兆しの刻-ざわめく世界『ネブラミス』
※「芽吹きの刻」編(改訂版)を経て、ここからは新たな物語が紡がれております。
『ネブラミス』
魔剣の肩に乗ったままの私は、
女王陛下のレイラの笑い声に怯えて、
耳を伏せていた。
狂気じみた声って…こんな風になるんだ。
甲高い、切り裂くような声、嘲笑。何が怖いって、眼が笑ってないのが一番怖い。嘲るように、下を見下した笑い方。眼光が光り、射抜かれるような気持ちにさせる。
「輪、天使を。」
魔剣の聞こえない程の小さな呟き。
私は身体中の毛を逆立てながら、
魔剣の肩から飛び降りると、ソファーにぐったりと横たわる天使の元へ駆け寄った。
天使を覗き込んで、様子を確かめる。
怪我は、してないみたいだ。
血の匂いはしない。
顔色は悪い…息は、ちゃんとしてる。
大丈夫。レイラが言う通り、眠っているだけみたいだ。
私は、天使に身体を擦り寄せ、その綺麗な顔に傷を付けぬよう計らいながら、優しく舐めた。
胸の上に身を置き、確かな鼓動を身体で感じ取る。
「…何かしら、この毛玉は。」
不愉快そうなレイラの声が聞こえて、ぞっとして顔を上げた。レイラは目を細め、不快そうに私を睨めてつけていた。
「シャーっ!」
本能的に身体を屈め、耳を伏せ、牙を剥き出し、
毛を逆立てて、威嚇した。それは、圧倒的な恐れが私を突き動かした行動だった。
「あら、威嚇してるわ。可愛いこと」
レイラがまたクスクスと笑う。
「あぁ、この毛玉ね?雫が召喚したって話の異世界人は…こんな可愛い威嚇しか出来ないのに、何の役に立つのかしら?」
馬鹿にしたようにレイラが鼻で笑う。いや、役に立つかどうかって聞かれれば…立たないって言うしかないんだけど…。。
天使を傷つけようとするなら、爪を思い切り立てる事くらいは出来るよ!
「輪は、うちにマスコットだから、これで十分なんだよ。」
急に声が聞こえて、天使と一緒に身体がフワリと浮いた。気付けば九尾が、眠っている天使を抱き上げていて、ソファーから思い切り飛び退いた。
天使の胸の上に居た私もついでに保護される。
何で、九尾が?いつから居たの?
「あら、もう1匹ネズミがいたのね…。」
レイラが一瞬だけ突然現れた九尾へと意識が向けられた。その瞬間を逃さず、魔剣は一気に踏み込み、黒い鋸刃が鋭い音と共に斬り上げられた。
「九尾、下がれっ!」
魔剣が吠える。
二度、三度と斬撃を繰り出すが、ヒラリヒラリとレイラは躱す。
「あらあら、困ったわね…。取り返されちゃったわ。」
全く困っている感もなく、レイラはそう言うと、ギラリと鋭い眼光を九尾に向けた。
ざわりと背中を撫でられたようだ。
九尾は悪寒を感じ、再度飛び退き、そのまま窓へと走って、先程開けた窓からバルコニーへとまろび出た。
「…やらせない。」
魔剣の姿がゆらりと揺れる。覇気が、目で捉えられるなんて…私は眼を見開いた。
黒い、アレはオーラってやつ?
「あら、本気?」
レイラが魔剣へと向き直る。
魔剣は剣を構え、踏み込みながら、
横薙ぎに剣を振るった。
その、スピード!
さっきまでとは全く違う!
そうか、天使が居たからセーブしてたのか…。
レイラは身を翻し躱すが、刃はドレスの裾を捉え、
切り裂く。
「…逃がさん。オレの刃は影すら切り裂く。」
魔剣が放つ蓮撃を、レイラは紙一重に躱すが、袖を、脇腹を、肩口を、切り刻む。
見事なまでに豪華で美しかったドレスが、無残な姿へと変貌していった。
「…女性のドレスを切り刻むなんて、酷くなくて?」
激しい身体の動きに、結い上げた髪が耐えられず、
解けて背中へと流れ落ちる。
バシっとレイラが魔剣の右手を捉えた!
