兆しの刻-ざわめく世界『楠』
※「芽吹きの刻」編(改訂版)を経て、ここからは新たな物語が紡がれております。
『クスノキ』
何処までも広く感じる、穏やかな森の中。
柔らかな優しい風が、緑豊かな新緑の樹々の梢枝を揺らし、さやさやと枝が鳴る。
優しく儚げなその音色は、まるでヴァイオリンのようだと思った。
暖かな木漏れ日が差し込み、心地良い。
足元には苔むした大地が広がり、まるで緑のふかふかな絨毯のように感じられた。
普通ならば、これだけの苔が生える場所はそれなりに湿気を伴うはずなのに、不快感は全く感じられない。むしろ爽やかで、清々しい。
胸いっぱいに、緑豊かな香りを吸い込む。
ここは…何処だろう。
私は瞑想をしてたはずなのに…。
何で此処に居るんだろうか?
何故か、懐かしいような…これは、この想いは、望郷なのだろうか?
小さな葉が、風に揺られ、騒めきながら囁く。
-来たよ…来たよ…
目覚めの刻だよ…
還りの刻だよ…-
囁きが、木霊する。
何だろ…何のことだろう…。
不安になって、辺りを見回す。
すると、木陰から杖をついた老人が姿を現した。ゴツゴツとした木質化した杖の持ち手部分から、ヒョコっと小さな枝が生えてて、可愛い双葉が顔を出している。
老人は、真っ白な豊かな長い髭を片手で梳ながら、此方にゆっくりと歩み寄ってきた。
木肌の様な皺深い顔は、微笑みを浮かべているようで、下がった目尻に沿うように白い眉毛が長く垂れ下がっている。
誰だろう?昔話に出てきそうな…。
優しい翁みたいだな。
翁の顔が優しく歪む。あ、笑った?
皺が凄いから、表情の変化が分かりにくいかも…。
ーよう戻ったのぅ…
頭の中に、嗄れた声がっ?!
何、コレ…テレパシーなのか?
びっくりして、思わず軽くジャンプして飛び退く。
意識していないと、猫の本能で身体が動いてしま
う。
ーふぉふぉふぉ、儂らとは発声器官が違うから、慣れるまでは、戸惑うじゃろて。
安心せぃ、慣れれば普通に耳で聞こえるように感じられるじゃろ
うわっ!
コレ、完全に、思考読まれてるんじゃない?
このじーちゃん、何者なんだろうか…。
ー…じーちゃん、か。じーちゃん…
ふむ、中々良い響きだのぅ。
気に入ったわい。儂を、じーちゃんと呼ぶのを許してしんぜよう。
何か、許してもらった…。
えと、有難う御座います?
じーちゃんは、愉快そうに髭を揺らし、笑っているみたいだ。
ーさて、おまいさんの疑問じゃが…
前に、此処に来たじゃろ?
覚えておらんのか?
儂は、おまいさんが戻るのを、心待ちにしておったのたが…。
じーちゃんが、しょんぼりと肩を落とす。
え…此処に来た事あるの?
それって…えっ、まさか!
ーなんじゃ、覚えておるではないか。
脅かしよる。
そうじゃ、そうじゃ。
儂が、その姿を与えてやったんじゃよ
じーちゃん、あの精霊さん?
あの、クスノキさんなの!?
うそ、マジ!?
あの、あの、私、何で猫なの!?
人じゃないから、不便だし!
羽有るし!飛べるし!
凄くびっくりしたんだよっ!
私が雫の術で姿を得た時に、確かに此処に来た。辺りを見る余裕無かったけど…そうだ、こんな暖かで穏やかな雰囲気だった。
その時に、何か色々と誰かに言われた…『…在るべき時、有るべき姿を、汝が望むまま…』とか何とか。
ーおまいさんが、望んだ姿じゃろ?
