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胎動の刻―侵食の叫び『月華蝶の夜②』

世界は、沈黙の奥で胎動する――


芽吹きは命の兆し。

だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。


風は優しく、花は揺れ、

それでも確かに、何かが侵されていく。


交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――


いま、侵食の夜を迎える。

『月華蝶の夜②』


偶然の再会は、とても静かだった。

揺らめく感情は心の奥底に留めながら、水晶さんは時折眼を細めて九尾を見つめる。久しぶりに再会した息子が眩しいと感じているように…。

そりゃ、そう思うかもな。香月を去ってから何年過ぎたのか知らないけど…今では国が定めた英雄『五葉』の一角だもの。こんなに出世して立派に…って思うのも無理はないよね。


私は九尾の腕の中で大人しく抱かれながら、水晶さんの様子を観察していた。水晶さんは、感情があまり表情に出ないタイプかも知れない。

突然の再会にも動揺する事なく、非常に落ち着いているみたいだ。九尾の言葉に笑顔を浮かべてみせるが、それが愛想笑いなのか…一見には判断が出来ない。でも、良く見れば…九尾のそれとそっくりな、ふわふわの尻尾がゆらゆらと揺れる。

その揺れのタイミングが、感情の揺れなのだろうと感じた。

かなり動揺していた九尾も、だいぶ落ち着きを取り戻しているみたいで良かった。

腕の中から、九尾の顔を見上げる。まだ…若干眼が泳いでいるみたいだけど、まぁ〜許容範囲内だろう。

こんな九尾を見れるとは…中々レアな体験かも知れないな。

ふと、九尾が水晶さんから視線を外し、闇に沈む林の奥を見つめた。そして、スッと眼を細める。

ん?どうしたんだろ…私も気になり其方を見るが、木々が風に枝を揺らしているだけだ。


九尾は、ふぅ…と小さく溜息を漏らすと、水晶さんへ視線を戻す。

「ところで…親父殿は?」

九尾の言葉に、水晶さんの表情が僅かに沈む。

「旦那様は兵を引き連れて、南へ赴きました。」

「そうか…親父殿が向かったのか。」

九尾も表情を曇らせた。

この感じだと、九尾は父親との仲は良好であった…訳では無さそうだ。

跡取りの突然の出奔。家長として許せる筈も無い。もしかして、九尾が出た後で…水晶さんは責められたのではないだろうか?

蒼真(あおま)は?」

九尾がそう尋ねる。水晶さんは少し戸惑うように視線を泉へと向ける。

蒼真…って、名前だよね?誰だろうか。

「…あの子は旦那様に同行しております。」

何だか、微妙な雰囲気に拍車が掛かったような気がするんだが。

「跡取り教育の一環か。蒼真も大変だな…。まぁ、殆ど俺の所為だけど。」

「颯真…そんな事は…」

水晶さんが、また言葉を飲み込み、何故か申し訳なさそうに瞳を伏せてしまった。

どういう事だろう。九尾のせいで…跡取り教育?

あっ、九尾の生家の跡継ぎが『蒼真』って名前なのか!なるほど…九重家の跡継ぎ問題なんだな。でも、なんでこんな微妙な雰囲気になるんだろう。跡継ぎが決まっているなら、九重家は安泰なんだろうし…九尾としても家に縛られる事もないんだし。悪い話とは思えないんだが…まだ何かあるのだろうか。


九尾は左手で私を支え、口元を隠すように右手を添える。何かを考えているみたいだ。

「そうか…屋敷には親父殿も蒼真も不在なんだな…。」

ブツブツと呟きながら、眉間に皺を寄せる。

どうしたんだろ?私は九尾の様子を窺い見るが、九尾の視線は空を見つめているようで、私の視線に気づいていない。

そんな様子の九尾を気にするように、水晶さんが一歩だけ足を踏み出し、九尾の傍に寄る。

「颯真?」

水晶さんの声掛けに、九尾はハッと我に返り顔を上げた。

「あ。すまん…ちょっと気になる事があって、考え込んでしまった。」

はは…と苦笑いを浮かべる九尾に、水晶さんがホッとしたような様子をうかがわせた。

「颯真…もしかして、貴方も南地域の…」

水晶さんは言葉の途中で二度三度と首を振った。

「ごめんなさいね…。聞いては成らぬ質問でしたね。」

そう言いながら、水晶は少し困ったように微笑む。

思わず口が滑って尋ねてしまったーーそんな感じだろう。

任務の内容は他言無用で、水晶さんはその事を良く知っているんだ。答えられない質問をしても、九尾を困らせるだけ…それは本意では無い。そんなところだろう。


なんて言うか…よく出来た方だな。さっきから、水晶さんは自分の気持ちや考えをを全く口にしていない。何かを伝えたそうに口を開きかけるが、言葉を飲み込んでしまっている。

水晶さんの人柄に感心する反面、なんだか無性に心配にもなってしまう。

いつもそうなのだろうか?

