動乱の刻―歪む運命『呼び声〜大司教』
世界は、静かに脈打っている――
芽吹き、歪み、そして命は交差する。
今、ひとつの「刻」が動き出す。
『呼び声〜大司教』
セレナ神の像の影から現れた女性は、九尾の問いには答えずに、祈るように首から下げたロザリオを握り締めている。
真っ白なローブのフードを深く被り、顔は見えない。フードには、金糸の刺繍が鮮やかに縁取られていて、品良く豪華で有りながら、清らかさを強調しているローブは、明らかに宗玄より格上の役職だと物語っていた。
「大司教様…。」
宗玄の顔色が、サッと変わる。
「騒がしいと思い、見に来てみれば…貴方は何をしているのですか?」
女性が、這いつくばる宗玄に声を掛ける。
「も、申し訳ありません…ですが」
「神は、お嘆きになっておられます。」
女性が冷たく言い放つと、宗玄は口を閉ざし、青ざめた。
女性は、宗玄の側に寄ると見下ろしながら
「何故、この様な事態になっているのでしょうか?再度尋ねます。宗玄、貴方は一体何をしているのですか。」
と、喋り掛けながら、チラリと私達に視線を向けた。
宗玄より、格上…大司教様と呼んでいたみたいだけど…どういう事だろう。宗玄は教会最高責任者と名乗っていなかったか?
そんな事よりも…この声、この匂い…。九尾は気が付いているのだろうか。見上げれば、九尾も私を見て居た。
「魔剣達の音が聞こえたら、知らせに走れ…。」
私の耳に、微かに届く声。
宗玄達に聞こえぬ様、声を殺して九尾が囁いた。
九尾は白夜の腕を掴んで、悟られぬよう計らいながら、ジリジリと後退りを始めていた。大聖堂の扉は、三体の株が来た時のまま、開け放たれている。
「誰の許可を得て、この者達の呪詛を活性化させているのですか?」
女性は宗玄に語り掛けながら、石像のように動かなくなった青年の側に歩み寄ると、手に握り締められた短剣を抜き取る。
「宗玄。貴方の功績、呪詛師としての類稀なる才能は、神もお認めになっておられます。だが、己が欲の為に、神の信徒を勝手に使用するとは、何事ですか…。」
女性の言葉に、宗玄は眼を向いた。
「大司教様、ち、違うのです!奴等は、神敵!神に仇なす者!今、倒さねば成りませんっ!決して私の欲の為では有りません!」
宗玄は必死に弁明しながら、何とか起きあがろうと試みるが、上半身を動かすだけで痛むようで、顔を顰めている。額には、薄っすらと汗を滲ませていた。
いや、その額の汗は、痛みによる脂汗では無く、純粋な恐怖による冷や汗かも知れない…。それだけの圧を、この大司教から感じている。
「いいえ、貴方の欲です。
より強い株を求めるのは、己れの力を誇る為であり、自信が危うくなれば、株の呪詛を活性化させる。それも、我が身可愛いさの保身の為…。
貴方の中に、神は存在しないのでしょう?
