胎動の刻―侵食の叫び『死神』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『死神』
「えっ?」
背中が冷たくなるような殺気を放つその影の姿が、月明かりに照らし出され瞬間に…。
私は、驚きの声を上げた。
その声に反応するように…岩影から姿を現した彼は、ニヤリと笑った。
「いやぁ〜、なかなか良い反応で!驚いてくれて、嬉しいっスねぇ〜。」
両手を頭の後ろに回し、戯けるように、その場をクルクル回る。
軽いヤンキー口調…ツンツンした髪型。
「兄貴は…流石に肝が据わってるから、驚いてはくれないんスねぇ〜。
もうちょっと、こう…派手なリアクションしてくれたら、嬉しい〜んスけどぉ?」
ああ…幻覚の耳と尻尾が、シュンと下がるのが見える。
「氷君か…。もう、ビックリするじゃんっ!」
ティスの背中に伏せていた身体を上げて、ニヤニヤと私を見る氷に話しかけた。
「ややっ。輪ちゃんが、オレに話しかけてくれたっ!おお〜っ、聞きました?兄貴ぃ。」
パタパタと尻尾を振りながら、氷は九尾にまとわりつこうと歩み寄るが、九尾はそれを手を前に翳し、制した。
九尾の表情は、険しい。
氷が悪ふざけしたから、怒っているのだろうか?
でも…九尾はそんな事で怒りを表すタイプじゃない。悪ふざけや、悪戯でさえ…九尾は見越して、笑うだろう。
じゃあ。何で、九尾はこんなに険悪な空気を出している?
私の疑問を後押しするように、ティスが警戒を露わにした。
「キキッ!ギュッ、ギュッ」
鳴きながら、ジリジリと氷から距離を取る。
「何…?」
私は戸惑いを隠せぬまま、呟いた。
ティスの背中に乗っている私も、氷から離れていく。
九尾が浴衣の裾を託し上げて、帯の間に挟み込む。太腿が露わになるが、動き易さは格段に上がる。
何で…今、裾を?
九尾は氷から距離を取りながら、ティスを庇うように前に立つ。
なんで…まるで、戦闘体勢みたいな…。
「…どういうつもりだ、氷。」
冷たい九尾の声が、氷の名を呼ぶ。
慕っている九尾に、そんな声で呼ばれたら、ちょっと氷が可哀想だよ。
驚かそうと…しただけ…だよね?
氷を弁明したいのに、私の舌はカラカラに渇き、上手く動かない。
「クックック…」
氷が片手で顔を覆いながら、笑う。
その低い笑い声に…ゾクリと背中が泡立った。
「いや、流石は兄貴。こんなに殺気に敏感な株には、そうそうお目に掛かれませんって。」
笑いながら、九尾を褒める。
え?
あの氷が…九尾を上から目線で褒めるなんて…何か、違う。
「やっぱり兄貴は…そうなんだよ。」
何が嬉しいのか、氷は笑う。
そして…スッとナイフを引き抜く。
その瞬間に、ビクっと身体が震えた。
まさか…この匂いは。
「九尾…」
私は引き攣る喉で、無理矢理に発声する。その声は上擦り、霞む。
「…血の匂いが…」
私の言葉に弾かれたように、九尾が氷との距離を一気に詰めた!
