胎動の刻―侵食の叫び『夜更け②』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『夜更け②』
庵を抜け出した九尾は、だだっ広い敷地内を進む。
庭を散策する為に設けられた遊歩道には、数メール起きに足元灯りが道を示す。その灯りを避けるように、九尾は林の中へ入って行った。
敷地内に林があるとは…何て広さだろうか。一般小市民の私には、庭に林があるような生活には全く縁がないので…度肝を抜かれてしまう。
コレ、私ひとりで歩いたら、完全に迷子になる自信があるぞ。
私は抱っこされたままキョロキョロと周囲を見回している間にも、九尾は迷う事なく林の中をズンズン進み、いつしか鉄製の柵の前に辿り着いた。
ここまでが辺境伯館の敷地って事だろう。
「輪なら柵を抜けられるだろ?」
九尾は葉力を解除して、私を地面に降ろすと、柵の向こう側を指差す。確かに猫の私なら通り抜けられるけど…敷地内から出ちゃって良いのかな?
不安になりつつ九尾を見上げると、九尾は私を安心させるように、しっかりと頷いて見せる。
まぁ…九尾が出ろと言うなら、行くけどさ。
私は頭を柵の隙間に突っ込み、するりと柵を抜ける。本当、猫の身体は柔軟だよな。
九尾はどうするんだろう…。
そう思って振り返ると、九尾は軽くジャンプして柵に掴まると、懸垂の要領で力任せに身体を持ち上げて、柵の上に登った。
おぉ!流石は男子。魔剣に比べると鍛えてないような身体付きなのに、それなりに力は強いんだな。
九尾はヒラリと柵から飛び降りると、裾が肌けた浴衣の合わせを直す。九尾の足元に歩みより、見上げる私を再び抱き上げて、腕の中に収めた。
「いくら何でも警護が手薄過ぎだな…。王宮なら、警備責任者は減俸モノだぞ、コレ。」
九尾はブツブツと文句を言いながら、辺境伯の館を背にして、森の中を歩き出す。
森の木々の隙間から、綺麗に整備された街道が見え隠れしている。
九尾はその道に沿う様に歩いているみたいだけど…何で街道を歩かないのだろうか?疑問に思い尋ねてみると
「もし誰とすれ違ったとして。こんな時間に、こんな浴衣姿で、猫を抱いて歩いていたら…不審がられるだろ?」
と、返事をもらった。
そりゃ、そうなんだけど…何て言うか、気にし過ぎなような気もするんだが。
そう思って口を開き掛けた瞬間に、ピクリと耳が動いた。後方の音を拾ったのだ。私は言いかけた言葉を飲み込み、違う言葉を九尾に掛ける。
「後ろから…音が聞こえる。足音かな?街道を、バタバタ…いや、ドタドタ…走ってるみたいな。」
私の言葉に九尾は眉根を寄せると、スッと木の影に隠れる。瞬時にトリコームが舞い、『認識阻害』を発動させた。
足音は近づく。余程急いでいるのか…。
九尾と共に、木の影から街道の様子を伺い見ていると…見慣れたシルエットが、すぐ近くで戸惑うように立ち止まると、キョロキョロと首を回している。
「えっ?」
その姿を確認した九尾が、思わず声を漏らすと、『認識阻害』の葉力が霧散してしまった。
「キュイッ!」
甲高い鳴き声と共に、ラプティスが九尾に気が付き駆け寄って来た。
その声は『見つけた!』と言わんばかりだ。
クリッとした眼を細めて、スリスリと九尾の顔に頭を擦り寄せる。
「ちょ、痛いって。って、お前…ティスだろ?どうやって抜け出して来たんだ?」
九尾に問いに、ラプティスのティスは
『えへん』と胸を張る。
どうやら…抜け出した九尾に気が付いて追いかけて来てしまったみたいだ。
そう言えば…林に入る手間で馬房らしき建物の側を横切ってたな。あの時に、ティスは気が付いたのかも知れない。認識阻害では物音は消せない。足音で九尾だと勘づいた?
もしくは、匂いで分かったとか。…それで、追いかけて来た、のかな?しかし、あの柵をどうやって越えたのだろうか…。
「全く、仕方ない奴だな…。」
九尾は片手で私を支え、もう片手でティスの頭を撫でると、ティスは嬉しいそうに眼を細めている。
「付いて来ちまったモンはしょうがない。んじゃ、一緒に行くか。」
苦笑いを浮かべながら、九尾がそう言うと
「キュッ!」
と、元気に返事をする。『行く!』って感じだろう。
「ねぇ、何処に向かってるの。ティスも加わったし…そろそろ教えてくれても良くない?」
私は九尾の顔に前脚を添えて尋ねる。
「ん。…まぁ、俺の実家。」
「へ?」
ちょ、九尾の実家?
