胎動の刻―侵食の叫び『模擬戦』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『模擬戦』
花桃の精霊ーー紅里華は、私達を鍛えると宣った。
それは、攫われた女王陛下奪還には欠かせない力を得る為…。
全ての元凶である邪神がどう動くのかは…まだ分からない。けど、邪神は天使に執着しているみたいだから、襲ってくるのは確実だ。
その邪神に心を奪われているネブラミスとは、必ず対峙する事になる。
魔剣は…ネブラミスを斃す事は出来ないだろう。
きっと殺すのではなく、救うつもりだ。魔剣の想いを届ける為に、刃を交える。邪神から、囚われている心を解き放ち、昔のように向かい合えるように…。
それは、私には想像出来ない程の苦しみを伴う行為だと思う。例え呪縛から解放されたとして…真正面から向き合えたその時に、やはり魔剣の命を欲したとしたら?
魔剣はどうするのだろうか。
…魔剣は「鍛える」という言葉に、紅里華を睨むように見据えてーー頷いた。
マリンの指導の元、ブナ坊は香り高いお茶を淹れる事に成功した。
自分が淹れた茶を、憧れのハオルチア達が笑顔になって、飲んでいる。
ブナ坊は、恥ずかしそうに照れながらも、喜びでその瞳は潤んでいる。
「さて。美味い茶で喉を潤せた事だし…移動するよ。手始めに、黒いのからだ。小梅は付いて来な。ブナ坊は留守を頼むよ」
「へいっ!いってらっしゃいまし。」
ブナ坊に見送られながら、戸惑いながら紅里華の背中に付いていく。話しの流れ的に、修練場に向かうのだろうか?
私は九尾に抱っこされたまま暫く歩くと、花香る長閑な風景が、突如、土埃が舞う何もない荒地に一変した。
「ここいらは、拡張したばかりで整備されてない荒地だ。邪魔なモンは何も無い。訓練には最適だろ?」
紅里華は振り返ると、ニヤリと笑う。
「さぁ、黒いの。いっちょ、ヤルかね…。模擬戦と洒落込もうじゃないかっ!!」
首を左右に傾けながら、紅里華は魔剣を見据える。
「殺すつもりで、本気で来なっ!」
紅里華の言葉が合図だったように、小梅が、魔剣から離れるように私達を誘導する。
「白帝城様。大丈夫だとは思いますが、念の為に物理結界をお願いしますぅ。」
小梅が小首を傾げながらそう願うと、白帝城は頷いた。
「承知した。」
白帝城の身体から、ふわりとトリコームが舞い、私達を囲うように、頭上から虹色の結界が降り注いだ。
「準備出来ました〜!」
小梅は、白帝城の結界の中から、離れた場所で魔剣と対峙する紅里華に声を掛ける。
「準備は出来たみたいだ。それじゃ、いつでも掛かってきな。」
紅里華は、右手で煙管を持ち、左手の人差し指を魔剣に向けると、来い来いと動かして見せる。
「…どうなっても知らんからな。」
魔剣はそう呟くと、『武器顕現』の葉力を発動させた。現れたのは、愛用ともいえる、黒光りする鋸刃の剣だ。
その剣を構えると、魔剣は地面を蹴った。まずは、牽制代わりの大振りな一太刀。
紅里華は顔色ひとつ変えずに、無駄な予備動作も無く半身で躱わす。
「なんだい…つまらないね。本気を見せてみなっ!」
魔剣の切先を、身を捩るように、スレスレで躱しながら、紅里華は太々しく笑う。
猛攻を続けるが、その刃は紅里華には届かない。軽くステップを踏むようにひらりひらりと避けて見せている。まるでダンスをしているような、華麗な動きだ。
袴の裾が舞い、巨体とは思えぬ足運びで魔剣の刃を躱している。
「…完全に見切られてるな。」
私を抱いている九尾が、ボソっと呟いた。
「あの体型で、あの足捌き…只者では無いとは思ったが…。精霊は体重とか関係ないのか?」
「そんな事はないですよぉ〜。」
九尾の呟きを聞きつけた小梅が、クリっとした眼差しを九尾に向けた。
「精神体とはいえ、物質を纏って今の姿になってますから。身体が大きければ、それ相応の重さになりますよ?」
小首を傾げながら小梅が九尾を見上げる。
「おばば様はあの体型ですからね〜。私が下敷きになったら、重くて潰れちゃいますぅ。」
あはは〜と、小梅が笑う。が、すぐさま九尾の背後に身を隠した。
「…?」
九尾は背中に回った小梅を気にするが、私は見てしまった。魔剣と実戦訓練中の紅里華が、物凄い眼力をこちらに向けているのを…。
小梅が慌てて避難するのも納得だ。
紅里華は魔剣の猛攻を躱しながら、離れた場所にいる私達の会話まで気にしてるらしい。
魔剣の攻撃は、完全に見切られていて、難なく躱される。
「チッ」
魔剣は苦い顔をしながら、舌打ちをすると背後に飛び退り、紅里華と距離を取った。
深く腰を落とし、愛剣を下段に構えながら紅里華を睨み据える。
チラッと白帝城に視線を向けたが、直ぐに紅里華を見やる。
何かを確認した?
すぅーと、深く息を吸い込み、一気に吐き出すと同時に、強く一歩踏み込む。魔剣の黒いトリコームが舞い上がり、愛剣に集約していく。
「黒嵐穿っ!」
叫ぶと同時に、愛剣は灼けるような嵐を呼び、一閃。繰り出された衝撃波が周囲に走る!
