Portrait12:浮気調査はお任せを
雄瑠が毎朝、黙ってどこかに出かけるようになった。柚乃とことりは、それを浮気と疑い、それぞれに煩悶する。ことりが命じた尾行によって、雄瑠が謎の美少女と密会していることが分かった。柚乃、ことり、武葉、それぞれの動きは?
1.問題発生
近頃、お兄ちゃんの様子がおかしい。
お兄ちゃん……甘羽雄瑠は、わたし、斎藤柚乃の幼馴染であり、兄代わりであり、恋人だ。
同じ施設で育ったわたしは、施設内のいじめから救ってくれた雄瑠を兄と慕い、それはやがて恋心となり、将来は結婚を夢見るようになった。そして今、大学生となって隣同士に住むようになっている。
お兄ちゃんは、高校生の時にプロのイラストレーターとして活動を始めた。仕事の都合で何日も部屋に閉じこもったり、たまには缶詰と称する作業があったりする。
今までも何度か、そういったことはあったのだが、今回に限って、わたしは何かいつもと違うものを感じていた。それは恋人に対する『女の勘』であり、はっきりした証拠をつかんでいるわけではないが……。
「あれ、お兄ちゃん。今日も早いの? お仕事や講義にしては早くない?」
わたしは、お兄ちゃんが朝の7時には身支度をして部屋を出て行くのを見て、思わずそう声をかける。高校の課外授業じゃあるまいし、こんな時間から講義なんてあるわけがない。
でも、お仕事にしたって7時は早すぎる。だって、まだ出版社にしてもゲーム会社にしても、始業していない時間なんだから。
「ああ、ちょっとね。ごめん柚乃、今日も遅くなるから、晩ご飯は準備していなくていいよ。『猫男爵』で食べてくる」
「あ、お兄ちゃん。待ってよ!」
お兄ちゃんはそれだけ言うと、わたしが声をかけるのにも構わず階段を降り、自動車に乗り込んだ。大学へは徒歩で、出版社にはバスで通っているお兄ちゃんが自動車に乗るということは、行き先はそのどちらでもないということだ。
(……お兄ちゃんが隠し事をするなんて久しぶりだ。何、柚乃にも言えないこと?)
わたしの心の中に心配の雲が広がる。お兄ちゃんがわたしに何も言わずに動き回ったことは、H市にあるお兄ちゃんの実家を売り払った時以来だ。
でもあの時は、出かける前に必ず誰かからスマホに連絡が入っていた。今思うとそれは弁護士さんからの連絡だったのだが、今回はそんな様子もない。もし、何かの連絡を受けてお兄ちゃんが動いているのだとすれば、スマホ以外何が考えられるだろう?
「……そうか、PCのメールだ! 迂闊だったなぁ」
わたしはそう思い付く。でも、勝手にお兄ちゃんのPCを立ち上げていいのだろうか?
「……お兄ちゃんを心配してのことだから、いいよね? 柚乃はお兄ちゃんの妹だし」
わたしはそう自分を納得させて、お兄ちゃんのPCの電源を入れる。しかし、仕事用のPCも、寝室にあるタブレットも、いつの間にかログイン用のPWが変えられていた。
(これはますます怪しい……まさか、浮気!?)
お兄ちゃんがそんな事するはずがない……1年前の私なら胸を張ってそう言えただろう。
しかし、武葉さんが現れ、ことりさんが近付いてきた今、お兄ちゃんが別の女に手を出したと言われても、それを否定しきれないわたしがいた。
(お兄ちゃんに聞いても、正直に答えてくれないかもしれない。何より、嘘を吐かれたと分かったら、柚乃とお兄ちゃんの信頼関係は崩れ去っちゃう……それも怖いな……)
そう思うと、わたしは何もできなくなるのだった。
近頃、雄瑠さんの様子がおかしいです。
甘羽雄瑠さんは、わたくし、岩城ことりの前世から来世にかけての夫であるお方で、わたくしが書くライトノベルの専属絵師でもあるお方でございます。
彼が同じ大学に通う同学年の男性であることは、担当のO島さんから聞いて存じ上げていましたが、一度もお会いしたことはございませんでした。
しかし、友人の春香さんから誘われた合コンで彼と運命的な出会いを果たしたのです。
雄瑠さんは、さすがにわたくしの伴侶に相応しく、容姿端麗で頭もよく、そして何より優しくて紳士的な方でした。えっ? もちろんこの『紳士的』というのは、本来の意味での紳士的ということで、決してロリ〇ンやN〇R好きなど、特殊な性癖を持つ殿方を指しているわけではございません。
わたくしはそれ以来、雄瑠さんのことが頭から離れなくなり、夜しか眠れないようになったのです。夢の中で会う雄瑠さんは情熱的で、いつもわたくしを求めてくださいます。わたくしは彼との子どもを5人儲けており、6人目を妊娠中です……いえいえ、これはわたくしの夢の中でのお話で、実際は彼とキスすらしたことはございません。
そんな彼が、不可解な行動をし始めたのは、だいたい2週間前のことです。その日は雄瑠さんのイラスト集『原風景:春霞と朧月夜~KANNUの世界5』の構成が最終決定した日だったのでよく覚えています。
ラノベもそうですが、構成が決定してデータもそろっているなら、後は仮印刷に回して校正、色校正、製本チェックまでそう大きな問題なく流れ、晴れて印刷ということになります。
ですから、出版社『11次元』では、構成決定段階で一応の区切りを付けるため、『懇親会』と銘打った飲み方が行われるのが通例でしたし、KANNU先生こと雄瑠さんは、『懇親会』を欠かしたことがないことで有名でした。
しかしなぜか、雄瑠さんは今回に限っては、
『僕、用事がありますから、懇親会の日にちを延期してもらってもいいでしょうか?』
そう言って、その日はさっさと『11次元』のオフィスから出て行ってしまったのです。
『人付き合いを大事にするKANNU先生にしては珍しいですね? もしかして、源高閣先生、先に二人だけで約束をされているとか?』
担当のO島さんからそう聞かれましたが、
『いいえ。わたくしは特に何も……KANNU先生とは今日の懇親会でお話しするつもりでしたから。妹さんとの用事でもあるのでしょうか?』
そう言ってその場はごまかしましたが、メイド長の愛実からの報告で、その日柚乃さんは友だちとカラオケに行っていることは知っていました。
(だったら、雄瑠さんの用事って何でしょう? わたくしや柚乃さんよりも優先する用事って……まさか、武葉さんと何か秘密の約束でも!?)
