、一糸乱れぬ隊列で私の味覚に攻め込んでくる! さらにこの紅色の根……! 油を完全に浄化し、次の一口を強要する魔薬か!?」
ソルトンは震える手で箸を握り、丼に顔を突っ込んだ。
牛肉を、ネギを、玉子を、紅生姜を、七味がたっぷりかかった米を、無我夢中で口へ運ぶ。
「あぐっ……もぐ……ん、んまいぃぃぃぃっ!!」
絶叫。
帝都屈指の職人が、人目も憚らず、獣のように飯をかき込んだ。
その光景は、後ろに控えていた野次馬たちへの、何よりの宣伝となった。
「おい、あのソルトンが泣きながら食ってるぞ!」
「私にもくれ! その魔薬がかかった丼を!」
「こっちもだ! 金ならいくらでもある!!」
「ハイッ! 牛丼並、三丁! ネギ玉特盛、一丁、入りまーす!!」
良樹の脳内に、心地よいチャイム音が響き渡る。
【善行ポイント:10,000pt獲得。リピーター見込み確定】
(フハハハ! ちょろいでござる! 深夜3時の酔っ払い客の胃袋を黙らせてきた『七味・紅生姜の黄金コンビ』に、異世界人のピュアな味覚が耐えられるはずがないのでござる!)
開店からわずか30分。
『丼亭よしき』の周囲は、美食ギルドが仕掛けたボイコットなどどこ吹く風。帝都中の住人が「匂いの奴隷」となって行列を作る、未曾有のパニック状態へと突入した。
しかし、その行列の最後尾。
フードを深く被った謎の男たちが、不気味に笑いながら、良樹の牛丼を観察していた。
「……なるほど。これが『暗黒男爵』のレシピか。案外、模倣は容易そうだ。美食ギルドの財力と、我が国の技術をもってすれば……」
良樹が「商店会の掃除当番」のことしか考えていない間に、帝都の闇では早くも、丼マスターの独占市場を脅かす『偽物の牛丼』の影が動き始めていた。




