胎動の刻―侵食の叫び『香月の苗③』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『香月の苗③』
香月の領主の奥方、伊集院志乃さんが経営している孤児院『香月の苗』に、南辺境地域の教会施設から救出した、幼い子苗達を預ける算段はついた。
『香月の苗』は、私達の想像を遥かに超えている。親を失った子苗達が暮らす場所…それだけではなく、子苗達の未来を、可能性を育む施設だと知った。志乃さんの高い志と理念には、一同は頭を下げる思いになっただろう。
雫の言葉通りに…香月の穂ノ守『香月の苗』は、子苗達にとって最適だと感じる事が出来た。
白夜の母親である志乃さんは、一見厳しそうに見えるが、子苗達に向ける視線は何処までも優しい。その笑みは、正に聖母と呼ぶに相応しい笑顔だ。
まぁ…実際問題、その人柄は厳しいとは思う。だって、娘の白夜も怖いと言ってたし。銀朱は、小さくなって慄いているし。九尾でさえ、苦手だ…と呟いていたからね。
領主の妻…それだけの事はあるのだろう。優しいだけでは、務まらないのは事実だ。
「銀朱から聞いたのですが。あの子苗達は…南で保護した。で、相違御座いませんか?」
志乃さんが手にした湯呑み茶碗を見つめながら口を開いた。
志乃さんの問いに、白帝城は頷く。
「南辺境地域の…教会で保護致しました。お耳に入っているとは思いますが…南辺境は劣悪な環境下になっております。」
白帝城がチラッと九尾に視線を向けた。普段であれば、この手の会話は九尾が担当しているようなものだからだ。しかし、九尾は白帝城の視線に気が付いても、頑なに口を開こうとはしない。白帝城は諦めたように話しを続ける。
「南辺境伯の独裁により、民は苦しんでおります。辺境伯は、食う物に困った民から子苗を買い取っているようです。あの子苗達もそうして教会に売り飛ばされたのでしょう…。」
教会が何故子苗達を買い取っていたのか…苗を使った非道な実験や研究をしていた…と、話してしまうんじゃないかと、ハラハラする。
いや、本当の事だし…話したら駄目って事では無い。無いけど…知ってしまったら、教会の手が香月に及ぶかも知れない。それは…マズいんじゃないだろうか?
「…そうですか。南辺境地域の辺境伯が独裁を始めた情報は、夫である西辺境伯の耳にも伝わっております。既に、知り得た情報を王都へ伝達しております。
我が領土とは関係無い…とは言え、民が苦しんで居るのを見過ごす事も出来ず。手の物を使い、内々に、民達を救う為の援助を開始しておりました。
近々、王城からの正式な調査と粛正が開始されるとか…。さすれば、援助物資の運搬もスムーズに搬入出来るようになりますでしょう。香月の準備は万全で御座います。」
志乃さんが、手にした湯呑み茶碗を静かに茶托に戻す。
「主人は、無口な武骨者故…私からお話しをさせて頂きました。」
スッと瞼を閉じて、白帝城に黙礼をする。
「香月が民を援助してくれるならば…心強いです。皆、食に困っておりますので…。」
白帝城の言葉に、志乃さんはフッと笑う。
「働き口に困るようであるなら…暫くの間、香月で働いて頂きたいものです。これから小麦の収穫が始まりますので…人手は幾らあっても助かりますから。」
志乃さんの言葉で、脳裏にさっき見た小麦畑が広がる。確かに…広大な面積だ。収穫にどれだけ人手が必要になるのか…私には見当も付かない。
「それで…お話しを戻してしまい恐縮なのですが。何故、教会が子苗達を?」
志乃さんの言葉に、白帝城は身構える。ホラ…やっぱり来たよ、この質問っ!どうするの…白帝城!
「それは…ですね…」
再度、白帝城が九尾へと視線を投げかける。
白帝城は紳士で、正直な株だ。きっと偽りない事実を話してしまうだろう。
でも…それによって香月を危険に晒す事になりかねない。その判断を、白帝城は出来ずにいる。
九尾がフゥ…と息を吐いた。そして、やっと重い口を開く。
「その理由は…王都の宰相閣下に直にお尋ね下さい。我々は『詳細は他言無用』と命じられておりますので、ご容赦ください。」
九尾が志乃さんに向き直り、頭を下げた。
「…なるほど。機密事項に認定された…という事ですね。」
九尾の言葉から、国を揺るがす事態になりかねない案件である…と、志乃さんは瞬時に把握したみたいだ。志乃さんの視線は射抜くように鋭い。その視線を直に受けながら、九尾は話しを続ける。
「とはいえ…辺境伯ご令嬢の白夜殿を巻き込んでしまったのは事実ですし。それに対して何も説明しないと言うのは…あまりに礼儀知らず。それは、白帝城の信条に反する…だろ?」
九尾が白帝城へ問い掛けると、白帝城は即座に頷く。
「南の民の為に即座に行動を起こして頂けたのだ…宰相閣下殿としても、無下には出来ないだろう。私の方からも連絡を入れた際に、旨を伝えておく。」
白帝城は仲間の顔を一株づつ見ると、意を決したように話し始める。
「私は、事の次第を香月のご領主殿に話すべきだと考える。話す事で…西辺境地域までもが脅威に晒される事態になるかも知れぬ。だが…何も知らぬまま渦中に放り出される可能性もある。なら…知った上で対策を講じられれば…そう思うのだが。どうだろうか?」
