胎動の刻―侵食の叫び『浴衣の君』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『浴衣の君』
入浴を済ませて居間に戻ると、男性陣は既に寛いでいた。
私は、ふらつきながら座布団の上にへたり込む。猫になって初めてお風呂に入れられた。こんなに疲れるものだったのか…。私は元いた世界で飼っていた、猫の『輪』を思い出す。
季節の変わり目、抜け毛が凄い時期に、身体を洗ってあげていたが…何か、本当にすみませんでした!って気持ちになった。
ふと見れば…男性陣も浴衣を着ている。
囲炉裏前、私の隣りには白帝城が正座をして座っている。藍色に生成りの七宝柄の浴衣を着ている。帯は兵児帯で、濃紺。無地かと思ったけど…微かに絞りが入っているみたいだ。
白銀の髪が微妙に濡れていて、何とも言えない色気がダダ漏れていた。
「輪も入浴をしたのだな。毛並みが整って、ふわふわじゃないか。」
白帝城が隣りに倒れ込んだ私の背中を、優しく撫でる。
確かに…綺麗になりましたよ。白夜が風を操って、簡易的なドライヤー方式で、濡れ細った毛並みを乾燥してくれたしね。
でも、めちゃくちゃ疲れた。騒ぎ疲れた感は否めないけど…。私は白帝城に話しかける元気もなく、無言のまま尻尾を揺らす。
しかし…心の底から、この場に夾竹桃が居ないのを悔やまれる。きっと見たら、天に召される位、喜んだに違いない。いや、待て。多分、破壊的に騒がしいぞ…。
やっぱり居なくて正解だと、思い直してしまった。
九尾は、縁側に座っていた。
さっきも縁側に座ってたし…庭を眺めるのが好きなのだろうか。
9枚の尻尾は、まだ乾き切っていない。浴衣は、生成り生地に唐茶色の鹿の子柄だ。パリっとした角帯は墨黒に、灰色の太い線を細い線が挟む親子縞。
湯上がりで暑いのか、熱を逃すように胸元が開いている。
流石は九尾…完璧に着こなしている。
でも、ベヌスタ属の尻尾って…一体どうやって生えいるんだろう?九尾の尻尾はモフモフで、かなり嵩張っている。着物にデカい穴を開けないと通らないような…。
入浴中に白夜の尻尾を観察するべきだったか?
いや…それは確実にセクハラ案件だろう。尋ねるのも、何か躊躇なくするしなぁ…謎である。
魔剣の浴衣は、無地の紫黒色。微かに紫がかっているが、夜の薄明かりの中では、真っ黒にしか見えない。
帯は深紫の兵児帯を締めていた。
裾をたくし上げて、胡座をかいて壁を背にして座っている。
鍛え抜かれた太ももが丸見えだ。
ちょっと、コレは…今日は魔剣の膝には座れないな。
女性陣も浴衣を着ているが…着付けは白夜と銀朱でやっていた。
白帝城と魔剣がひとりで浴衣を着付けられる訳は無いから、九尾が着付けてあげたのだろうけど…ううむ。
何とも言えない絵面が、脳裏に浮かぶ。
私は頭を振って、その男性陣の絵面を頭から追い出した。隣りに座る白帝城が、不思議そうな顔をして私を見ていたが…スンとすまして、気にしない事にした。
室内に戻った女性陣は、思い思いの場所で寛ぎ始める。
初めて着る浴衣がとても嬉しそうな雫は、九尾の傍に寄ると、くるりと回って、その可愛らしい姿を自慢するように見せていた。
「お、雫。浴衣、凄く似合うじゃないか。」
九尾の眼が、僅かに下がる。
「そうかな…?」
ちょっと照れ臭いのか、はにかむ雫が…実に愛らしい。それを見た白帝城の目尻が下がっているのは言うまでもないだろう。
雫の浴衣は、優しい淡紅藤色の生地に、桃色や紅の朝顔が咲き乱れる。花青緑の細い蔦に、葉が彩りを添えている総柄だ。
帯は、真紅に端にだけ白い絞りが入った兵児帯で、背中側で蝶々結びをされていた。
実に、女の子が好きそうな、可愛らしい柄だ。
魔剣の隣りには、天使が座っている。
やはり想う株には、いつもと違う姿を傍で見てもらいたい…と言う乙女心だろうか?