承認欲求が満たされるから、神に縋り、その力を振るう。ただ自分が良ければ、それで良い…それは、宗玄、貴方の『欲』なのです。」
女性が、足元でのたうつ宗玄を見下ろす為に少しだけ俯いた。清らかなローブのフードから、ひと束の髪がハラリと溢れ落ちる。
闇の滴が溢れ落ちたかのような…艶やかな黒髪。
フードから、僅かに覗く薄紅の口元は、薄っすらと冷笑を浮かべていた。
「そ、そんな…。神の為に、私は全てを捧げて参りました。神の望む世界に至るのは、神に認められた者のみ…私は、神に選ばれた!選ばれた株なのだっ!」
ヒステリックに宗玄が喚く。
眼は血走り、必死に弁明する姿は、滑稽を通り越して憐れにすら思われた。
「選ばれたのは、貴方では有りません。只の使い走り…捨て駒です。」
フードから覗く紅の唇が、鮮やかなまでに弧を描く。
そして手にした短剣を、宗玄に刃先を向けて落とした。
短剣は真っ直ぐ宗玄の胸元へと吸い込まれる。
短剣は、宗玄のローブを突き破り、身体に刃先を沈めた。
眼を見開き、首を上げて、宗玄は己れの胸に刺さる短剣を凝視する。身じろぎをすれば、軽く刺さっただけの短剣は身体から抜けて、カラン…と渇いた音を立てて床へと落ちた。
「そ、そんな…馬鹿な…」
宗玄は、信じられない物を見るように、眼を剥き、天井を仰ぎ見る。ゆっくりとローブに滲む血を感じている様だった。
軽く刺さっただけの擦り傷。
だけど…短剣には毒らしき物が付着しているように見受けられた。
即効性がある猛毒なら…擦り傷でも…。
「フッ、ハッ、ハッ…」
宗玄の息づかいが、まるで過呼吸を起こしたように、荒く短く、次第にヒュー、ヒューと喘鳴を共なっていく。
「な、何故…私は、選ばれた…神の信徒として…」
宗玄は、うわ言のように呟きながら、細かく震える折れた腕を使い、手探りでロザリオを手繰り寄せる。
「神は…私を見捨てた…のか?」
宗玄の顔色が、青黒く変化していく。
やっぱり即効性の毒だった…。
死に向かう宗玄を見ながら、この毒を塗られた短剣が、白夜に届いていたら…と思い。宗玄と白夜の姿が重なり、ゾクっとする。
私はブルブルと頭を振った。
「宗玄、貴方を見限っただけです。」
嘲笑を含ませて、女性が言い放つ。
やってきた悪事…沢山の株や子苗達を手に掛け、非道な実験を繰り返してきた宗玄。
それは、絶対に許せない事実だけれど…信じてきた神に、大司教の手により、死へ誘われて行く様は…当然の報いと言うよりも、哀れな死に方に思えてしまう。
「…神よ…」
宗玄は、最後にそう言って。
眼からゆっくりと光が消え、呼吸が静かに止まる。眼を見開き、苦しげに口を開け放ったまま…宗玄は絶命した。
その肌は、煤を被ったように黒ずんでいる。…なんの毒だろうか?
「己れで開発した毒の味はどうだったかしら?さぞ美味だったのでしょうね。ふふふ…」
女性が愉しそうに笑う。
「この毒はね、ハオルチアの呼吸を止めて、内部からゆっくりと溶かすのよ?宗玄も、いずれグズグズに溶けて消えるわ。…どうせなら、生きたまま、ドロドロに溶けていく方が、見てる分には楽しいわよね?」
ふふふ…と笑いながら、片手を頬に添えて、小首を傾げる。
愉しそうに、グロい事を…生きたまま溶けるって、考えただけで血の気が失せて貧血を起こしそうだ。
現に白夜の顔色が蒼白になっている。
「さて、この株達はどうしようかしら?」
女性がゆっくりと石像の様に動きを止めている青年達の側に寄る。
「今は、私が動きを止めているけれど…解除すれば、また貴方達を襲うわ。」
ペチペチと短剣を持っていた青年の頬を叩く。
「狐…どうして欲しい?まだ戦い足りないなら、動かすわよ?」
女性が、入り口近くまで後退した九尾を振り返り、声を掛けてきた。
九尾はゴクリと喉を慣らすと
「いや、遠慮しておくわ。これから大変そうだからな…体力は温存しておきたい。」
と、少し軽薄そうにあっけらかんと答えてみせた。
「あら…残念ね。もう少し見ていたい気もしていたのに。なら、宗玄と同じように殺してしまいましょうか。」
女性が、宗玄を殺した短剣を拾い上げた。
「やめてっ!」
白夜が思わず叫ぶ。
「何故?」
女性が短剣をヒラヒラと弄びながら、白夜へ問う。
「彼等はもう戻れない。死ぬまで戦う兵士になってしまった…戦わないなら、生きる意味すらない。
なら、楽に死なせてあげた方が彼等の為になるのでは?
