鎖の刻ー萌芽の集『朝の風』
――鎖に縛られていた過去が語られ、やがて集い始める者たち。
繋がりゆく命の鎖は、
微睡みの中で揺れる魂を、次なる刻へと導いていく。
小さな“萌芽”が、やがて世界を揺るがす日まで――
『朝の風』
氷に詰め寄られ、九尾は眉間に深い皺を寄せた。確かに…パープルだろうが、猟犬だろうが、法で裁かずに闇へ葬るのならば…今、氷が動いても変わりないのかも知れない。
でも、南辺境伯の悪事は明確。隠そうとしていないように感じて…とても法で裁けない案件とは、この国の法律をよく知らない私でも思えなかった。
アストロ宰相の判断に委ねるのが、正解だと思う。だから九尾は、氷に許可を出さずに沈黙しているのだろう。
無邪気に。笑顔で「消しちまった方が早いっスよぉ〜」と、九尾に強請る氷…。まるで、スーパーでお菓子を強請る幼児のように見える。
「…駄目だ。判断するのは、宰相のおっさんだ。」
九尾が、厳しい眼差しで氷に言う。
「えぇ〜っ?…駄目っスか…。殺っちまった方が早いと思うんスけどなぁ…。でも、兄貴がそう言うならば、俺は従いますよっ。」
シュンと耳を項垂れ、尻尾を下げる…そんな幻覚が見える。
それは、私だけが見えた幻覚では無いようで…白帝城が苦笑いを浮かべているに気が付いた。多分、同じ事を考えているんじゃないかな?
「そんなに…殺せない事にガッカリするのならば、パープルに移籍したらどうだ?猟犬で居るよりは、暗殺の依頼は多くなるだろう…。」
白帝城が笑みを消し、苦い顔をしながら、氷に問いかける。
アストロ宰相の最強私設部隊『パープル・ウィドウ』
公に裁けない連中を始末する為だけに設立された、非合法殲滅部隊。
実行力もさることながら、その影は、抑止力としても期待出来るだろう。
白帝城の言うように、パープル任務は暗殺。猟犬は、鼻を使い匂いを嗅ぎ分ける…探るのを目的として設立されていて、噛み殺すのは…緊急性が高い場合だったような気がする。
白帝城の問いかけに、氷は意外な事を言われた…という感じで、キョトンとしながら
「え。嫌っス。」
と、端的に返事をした。
嫌…って、何で?と、反射的に思ってしまう。
「そりゃぁ〜パープルの仕事は魅力的っスけどぉ。兄貴が居ない部隊じゃないっスかっ!そんなの無理っス!」
いやいやいや…九尾は五葉になった時点で、猟犬は抜けた筈だけど?
私は、心の中で突っ込みを入れる。
「兄貴が、パープルを指揮するってーなら…喜んで異動しますけどねっ?」
氷が、チラッと九尾を盗み見る。その仕草から察するに、九尾がパープル部隊の指揮に当たるのを、多少は期待しているのだろう。
そんな視線を感じた九尾は、顔を伏せて…ふぅーっと盛大に溜息を吐いきながら
「あのなぁ〜…俺は猟犬を抜けてるし、パープルを指揮するつもりは無いんだが?」
と言いながら、困ったように氷を見つめる。
「知ってるっス。でも…何か調べたい事がある時は、兄貴には猟犬を動かす権利があるじゃないっスかっ!だから俺は猟犬をやってるんスよぉ〜。兄貴に会える機会が多いっスもんっ。」
あ、そんな理由で…猟犬してるのか。
私は、ズルっと…肩の力が抜けた気がした。
「それに…パープルになったら、メイドの下になるじゃないっスかっ!?そんなの…無理っス!!」
それは耐えられないっ!と、氷は九尾の背後に居るマリンを睨みながら、騒ぐ。
「俺は、兄貴の子分でお側に控えて居たいっスよっ!!」
ギャンギャンと、飼い主を求めてワンコが鳴く…。
ああ…コレは。九尾も大変なワンコに懐かれているんもんだ…。
呆れと、冷や汗が滲む。
「ま…そう思うならば、九尾の指示にはしっかりと従う事だ。」
白帝城は、諭すように氷へ伝える。
「聞き分けない事を言って、主を困らせるなよ?」
横目で九尾を見ながら、白帝城はニヤリと笑う。
地面に正座している氷は、両手を膝に添えながら下を向く。
「…うっす。」
九尾に、「殺す」許可を得ようと駄々を捏ねていた氷。その言動を反省しているのだろう…。下を向きながら、九尾に対して頭を下げる。
「兄貴…すみませんでした…。」
叱られて、しょんぼりと項垂れていると…何だ、案外可愛いじゃないか。と思ってしまう。
アレ…私って、チョロいのかな?