そう思ったわたくしは、いてもたってもいられず、メイド長の愛実を呼び出していました。
「愛実、雄瑠さんのことなのですが……」
わたくしが言うと、この忠実で有能なメイド長はポケットからメモ帳を取り出し、
「はい、雄瑠さまの今日のご予定は、午前中は実習、午後1時からは『アブダクション』での企画会議に参加、午後3時30分から『11次元』で構成会議に参加。午後6時からご友人の常盤様とご会食の予定です」
そう、彼女が掴んでいる雄瑠さんのスケジュールを報告してくれました。
常盤光弘さんは雄瑠さんの大の親友です。常盤様との先約があったのなら、雄瑠さんが今日の飲み会を断ったのも納得がいきます。
「では、雄瑠さんは今、常盤様と飲み会なのですね?」
わたくしが確認のために聞くと、愛実はポケットからスマホを取り出し、どこかに連絡を取っていましたが、数分後に折り返しのメールを見て、眉をひそめました。
「どうしました、愛実?」
わたくしが聞くと、愛実は言いにくそうに、
「……妹の春香を通じて常盤様の所在を確認しました。常盤様は春香と食事中で、その場に雄瑠さまはいらっしゃらないそうです」
そう言うではありませんか! わたくしは途端に心配になりました。
「……雄瑠さんが私に嘘を吐くなんて信じられません。ここ数週間、雄瑠さんは今までにない行動をしていますが、まさか浮気では?」
雄瑠さんは身持ちが堅い男性。柚乃さんに対しても、施設にいた頃からの仲とは言っても『兄』としての立場を貫かれています。柚乃さんは美少女で、雄瑠さんに対する好意をむき出しにしているにも関わらず、です。
普通、あれだけの女性からあんな近くで猛烈にアタックされたら、簡単に落ちそうではあるんですが……雄瑠さんと柚乃さんには血縁関係はないし、柚乃さんだって成人しているのですから。
「お嬢様。お嬢様は、雄瑠さまが自ら女性を引っかけるようなお方だと思われますか?」
愛実が聞いて来る。
確かに、雄瑠さんが自分からむやみに女性と親しくなるような男性とは思えません。
しかし、あれだけの男性、女性が放っておきません。しかも雄瑠さんは武葉さんや椎葉さんとの関係を見る限り、押しに弱いと思われます。
何らかの出会いがあり、相手の女性が何らかの訳ありで、それによって雄瑠さんの同情や興味を引いた場合、手練手管を使って雄瑠さんをたらし込み、既成事実を作ってしまう……こんなシチュエーションは十分に考えられます。
「お嬢様がご心配なら、瀬戸に調査させましょうか?」
愛実の言葉に、わたくしはぱっと表情を明るくいたしました。
「そう言えば、その手がありましたね。すぐに瀬戸にお願いしてください」
「……ということなのよ。瀬戸、お願いできないかしら?」
岩城邸の使用人控室で、メイド長の中ノ森愛実が執事の瀬戸岬に、ことりからの依頼を伝えていた。
「愛実メイド長、それって執事長に話は通してありますか? ぼく、お邸のルールに従えば、旦那様か執事長からの命令でしか動けないんですよ? ましてやお嬢様のプライベートな件ですから、基本的に執事が関われる事項じゃないでしょう?」
「やーよ。伊集院執事長に話を通すには、小松原チーフにお願いしないといけないじゃない? 近頃、小松原チーフってご機嫌が悪いのよねぇ。
私が甘羽さんを見張ろうにも、すでに顔を知られちゃってるし……だからさ、岬のただ働きってことで、お願い♡」
「いやいやいや、ぼくだって無人島キャンプの時、甘羽さんとは顔を合わせていますから。
それに、ただ働きはご遠慮いたします。ブラックな職場がイヤになった時、翼先輩から『ホワイトな職場だよ』って誘われてこのお邸にお世話になっているんですから」
瀬戸はそう言って、愛実のお願いをにべもなく断る。
仕方なく愛実は『切り札』を使った。
「瀬戸~、お願ぁ~い。お嬢様がとっても気にされて、夜しか眠れないっておっしゃってるのよ。もちろん、ただで、とは言わないからさぁ~」
「いや、ついさっき、三つ前のセリフではっきりと『ただ働きってことでお願い』って言ってますよね!? それに昼間も眠気が来るなら、そっちの方が問題でしょう? お嬢様は至極健康ってことでいいじゃないですか」
思わず突っ込む瀬戸に、愛実は思わせぶりな態度で言う。
「デート、だけどなー♡」
「え?」
「報酬は、デートだよん♡ って言ったんだけど?」
聞き返してきた瀬戸に、愛実はニヤニヤ笑いで答える。
「いやいや、愛実メイド長とデートなんてしたら、伊集院執事長や日向先任に目を付けられちゃいますよ。ぼくを失職させたいんですか?」
慌てる瀬戸に、愛実はキョトンとして、
「え? 私があんたとデートするわけないじゃない。初瀬川さんとのデートを取り持ってあげるって言ってるんだけど? あんた、あの子のこと好きでしょ?」
「うぐっ! なぜそのことをっ!?」
思わず赤くなる瀬戸に、愛実は畳みかけた。
「ほれほれ、良子ちゃんの写真だよん♪ しかも私服の♡ 欲しい?」
瀬戸の目の前で、写真をひらひらさせる愛実であった。
「私服!?……くっ! そ、そんな誘惑に負けてたまるか……」
「ありゃりゃぁ~? 岬くん、のどから手が出ているよ~?」
愛実はそう言いながら、ポケットからチケットを2枚取り出す。
「この写真と、デート用の映画チケット2枚。引き受けてくれたら今渡すし、報告書を出したらあんたのこと、良子ちゃんの前でべた褒めしてあげるけどな~」
男・瀬戸岬も、遂に誘惑に屈してしまった。
「……やらせていただきます」
愛実はニコニコしながらチケットと写真を手渡すと言った。
「もう一度言うわ。目標はお嬢様の想い人である甘羽雄瑠さま。目的は、雄瑠さまが近頃、不可解な行動を取っているそうなので、その目的、行き先、顛末を調べること。Do You Understand?」
「あ、今回はちゃんと英語なんすね? 分かりました」
こうして、岩城家の執事である瀬戸岬は、探偵ごっこをさせられる羽目になったのである。それが彼に悲劇をもたらすとも知らずに……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2.瀬戸岬の尾行記録
以上のような経緯で、ぼく、瀬戸岬24歳は、甘羽雄瑠氏の調査をすることになったのである。なお、新参者のぼくであるが、これでも結構お給料はいい。
自分で言うのもなんだが、執事という職業柄、顔も平均よりは良いし、スタイルも悪くはない。気が利く方だとも思うし、現在絶賛彼女募集中なので、読者の方でぼくとのお付き合いを望まれる方は、作者当てDMを送っていただきたい(大嘘)。