宗玄を見たでしょう…然程苦しまずに死ねるわ。まぁ、溶けて消えてしまうけれどね。死後なら、如何なろうとも…死者は気にしないわ。」
白夜が苦しそうに、両手で胸を抑える。
「…戻れない…何故、そう言い切るのですか?
私に、『助けて』と言った!
元に戻れる可能性が少しでも有るならば、助けたいっ。
それに、彼等の命は彼等のものです。
私達が勝手に決めて良い訳がありませんわっ!」
白夜が蒼白になりながら、槍斧を持つ青年を離れた場所から見つめる。
本当ならば、青年の側に駆け寄りたいのだろうけど。白夜の右腕を、九尾がしっかりと握り締めて、押さえ込んでいた。
「憐れな事を…。彼等にまだ苦しめと、貴女は仰るのね?」
女性が、意地悪そうに丁寧に言うと、ふふふ…と笑う。
「あの小娘ならば、戻す手段を探すかも知れないわ…。今死ぬのも、後で死ぬのも変わりない…好きにすると良いわ。」
女性の言葉に九尾がピクリと反応して、息を詰める。
あの小娘…雫の事かっ?
「錦…。宗玄が躍起になるのも、頷ける程の潜在能力の高さね。
狐…いつの間に新顔を仲間にしたのかしら?」
九尾が答えに躊躇する。
仲間じゃないと否定しても、もう手遅れだろう。教会関係者に白夜の存在を知られた以上、白夜は狙われる立場になってしまった。
九尾が唇を噛む。
「あら、答えくれないのね?
私は新顔には興味ないから、別に良いけれど。
で、狐…。この後はどうするつもりなのかしら?」
女性が妖艶に微笑んだ。
ザワザワと悪寒が背筋を伝う。
女性が着ている清らかなローブが、
まるで異質であると云わしめてるように、彼女の周囲が闇に滲む。
首から下げられた女性のロザリオ。
黒いオパールの輝きが、淡い光を反射して多彩な色を見せている。
まるで…この女性そのものみたいだと
感じた。
ブワッと毛が逆立つ。さっきから…本能が、警戒のアラームを鳴らしっぱなしだ。ヤバイ、ヤバイ…この状況で、九尾はどうするつもりなのだろう?
態勢を低くしながら、九尾に話しかけようとした時に、耳がピクリと反応した。…破壊音に続き、複数の足音。後、「キュイ、キュイ」と。ラプティスの鳴き声が聞こえる…!
魔剣達が来たっ!
「ニャウーン」
遠吠えのように猫鳴きをして、私は九尾に知らせる。
「走れっ!」
九尾が吠えるのと同時に、私は脱兎の如く走り始めた。
開いたままの扉が、重い音を軋ませながらゆっくりと閉まりだす。
マジかっ!なんで…。あの女性が何かやったのか?
間に合うか…?無理かっ?
いや、行くっきゃないっ!!
私は閉まり掛けた扉へ、思い切りジャンプして、飛び込んだ。
猫のしなやかな身体に、重い扉が触れる位…ギリギリで擦り抜ける。
そのまま空中で身体を捻り、反転して着地した。尻尾が挟まりそうで、思わず捻ってしまった。
眼の前で、扉は重く閉ざされた。
この猫の身体では、扉を開ける事は出来ない…。何か合ったとしても、私は向こうへ行けない。
九尾達は、大丈夫だろうか…。
不安が波のように押し寄せてくる。
だから、早く応援を呼びに行くんだ!
魔剣達と合流して、九尾の元へ戻らないと。私はラプティス達の声が聞こえる方向へと走り出した。
「読んでくださり、ありがとうございました。」




