胎動の刻―侵食の叫び『奔流』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『奔流』
怒涛の夜は、騒ぎの中で明けていった…。
館に到着すると、私は柵を擦り抜けて庵へと一目散に爆走した!
庵は、まだ静かな眠りの中。玄関の硝子を嵌め込んだ引き戸から中を覗けば…室内は暗く、誰の気配も感じられない。
私は、九尾に抱かれて庭へ出た掃き出し窓へと向かった。
窓は木戸で硬く閉ざされていて、中へと入り込む隙間が無い。そのまま庵を一周するように、中へ入れるような場所を探すが、何処もかしこも閉ざされている。もしかして、台所がある裏口なら女中さんが朝の準備をしているかも?と思ったが…こちらも駄目だった。
…どうしよう。まだ朝になるには時間がある。やはり、明るくならなければ誰も起きては来ないのだろうか?絶望感に苛まれたりしたが、それも一瞬。私は、急ぎ庭へと戻った。
私は、即座に『致し方なし』と判断した。こうなったら最終手段を実行するしかない!
ーー庵を、叩き起こすんだ。
木戸から距離を取ると、ゆっくりと深呼吸…木戸を見据えて、息を止める。意を決して、全力疾走。背中から、木戸へ体当たりをした!
ドガンッ!
衝撃音が、木戸を揺らす。背中から全身に、痺れるような激痛が走った。
まだ…まだだ。
これじゃ、弱い。
一回、二回。…三回!
衝撃音が、立て続けに鳴り響く。
ラプティスのように、身体が頑丈でも無いし、硬くも無いから…木戸を破壊するような事態にはならない。
それでも、魔剣が飛び起きて、戦闘準備を整えて出てくる位の衝撃を与えられる筈だ。
私にもかなりのダメージがあった。
でも…そんなの気にしてる場合じゃない。脳裏には、血の気が失せた銀朱の顔が焼き付いている。痛がってる時間は無いんだ…。ふらつきながらも、距離を取り、木戸に向かって走る。
体当たり、四回目っ!
私が木戸に跳ね返された瞬間、愕然とした表情の魔剣が、剣を握りしめたまま躊躇する姿が視野に入り込む。
「…輪?」
魔剣は、衝撃を与えた犯人が私だと知り戸惑っていたようだが、それでも倒れ込む私に駆け寄ってきた。私は、痛みで霞む意識の中…
「九尾がっ!重傷の、銀朱を、怪我人を、運んでくる!!天使を、早く、起こしてっ!!」
と叫んだ。
魔剣は、何かを言おうと口を開き掛けたが、眉間に深い皺を寄せながら閉ざす。そして、ぐったりとした私を抱えると、急ぎ庵へと駆け込んだ。
座布団の上に寝かされて、意識を失いかけた私の視野に、慌てた天使の姿が映った瞬間。タイミングを見計らったように、切り裂きぼろ布に変わり果てた浴衣を着た九尾が、血塗れの銀朱を抱えながら庵へと飛び込んできた。
…そこからの記憶が曖昧だ。
天使が、真剣な面持ちを青ざめさせてながら。銀朱へ『癒しの光』を施しているのは見た…ような気がする。
大丈夫…銀朱は、助かる。もう大丈夫だ…。
そう思いながら…私は意識を手放したのだったーー。
どの位…気を失っていただろうか。
気が付けば、天使の膝の上に横になっていた。
「眼が覚めましたか?…輪ちゃん、無茶し過ぎです。木戸に体当たりして…打撲と、両手脚に裂傷。癒してありますが、暫くは安静にして下さいね?」
「うん…有難う。銀朱は?」
私の問いに、天使は眉を寄せながらも頷いて見せる。
「傷は完治してますが…出血が多かったので、やはり安静にしてもらいます。今は、奥の部屋に…九尾と白帝城と白夜ちゃんで…。念の為に、魔剣が警備に付いています。」
言いにくそうに、天使が言葉を途切れさせた。
「雫は?」
「マリンさんとティスを労りに向かました。氷さんの話で…雫ちゃんもショックを隠せていませんでしたし…マリンさんが気分転換に誘ったようですね。」
「そっか…。皆、九尾から事情は聞いたんだね。」
雫…氷と仲が良さそうに笑っていたもんな。それを思い出すと、ずーんと胃のあたりが重く感じてくる。
「…輪ちゃんは、大丈夫ですか?」
天使が私の顔を覗き込んでくる。
「私は、大丈夫…だけど…九尾が…。」
自分を慕っていた筈の氷が、あんな事をして、あんな妄想に取り憑かれて、自分に執着していると知ったら…平然とはして居られないだろう。
「九尾なら、大丈夫ですよ。」
私の心配を他所に、天使が笑いながらはっきりと言い切った。