仕事の方は、翼先輩がお邸関係で外向けの要務、ぼくはお邸の保守や使用人たちの管理が主で、デスクワークが多い。たまに外に出るのは、初瀬川メイドが買い物に出る時の付き添い(という名目の荷物持ち)だ。翼先輩と比べたら、確かにホワイトな職場だった。
だが、お邸の仕事もある中で、甘羽氏の素行を調べるのは思いのほか困難だった。
愛実メイド長から渡された資料を見ると、彼は大学4年生にしては結構多めに講義も取っていた。お嬢様が気に入るだけの男性らしく、知識欲は旺盛らしい。
それに、イラストレーターという職業を勘案すると、行動範囲は自宅、大学、出版社、ゲーム会社の周囲に限定されるものだと思っていた。
しかし、考えてみると、そんなルーティンの動きと違っているからお嬢様が気になさるわけで、実際ぼくは調査中ずっと、甘羽氏に振り回されることになる。
この仕事を請け負った次の日、早速朝6時から見張っていると、隣の部屋から出て来た女の子が、鍵を開けて甘羽氏の部屋に上がり込んだ。
(ははあ、今の子が、斎藤柚乃という甘羽氏の『妹分』か。朝早くに部屋にお邪魔するということは、朝食の準備かな? ちっ、うらやましいぜ)
と思ったらドアが開き、
「あ、お兄ちゃん、待って!」
そんな声が聞こえて来た。甘羽氏は、斎藤氏の声を振り切るように、階段を駆け下りると自動車に乗り込んでどこかに走り去った。
「しまった! 彼が自家用車を保有していることを、すっかり失念していた」
そう思ったが、後悔しても始まらない。時計を見たら午前7時10分だった。
ぼくはこの後どうすべきか考えたが、いい考えが浮かばない。
一瞬、斎藤氏に話を聞いてみようかとも思ったが、中ノ森メイド長からは『調査は極秘に進めること』ときつく言い渡されている。斎藤氏に話を聞けば、ぼくが動き回っていることを甘羽氏が知るかもしれない……そう考えて断念した。
とにかく、次の日も朝から甘羽氏を見張ることにして、自動車の駐車場所を探すことにした。甘羽氏の自動車が見えて、こちらの発進には気取られないような場所。できれば目立たなくて、駐車違反にならない場所がベストだった。
考えた末、ぼくは通勤に使っているオートバイで尾行することに決めた。250ccのバイクなら、アパートの陰に停まって駐車場の様子を見ておけばいい。
「……今日は出かけないのか?」
ぼくはバイクにまたがって時計を見ながら思う。愛実メイド長からもらった甘羽氏の講義予定表では、今日は午後からの1マスしか講義はないはずだ。
(……まあ、昨日の今日だからなぁ。これが仮に女の子に会っているというんなら、毎日なんて相当熱を上げていないとできないよな。ましてや自動車で出かけるほどの距離なら、もはや『浮気』じゃなく『本気』ってこともあり得るしな)
だとしたら、お嬢様にとっては酷な話だ。お嬢様はすでに甘羽氏を『恋人』として、奥様にも引き合わせているという。そして奥様もお二人の仲については容認されている。それがひっくり返るのだから……。
(お嬢様、また男性への不信感や恐怖心がぶり返したりはしないだろうな……)
ぼくはそんなことまで取り越し苦労して考えてしまう。だって、そんなことになったら、伊集院執事長から聞いていた『男女完全分離体制』が発令され、ぼくは初瀬川メイドとも会えなくなってしまうじゃないか!
(頼むよ甘羽氏~。君はそんな不誠実な男じゃないって証明してくれ~)
祈るような思いでいた僕の耳に、アパートのドアが開く音がした。
ふと目をやると、甘羽氏が出て来た。彼は今日も早朝から出かけるらしい。
(……とにかく、尾行けてみないと)
ぼくは、甘羽氏の自動車を追うように、バイクを発進させた。
甘羽氏の自動車は、国道をひた走って海岸沿いの道路へと向かう。そして海岸沿いに南に向けて走り続けた。
(……もうすぐ1時間か。結構遠くまで来たな)
そう思った時、甘羽氏の自動車が左ウインカーを出した。すぐ先には道の駅があるので、どうやら一休みするのだろう。あるいは待ち合わせかもしれないが、そうだったら男女どちらと待ち合わせしているか、気になるところだ。
甘羽氏は自動車を降り、朝食の代わりなのか饅頭屋でいくつか饅頭を購入する……いや、その数がやたらと多い! 20個は買っただろうか?
(……甘羽氏が甘党だとは来ていないぞ。斎藤氏へのお土産にしてはおかしいし……)
そう考えていると、一人の女性が甘羽氏に近付いてきた。セミロングの黒髪を耳の横だけ三つ編みにして後ろで留めている。目はパッチリして可愛い系の顔立ちで、甘羽氏の好みがお嬢様や斎藤氏のような女性だとしたら、彼の好みドンピシャだと言っていいだろう。
上はベージュのブラウスにモスグリーンのニットベスト、下はブラウン系のフレアスカート。白タイツに茶色のスニーカーという格好だった。
服装や見た目から年齢を推測すると20代前半、ひょっとしたら高校生かもしれない。
その女性は笑顔満開で甘羽氏と何か話しながら、彼の自動車に何の躊躇もなく乗り込む。傍から見たら、99パーセント『恋人同士の待ち合わせ』だった。
(うわぁ……お嬢様に何て報告すべきだろう?……困っちゃったなぁ……)
動かぬ証拠が必要なぼくは、二人が話をしている場面から自動車に乗り込む場面、そして甘羽氏の自動車が道の駅から発進する場面をスマホで録画し、すぐに後を追った。こうなったら、あの女性は何者で、甘羽氏とどんな関係なのかまで調べないと、お邸には帰れないような気がしたのだ。
尾行すること30分、時刻は午前9時少し前、甘羽氏の自動車は海が見える山の上に建つ旅館に乗り付けた。そして二人は自動車から降りると、連れ立って旅館の方へ歩いていく。
ぼくは、とんでもないことになったのではないかという思いがありつつも、事態を冷静に分析している自分がいることに気付いて少し満足する。
状況だけを見れば、これは甘羽氏が恋人を旅館に連れ込んでいるようにしか見えない。
しかし、二人の雰囲気は『恋人』というには少しよそよそしかった。仲が良さそうなのは確かだが、腕を組むでもなし、イチャイチャするでもなく、どっちかというと甘羽氏が女性に気を使っているように見えた。
それに、考えてみれば午前9時前にチェックインできる旅館などあまり聞かない。あの女性がこの旅館に連泊しているならまだしも、飛び込みでこんな時間に入れるものなのだろうか?
ぼくは念のためスマホでこの旅館のことを調べてみた。やはり、チェックインは午後3時以降になっている。それに旅館以外に食堂などを経営、併設しているわけでもない。
そして、15分ほどすると、甘羽氏は旅館の裏手から一人で戻って来て、自動車に乗り込むとそのまま帰路につく。ということは、あの女性は知り合いではあるだろうが、単にこの旅館まで送って来たということか?