白帝城が張った結界は破られる事は無かったが、振動が伝わりビリビリと唸った!
なんて、強力な…。
身体を持たず、幽霊みたいに浮遊している時に、この技を繰り出してる魔剣を見た。あの時は、周囲に群がっていた影達が一掃だった…。
こんな範囲攻撃とか、無茶苦茶だ。
この技を使う為に、魔剣は白帝城の結界を確認していたんだ。
流石の紅里華も、これはヤバイのでは無いだろうか?
私は息を詰めたまま、紅里華の姿を探した。
ーー居ない。
まさか、消し飛んだ?
私は一瞬見失った紅里華の姿を探して、視線を彷徨わせる。
戦闘体勢を崩さない魔剣は、厳しい表情をして、即座に空を仰ぎ見た。
その視線の先には、紅里華が居た。
あの強力な範囲攻撃を、軽々と跳躍して躱していたのだ。
なんて跳躍力をしてんだっ!魔剣の遥か頭上まで飛び上がってるぞ?
「…おいおい…嘘だろ?」
呆然としたまま呟く九尾の言葉に、結界内に居る皆が同意して、息を飲んだ。
紅里華は、ドシンッ!と、地響きと共に魔剣の背後に着地すると、そのまま間合いを一気に詰めてきた!
「なかなかイイ攻撃だが…頭が疎かだねぇ?さて、次は防御を見せてもらうよ。」
紅里華がそう宣言すると、目にも止まらぬ素早い攻撃を繰り出して、魔剣を圧倒し始める。
その手に持つのは…ナイフのように扱っているが、煙管じゃないか?
だが、魔剣の鋸刃の剣と斬り結んでも、全く斬れない。カンカンと軽い音を鳴らして、魔剣の刃を受けている。
…普通の材質では無いよね?
煙管の羅宇の素材は、普通は竹の筈だ。竹なら、魔剣の剣で斬れない訳はない。
「いえ、めっちゃ普通の竹ですよ?」
私の戸惑いに、小梅がそう言った。
その疑問は、私だけが感じたものでは無かったのかも知れない。
「まぁ…蒼竹兄様の竹ですから〜通常の竹よりは丈夫でしょうけど。でも、竹は竹ですからー。」
小梅はそう言うと、私達にニコリと微笑んだ。
そんな馬鹿な…。私達はそんな思いを抱きながら、視線を魔剣と紅里華へと向けた。
紅里華の嵐のような攻撃に、魔剣は辛うじて剣で弾き返しているが…苦戦しているのは明白だった。
ジリジリと押され、後退している。
フッ…と紅里華の身体が沈み、魔剣の足元を足払いする。体勢を崩した魔剣に、紅里華は容赦なく煙管で胸元を突いた!
「グッ!」
思わず魔剣が呻く。胸元を庇いながら、間合いを開けようと飛び退るが、紅里華はそれを許さない。即座に追いつかれ、再び距離を詰められてしまった。
「ほら、足捌きがなってないよ。」
攻撃を躱しながら、紅里華は魔剣の太腿へ煙管を叩き付けた。痛みで、上体がぐらついたその瞬間に、強烈な裏拳が魔剣の頬を直撃!その勢いで、魔剣の身体が吹っ飛ばされてしまった。
「まったく…。」
紅里華は、手のひらにポンポンと煙管を打ち付けながら苦い顔をする。
「そこそこは戦えてるが…なっちゃいないね。」
吹っ飛ばされた魔剣は、蹌踉めきながらも立ち上がり剣を構える。
「…もう、終いだよ。」
紅里華は袴の埃を叩きながら、魔剣に背を向けた。
「葉力で顕現させた武器の能力に頼り過ぎだ。今のままじゃ、宝の持ち腐れもイイところだね…。」
「…クソッ!」
魔剣は剣を下ろすと、下を向いて悔しさを滲ませながら、座り込んでしまった。僅か数分で、体力を削り切ってしまったみたいだ。
「とりあえず…下半身強化と機敏性向上ってところか。そうだね…『縮地』アレを習得しな!」
紅里華は煙管を咥えながら、両腕を組み、魔剣を見下ろすとニヤリした。
「…簡単に言ってくれる。」
「なぁに、『縮地』の使い手が仲間に居るんだ。享受してもらいなっ!」
紅里華の言葉を聞き、私達は一斉にマリンへと視線を向けた。
そうだ、縮地ならマリンが使える。パワーも機動力も、魔剣よりマリンの方が上かも知れないんだ!
「…ババァが鍛えるんじゃ無いのか?」
魔剣の言葉に、紅里華は無言のまま、頭上へ煙管を落とす。カコンッ!と良い音が響き、魔剣が頭を抱えて呻いた。
「ソレが出来てから…だね。マリン、良いだろ?」
ニヤニヤと笑う紅里華に、マリンは嫌そうに深い溜息を吐く。
「…良いんじゃないか?」
「うん、教えてあげて。」
九尾と雫が揃って声を上げると、マリンは否とは言えなくなる。
マリンは鬱陶しそうに前髪を掻き上げると、魔剣の傍に寄り、覇気を全開にさせて見下ろした。
ゴクリ…と魔剣の喉が鳴る。
「…時間はありません。私が教える以上は、即座に習得して頂きます。
ーー死なないように、頑張って下さい。」
そのマリンの圧に、私達までもが…ゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「…宜しく頼む…」
座ったままマリンを見上げる魔剣の顔色はーー
紙のように白くなっていた。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