歪んだ美しい顔を魔剣に寄せながら
「本当に?私を、斬れるのかしら…。」
耳元に囁くような秘めた低い声。
「女王に刃を向けるとは、身の程を知りなさい。」
レイラはしなやかに身体を捻ると、
右脚で強烈な蹴りを繰り出した。
魔剣の身体が吹っ飛び、壁に激突する。
塗装が剥げ落ち、パラパラと魔剣に降り注いだ。
「貴様は、女王陛下では、ない。」
黒いオーラを纏わせたまま、ゆらりと魔剣が立ち上がる。魔剣の殺気が、部屋中を満たしていく。
「…やはりか。」
バルコニーで天使を抱え、事の成り行きを見守っていた九尾が呟いた。
「アレ、女王様じゃないの?」
九尾の背後に隠れて覗き見てた私は、ヒョコと顔を出して九尾に尋ねる。
でも、前に…霊体みたいになってた時、天使と女王様を見たけど、同じだと思うんだけど…。
「いつからか、陛下が魔剣と顔を合わせないように振る舞うようになった。周囲に悟られぬよう、違和感なく自然に避けてた…おかしいと思っていたけど、こういう事か。」
「九尾…違和感ないのに、それに気が付いたんだ?」
九尾は、魔剣の戦闘を食い入る様に見ていた視線を、チラリと私へ移し、ニヤっと笑う。
「まぁな。」
あら、綺麗なドヤ顔…。
なんて、呑気に九尾と話し込んでいる間も室内の戦闘は続いている。
窓が砕け、家具が斬り裂かれ、壁は魔剣の斬撃でズタズダだ。かなりの破壊音がしてるが、誰一人として駆けつける兵士は居ない。既に排除されてしまったのだろうか…。
広いとはいえ室内だ。
魔剣の大きな剣では、闘いにくそうだ。
「女王様じゃないなら、アレは、何?」
レイラは、髪を振り乱し、曲芸のように身体をしならせ、紙一重で魔剣の斬撃を躱す。
「…魔剣が何か掴んでいそうだが。
アレが影を生み出して、周囲を混乱させて、天使を攫おうとしたのは間違いないな。…ほら、出すぞ!」
九尾の言葉を聞き、レイラを見る。
左脚を地面に踏み付けた瞬間、足元から黒いモヤが湧き上がる。そして…それは、僅かな時間で人型へと姿を変えて、魔剣へ踊りかかった!
「ヤバくない!?」
「俺らがな!」
九尾がそう叫ぶと、右手の人差し指と中指をピンと立て、その手を顔の前に翳す。
9枚の尻尾のうちの1枚がフワリと揺れると、白いトリコームが舞い、私達を包み込んだ。
ほぼ同時に室内の魔剣が範囲攻撃を繰り出した。
以前見た、複数いた影を一瞬でチリにした、あの技だ。技の衝撃波で、私達を包み込んでいるトリコームがビリビリと振動している。
「っあぶな!」
九尾は衝撃波が来ると予測して、防御膜を張ってくれたみたいだ。
…怖い、怖すぎる!
耳は伏せたまま、毛は逆だったまま、尻尾も狸な状態なままで。こんなの、耐えられないっ!
私はガクガク震える身体で、九尾をよじ登る。
胸元の隙間から、服の中へと無理矢理に入り込んだ。ほんのり温かい。九尾の鼓動が伝わる。
よし、ここは安全だ!と本能が叫んだ。ヒョコっと胸元から顔だけ出した。腰のベルトがいい感じでストッパーになりそうだし、落ちる事もないだろう。
「…なんじゃ、そりゃ。…まぁ、良いけどさ。」
九尾は呆れながら、ポンポンと服に潜り込んだ私をあやす様に軽く叩く。
室内から、レイラの嘲笑が聞こえた。あの甲高い狂ったような声…耳を塞ぎたくなる。…伏せているけど。
「流石だわぁ。一瞬で影を消し去るなんて!」
「貴様も、同じように、消してやるよ。」
「これ以上やったら…バルコニーで震える可愛らしい子に、その斬撃が届いてしまうわよ?」
チラリと魔剣が私達を視認した。
ギリっと音が聞こえそうな程、歯を食い縛る。
「ふふ…アンジーを連れて行けなくて残念だけれど、まぁ、楽しかったから、良いわね。」
レイラは乱れた髪を掻き上げる。
「そうそう、忘れていたわ…本物のレイラは預かっているわ。何なら、アンジーと交換してあげるわよ?」
女王様、捕らわれてるけど、生きてる!
これは朗報では?
九尾の顔を見上げると、眉間に皺を寄せ難しい顔をしていた。
「…ふざけるな。」
苦虫を潰した様に、魔剣が苦々しく唸る。
「あら、良い提案だと思うのだけれど…まぁ、いいわ。いずれ、また、アンジーを迎えに来るから。」
「逃がすと、思うのか!」
魔剣が飛び込むように距離を詰める。その刃はレイラに届く事なく、残像を切った。
え…何あれ。残像って…。
レイラの姿は霞に包まれ、黒く覆う。
次第にグズグズと煮え立つように沸き上がり、形を変えていく。黒いアメーバに包まれてるみたいだ。
うわ、気持ち悪っ!