誰に対しても、そんな風に言葉を飲み込んでいるのだろうか。

ふと…志乃さんの言葉を思い出す。

『痛々しく見える』

確かに、コレは…そう思えても仕方ないかも知れない。

言葉を交わし、気持ちを伝えて分かり合う。ましてや親子なんだから…もっとぶつかり合っても良さそうなんだけど。

白夜の話しでは、出奔後は王都で活躍している事は知られているが、ほぼ音信不通な状況。例え香月から便りを出したとしても、九尾がその便りに返事をしたか…甚だ疑問が残る。

水晶さんは、ずっと気にかけて心配していたんだろう。だったら、もっと感情を露わにしても良いと思う。

『心配していた』『便りくらいは送れ』と文句を言ってもバチは当たらないだろう。

なのに水晶さんは、こうして静かに息子の言葉を待ちながら微笑むだけで…。

親子でも千差万別、多種多様…一概に正解の関係性がある訳じゃ無い。

私のように、よく知らない奴が口を出す事じゃないって事は理解している。だが…こう、歯痒いんだよなぁ。


ふぅ…と、九尾の腕の中で溜息を吐いてしまうと、「?」と頭に疑問符を浮かべた九尾が視線を寄越してくる。

『この、親不孝モンがっ!』と怒鳴りたい気持ちを抑え込んで、九尾を睨み返したその時にーー


「キキ、ギュッ!」

今までずっと大人しくしていたティスが、警戒鳴きをしながら、バタバタと脚を踏み締めて暴れ出した。

「ギュッ!ギュッ!」

九尾の顔を見ながら激しく鳴き出す。

「…ちょっと見てくる。輪を頼む。」

九尾は腕の中の私を水晶さんに押し付けると、慌ただしくティスの元へと駆け寄った。

って、ちょ。一緒に行ってもよくない?

ほら、下に降ろすとか…色々とあるでしょ。なんで…水晶さんに…。


渡されるまま、暴れて逃れる訳にもいかず…すっぽりと柔らかな水晶さんの腕の中に収まる。

恐る恐る顔を上げると、突然の事に呆気に取られた様子の水晶さんと、かっちり眼が合った。

戸惑いながらも、薄っすらと微笑む水晶さんに釣られるように…微笑みを返すが。

猫の微笑みって、伝わるのか?そんな疑問が頭に浮かぶ。

「輪様…でしたわね。息子の颯真がお世話になっております。わたくしは、颯真の母『水晶』と申します。ご挨拶が大変遅くなり…申し訳ございません。」

「いえ、そんな、とんでもないっ!九尾…えと、颯真さん…颯真様?にはとても良くしてもらって…おりまして…?ええと、その…すみません。あまり慣れていないので…。」

しどろもどろな私の言葉に、水晶さんはクスリと笑う。

「本来ならば、わたくしも『九尾殿』とお呼びしなければ成らないのですが…つい。お仲間の輪様なれば、アレに敬称は不要かと思いますわ。わたくしに対しても普段通りで構いませんよ。」

ふふふ…と、笑う水晶さんの艶やかさ。その笑みは一瞬で消え、真剣な面持ちへと変わる。

「つかぬ事をお聞きしたいのですが。颯真は…その…お仲間の方々とは…上手く付き合えておりましょうか?」

尋ね難い…でも、どうしても聞いておきたい。そんな感じで、水晶さんは口を開いた。

やっぱり心配をしていたんだな。

「皆、九尾を頼りにしてますよ。リーダーは別に居るんですけどねぇ…判断力、統率力が段違いで。あ、これは…内密にして下さい。後輩にもかなり好かれてるみたいだし。過酷な任務でも、ワイワイと賑やかで…楽しいって言うか、何と言うか。騒がしくしてますよ。」

私の言葉に、水晶さんは嬉しそうに目尻を下げる。

「そうですか…。此処を出た時とは顔付きが変わっていたので、良い状況下なんだろうとは感じておりましたが。そうですか…慕われているのでね。」

眼を閉じて、何度も安心したように頷く。

「安心致しました。話し難い事をお尋ねしてしまい、申し訳ございません。仕事柄、危険な事をするのは重々承知しておりますが…傍に居る方々と、心を開いて接して居るのかと…どうしても気にしてしまい、お尋ねした次第で御座います。」