(いやいや、もし女性側から送迎をお願いしたというのなら、かなり近しい間柄だぞ。甘羽氏が早朝から出発しても構わないと思っていることになるからな。
しかし、それほどまでに親しい女性がいるなんて、今まで話も聞いたことはなかったが……とにかく、お邸に戻って写真を確認してみよう)
ぼくはそう決めると、甘羽氏とは別のルートを通ってアパートに先回りする。斎藤氏はすでに大学に行ったらしい。やがて11時過ぎに甘羽氏が一人で部屋に戻って来たことを確認して、ぼくはお邸に帰った。
執事控え室で写真を確認したところ、件の女性は、甘羽氏の部屋に時々やって来る知り合いの女性でもないことが分かった。
「……だからといって、この女性を調べる方法もないしなぁ……」
ぼくがパソコンの前で肘をついていると、先輩執事の高井翼さんが画面を見て冷やかしてきた。
「おい、岬。それって彼女か? すげー可愛いじゃん。だけど、仕事中に彼女の写真見てサボるなよな」
「あ、いえ。翼先輩、これは彼女とかじゃなくてですね……」
ぼくは慌てて事情を説明しようとした。その時、間が悪いことにドアが開いて、初瀬川さんが入って来た。
「いやいや、照れなくてもいいじゃないか。なぁ初瀬川さん、この子、可愛いよな?」
翼せんぱーい! 初瀬川さんだけには話を振るのを止めてほしかったですぅ~(´;ω;`)
初瀬川さんは、チラリと画面を見て答えた。
「はぁ、可愛らしいお方ですね。どちらの方でしょう?」
「岬の恋人ちゃんじゃないか? 今日出勤してからずーっと、この子の写真ばっかり見とれているから。初瀬川さんからも、真面目に仕事しろって言ってやってくれよ」
ぼくが説明する前に、翼先輩が勝手なことを言ってしまった! 途端に初瀬川さんの顔から笑みが消え、ぼくを冷え冷えとした目で見て、
「ほぉ~ん。彼女さん、ですかぁ~。瀬戸さんって、見た目どおりチャラい方なんですね?
ふぅ~ん、そっかぁ~」
そう言いながら部屋を出て行こうとして、ドアの前で立ち止まり、僕を振り返って、
「瀬戸さんのばかっ!」
そう言い捨てて、メイド部屋の方に走って行ってしまった。
「/(^o^)\……」
ぼくが茫然としていると、翼先輩がぼくと開け放たれたドアを交互に見て、
「えっと、俺、何かマズいこと言った?」
そう言って、放心状態のぼくに話しかけて来た。
「/(^o^)\……(´・ω・`)……( ;∀;)……( ノД`)…」
「おい岬、顔文字でしゃべるな。なんとか言え」
放心状態のぼくは、翼先輩から肩をゆすぶられて正気に戻り、
「……翼先輩、この女性は、例の愛実メイド長からの依頼の件で、ぼくが甘羽氏の尾行先で撮影した方なんですよ……。甘羽氏の交友関係にない方だったんで、どんな方なのかをどうやって調べようか考え中だったんです」
やっと我に返ったぼくがそう説明すると、翼先輩は心底済まなそうな顔をして、
「あ、それは済まなかったな。俺はてっきり、お前が初瀬川さんを諦めて新しい恋を見つけたのかって勘違いしたもんだからさ」
そう謝る。まあ、だからといって、わざわざこの写真を初瀬川さんに見せなくてもいいじゃんかとは思うが。
「……待てよ? もしこの女性が、甘羽氏の新しい恋人だったとしたら、大変なことになるじゃないか!」
翼先輩はそう言うと、慌てて伊集院執事長や中ノ森メイド長に連絡を入れた。
「お嬢様の交際相手に、浮気疑惑が浮上!? それは由々しき事態です!」
翼先輩の報告を聞いて、お邸の使用人を束ねる小松原チーフまでやって来た。ここに居ないのは、旦那様と共に出かけている日向先任執事だけだ。
「ふむ、この方ですか、甘羽様の浮気相手かもしれないという女性は。中ノ森さん、あなたもこの女性には見覚えがないのですね?」
「はい、少なくとも甘羽氏の周囲や自宅周辺、会社の周辺で見かけたことはございません」
「……居酒屋やファミレス、ファストフード店、コンビニ、本屋など、甘羽氏が立ち寄りそうなお店の従業員とかでは? 瀬戸、調べてみた?」
奥様専属メイドの小田切が聞いて来る。ぼくはジト目で彼女を見て聞き返した。
「あのな小田切、今お前が言ったお店、大学周辺だけでも何件あると思ってる?」
「にゃるほど、まだ調べていにゃい、と」
「当たり前だろ? この女性を見たのは今朝が初めてなんだ。それからまだ2時間も経っていない。どーやって調べろって言うんだ!?」
「いやさ、瀬戸ってしょっちゅう女漁っているから、あっちこっちの女性店員の顔とか覚えてるんじゃないかなーっと?」
「いやいや、ぼくがいつ、女の子を物色して街のお店を回ったんだ? それよりこの子の素性を知るいい方法はないのか?」
「……雄瑠さまご本人か、柚乃さん辺りに聞けばいいのでは?」
初瀬川さんがおずおずとそう提案する。まぁ、今現在、それ以外で実効性ある方法は、正直頭に浮かばない。
「……そうですね。中ノ森さん、悪いですが斎藤様を呼び出してくれませんか? あなたは確か斎藤様とも仲が良かったですよね。この写真の女性のことを聞いてみてください」
小松原チーフが言うと、中ノ森メイド長は笑って請け合った。
「分かりました、お任せください」
「もし、斎藤様も知らない女性だった場合は、斎藤様とも連携を取りましょう。条件は中ノ森さんに任せますが、お嬢様には傷がつかないよう、お願いしますよ?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
3.柚乃のお悩み記録
わたしが大学から帰って来た時、アパートの前には豪☆ジャス☆なリムジンが停まっていた。言わずと知れた、ことりさんの家の自動車だ。
それを見た時、わたしは、
(あぁ、またことりさんがお兄ちゃんにちょっかいかけに来ているんだな)
と、ちょっと不愉快に感じたが、案に相違して中ノ森さんというメイド長がドアの前でわたしを待っていた。
「こんにちは、斎藤柚乃さん。岩城家のメイド長、中ノ森愛実です。2時間ほど、お時間をいただいてもよろしいですか?」
えっ? お兄ちゃんじゃなくて私に用事!? 一体どんなことだろうと身構えてしまう。だって、愛実さんが来たということはことりさんが遣わしたに違いなく、ということは……
「……柚乃、お兄ちゃんとは絶対に別れませんからねっ!? 諦めるのはことりさんの方ですからねっ!?」
わたしはそう言った。だってそれ以外にわざわざ私に用事って考えられなかったから。
しかし、愛実さんは苦笑しながら首を横に振る。
「いえ、その件ではございません。別の用事で、雄瑠さまには内密のことです」
「……あのぅ、柚乃、お兄ちゃんの夕飯を用意しないといけないんですが?」
「その件はご心配に及びません。先ほど武葉さまとお話しいたしまして、夕飯は武葉さまが用意されるとのことでした。
柚乃さんも、雄瑠さまに用意して差し上げたいというお気持ちなのは重々分かっておりますが、枉げて話を聞いていただければ幸いです」
……うん、愛実さんは愛実さんで、お兄ちゃんやわたしのスケジュールを把握しているようだ。それなら言い逃れは効かないし、話というものにも興味がある。
「分かりました。お話をお聞きします」
わたしはそう言うと、愛実さんと共にリムジンに乗った。
「それで、話っていうのは?」
わたしが聞くと、愛実さんはスーツのポケットから一枚の写真を取り出して私に見せる。20代前半か……お兄ちゃんと同年代くらいの女性が笑っている。
「その女性、柚乃さんのお知り合いではございませんか?」
愛実さんからそう聞かれて、わたしは改めて写真の女性をじっくりと見る。その女性は、ベージュのブラウスにモスグリーンのニットベスト、下はブラウン系のフレアスカート。白タイツに茶色のスニーカーという格好だった。
(あれ? どこかで見たような気がするけれど、気のせいかな?)