「私達に出来る事は限られてます…今は信じる事です。大丈夫だって。もし駄目だった時、揺らいでしまうようなら…いつも九尾がそうであるように、私達が支えれば良いだけですから…。」
にっこりと天使は微笑む。
そうだね…天使の言う通りだ。
私は天使の眩しい笑顔を見上げた。
「なんか…天使は強くなった?」
か弱く儚い…そんなイメージだったんだけどな。
「それは…勿論。好いた男性が、アレですから…強くならないと、やってられません。」
クスクスと天使が笑う。
好いた男性…魔剣の事か。随分とはっきり宣言するようになったな…ビックリしてしまう。
「なんか…積極的になったね、天使は。」
「はい。黙って過去の女性に盗られる訳には行きませんから…積極的にアピール?しないと駄目だと、教わりました。」
んん…誰かな、清らかな天使にこんな事を吹き込んだのは。まぁ…想像はつくんだけど。
「ちなみに…誰に言われたのかな?」
「雫ちゃんですよ。」
やっぱりかぁーっ!
耳年増な幼子だな、本当に…。今度しっかり注意しないと駄目だな。男女間の問題は、文献や書物だけの情報でどうにかなるもんじゃない…って。
でも…全てを胸の内に秘め、思い悩んで塞ぎ込むよりは、余程…良い。どんな理由であっても、天使に必要なのは、溜め込まず、吐露する事だろう。
「そっか…うん。」
きっと天使も…魔剣を支える為に、自分の思いを揺らぎなき物へとさせたんだね。自分が揺らいでたら、他者を支えられないから。
私は、すりすり…と、天使の柔らかい手に頭を擦り付ける。
まだ胸の奥が重い。だけど…冷え切った心に、陽が差し込むように…じんわりと温まった気がした。
天使に労わってもらいながら…その膝の上でぬくぬくとしていると。
奥の部屋から、足音が近づいている音が聞こえてきた。
スッと襖が開き、渋い顔をした白帝城、九尾、白夜が戻って来た。
魔剣の姿が見えないのは、警備の為に銀朱の元へ残ったからだろう。
白帝城は、いつもの服へと着替えている。九尾はボロ布と化した浴衣から、身体にフィットしたシャツに、裾が腰辺りまでしか無い着物を羽織り、ベルトで締めている。パンツは氷が着ていたアーミーパンツと似た感じの服を着用していた。
寝ている所を叩き起こされた天使には、着替える暇も無かったのだろう…寝衣代わりの浴衣のままだ。
銀朱、私と立て続けで治癒した後はずっと私に付き添い、労わってくれていたのだろう…何か申し訳ない気持ちになった。
「ごめんね…天使も着替えたかったでしょ?」
天使の膝の上から、綺麗に整った顔を見上げると、返事の代わりに、にっこりと微笑んで見せてくれる。
「マリンさんが雫ちゃんを連れ出す前に、着替えの準備を整えてくれていますよ。行かれますか?」
私と天使のやり取りを見ていた白夜が、横から声を掛けてくれた。
「そうですね…では、着替えで参ります。」
天使は私を座布団の上に降ろすと、白夜に付き添われて部屋を出て行った。
「無理させて…悪かったな。大丈夫か?」
九尾が私の横に座ると、気遣うように背中を撫でてくれる。
「ん…痛みはもう無いよ。大丈夫。ちょっと身体が怠いくらいかな?」
囲炉裏の側に座っている白帝城が、心配そうに私を見つめている。
「天使の癒しでも…疲労感は抜けぬからな。暫くは安静にした方が良いだろう。しかし…肝が冷えたぞ。」
深く息を吐きながら、白帝城が乱れた髪を掻き上げる。
「俺のせいで…皆に迷惑を掛けちまった…すまない。」
苦しそうな顔で九尾が詫びると、白帝城は苦い顔のまま、ゆっくりと首を振った。
「…何度目だ?そうやって詫びのは。何度も言うが、九尾、お前のせいでは無かろう。氷が任務に向かう前…誰も奴の異変に気付けなかった。あの雫やマリンでさえ、察する事が出来なかったのだ…。」
「…だが、責任は俺にある。」
白帝城の言葉を遮るように、九尾が言った。その言葉の重みが、そのまま室内の空気を重く沈める。
氷の九尾を思う気持ちは、出逢った瞬間から止まっている。強い憧れが、九尾の過去の姿を神格化させて、今や崇拝者の域に達しているのだろう。
九尾の変化を認める事が出来ない。受け入れる事が出来ない。
歪んだ憧れが…その熱すぎる想いが、氷を暴走へ誘った。
ズクン…と胸の奥が疼く。
その暴走が、何で今なんだろう。
香月へ入ったタイミングで?