でも、それは私だけでは無いようで。
九尾が氷の頭にその手を乗せると、
髪をクシャっと撫でる。
「もう、良いよ。お前の仕事ぶりには信を置いてる。これからも頼むな…。」
と、微笑んだ。
氷はパッと顔をあげると、晴れやかな笑顔を浮かべる。
あ…。暗い、刺すような瞳じゃない。
心から嬉しいと思っているのが、滲み出てる眼差しだ。
「さて…そろそろ皆が起きてくるかな。マリン、雫達の様子を見てきてくれないか?」
九尾は、背後で警戒を怠らないマリンに声を掛ける。
「あと、天使の様子も…。危篤状態の子苗が気になる…。」
マリンは背中を向けたまま
「畏まりました。」
と返答すると、雫達が眠るラプティス達の元へ歩き出した。
「俺は水汲みをしてくるわ。」
立ち上がる九尾を、氷が後を追う。ブンブンと尻尾を振る幻覚…これはもうデフォルトだな。
焚火の側には、白帝城と眠る夾竹桃。そして、私が残された。
「危なっかしい奴だが…素直で憎めない男なんだ。」
白帝城が、九尾と氷に視線を向けながらそう話し出す。
「氷は…九尾にだけ、真っ直ぐにその感情を向けている。アレの本質は狂気でしか無い…誰もが見えない振りをする中で、九尾だけが氷と真正面から向き合った。
だから…あんなにも懐いているのだろうな。輪は…氷が恐ろしいか?」
白帝城の問いかけに、私は首を傾げる。確かに…あの纏った雰囲気は異様だった。毛が逆立つ程の恐怖を感じた。でも…
「誰かに…九尾に、認めてもらいたいって気持ちは伝わった。」
本当に殺したいなら、許可なんか必要としないだろう。氷ならば…即座に殺せると思う。
それをやらないで、許可を求めているのは…上司だからとか、正当性を求めてとか…そんな理由じゃなくて。もっと単純に『褒めてもらう』しか無いんじゃないかな?
九尾に『よくやった』と言われたいだけな気がする。子供がテストで良い点を取ったら、親に褒めてもらいたいと思うように…。
確かに、氷の本質は狂気なのだろう。でも、それを上回るくらい…誰かに認めてもらいたい、好かれたいって気持ちが勝っているのかも…そんな気がした。
「白帝城に諫められて、反省してる氷は…ちょっと可愛いかったな」
私の言葉に、白帝城がクスッと笑う。
「氷が可愛いか…流石は輪だな。」
「ん? どう言う意味かな…」
「いや、やはり懐が広い『猫』だと思ってな…。」
広いって…私をムササビみたいに言わないで欲しいんだが?
なんて、茶化そうと口を開き掛けた時に、足音に気付き、視線を向けた。
マリンに支えられながら、天使がこちらに歩いてきている。
天使は憔悴している様子で、薄手のショールを頭から被っていて。それを手にして、口元を隠している。
…どうしたんだろうか?
すぐに白帝城もマリン達に気付き、立ち上がる。側まで来た天使に、白帝城は両手を差し伸べると…天使はよろめきながら、その腕の中に収まった。
「…先程、子苗が…息を引き取りました…。」
悲しみを隠し切れない声で、天使が小さく呟いた。
あ…。救出した子苗の中の重体だった子が…やっぱり、駄目だったんだ。
「そうか…すまない。辛い思いをさせてしまったな…」
白帝城が天使を労うように呟くと、天使は小さく頭を振る。
「…大丈夫。」
「天使様は、子苗の痛みを消しながら…ずっと付き添われていましたので、消耗しておいでです。休まれた方が宜しいかと存じますので…私が、魔剣様のテントにお連れ致します。白帝城様は子苗をお願い致します。」
マリンが壊れ物を扱うように、そっと天使の肩を抱く。
「魔剣はどうするの?」
魔剣も寝てると思うのだけど…。私がマリンに問うと
「叩き起こします。」
と、マリンがスンとしながら答えてくれた。
まぁ…二人仲良く一緒のベッドって訳にもいかないし…しかも、簡易ベッドな訳だしね…うん、叩き起こされても仕方ないかな。
私は納得して、マリンに頷く。魔剣には同情するが…天使を休ませる為ならば、文句は言わないだろう。
「他の子苗達は、目覚めた雫様とラプティス達がお側に…」
マリンはそう言い残すと、天使の肩を抱きながら、ゆっくりと魔剣を叩き起こしに向かった。
その後ろ姿を見送ると、白帝城はすっかり明けた空を見上げて息を吐いた。
「さぁ…どこか、綺麗な場所を探して…ゆっくり眠らせてあげないとな。」
朝の爽やかな風が。
白帝城の消えそうな呟きを、空へと舞いあげるのを…私は黙って見上げていた。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