わたしは一瞬そう思ったが、こんな美人、武葉さんや椎葉さん、それにことりさんや春香さん以外、すぐに思い当たる人物はいない。
「……この女の人、誰でしょうか?」
わたしが首を横に振りながらそう言って写真を返すと、愛実さんは硬い表情でわたしに確認するように、
「柚乃さん、この女性とお知り合いではないんですね? 本当に見覚えもありませんか?」
重ねて聞いて来る。何度も聞くなんて、この女性がどうしたっていうのだろう?
「……う~ん、ちょっと見覚えはありませんね。なんか見たことがあるような、ないような……思い出せないから、街中で見かけた女性だとか?」
「そうですか。お手間おかけしました」
私が『知らない』と答えると、愛実さんは硬い表情のまま写真をしまい込んだ。そんな愛実さんにわたしの方からも質問を投げかける。
「愛実さん、その女性は誰ですか? そしてなんで柚乃の所に?」
すると愛実さんは、誰が聞いているわけでもない車内であるにもかかわらず、声を落として言った。
「柚乃さん、ここ数日、雄瑠さまに変わった様子はございませんか?」
「えっと、まぁ確かに、変な時間に外出したり、柚乃に黙ってどこかに出かけたりすることが多いけど……」
わたしが答えると、愛実さんは『やはり気づいていましたか』という顔でうなずき、
「お嬢様も気にされています。ひょっとして妙な事件に巻き込まれてはいないかと。
それで内々に調査をしたところ、先ほどの女性と海沿いの道の駅で会っていらっしゃるようで……」
それを聞いて、わたしは一瞬頭の中が真っ白になった。お兄ちゃんが柚乃に黙って、あんな美人さんと会っているなんて!
「……あはは……それ、何かの間違いじゃ?」
力なく引きつった笑いを浮かべるわたしに、愛実さんが容赦ない一言を放った。
「いえ、うちの執事が確認していますし、写真も撮っています」
「……うっぷ!?」
急に吐き気が襲ってきたわたしは、思わず座席に突っ伏してしまう。愛実さんは察し良く、エチケット袋をわたしに渡しながら、背中を撫でてくれた。
「……お気持ちお察しいたします。ですが、まだはっきりと浮気だと断定しているわけではございません。相手のお方が何者なのか、私たちもつかんでおりません。
ですから、柚乃さんにも、あの写真の女性についての調査へのご協力をお願いしたいのですが?」
「やる!」
愛実さんの依頼を、わたしはすぐにOKした。
(……とは言っても、お兄ちゃんに直接聞くのも怖いなぁ。騙す姿勢がバレバレだったり、開き直って逆切れされたりしたら、柚乃、もう男の人なんて誰も信じられなくなりそう。どうしたものかなぁ?)
わたしは悩みながら、暗い顔でお兄ちゃんの部屋の鍵を開ける。
(あ、そう言えば、今日はお兄ちゃん遅くなるって言っていたっけ。電気が点いているからつい癖でお兄ちゃんの部屋に寄っちゃうんだよね)
ため息と共に苦笑いが出る。ドアを開けたら、栗色のセミロング、鳶色の瞳をした20歳くらいの女性が、わたしを見て声をかけてくれた。
「おかえりなさ……柚乃さんですか? どうしました、思いつめた顔をして?」
わたしはふと、
(神様である武葉さんなら、お兄ちゃんが誰と会って、何のために何をしているのか判っているかもしれない)
そう思いつき、
「あのね、武葉さん。近頃お兄ちゃんの様子がおかしいことに、気づいていましたか?」
そう聞いてみた。
武葉さんはわたしの顔をじっと見つめ、ニコリと笑うと
「雄瑠さんがしょっちゅう早朝から外出している件ですね? 私もすぐ気付きましたが、別に浮気などというわけではありませんよ?
私が勝手に雄瑠さんを尾行した結果のことですので、雄瑠さんの許可がない限り内容は申し上げられませんが……」
そう言ってくれた。
確かに、勝手にお兄ちゃんの後をつけ、その行動の全貌を把握したのなら、いかに武葉さんでも勝手にその内容を他人に話すわけにはいかないだろう。まぁ、もともと武葉さんは他人の秘密をペラペラしゃべる人じゃない。そこはさすが神様だと尊敬している。
かと言って、お兄ちゃんに聞くわけにもいかないというのも分かる。だって柚乃がお兄ちゃんの立場だったら、自分を信用していないから後をつけたと思ってしまうだろうから。
「……心配なら、柚乃さんが聞いてみられてはいかがですか?」
武葉さんはニコニコしながらそう言う。その表情から、少なくともお兄ちゃんが浮気をしている可能性はゼロだと確信した。
「武葉さんが落ち着いているみたいですから、柚乃もお兄ちゃんを信じて、何も聞かないことにします。何も話してくれないのは、話すべきことじゃないからなのか、まだ話せないことだからなのか、話したくないことだからなのか、それは分かりませんけど」
わたしがそう言うと、武葉さんは微笑みながらうなずいて言った。
「それでいいと思いますよ? 私も、たまたま雄瑠さんの秘密を知ってしまいましたが、できれば知らぬふりを続けたいと思っていますから」
その日、僕が柚乃と学食で昼食を摂っていると、
「雄瑠さん、相席してよろしいですか?」
B定食のトレイを持って、ことりさんと春香さんがやって来た。
「ああ、僕は構わないけど……」
そう言ってちらりと柚乃を見ると、柚乃も笑みを浮かべて、
「あ、ことりさん、春香さん。どうぞ」
二人の相席に同意した。
ことりさんと春香さんは、僕たちの向かいの席に座ったが、いきなり春香さんが僕にジャブを放ってきた。
「ねえ雄瑠っち、今度の土曜さぁ、ダブルデートしない?」
……これ、ストレートだと思う読者さんもいるだろうが、彼女の真意は『デートしたい』ってことじゃなかった。つまり、彼女にとってはジャブだったのだ。
「ダブルデート? 僕と春香さんで? 後の一組は?」
僕が言うと、春香さんは慌てて顔の前で手を振り、
「違う違う! 雄瑠っちてば何ナチュラルに、ことりの前であたしをナンパしてんの!?