白帝城が皆に意見を求めると、皆がそれぞれの意見を述べ始める。
「オレは、良いと思うぞ。北へ向かうにしろ…足掛かりは必要だろ?協力してもらえるならば、助かる。」
魔剣が口重そうに話すと、
「それは…そうですが…やはり香月を巻き込むのは憚られます。王都のように襲撃が無いとも限りませんし…。」
天使が心配そうに俯く。
「いえ…やはり知るべきです。最早、人ごとでは有りません。いつ何時、アレが西に現れたとしてもおかしくないのです。それに、香月の戦闘力を舐めないで下さいませ。王宮護衛兵団第四部隊にも劣りません事よ?」
白夜が胸を張って言い切る。アレ…ネブラミスか、邪神の事か。
最後に雫が、少し眠そうな声で話し出す。
「白帝城の意見に異論は無い…。情報の共有は重要。きっと宰相さんも納得してくれる…。今は領地を越えて、結束しないと駄目。被害を受けた場合の対応に遅れが出てしまう。」
王城がある王都が中心ではあるが…辺境地域は各領主が納めているのが現状だ。だから、南のようなあり得ない暴挙が罷り通ってしまう。
雫は、危険を認知し、それを共有。国で意識をひとつにまとめ上げないと駄目だと考えているらしい。
アストロ宰相さんは、無駄に混乱を招くと危惧していたが…。そんな事を言っていられなくなってきた…状況は悪い方向へと流れているのだから。
白帝城が九尾に視線を投げかける。
民を護る為…上に立つ者は知らなければならない。正確に、状況を見定めて歩まねば…犠牲が増えるだけだ。
九尾は、ふぅ…と息を吐いた。
「心配は残るものの…皆の意見はほぼ一致したと見て、詳細をお話ししたいと思いますが…。場所を改め、ご領主様を交えてご説明したいと思います。」
九尾の言葉に、志乃さん難しい顔をしたまま頷いた。
「承知致しました。では後ほど…屋敷に場所を設けさせましょう。しかし…中々に厄介な風向きなようですね。」
志乃さんの言葉に、皆が下をむく。
その中で魔剣だけが真っ直ぐに、睨むように窓の外に広がる空を見つめていた。
「厄介…だが、縺れた糸は解かないとな。約束は生きている…それに国を巻き込む訳にはいかない。方は必ず付ける…。」
誰ともなく語る魔剣の言葉の意味…。私は、胸にギュッと締め付けられるように痛みを感じて、魔剣を見つめる。
「?」
志乃さんには何の話しなのか伝わらず、首を僅かに傾げる。
だが、皆には伝わったみたいで…俯いた顔を上げた。
約束…。
ネブラミスと交わした約束。
魔剣は、何かを決意したように思えた。どう方を付ける気なんだろうか?再び刃を交える事を、どう考えているのだろう…。
ふと天使を見れば、膝に添えられた手を硬く握っている。その手は、小刻み震えているのが分かった。
私は堪らずに、九尾の膝から降りると天使の元へ駆け寄った。そして、安心させるように…その白く華奢な手に、頭を擦り付ける。
志乃さんが居るから…話せない。でも、気持ちは伝わると信じてる。
天使が不安になるのは分かるよ…でも大丈夫。皆が傍に居る…だから、大丈夫だよ。そんな気持ちを込めて、私は天使の顔を見上げた。
天使は私を見つめるとニコリと微笑みを浮かべる。その笑みには…大丈夫、気持ち、伝わったよ…と言うメッセージが込められている。…と、思う。
そんなやり取りを、志乃さんは黙って眺めていたが…フッと笑みを浮かべた。
「心が通じ合っておられるようで…何やら、暖かな気持ちになりますね。さぁ、堅苦しい話しはここ迄にして…『香月の苗』をご案内致しましょう。」
そう言うと、志乃さんは立ち上がり、きっちり閉ざされていた木戸を開け放つ。さぁーっと、空気が流れ、優しい緑の香りが室内を満たした。
皆が釣られるように立ち上がり、魔剣が天使に手を差し伸べた。
小さな声で、魔剣は天使に囁く。
「…すまない。」
天使は魔剣の手を握り、立ち上がると、小さく首を振る。そして、ふらついたように魔剣にもたれ掛かると、耳元に囁いた。
「いえ…謝らないで。今は…まだ何を決めたのか…聞かない。でも、私は…貴方が何を決めたとしても…その考えを支持するわ。必ず…私と貴方の約束は守るからね。」
魔剣が驚いたように眼を見開く。その顔を、天使は悪戯っぽい笑顔を浮かべながら見つめると、雫と共に先に外へと歩き出した。
魔剣は私を抱き上げると、溜息を吐く。
「何か…全てお見通しって感じだよなぁ…。」
魔剣は、ぼやきながら苦笑いを浮かべる。そんな魔剣の肩を、九尾と白帝城が両サイドを固め肩を叩いた。
「ま、どう足掻いても…女性の手のひらで転がるのが、男だな…。」
「我が妹ながら…なかなか出来た女だ。魔剣には、勿体無い。…やらぬからな?」
冷やかすように笑いながら、九尾と白帝城が先へ行く。
魔剣は、真っ赤な顔しながら…立ち尽くしていた。
皆は、薄々だけど…魔剣が何かを決めたと勘付いているみたいだ。
えぇーっ!?何、何…何をどう決めたの?全く分からないんだがっ?
多分、ネブラミスとの事だよね…。どうするつもりなのよ…。うわ、何か疎外感が…。
私は魔剣の腕の中でパタパタと尻尾を振りながら、いじけモードに突入したのだった…。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