水晶さんの言葉で、ハタッと気づく。九尾はエケベリア公国から戻った後でも、見世物と変わらなかったと話していた。…それによって九尾は心を閉ざし、誰にも打ち解けられない状況になってたのだろう。

水晶さんは、その事を知っていたんだ。もしかすると九尾は、母親の水晶さんにも心を閉ざしていたのかも知れない。

閉ざした殻をこじ開ける事も出来ず、傷付いた心に寄り添う事も叶わず。ただ見守るだけの日々…唯一出来た事が、九尾の願いの為に香月から送り出す事だけだった。

もし…そうだったのなら、あの微妙な距離感も納得出来る。


例え心を閉ざしていたとしても…九尾は決して水晶さんを嫌っていた訳ではない筈だ。だって、水晶さんに白蝶貝の櫛を贈っている。この世界の地理はよく分からないけど…白蝶貝は熱帯、亜熱帯の海に棲息する真珠貝。それを加工して作った櫛なんだから、きっと高価なものに違いない。

嫌っている相手に、そんな高価な物を贈る訳は無いんだから。

私は身体を捩り、水晶さんの後髪に刺してある櫛を見上げる。

月明かりに白く滲む白蝶貝の櫛。

母親に、感謝の気持ちを込めた贈り物。実にスマートで、カッコ良さげだけど。その実、言葉足らずのままの微妙な距離感で…ああ、なんて…不器用な愛情表現なんだろう。

「九尾は…」

私は意識しないうちに口を開いていた。どうしても水晶さんに伝えたくなったのだ。

「九尾は、とても思慮深くて、常に皆の心持ちを気にしています。些細な変化でも見逃さない。いつも皆をよく見ているんです。皆の心を支えて、配慮して…気配りしていて。誰よりも仲間思いで、とても優しくて強いんです。」

香月に居た頃の九尾を、私は知らない。だから、今の九尾を語るんだ。

ちょっとポンコツのリーダー白帝城を支えて。心の傷と真正面から向き合う決意を固めた魔剣を支えると決めて。

陛下を心配する天使の思いが先走りしないように配慮しながら。

氷が暴走しないように制御して。

雫の成長を見守り、護る九尾の姿を…。

そうだ、九尾は誰よりも皆を見ているんだから。


私の思いは水晶さんに届いたかな?

探るように見上げると、水晶さんは嬉しそうに微笑みを返してくれた。

「有難う御座います。あの子もこんなに慕ってくれるお仲間に恵まれて…本当に良かった。あの子の事を、宜しくお頼み致します。皆様にも、そうお伝え下さいませ。」

「はい!」

九尾は、もう空っぽなんかじゃない。それが水晶さんに伝わったみたいなのが嬉しくて、思わず元気に返事をしてしまう。

その返事をティスの手綱を引きながら歩いて来た九尾に聞こえたみたいで、訝しげな視線で私を見ている。

水晶さんとの僅かな間の秘密裏な会話は、コレで終了だな。ちょっとだけ、残念な気持ちになる。

「屋敷まで送るので、そろそろ戻った方がいい。ティスに乗りますか?」

「いえ…馬を向こうの薮の近くに待たせてありますから、それで戻ります。」

水晶さんの言葉に、私と九尾は揃ってギョッとしてしまう。

「馬って…袴も着用しないで、その着物で乗ってきたのか?」

呆然とした九尾の口調が、いつもの感じに戻っている。

着物を着て馬って…跨げるのか、それ。

「…変、ですか?」

水晶さんが戸惑うように、首を傾げる。イヤイヤ、着物で馬に乗って一人で来たって、そりゃ変ですから。

「まぁ。母さんらしいっちゃ、らしいか…。じゃあ、行こうか。」

突っ込みを諦めた様子の九尾は、馬を待たせてあるという方向へ、ティスを引っ張りながら歩き出す。

水晶さんがその後ろをついていく。


えっ。

水晶さんらしいって…どういう事?

そんな簡単に突っ込みを諦められる事柄か、コレ…。

私は水晶さんの柔らかな腕の中で、借りて来た猫を演じながら、頭の中は『着物で馬』の衝撃に戦慄いていた。


時には、キャラたちと共に笑い、

時には、共に憤り――

彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。

ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。

それが、私にとって、何よりの幸いです。


――読んでくださって、本当にありがとうございました。

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