そーじゃなくて、あたしと光弘、雄瑠っちとことりのダブルデートだよ!」
そう言う。僕は思わずことりさんや柚乃の顔を見る。こんな場面では、二人とも決まってご機嫌が悪くなるからだ。
だが、柚乃はため息をついて呆れた表情を浮かべているし、ことりさんはことりさんで、何か僕に言いたいような顔をしたものの、スンと無表情になって料理を口にした。
(あれ? 二人とも、変な反応だな?)
「で、どうなの?」
春香さんがずいっと詰め寄って来る。何だかいつもより押しが強い気がするのは僕だけだろうか?
「えっと、土曜日はちょっと用事があって……」
「誰と何をするんですか?」
僕の答えに、ことりさんが能面のような顔で聞いて来る。え、何か怖い。
「えーと、ことりさん。何か僕、気に障ることしましたか? 何か怒っているみたいですけど?」
僕が訊くと、ことりさんは表情をまったく動かさず、
「誰と、何を、するんですか!?」
同じ言葉を今度は一語一語、力を入れて訊いて来る。僕は思わず柚乃に助けを求めた。
「ゆ、柚乃、ことりさん、どうしちゃったんだ?」
すると今度は、柚乃までもがジト目で僕に言うではないか!
「お兄ちゃん、やましいことがないなら、誰と何をするのか、正直に話しちゃった方がいいと思うよ?」
僕は困ってしまった。まあ、近頃はある女性と会っているのだが、それは外ならぬ柚乃のためでもあって、今は僕の口から詳しいことが言えないのだ。
かと言って変に噓を吐いても、どうせ後から本当のことが分かるのだから、結果的に柚乃やことりさんを傷つけることになるだろうし……。
「……わたくしたちに言えないことなんですか? やっぱりやましいことなんですね?」
ことりさんは、目のハイライトを消して迫って来る。僕の様子を見て、春香さんまでもが、怒りの形相で詰め寄って来た。
「雄瑠っち、あたしはいつか言ったよね!? ことりを泣かせたら許さないって! 何、あんた、浮気でもしてんの!?」
「い、いや、別に浮気とかじゃ……」
「だったら、男らしく誰とどこで何をしているのかを言いなさいよ! 浮気じゃなかったら言えるはずでしょ!?」
春香さんに詰められて困ってしまった僕を、柚乃が助けてくれる。
「そんなに話したくないんだ? じゃ、浮気かそうでないかだけ聞かせてもらっていい?
柚乃はお兄ちゃんの言葉を信じることにするから」
ことりさんと春香さんは、僕をじっと見ている。春香さんは疑いと怒りを表情に露わにし、ことりさんは心配と信頼の色をその目にたたえている。
僕は観念して、今言えるところまで柚乃たちに話すことに決めた。
「分かったよ。信じてくれてありがとう。実は今、詳しいことは話せないけれど、人と会っているのは確かだよ」
「女性ですよね!?」
ことりさんが詰め寄って来る。まぁ、ここで嘘を吐いても仕方ないので、僕はそれも認めることにした。
「……うん、女性だけれど、決して恋愛感情があるとか、そういうものじゃないから」
「だったら、そのお方のお名前を教えてくださいませんか?」
ことりさんは諦めない……これは困った。名前を言ってしまったら、柚乃は僕が何のために彼女に会っているのか、おおよそを推察してしまうだろう。
「……ごめん、ことりさん。教えられないんだ。だって彼女の迷惑になるから」
「浮気じゃないなら、相手だって迷惑しないんじゃない? それとも他に言えない理由でもあるの? どう、お兄ちゃん」
柚乃はナイスアシストしてくれた。
「……うん、実はちょっとサプライズを計画していてね。だから相手の名前を言ってしまえば、誰に何のサプライズをするのかが分かっちゃう可能性があるんだ。
ごめん柚乃、ことりさん。そういうことだから、今は何も言えないんだ」
ことりさんは残念そうにしながらも、さらに重ねて聞いてきた。
「むぅ……では、一つだけ聞かせてください。雄瑠さんがサプライズを考えている相手は、男性でしょうか? それとも女性でしょうか?」
……うん、この質問にも困ってしまう。だって僕がサプライズしたかったのは柚乃だったから。だから答えは『女性』なんだが、そう言ってしまうと、今、僕のことを信じると言ってくれた柚乃ですら心穏やかではいられないだろう。
僕の困った顔を見て、ことりさんは察したように、悲しそうな顔をして立ち上がると、
「……雄瑠さんの態度で判りました。女の方なんですね?」
そう目に涙をためて言い、学食を出て行ってしまった。
「雄瑠っちぃ~↑(怒)……」
僕は、背後に春香さんの怒りに震える声を受けて恐怖した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
4.雄瑠の秘密とお人好し
「……武葉さん、ちょっと相談がありますけど」
ことりさんや春香さんから詰められた日の夜、僕は思い切って武葉さんに秘密を打ち明けることにした。
とは言っても、僕や柚乃やことりさんのここ数日の動きは、彼女はとっくの昔に気付いているだろうし、何なら僕が何を相談したいかすら分かっている可能性だってある。
案の定、武葉さんは洗い物の手を止めて、
「雄瑠さんが近頃密会している女性のことでしょうか?」
そう聞いて来る。
「み、密会って言い方は止めてくださいよ。僕は彼女に対する恋愛感情はないんですから」
「でも、私や柚乃さんに隠れてこそこそ会っているのは確かでしょう?」
……武葉さんからそう言われると身も蓋もない。実際そのとおりだからだ。
「えっと、実は柚乃にサプライズを考えていまして……」
観念した僕は、武葉さんにはすべてを打ち明けることに決めた。武葉さんはにっこりと笑ってうなずく。
「柚乃さんの誕生日のサプライズでしょうか?」
「あ、知っていたんですね?」
そのとおり、もう1週間ほどで柚乃は19歳になるのだ。僕は毎年、何らかの形で柚乃を祝ってきたが、今年はちょっと変わった趣向で彼女の誕生日を祝いたいと思っていた。
「……それで、いったい何を考えていらっしゃるのですか?」
武葉さんがニコニコしながら聞いて来る。僕と柚乃がお世話になった施設周辺にある神社の祭神、武羽槌命である彼女のことだ、もうすべてを知っている可能性だってあるが、要は、僕自身から聞きたいのだろう。
「話は、ひと月ほど前に遡るんですが……」
そう言って、僕は『秘密』を打ち明けた。
あれは、僕が講義を終えて正門へと歩いている時だった。急に後ろから、
「あれ、雄瑠さん?」
そんな声が聞こえて来たので、立ち止まって振り向いた。
「あ、やっぱり雄瑠さんだ☆」
僕が待っていると、黒髪をボブカットにした女の子が駆けて来るところだった。はて、僕には見覚えがない女の子だ……。
僕が不思議そうにしているのが分かったんだろう、その子は僕の前まで来ると、にこりと笑って自己紹介した。
「雄瑠さん、うち、音無菜都緒。うちのこと覚えていますぅ?」
おとなし、なとお……なとお……その名を聞いて、僕はすぐに思い出した。
「あぁ、北大西洋条約機構……」
「誰がNATOですかっ!? 菜都緒です、な・と・お!」
彼女はそう突っ込んだ後、すぐにニコッと笑い、
「……まぁ、そう呼んでくれるってことは、少なくとも忘れられてはいなかったってことですね? よかった。柚乃ちゃん元気ですか?」
そう明るい笑顔で聞いてくれる。
この子は、僕や柚乃がいた施設の園長先生の娘で、この子の兄が事故死したという園長先生の息子さんだ。だから彼女は一時期、僕を兄のように慕ってくれていた。
柚乃が来てからは柚乃に遠慮して、あまり僕とは関わらなくなっていたが、それでも幼少時に仲の良かった人物の一人だ。
「あれ、知らなかった? 柚乃は今年、食物栄養学部に入学したんだけれど。元気にしているよ」
僕が教えると、菜都緒ちゃんは目を見開いて楽しそうに言った。
「ええっ? そうなの!? うち知らなかったなぁ。じゃ、柚乃ちゃんうちの後輩だー♪」
「え? 菜都緒ちゃんも食物栄養?……君がこの大学にいるってこと、知らなかったよ。
施設長先生も何も教えてくれなかったし、知っていたら柚乃のこと頼みに行ったのに……」
僕が言うと、菜都緒ちゃんはちょっと寂しそうな顔をして、
「あ、うん。うち、ちょっとお母さんと意見の相違がございまして、今は叔母さんちに住んでいるんだ。旅館だから料理の手伝いもできるし」
「あ、そうなんだ」
なんか深い事情がありそうだ。ここは当たり障りのない返事をしておこう。すると、菜都緒ちゃんは何を思ったか、急に僕の腕を取って言う。
「そうだ、雄瑠さん。うちの旅館に来てくれない?」
「え!? 急にどうしたの!?」
僕は彼女から引っ張られながらもそう聞く。いくら幼い時に知っていた間柄とはいえ、僕が施設を出てからの4年間は完全に音信不通で、最後に彼女と話をしたのは確か僕が中学3年生くらいの時じゃなかっただろうか?