ずっと頭の中に、その姿が映っておったぞ。
きっと異界で、大事にしておった姿形じゃろう…そう思ってなぁ。
おまいさんにしてみれば、此処の出来事など、夢幻に他ならぬ…いずれ、元の世界に戻れば忘れてしまう、儚き誠じゃ。…ならば、そのひと時を、おまいさんの大切なものと歩むのも、一興かと。
なぁ、…余計な計らいだったかのぅ?
ちょ、ちょっと待って。
何か凄い大事な話しを聞いたんじゃない?
じーちゃん、今、異界って言ったよね…私が何処から来たか知ってるの?
私の本能がまだ警戒しているようで、身を低くなってしまっているが、じーちゃんににじり寄る。
ー知ってるのも、何も、あの空色の娘っ子が呼んだんじゃろ?
儂も、ちぃーとばかり手助けしておるよ。
まぁ、娘っ子は気がついておらぬみたいじゃかなぁ?
助けになる異界の人間を望んでおったから…植物をこよなく愛し、慈しむ人間を、儂が、探してやったんじゃよ…。
色んな人間が居ったが…おまいさんと娘っ子の魂の繋がりが強かったから、おまいさんが呼ばれたんじゃな。
じーちゃんの仕業だったのかっ!
猫の姿なのは、精霊の思いやり?
確かに猫とハオルチアは大事にしてたけどさ。
だからって、猫の『輪』の姿ってのは…。
いや、鏡を見たら輪と一緒に居るみたいだなって思うけどさ。余計に、恋しくなると言うか…何と言うか。非常に複雑な気持ちになるんだけども。
でも、そうか…。
植物が好きな人は、沢山居るだろう。
その中で、私だけが、自家交配の一品物の多肉を貰って育ててた。自家交配で名前も無いから、『雫』と名付けて。大切にしてた。
繋がりは確かにあった…って事だよね。
だから、私はこの世界に呼ばれた。
多肉達とちゃんと繋がっていた。…それは、泣きそうになる位、嬉しい話だ。
私のハオルチアを思う気持ちは、自己満足の一方通行じゃ無かったんだ。
ーおまいさんは、本当に優しい子じゃなぁ…儂らには独自の『ネットワーク』ちゅうもんがある。
それは、儂ら精霊が使える技じゃ。
世界を越え、空間を越え、時空すら越える…じゃから、おまいさんの事は、おまいさんの世界に居る精霊達から、聞いておって知っておったよ。
私の世界にも精霊って存在してたんだ…。でも、会った事とか無いけどなぁ。
世界、空間、時空も越えるって…精霊って神様レベルで凄くない?…いや、神様がどの位凄いか、よく知らないけどさ。
そういえば、クスノキって…長寿で巨木になるんだよなぁ。だから、生命力や再生の象徴とされて、神社の御神木として崇められてきたとか。
その幹で、仏像を彫ったり。
神聖な木として、扱われる事が多いって…何かの本で読んだ事がある。
なら、精霊が宿って、その精霊が神様レベルってのも
おかしな話しでは無いのかも?
ーふぉふぉふぉ…
クスノキじーちゃんが愉快そうに笑った。
笑うと皺深い顔に、更に皺が寄る。
良くみれば、背中に流れる豊かな白髪は、白から深い緑へのグラデーションになっていて、綺麗だった。
ーまぁ、良い良い。
儂らの理は、慌てんでもいずれ知れよう。
さて…おまいさんが、ここに戻った理由を聞かせて貰おうかの…。まぁ、聞かんでも知っておるが。
おまいさんの言葉で語るのに、意味があるからのぅ…。
クスノキじーちゃんがそう話しながら、杖でトンと苔むした地面を叩くと、ニョキっと切り株が生えてきた。
…切られた株が生えるって、何かシュールだな…。
じーちゃんは、よっこいしょ…と
その切り株に腰を下ろして、ちょいちょいと私を手招きする。
ーさぁ、聞かせておくれ。
じーちゃんが、皺を深めながら
そう言った。
「読んでくださり、ありがとうございました。」