ナイフを握った手を掴み上げて、氷の顔を見据えて睨む。
「お前…殺したのかっ!」
「へへ。」
九尾に睨まれても、氷は臆する事無く笑う。違う…なんか氷じゃないよ。
確かに、殺すのが…好きだと…白帝城から聞いているけど。九尾に対して、こんな態度を取るなんて…あり得ないよ。
「何で、殺しちゃ不味いんですかね?」
ヘラヘラとした薄ら笑いに反するような氷の低い声が、九尾へ問い掛ける。
「相手は、兄貴達を狙う教会関係者って奴等だ。兄貴達からしたら…極悪非道って奴等なんでしょ?死んで罪を償えってヤツっすから、問題ないでしょ。」
小首を傾げて不思議そうに九尾に尋ねてくる。
「…情報を聞き出すのが先だろ。」
「無理しょっ!あんな下っ端…教会本部から見放されて切り捨てられた奴等だ。知ってる訳が無い。」
カラカラと氷は笑う。
その瞳には一切の感情が見えず、冷たい眼差しで九尾を真っ直ぐに見つめている。
「そんな下っ端なら尚更殺す必要が無いだろ。捉えて、法で裁くのが筋だ。」
九尾の言葉は届かず、氷は薄ら笑いを浮かべながら首を振る。
「下っ端だろうが、教会から見捨てられていようが…『関係ない。罪は消えない。死んで詫びろ』…なんでしょう?」
氷の言葉に、九尾は初めて動揺を見せた。
「兄貴が、昔…奴等に言い放った台詞ですよぉ〜?
思い出してくれましたかね!? へへ…オレは、忘れないっスよ。」
今までの薄ら笑いから、本当に嬉しいそうな笑顔を浮かべる。
「ほらっ!オレがとっ捕まっていた研究所を襲撃して、壊滅させた時の台詞っスよぉ〜。
懐かしいでしょ?
思い出してくれました?
思い出すでしょ?」
氷は九尾に抑え込まれた手を振り払うと、背後にあった大岩の上に飛び乗り、脚を投げ出して座り込んだ。
血に濡れたナイフを、玩具か何かのように…クルクルと弄ぶ。
私は少し離れた場所で、ティスの背中の上で微動だに出来ぬまま…固まってしまっていた。
氷が何を話しているのか分からない。
何を九尾に伝えたいのか、その意図が見えない。
氷は、本当に九尾を慕っていた筈だ。
なのに…何でこんな事をしているの?
昔の九尾の発言をほじくり出して、自分の殺しに正当性があると…そう伝えたいの?
「…何が言いたい。」
九尾の声が、苦く響く。
「言いたい事っスか?そりゃあ〜昔の兄貴に戻って下さいって、お願いっスかね。」
九尾がハッキリと息を飲むのが伝わってくる。
「兄貴はオレを救ってくれた。その姿に憧れて、追いかけて、いつか自分も、ああ成りたいと思わせてくれた…オレの英雄なんスよ。」
初めて告白をする少女のように…氷の頬は赤く染まり、その瞳をキラキラと輝かせる。
「音も無く、喉を掻き切り。血の海に、赤く染まって立つ姿!
何人、何十人居ても関係ない…瞬時に血祭りにしていく。冷え切った眼差しで、血に濡れた死体を踏み付けて進む。勇敢で、ゾクゾクする程に冷酷で。
目が離せなくなる。凄く…綺麗で…恐怖なんか、消し飛んだ。
…衝撃だったんスよ?
ああ…オレを助けてくれた『英雄』は、紛れもない『死神』なんだと。
こんなに圧倒的で、血濡れた姿が美しい株が…常人の訳が無い。
オレを死へ誘うはずの死神が、オレを助けてくれた…。そう思って…胸が熱くなったんスよ。」
氷は、その熱を。噛み締めながら思い出すように…九尾を見つめる。
でもその視線を向けているのは、今ここに立つ九尾では無い。見ているのは…過去に居た『死神』の九尾だ。
「憧れて…猟犬に入りました。少しでも『死神』の兄貴を見ていたくて。
運が良かったんスよね…オレの教育担当者に兄貴がなるなんて。
もう、嬉しくてっ!夜も眠れない位興奮してたんスよぉ〜?
厳しい訓練だって、全く苦にならなかった。『死神』の隣りに立てるなら…何だってやるし、出来たんスよぉっ!