僕が一目見て判らなかったんだから、彼女はずいぶん変わっていた。外見だけでなく、恐らく内面も……だから僕から言わせてもらえば、彼女は『幼馴染』ではなく『昔知っていた女性』だ。そんな子から急に自宅を案内すると言われても、戸惑いしかない。
「ちょ、菜都緒ちゃん。急に『うちに来て』って言われても困るよ」
「大丈夫ダイジョウブ。雄瑠さん、何度か叔母さんとも会ったことあるでしょ?」
「いや、それも僕が小学生くらいの時の話でしょ!?」
菜都緒ちゃんは見た目と違って力が強い。おまけに僕は袖口をしっかりとホールドされているので逃げようがない。とうとう大学の駐車場に連れられて行き、彼女の車に半ば強引に乗せられてしまった。
「あらあら、いらっしゃい♪」
菜都緒ちゃんが住んでいるのは、『永楽荘』という古い旅館の離れだった。この旅館は施設長先生の実家で、今は施設長先生の妹さんが女将となって経営している。
女将さんは、僕のことを覚えてくれていたようで、菜都緒ちゃんが僕を突然連れてきたにもかかわらず、満面の笑みで迎えてくれた。
「雄瑠くん、ずいぶん大きく立派になったわね。柚乃ちゃんだっけ? 彼女さんはお元気?」
はて、ずいぶんと会わなかった割には、僕の近況なんかもご存じのようだ。僕がそう思って不思議がっていると、女将さんは笑って種明かしした。
「ふふふ、雄瑠くんと柚乃ちゃんのことは、姉さんから聞いて知っているの。
雄瑠くんたち、年に何回も姉さんのところに顔を出してくれているんでしょう? 姉さんとても喜んでいるわ。
いつも姉さんが話してくれるから、雄瑠くんの近況もある程度知っているのよ」
「あ、そうなんですね」
その時、菜都緒ちゃんが僕の手を引いて言う。
「雄瑠さん、うちの部屋でちょっと話そう? 相談したいこともあるし、いいよね?」
僕は女将さんの顔を見る。その表情に少しでも不快な色が浮かんだら帰るつもりだった。
いかに施設長先生から話を聞いていたとしても、実際に会うのは久しぶりだし、僕も菜都緒ちゃんもお互い妙齢になっている。二人きりで部屋にこもるには関係性が薄い。
だが、女将さんは笑って言った。
「雄瑠くん、菜都緒の話を聞いてあげて。なかなか赤の他人には話しづらいことでもあるみたいなの。その点、雄瑠くんには今もって気を許せるみたいだから」
そう言われると仕方ない。僕は覚悟を決めて菜都緒ちゃんの部屋に上がらせてもらった。
菜都緒ちゃんの部屋は、僕が知っている女の子……例えば柚乃やことりさん……の部屋とはかなり変わっていた。
まず目を引いたのが、壁一面に張られたスイーツの写真だった。よく見てみると、それには年月日と店の名前、そしてスイーツの名前と値段、菜都緒ちゃんの感想がびっしりと書いてあった。
「ああ、それ? うち、お菓子職人になりたいんだ。だから大学でも食物栄養に進んだんだ。お母さんは総合福祉に進んでもらいたかったみたいだけれど……」
写真に目を奪われている僕の背後から、菜都緒ちゃんがそう言う。どことなく寂しそうな声だった。
「……菜都緒ちゃんと施設長先生の『意見の相違』って、そのこと?」
僕が聞くと、菜都緒ちゃんはこくりとうなずく。さっきまでの元気はなくなり、思い悩んでいる顔になっている。
「……うちさぁ、お母さんの言うことも解るんだ。この世界で生きていくのは大変だもんね? でも、お母さんを小さい時から見ていると、福祉の仕事も大変なんだって思うんだ。
雄瑠さんは総合福祉なんでしょ? なんでその道を選んだのか、聞かせてもらっていい?」
菜都緒ちゃんが真剣な顔で聞く。僕はうなずくと、笑って答えた。
「僕の場合は、自分が施設出身だからってのもあるけれど、やっぱり僕みたいな子どもと関わり合いたいってのが一番かな。
どんな道も苦労と喜びがあると思うけど、喜びの量が苦労より大きければそれでいいと思うし、児童福祉ってそう思えるほど好きな分野なんだろうね。僕にとって」
「苦労と喜びかぁ……」
「柚乃もさ、かなり進学の時は悩んだみたいだ。最初は僕と同じ総合福祉を志望していたんだけれど、いろいろあってね?
