胎動の刻―侵食の叫び『死神②』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『死神②』
小川の岸辺は、細かな砂利に覆われていて走り難い。細かい石の角は取れて丸くなってはいるが、肉球の間に挟まって痛いのだ。
それでも、先を急ぐ。砂利道を跳ねるようにして駆ける。
嫌な予感がする…胸がざわついて、急げ!と、何かが訴えかけてくる。
私は、立ち止まり血の匂いを確認した。
…川辺から逸れた。向こうの林の中だ!助走を付けて、小川をジャンプして越える。そのままの勢いで、薮の中へ突っ込んだ。
耳には私を追いかけてくる足音が届く。ふたつ…九尾と氷もこっちへ向かっているのだろう。
近い!何処…!?
身体に刺さる薮枝を気にしてる余裕も無く、傷を負っている株を探す。
そして…薮を抜けた木の根本に、血塗れて倒れ込む株を見つけた!
その姿を確認して、私は息を飲んだ。
どうしよう…なんで、なんで…。
一瞬だけ目の前が暗くなるが、必死に気持ちを立て直す。駄目だ、悲観している暇はない。
私は、目一杯息を吸い込むと、一気に吐き出すように声を張り上げた。
「九尾ーっ!早くっ、来て!!銀朱が…銀朱がっ!!」
木の根本には、血の気を失った銀朱が倒れていた。血の匂いが強い…かなり出血しているみたいだ。
何で、銀朱が…。どうして銀朱が倒れているの?
身体が、ブルブルと震え出す。
考えちゃ、駄目だ。恐怖で動けなくなってしまう…。まだ知り合ったばかりだけど、知った顔が冷たくなっていくなんて…耐えられない。
私は、崩れそうな身体を必死に支えながら、恐る恐る銀朱の傍に寄った。
血の気を失った白い顔…飛び散った血がその頬を汚している。
震える前脚で、その頬に触れると…ほんのりと温もりを感じる事が出来て、ホッとした。
大丈夫…大丈夫…温かい。まだ生きてる。ちゃんと息をしている。…急げば間に合う。
頬に添えた肉球に気付いたのか、硬く閉ざされた睫毛が震えて…銀朱は微かに眼を開いた。
「銀朱っ!!」
九尾が薮から飛び出して、銀朱の身体に覆い被さる。ゆっくりと仰向けにすると、傷の確認をした。
脇腹に刺し傷と、胸元から肩口にかけて切り裂かれている。
出血が多いのは脇腹の刺し傷だ。
九尾は銀朱の脇差しを引き抜くと、迷いなく自分の着ていた浴衣を切り裂いた。その布を脇腹の傷に押し当てる。
「…氷…お前がやったのか。」
怒りが籠った九尾の声…。まるで地の奥底から響くように、強く低い声だった。
「…兄貴ぃ。さっきオレが話した事を聞いてました?
情けとか捨てないと。非情にならないと『死神』に戻れませんよ?」
「黙れ。」
九尾は氷を見る事なく、その軽口を遮る。
「聞いた事にだけ答えろ。お前が、銀朱をやったのか。」
今まで聞いた事がない…九尾の声。その怒りは、とても静かで。例えようのない圧を生み、容赦なく氷を責めたてている。
微かに、氷の頬が上気した。
眼が輝き、嬉しそうに笑う。
「…不可抗力っスよ。そいつがいきなり襲い掛かってきたから、つい…ね。でも、殺してないっスよ。
まぁ…やっちゃっても良かったんですけどね。突っかかって来た癖に、あまりにも弱くて…拍子抜けしちゃいまして。
トドメを刺しそこねましたよぉ〜。」
氷の変わらぬ軽口に…イラッとしてしまう。氷だって銀朱の顔を知ってる筈だ!なのに…なんでこんな事をするのっ!
「もう、いい…消えろ。」
九尾は押さえた傷口の布がずれぬように、新たに浴衣を引き裂くと、包帯のように銀朱の身体に巻き付ける。
「兄貴…そんな死に掛け、ほっといて行きましょうよ。」
九尾の言葉を聞いて居なかったのか、それとも全く応えていないのか…氷が九尾に誘いを掛ける。
「…聞こえなかったか?今すぐ消えろ。」
氷を真正面に見据えると、スッと眼を細めて睨め付けた。
ザワザワと総毛立つ九尾の殺気。
氷はふぅ…と溜息を吐くと、嫌そうに倒れる銀朱を見下ろした。
「やっぱり…仲間だの、守るだの、寝言をほざくんスね…。だったら、是が非でも兄貴には昔の死神に戻ってもらうだけっスよ。
そんな女、殺しちまった方が、いっそ役立ったかなぁ?失敗したっスね。
まぁ、…いいか。
もう…種は蒔いてありますからね…乞うご期待っス。」
氷がスッと薮の中へと姿を隠す。
「兄貴、忘れないで下さいねっ。兄貴の両手は血塗れたままだって事を。
その手は、殺す手だ。…誰かを守る手じゃない…兄貴が向かうべき道は、そっちじゃない…っスよ。」
氷はそれだけ言うと…まるで存在して居なかったように、その気配を消した。
何なのっ!
アイツ、一体なんなのっ!