長い白銀の髪を緩めに結い上げ、その細い首を露わにしている。溢れ落ちて流れる後れ毛が、儚げな色っぽさに拍車をかけていた。
天使の浴衣は、白から淡藤のグラデーションの生地で、襟元、袖、裾部分に真っ白な桔梗の花と薄緑の葉が散りばめられている。
浴衣とは思えない図柄で、まるで、振り袖や色留袖のようだと思った。
でも…とても良く似合っている。
さっきから、横目でチラチラと天使を見ている魔剣の表情が全てを物語ってるだろう。
しかし…天使と白帝城の兄妹は恐ろしいな。何だって、浴衣を着ただけで、こんなに色気がダダ漏れするんだ?見慣れていない姿だから、余計にそう思うのだろうか。
天使をチラ見していた魔剣と、視線が気になったらしい天使の眼がバチっと合う。
すると魔剣は耳を朱色に染めて、慌てるようにその顔をそらし、視線を庭へと向けた。
「い、いや…何か、ちょっとのぼせたかな…。」
魔剣は誤魔化すように小さく呟くと、胸元をパタパタと手で煽ぐ。
天使はニコニコと微笑みながら
「そうですね…檜の湯船は、とても香りが良くて…私ものぼせるまで温まってしまいました。」
と、魔剣の呟きに返事をした。
照れ隠しをする魔剣を見つめる天使の笑みは、何処か満足気で、華やかな笑みだった。
白帝城と向かい合うように座っている白夜。この現状の立役者と言えるだろう。その白夜の後ろに控える銀朱は、縁の下の力持ちというところか。
庵に到着した私達を出迎えた銀朱は、白夜の指示の元、湯の支度と着替えの準備に追われていたようだ。
マリンの事だから、全員分の着替えは用意してあるだろうが、折角香月を訪れたのだから、香月らしい服を着てもらいたい…と言う白夜の気持ちを汲んだみたいだ。
そんな白夜の浴衣は、紺色に白の縞模様。無地の濃紅の帯をきっちりと締めていて、実に粋な装いになっている。
普段から気慣れているからだろう。背中をピンと伸ばし、和の美しさと凛とした佇まいが、見事なまでに調和していた。
控えている銀朱は、着付けの手伝いをしたものの、入浴はしていないので、作務衣にサムエルパンツのままだった。銀朱の浴衣姿も見たかったなぁ…と、かなり残念な気持ちになってしまう。
入り口の襖近くには、相変わらず壁と同化したように、静かに控えるマリンの姿がある。
マリンも一緒に入浴したから、こちらも浴衣姿だ。
雫の髪を洗い、身体を流し…入浴中でも主の世話を完璧に熟す。普段のゆったりとしたメイド服ではよく分からなかったが…ビックリする程のグラマラスボディで、度肝を抜かれたのは内緒にしておこう。セクハラになってしまう…。
マリンの浴衣は、ある意味王道だ。
灰色の生地に、水色の水流。咲き誇る菖蒲の花に、ツンと尖った薄緑の葉。総柄だけど、品良く纏まった柄で、マリンらしい感じが良く出ている。芥子色の帯が、全体的な印象を引き締めているのは間違いないだろう。
銀朱が何処からこの浴衣をかき集めてきたのかは謎だが…皆が着ている浴衣の全てが着古した感じはない。
パリっと糊付けされた真新しい浴衣ばかりだった。
ベヌスタの尻尾用の穴が無い着物を揃えるのは、きっと大変だったに違いない。
男性陣の浴衣はどうだったか知らないけど、女性陣用の浴衣は、かなりの枚数を用意してあったのだ。
入浴する前に誰にどの浴衣が似合うのか、放心する天使と雫をよそに、白夜と銀朱が燃え上がるように選び抜いていた。その甲斐はあっただろう…皆の素敵な浴衣姿を見て、私はかなりご満悦である。
頑張って着物を集めてきた銀朱には、感謝しなきゃ駄目だねぇ。ありがとう、銀朱。
疲れも忘れて、喉をゴロゴロと鳴らす。
自分で着物を着る機会は無かったが、着物が大好きな私としては、これだけでも…香月最高!とか、思ってしまう。欲を言えば…出来れば自分も袖を通して見たかったなぁ〜とは考えるが…まぁ、仕方ないだろう。
今は、猫だしな。
私は欠伸をひとつ吐くと、座布団に丸くなる。鼻や耳に届く、夕食の準備を進める香りと音。
食事を済ませた後は、領主夫妻を交えての会議になるだろう。
まだまだ、夜は長いって事だな…。
眼を閉じると、たちまち猛烈な眠気に襲われる。
やっぱり、猫にお風呂はヤバイって…そう思いながら。
そのままウトウトと…眠ってしまったのだった。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