でも、柚乃に言わせれば、福祉も料理も『人を喜ばせる』という点で同じじゃないかって思ったそうだ。それで、より興味を持った食物栄養に進んだみたいだよ」
僕がそう言うと、菜都緒ちゃんはぽつりと、
「そうかぁ……一度、柚乃ちゃんとお話ししていたいなぁ」
そう言う。そこで僕はひらめいた。
「柚乃、もうすぐ誕生日なんだよね」
「えっ?」
「どうだろう、柚乃の誕生日会で、何か料理を作ってくれないか?」
「そ、それは構わないけれど。雄瑠さん、何を考えているの?」
訳が分からない、という顔で聞いて来る菜都緒ちゃんに、僕は笑って言った。
「その誕生会に、施設長先生も招待したいと思うんだ」
…………
「……なるほど、その菜都緒さんの料理を食べてもらうことで、彼女の夢に賭ける本気度や、彼女の現状を理解してもらいたいと……それにしても……」
話を聞いた武葉さんは、困ったような顔をしてため息をつき、
「……雄瑠さんは本当に、お人好しなんですね? 誰にでも優しいから、柚乃さんやことりさんが嫉妬してしまうんですよ?」
そう言って笑う。
「いや、誰にでも優しいわけでは……」
「いえ、優しいですよ、雄瑠さんは。でないと、私の神社を掃除しようなんて思ってはくれないです。私も、そんな雄瑠さんの優しさで嫉妬してしまうときもありますが、それが雄瑠さんの魅力だと思えば、許すこともできます」
おっかぶせるようにして言う武葉さんに、僕は何も言えなくなる。そんな僕を見て、武葉さんは笑って言ってくれた。
「そう言う経緯なら、菜都緒さんの名前を出すわけにもいかないですね? 了解いたしました、私が柚乃さんとことりさんに話をして差し上げましょう」
お兄ちゃんがことりさんたちから詰められた次の日、わたしは武葉さんから『猫男爵』に呼び出された。
武葉さんってば、洋服を着ることを覚えて以来、ちょくちょくこの店に来てはケーキセットに舌鼓を打っているらしい。そんな話を聞くと、わたしは武葉さんを『神様らしくないなぁ』と可愛らしく思ったり、『はっ! ただでさえ美人の武葉さんが、これ以上可愛らしくなったら、お兄ちゃんがガチで惚れちゃう!』と危機感を抱いたりするのだ。
カランカラン……
カウベルを鳴らして店に入ると、マスターがわたしを見てニヤリと笑い、
「いらっしゃい柚乃ちゃん。あの美人さんたち、奥のボックス席で待っているみたいだよ?」
そう言ってくれる。うん?『美人さんたち』?
わたしが奥のボックス席を見ると、武葉さんの栗色セミロングの髪だけでなく、手入れの行き届いた長い黒髪が見える……ということは、ことりさんも呼び出されているの?
私が不思議に思いながら席に近付くと、こちらを向いて座っていた武葉さんが、笑って呼び掛けて来た。
「柚乃さん、お待ちしていました。どうぞお座りください」
「はい……」
わたしが席に着くと、武葉さんは笑顔のまま言う。
「勝手にケーキセットを頼んじゃったけれど、よかったかしら?」
「あ、別に構いません。マスターのケーキ、どれも美味しいから……それより……」
私が言いかけると、武葉さんはうなずき、ことりさんを見ながら
「はい、近頃の雄瑠さんのことでお話があります。これは私が雄瑠さんご自身から直接、事情を聞き取ったものですから、内容については信用してください」
そう前置きして話し出した。
「雄瑠さんから話していいと許可をいただいた範囲でお話しいたしますね?
まず、雄瑠さんがここしばらく頻回に会っているのは女性ですが、その女性には恋愛感情はお持ちではありません。名前や目的を今は明らかにできない理由については、ことりさんには先ほどお話ししましたが、当日まで秘匿せねばならない事情があるからです」
すると、ことりさんはため息をついてこぼす。
「まったく、最初っから説明していただければ、わたくしだって秘密は守りましたのに……雄瑠さんってば水臭いんですから」
「まぁ、事情が事情ですから……敏い柚乃さんならお判りでしょう? ことりさんには話せて、柚乃さんに話せない事情は」
武葉さんが、いつくしむような眼でわたしを見ている。でも、やはり『わたしには話せない』と言われたら仲間外れにされたようで面白くない。
「……武葉さん、以前はお兄ちゃんが浮気しているわけではない、って言ってましたよね?
けど、お兄ちゃんが柚乃の知らない、あんな美人さんと会っている理由を、柚乃にだけ話せないって言われたら、『やっぱり浮気じゃ?』って思っちゃいますけれど?」
わたしが少しふくれっ面で言うと、武葉さんは困ったように笑って、
「気持ちは分かります。じゃ、雄瑠さんには悪いけれど、柚乃さんにはヒントを差し上げますね? そのヒントは、『もうすぐ何がありますか?』ということと、『あの女性は柚乃さんも知っている方です』ということです」
武葉さんが出してくれた一つ目のヒントを聞いて、わたしにはお兄ちゃんが何を考えているのか判った。
「……もうすぐ、柚乃の誕生日……」
武葉さんはニコニコして笑っている。ことりさんも笑いながら、
「あーあ、雄瑠さんのせっかくの苦心が……でも、楽しみにしておいていいと思いますよ?」
そう言ってわたしに目配せをする。
だが、わたしはあの美人さんに面識はない……と思う。でも、武葉さんが『知っている方』というからには、わたしもどこかで彼女と会ったことがあるのだろう。
「あの女性については、当日のお楽しみということにいたしませんか? 少なくとも、浮気ではないことは確定しているのですから」
武葉さんはそう言って、レアチーズケーキを口にする。
「そうそう♪ わたくしも武葉さんから話を聞いて、悩んでいたのがバカバカしくなりました。そもそも、雄瑠さんのような誠実なお方が、浮気なんて不誠実なことをされるわけありませんもの♡ 雄瑠さんには遺伝子的に浮気本能はないはずです♡」
ことりさんが、何か物凄いこと言ってアップルパイを食べている。
でも、考えてみれば、お兄ちゃんってこの三人に対しても誠実であろうとしているよね。
少なくともわたしは、武葉さんやことりさんがいるってことだけで、お兄ちゃんの気持ちを疑うような気にはなれない。お兄ちゃんのわたしに対する態度は、施設にいる時から今までずっと変わらなかった。
(大切にはしてもらっているんだよなぁ……これが恋人とか、奥さんって立場で大切にしてもらっているんなら、言うことないけれど。でも、きっと、柚乃が卒業する頃には、お兄ちゃんも答えを出してくれるはずだよね?)
わたしはそう考えて、あの美人さんのことはこれ以上考えないことにした。
……誕生日が楽しみだなぁ……。
【第12話 浮気調査はお任せを 終わり】
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
新たに、施設長の娘さんである音無菜都緒ちゃんが登場しました。
柚乃ちゃんは『一途な妹属性』、武葉さんは『献身的なお姉さん属性』、ことりさんは『ちょっと叡智なヤンデレ属性』と、多様なヒロインを取り揃えている本作でございますが、今回登場の菜都緒ちゃんはどんな属性なんでしょうか?
今のところ、雄瑠くんへの恋心なんかは確認できませんが、施設長の娘さんってことは、柚乃ちゃんよりも前から雄瑠くんを知っているはずですので、それなりに特徴的なヒロインとして活躍してくれることでしょう。
さあ、最終的にはいったい何人のヒロインが爆誕するんでしょうか。次回もお楽しみに。