グズグズな黒いアメーバが、ザッと足元へ流れ消えると…レイラではない、女性が妖艶な姿を現した。
漆黒の髪は腰まで流れ、艶やかな波打ちと共に、闇夜そのものを連想させた。
切れ長の眼は、まるで獲物を弄ぶような艶やかさで、
漆黒の瞳には吸い込まれるような深淵が宿り、
薄紅の唇が、挑発するように赤い舌先でゆっくりと濡らされる。その仕草は、甘美と危険を同時に孕んでいた。
曲線美を惜しげもなく際立たせる漆黒のマーメイドドレスは、片側に深いスリットが入り、柔肌の太腿が妖しく覗く。
豊かに波打つ胸元には、紫水晶のように妖しく光を湛えた大粒の宝石が煌めく。視線を吸い寄せるその輝きは、彼女自身の魅力を象徴しているかのよう…。
それは、美しさの暴力。
闇そのものに肉体を与えたかのような…。
妖艶と冷酷が同居する存在ーまるで闇を象ったような
残虐なまでの美しさが、そこにあった。
妖しげな微笑みを浮かべて、挑発的な眼差しで魔剣を見つめている。
ゾクゾクと、悪寒が全身を覆う。
本能が、コレはマズイ、ヤバイと訴えかける。
さっきまでとは全く違う。
威圧感の質が違い過ぎる。
逆立つ毛が、毛玉通り越して、ハリネズミのようになった。
それは、九尾も同じようで、鼻白み喉を鳴らす。
魔剣だけが、その圧倒的な威圧感に
飲まれる事なく向き合い続け、剣を握り締め、隙を伺っている。
「今まで楽しませてくれたお礼に、本当の私を見せてあげたわ…。」
ふふふ…と
レイラだった者は、妖艶までに鮮やかに微笑む。
「私の名前は…ネブラミス。」
魔剣の眼が見開かれ、息を飲む。
「また、逢いましょう?愛しい貴方…」
ネブラミス…彼女の姿が揺らぎ、輪郭が溶け出した。魔剣が斬りかかるが、揺らぎは剣がおこす風圧に巻き消されてしまう。
ネブラミスを捉える事は叶わない。
「…次は、アンジーを…。」
クックック…と喉を鳴らし笑う。そして、哄笑。
艶やかなまでの美しさと、狂気を孕んだ笑い声。
それだけを残して、ネブラミスは完全に消え失せた。
形ある物が何一つ残っていない、豪華な部屋の残骸。
魔剣は空を睨み、剣を握り締め立ちつくす。
「…必ず、消す…」
地の底から湧き上がるような低い声。その呟きに含まれた決意の重さに、私はネブラミスに感じた恐怖とは違う恐ろしさを肌で感じた。
九尾の懐の中でブルブル震えてると、
九尾が優しく左手で包むように服の上から支えくれた。
「…ヤバイのが来たもんだ。とりあえず、天使を休ませたいし、輪もこんなだし、今後の事も相談しないとだし…呆けてる時間はないぞ。」
魔剣はジロリと九尾を睨むと、剣を消してバルコニーに横たわる天使を抱き上げる。
「無事で…良かった…」
魔剣が小さく呟いたその台詞を、九尾が聞き逃すはずもなく。
「俺が居たから良かったものの!
窓から突入してくるとは、どういう了見だっ!」
魔剣に喰ってかかった。
「マリンに、下から投げ飛ばされたんだっ!好きで突っ込んだ訳じゃないっ!」
「マリンに、投げ飛ばされたぁ?」
私は懐の中で丸まりながら、うんうんと頷く。
「…見境ないな…全く。雫の指示だろ?俺が居なかったら、どうなってたか…。」
九尾は頭を抱えて、深く溜息を付いた。
「…九尾なら、居ると思ったんだ…。九尾なら、絶対に異変を見逃す筈ないし…魔剣が気がつく事なら、
九尾は必ず其処に先回りしてるって…ごめんなさい。」
大破した部屋の扉の影から、恐る恐る雫が顔を覗かせる。
九尾が空いてる右手で自分の頭を掻き毟った。
雫の九尾に対する絶対的信頼が、魔剣を部屋に投げ飛ばす強攻へと繋がったのか…。
雫にこんな事を言われたら、九尾はこれ以上何も言えなくなるね。
「うあぁぁあ、もういい。謝るな。」
九尾はしゅんと項垂れる雫の頭を撫でながら、
「雫は、怪我はないか?」
気持ちを切り替えて、雫の身を案じる。
「ボクは、マリンが居るから大丈夫だったよ。」
九尾はチラッとマリンを見ると、マリンは九尾に対して少しだけ頭を下げて見せた。
「さて、白帝城の所へ行くか…全く、頭の痛くなる問題だらけだな…。」
九尾がウンザリしながら…。
皆を促して、女王陛下だった者の部屋を後にした。
読んでくださり、ありがとうございました。