グルグルと思考が巡る。氷は南辺境の教会壊滅の内情を知っていた。まるでその場で観ていたように…。
ーー茶番劇?
あの時、氷が九尾を誘った時に…氷は「こんな茶番劇」と言っていた。
何で、そんな単語が出て来た?
まるで…ネブラミスと魔剣の因縁を知っているかのようじゃないか。始まりは愛憎の縺れ…。邪神の意が加わり、捩れ絡み…ハオルチア全土を巻き込んだ。
その始まりを知っていたらとしたら?
全く関係無い他者からしたら、そんなくだらない理由から始まったのかと、思わないだろうか?
ーー茶番劇に巻き込まれて大惨事
と、思うんじゃないだろうか…。
偶然?
…本当に?
私の考え過ぎだろうか。
魔剣がハオルチアに戻って、九尾が研究施設を強襲に向かった時…既に施設はネブラミスの手に寄って壊滅していた訳だけど…その頃の九尾は、本人曰く『だいぶ落ち着いている』時期になる。
なら、氷の『死神』はもっと以前の話になるだろう。
その時の氷は、既に別の研究施設から救出されていて…保護されていた筈。しかも、その頃の氷は幼い子苗だ。
始まりを…知る訳が無い。知りようもないだろう。
やっぱり、あの言葉は…ただの比喩で、偶然の産物…何だろうな。
なのに、喉の奥に異物が引っ掛かるように…詰まっているみたいで…納得出来ないでいた。
自分の思考に沈んでいると、ピクピクと耳が反応した。バタバタと走る足音が近づいている…。
誰か、来た。
私は、視線を掃き出し窓へと向ける。足音が軽い…雫だろうか。でも、何で走って戻ろうとしてるんだろう。
暫くすると、髪を振り乱し、服を泥で汚した雫が庭に駆け込んでくる。
「にーちゃっ!!」
息を切らしながら、雫が九尾を呼ぶ。雫が九尾を「にーちゃ」と呼ぶのは、二人きりで、九尾に甘えている時だけだ。なのに、その呼び名を叫ぶなんて…どうしたんだろ。
呼ばれた九尾は、掃き出し窓から飛び出ると、小さな雫の身体を受け止める。
「雫っ、どうしたっ!?」
遅れて白帝城も駆け寄る。勿論、私も飛び出した。
「雫、怪我しているじゃないか!」
白帝城が、膝から血を滲ませている細い脚を見て声を上げた。
「転んだ…そんな事より、大変なのっ!」
今にも泣き出しそうな雫の表情。何かとんでもない事が起こった…それが皆に伝わり、緊張が走る。
九尾にしがみ付きながら、雫が声を張った。
「マリンがっ!氷を見つけて…林の中にっ。にーちゃ、止めてっ!」
必死の形相の雫の眼に、涙が滲む。
「マリンが…
殺してしまうっ!!」
雫の叫びが…
やっと落ち着いた朝を、切り裂いた。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