ーーだからね…ガッカリしたんです。」
氷は虚な瞳で遠くを見つめながら、大仰に肩を落としてみせる。
「五葉に抜擢された時から…いや、もっと前からだったかな。兄貴が変わり始めたてきた。
チャラチャラと笑いながら誰かと話す。笑いを誘って冗談を言う。常に誰かと連んで行動するようになる…仲間だ、友達だと、浮かれて。
守るだの、守られてるだの…現を抜かす始末だ。」
氷は片脚を立てて、その膝の上に肘を乗せる。ふぅ…と溜息を吐くと、ナイフをヒラヒラと振りながら九尾を指し示した。
「兄貴は違うっしょっ!?
仲間なんか必要としていない。
孤立無縁で、孤高の死神っしょ?
罪を正し、罰を与える。無慈悲なままに、殺すのが…兄貴だっ!!
そう思いながら…ずっと傍で見守ってきたんですよ。きっと、いつか…思い出してくれるって。
間違いだったと気付いて、正してくれるって…。」
ずっと焦点が合わないままだった氷の眼差しが、今の九尾をハッキリと捉える。そして、血濡れたナイフの切先を、真っ直ぐに九尾へ向けた。
「ーーヌルいんだよっ!!
なんも、かんも!仲間だ、何だと。
…いい加減、反吐が出るっ!!」
氷は、そう吐き捨てると冷たい眼差しで九尾を見据えた。
「兄貴なら、南教会の責任者…宗玄みたいな雑魚、一閃で殺せた筈だっ!
白夜の姉さんを庇わなきゃ、ネブラミスに後れを取る事にもならなかった。ネブラミスに兄貴の『認識阻害』は破れないでしょうしね。
殺そうと思えば…簡単に、一瞬で、仕留められた筈だっ!!
なんで、殺さないんだよっ!!?」
氷の絶叫に、九尾の身体がピクリと反応する。
え…。
何で、氷は知っているの?
まさか…南教会の出来事を見ていたのだろうか。
いや、もし見ていたのなら…必ず気が付いた筈だ。九尾でも魔剣でも…ギギだって居たんだ。
必ず気付く。違和感は…なかった…。
「誰かと連んで、仲間を守るだの…そんなヌルい事言ってるから、ボコボコにされるんスよ。
兄貴はね、最強なんすよ!?
『死神』からは、誰も逃れられない…悪人も善人も、死は平等でしょ?
それを司れるのは…兄貴だけなんだよっ!」
氷は、ふぅ…と息を吐く。
「だからね…早く昔の兄貴に戻るべきなんっスよ。
未曾有の危機が迫ってるんでしょ?
それを治めるのが、任務なんでしょ?」
ニヤニヤと嫌な笑い方をしながら、立ち竦む九尾を煽る。
「無慈悲なままに、昔のように殺していけばいい。
教会関係者を洗い出して、根絶やしにしていきましょう。
ネブラミスの根城だって、オレが探して出してみせますよ!オレが、兄貴の為に、全てお膳立てします!
兄貴が、孤立無縁で戦えば…全て簡単に終わりますよ。
こんなーー茶番劇なんか。」
氷は笑顔で、九尾にナイフの切先ではなく、手を差し伸べる。
共に行こう。側に居るのは、死神の理解者で、後継者の自分だけでいい…。兄貴は、本来の姿『死神』として、荒れ狂えばいい。それで、全てを終結出来るのだから…。
氷の冷たい瞳が、そう語り掛ける。
九尾は苦しげに下を向いたまま…微動だにしていない。
氷が手にしているナイフからは、生臭い血の匂いが風に乗って流れていく。
アレ…何だか違和感を感じて、鼻をヒクヒクさせる。
風に乗る血の匂い。既に乾きだしてるナイフからの匂いじゃないような…。
眼を閉じたまま、匂いの流れを辿る。もっと風上の方から流れてくるような…。
もしかして…近くに、氷が切り捨てた株が居る?
私は眼を見開くと、ティスの背中から飛び降りた。
なんだろ…嫌な予感がする…。
早くっ!
血の匂いの元を、血濡れている株を探さなきゃ!
私は素早く氷を擦り抜けて、上流へと走った。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