何で銀朱をっ!どうして銀朱をっ!
憤りは止めどなく溢れて、小さな猫の身体がはち切れそうだ。
怒りで身体がブルブル震える。
私の尻尾は、倒れた銀朱を見つけた時から狸のままだ。
九尾は銀朱の頬を汚す血を、そっと手で拭うと…銀朱がまた薄っすらと眼を開ける。
銀朱は焦点が定まっていない虚な瞳で、九尾の姿を確認する。すると、苦し気表情をしながら、口を開いた。
「颯真様…。申し訳…ありません…」
銀朱は掠れた声で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「怪し奴を見つけて…銀朱の…早とちりで…配下の方を…」
「もういい。喋るな…傷が開く。」
痛まし気に九尾は眉根を寄せる。
「銀朱が…悪いので…配下の少年を…叱らない…で…下さいませ…」
「銀朱…。分かった、大丈夫だ。氷の事は、銀朱に免じて叱らないようにするから…安心して休め。」
九尾の言葉を聞くと、銀朱はホッとしたように目蓋を閉じた。
九尾は銀朱の細い身体を労るように抱き上げると、眉根を寄せてキツく眼を閉じる。
お人よしな銀朱…なんで、あんな奴を庇うような事を言うんだろう。
氷ならば、彼女が白夜配下の銀朱だと、気付いていた筈だ。傷を負わせずに、無力化だって出来た筈だ…。なのに、氷は銀朱を刺して、切り裂いたんだ。
「輪…急ぐぞ。館に着いたら真っ直ぐ庵へ走れ。天使を叩き起こすんだ。」
足速にティスの元へと向かう九尾を、必死に追いかける。
「分かった!」
大丈夫…庵の匂いは覚えてる。迷わず行ける筈だ。多分…いや、絶対にっ!
九尾は銀朱を支えてながら、ティスに跨った。片手で銀朱を支えているから、体勢が不安定になってしまう。
それでも、出来る限りのスピードで館を目指した。
私は、振り落とされぬように、ティスの背中にしがみ付く。
無言のまま…闇にティスの足音だけが木霊する。
何で…こんな酷いことするの?
何で…九尾に孤独を強要するの?
分からないよ、氷。
雫に仲間だよって言われた時に、はにかんで笑っていたじゃない。嬉しそうにしていたじゃない。
なのに…仲間なんか要らない。反吐が出る…なんて言って。嘘だよね。
あの時の顔は、そんな事を考えいるような…笑顔じゃなかったよ?
幾分、怒りが落ちついて来て…私は、心の中で氷に問い掛ける。
昔の荒れていた九尾に、救われたのは事実なんだろう。でも…何故そんなに九尾に執着するのか、私には分からない。
空っぽだった九尾の心で蘇った最初の感情は…『怒り』だった。
繰り返えされる…子苗達の悲しみや苦しみ。最悪の形のまま…何度でも訪れる。
誰かが終わらせないと…完膚なきまでに叩き潰さないと!
許せない…許せる訳がない!
子苗は物じゃない、商品なんかじゃない!売り飛ばされて、見世物にされ…何もかもを失っていい存在じゃないっ。
実験動物のように扱われていい存在じゃないっ!!
終わらせる…そんな奴等は、全て排除してやる。俺が…必ずっ!!
その想いは…激情となり、『怒り』に支配された九尾は、氷が言うところの『死神』として、その手を血で真っ赤に染めていたのだろう…。
氷を助けてくれたヒーローは、決して真っ白な勇者では無かった。慈悲を与えず、罰を与えるだけの…真っ赤に染まった死神。
怯えるだけの少年の眼には…それでも確かにヒーローとして映っていたのだろう。だから、憧れて、追いかける道を選んだ。
だけどね、氷。
どんなに頑張っても『怒り』は続かないんだよ。月日が流れて、少しづつ風化して、形を変えていく。
『責任』だったり『宿命』だったり言葉を変えて、意志を貫いていくものなんだ。激情に流されて敵を屠るのでは無く、戦う為の意味や理由を、明確にしながら進んで行くものなんだよ?
そうじゃなきゃ…棘の道は進めない。感情だけで、歩めるような…そんな道じゃないだ。
九尾が選んだ言葉は『守る』だったんだ。子苗達の未来が明るいように…悪に遮られる事がないように。
その為だけに、その手を血で汚す覚悟をしたんだよ?
ねぇ…氷。
張り詰めてばかりじゃ、生きていけないよ。孤独で戦い続けられる株なんか、居ないよ。揺らぐ時に、支えてくれる仲間は大切なんだ。
道を外れたら、正してくれる。不安になったら、間違っていないと肯定してくれる…そんな仲間は必要なんだよ?
だからね…氷。
どんなに願っても、氷のヒーローはもう戻らないんだ。
九尾は『守る』事を選び、進み、かけがえない仲間を得たから。
もう…孤立無縁に怒りを撒き散らし、その手を鮮血に染める九尾はーー存在しないんだ。
私は、ティスの背中で…ギュッと眼を閉じる。届く訳のない…氷への語り掛けを、いつか届けたいと願いながら…。
氷の中の時間は止まってしまっている。
どうしたら、その針を動かせるのか…私には分からなかった…。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