こんな夜中に…今から訪ねるの?それは余りにも常識的に外れている様な…いや、私の常識と此方の世界の常識が一致してるとは限らないけど…如何なモノだろうか。
九尾は、私の不審な眼差しを察知したのか
「正面から訪ねる訳じゃないよ。ちょっと様子を見に行くだけ…。」
歯切れ悪く、言い訳するように九尾は眉根を下げる。
「志乃さんに…言われたから?」
九尾は先に私をティスの背に乗せると、自分も跨る。浴衣の裾が開き、脛が剥き出しになるが…仕方ないだろう。私が身を伏せて安定させるのを確認すると、九尾はゆっくりとティスを走り出させる。
「まぁ…そうだな。俺としては、まだ会いたくは無いんだが。」
九尾は、バツが悪そうにそう言う。
「何で?」
「何でって…任務の途中だろうが。それに、まだ成果を上げてない。故郷を、親を、捨ててまで目指した目標に辿り着けてない。どの面下げて会えって言うんだよ…。」
九尾は苦々しく言葉を紡ぐ。
九尾が出奔までして目指した目標は、子苗達を苦しめる闇組織の撲滅。王都で猟犬になり、数多くの研究施設を壊滅させてきている。なら、それなりに成果は出ているのでは無いのだろうか?
今じゃ『五葉』として、国が定めた英雄の一角を担っているんだし。
「お母さん…香月を出ると決めた時に反対もせずに、背中を押してくれたんでしょう?」
私の言葉に、九尾はフッと笑う。
「何だよ…前に話したの、ちゃんと聞いてたんだな。母は、ただ黙って頷いて。別れ際に、身体を厭えとだけ…言われたな。」
九尾の声音が、少しだけ懐かしむように優しくなる。
「素敵なお母さんじゃない。」
「どうだろうか…。家族からも、集落からも…香月の全てから浮いてた俺だからな。跡取り息子としては不出来過ぎで、邪魔者が消えてスッキリする…って感じかも知れないだろ?」
九尾は自虐的にそう語るが、その言葉が本心では無いと分かった。
何となく…なんだけど。母親を褒められた事に対して、照れ隠しのような…そんな感じに思えた。
「さぁ、少し飛ばすぞ。しっかり掴まれ。」
九尾の姿勢が若干、前のめりになる。その言葉通りに、グングンとスピードが増して行く。
私は身体をピッタリと鞍に押し付けるようにして伏せた。
九尾はティスに跨り、暫くの間は緩やかな登り坂になっている街道を爆走したが、ゆっくりとスピードを落とすと、また街道沿いの森の中へと入り込んで進んだ。
下草が踏まれ、固められた細い獣道を、縫う様にティスを歩ませる。
そして、太い木の脇にティスを止めると、その背中から飛び降りた。
「浴衣のまま来るんじゃ無かったな…。」
ぼやきながら背中を伸ばす。
「ちょっと、ここで待っててな。」
九尾は私とティスにそう声を掛けながら、浴衣の後ろを捲り上げて帯に挟み込む。太腿まで露出させると、太い木に手を掛けて、器用に登り始めてしまった。
うわ…眼のやり場が…。てか、草履で木登りとか、よく出来るなぁ。
私は視線を泳がせながらも、スイスイと登って行く九尾を眼で追う。
何で、いきなり木登り?
上から何を見るって言うんだろうか。
私も、木に爪を立てて登ろうと足掻いてみるが…要領を得ない。木登り猫って居る訳だし、出来ない訳は無いんだが…何でか、ズルズルと下がってしまう。木の幹に、爪痕の縦線ばかりが増えるだけだ。
コツがあるのだろうか…。
頂上付近に辿り着いたらしい九尾を見上げて思案していると、ふと思い出す。
あっ。
そうだ、そうじゃないか!
私、羽があったよね。飛べるじゃん!
自分の背中を振り返り、意識を集中する…すると、真っ白な羽がニョキニョキと背中から生えてきた。
うわぁ…何か絵面がキモい気がするが…まぁ、いい。
身体以上の大きさになると、羽ばたいてみる。バサッバサッ!試しの羽ばたきだったが、ふわりと身体が浮くのを自覚する。
ヨシ!イケるぞっ。
ビックリしているティスを横目に、私は確信して、力一杯羽ばたいた。すると、重量など無かったように、大空目掛けて飛び上がる。かなりスピードが出たみたいで、九尾を追い越して上空まで上がってしまった。
下を見て、九尾が木の上から観ようとしたモノを確認する事が出来た。今、私達が居る森は小高い丘になっており、斜面を下った先には、領主伯館には及ばぬものの、それでも立派な屋敷邸を望めた。多分、アレが九尾の実家なのだろう。
遠目から実家を確認するとは…シャイってレベルじゃないな。何をそんなに警戒しているんだか。
私はゆっくりと下降すると、九尾が座っている枝の上に着地した。羽根を畳み、九尾の隣に座る。
「そう言えば…飛べる猫だったな。忘れていたよ。」
ニヤニヤ笑いながら、九尾が声を掛けてくる。
「うん。私も忘れてた…」
風で乱れた背中の毛を、舐めて撫で付けながら返事をすると、九尾がクスクスと笑った。
座り込んだ枝の上から、九尾の実家の屋敷が良く見渡せる。整った広い庭…流石に林は無いが、それでも沢山の木々が植えられている。
屋敷は二階建ての木造建築。屋根は瓦だろうか。
木戸がしっかりと閉められているから分からないけど、作り的には庭に面して渡り廊下になってるんじゃないかな。
私が屋敷を観察していると、その視線を追うように九尾は屋敷を見下ろした。
懐かしむ様な、寂しそうな…そんな眼をした九尾の横顔をじっと眺めていると、少し肌寒く感じる風がサァ…っと吹いて。
九尾の9枚の尻尾がゆらゆらと揺れた。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




