胎動の刻―侵食の叫び『癒しの光』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『癒しの光』
魔剣を鍛えるのをマリンに丸投げにした紅里華は、満足そうに煙管を咥え、香りを楽しむように火皿に詰めた葉を吸い込んでいる。
鍛えると豪語していたけど…。まさか、初めからマリンに丸投げするつもりだったのか?
いや、流石にそれは無いか…。魔剣だけを鍛えるって話しでも無いし、他のメンバーを紅里華が鍛えるのかも知れない。
しかし、竹の煙管で魔剣の剣を受けるとか…正気の沙汰では無いよなぁ。
何かの術なんだろうか。
マリンの使う葉力『肉体強化』を、物質に応用してるとか?紅里華は花桃の精霊だから、精霊力をそんな風に使ってるとか…。
うぅむ…よく分からない。
九尾に抱っこされたまま、私が小さな頭を悩ましていると、天使が慌ててながら、座り込む魔剣に駆け寄る姿が見えた。
ああ。紅里華の煙管で叩かれた箇所を癒してあげるのかな…
そう思ってみていると、小走りで先回りした小梅が、天使の前に立ちはだかり道を塞いだ。
「天使様は、癒しの術を使わないで下さい〜。」
「え?」
ストップをかけられた天使が、思わず戸惑いの声を漏らした。
「黒いのは、小梅が癒す。ま、嬢ちゃんは黙って見てな。」
紅里華が天使の肩に手を置くと、グイっと引き、後ろへと下がらせる。
「でも…。」
紅里華に引き止められた天使は、釈然としない顔をしながら、背後で見守るように立つ白帝城を振り返った。
「小梅殿も癒しの術を使えるのか…なら、頼むと良いだろ。」
紅里華が、何故天使に葉力を使わなせないようにしているのかは不明だが、今は言う通りにした方が良いだろう…と、白帝城の眼が語る。
それを感じた天使は、白帝城に小さく頷くと、一歩下がり、心配そうに魔剣を見つめた。
天使にしてみれば、大切な存在の魔剣だ。どんな小さな怪我でも、自分の手で治したいのだろう。
「では、やりますねー。」
小梅は魔剣の前に膝をつくと、その身体に両手を翳す。
淡い緑の緩やかな風が、まとわりつくように魔剣の身体を包み込む。
紅里華に殴られた頬の腫れが、ゆっくりと引いていく。多分、煙管で叩かれた箇所も治っているのだろう。
「こんなもんかなぁ…」
小梅は小首を傾げながら、翳した手を膝の上に戻すと、淡い緑の風が…フッと消失する。
「どうですか?」
クリっとした眼差しで、魔剣の顔を覗き込んで尋ねると、魔剣は狐に摘まれたような表情をしながら
「…身体が、軽い…」
と、信じられないというように…呟いた。
「そうでしょう、そうでしょう!私の術は疲労回復もするのでっ。」
魔剣の呟きに満足したように、小梅はにっこりと微笑むと、紅里華の傍に駆け寄る。
「おばば様!終わりました…大した怪我じゃないから、速攻でしたね。」
「うん、よくやった。」
紅里華は優しげな笑みを浮かべると、小さな小梅の頭に手を乗せて撫でる。
「じゃあ、お次は城の旦那を例の処へ案内して。ああ…水色の娘っ子と錦も一緒に連れていきな。…アタシは、少し話をしてから行くから。」
優しげな眼も、小梅を褒めた一瞬だけ。紅里華は、また厳しい面差しに戻ってしまう。
指示を受けた小梅は「はぁーい」と間延びした返事をして、白帝城、白夜、雫を何処かへ連れて行ってしまった。保護者である九尾と引き離された雫は、どこか不安そうに、何度も振り返ってコチラを眺めていたが、小梅が雫の小さな手を握って歩き出すと、諦めたように歩き出す。
見た目が中学生くらいの小梅が、小学低学年くらいの雫の手を引いて歩いている姿は…なんと言うか、可愛いな…。とか、思いながら見送っていた。
「さぁ、黒いのも完全回復しただろ。…サッサと初めなっ!何、即死しなきゃ、何度でも回復してやる。安心して倒れなっ!」
紅里華がニヤリと笑うと、心無し魔剣の顔が引き攣って見えたが…直ぐに真剣な表情へ切り替わる。
立ち上がると、傍で憮然な顔をしているマリンへ向き直り、黙って頭を下げた。
「…では、アチラで始めましょう。」
マリンは魔剣を引き連れて、何処かへ歩き出す。あまり見れたくは無いのだろう。
この場に残された天使と九尾。抱っこされたままの私と、紅里華だけになった。
軽く眉根を寄せて、離れていく魔剣の姿を目で追う天使は、ギュッとスカートの裾を握り締めている。
「…そんなに心配する事はないよ。何か有れば、直ぐに連絡が入る。ここいらにもアンタらには見えない微弱な精霊は居るからね。言葉は悪いが…監視させてもらってる。」
紅里華の言葉に、天使は小さく「はい…」とだけ答えて、目を伏せた。
「ちょいと、話をしようじゃないか。嬢ちゃんに聴きたい事があるんだよ…。」
歩き出す紅里華を、九尾と天使は戸惑いながら付いていく。
「まぁ…本来なら嬢ちゃんとサシで話したいんだが。狐も知っておいた方がイイかとおもってさ。アンタは情報収集が基本なんだろ?」
突然話を振られた九尾は、困ったように「まぁ…」とだけ答えた。
「それでも、狐はオマケだね。必要なのは、アンタが後生大事に抱いてる…その猫だ。」
紅里華は立ち止まり、振り返ると真っ直ぐ私を見つめた。
え…私っ!?
「クソジジイが呼んだ魂…アンタの力が要になる。」
…どう言う事?
クソジジイって…精霊王の樟木のザナフじーちゃんの事だよね。私を呼んだのは雫で、じーちゃんはちょっとだけ手を貸しただけだと話していたけど。
「同じ事さ。クソジジイが手を出して無かったら、召喚は失敗してる。」
そうだったの?
じーちゃんは雫の事を褒めていたけどなぁ…。
「ありゃ、完全に孫馬鹿なのさっ!!いい加減に、認めちまえは良さそうなモンだが…。って、話が逸れちまったね。」
じーちゃんの事を孫馬鹿と罵るとは…。仮にも精霊王なんでしょ?
良くも悪くも、紅里華は快活な精霊なんだな…と改めて思った。
ゆっくりとした紅里華の歩みに付き添いながら進むと、来た場所とは違う鬱蒼とした竹林の程近くに到着した。
風に揺られ、サワサワと笹の葉が鳴る。何だか…心地が良い処だな。
そんな竹林を背にして、紅里華が煙管で地面を叩くと…ニョキニョキと細い竹が生えてくる。ソレは、勝手に絡み合い、まるで編むように椅子を作り出した。
ああ…そう言えば。じーちゃんも地面から切り株を生やして座っていたなぁ…と、思い返していたが。
この奇怪な、椅子らしきモノが生える現象を初めて見た九尾と天使は、言葉を失って、眼を丸くしている。
「ちょっとばかり疲れちまったから、アタシだけ座らせてもらうよ。」
どっこいしょ…と、紅里華が作り出した細竹を編み込んだような椅子に、その重そうな身体を預けた。
「さて…」
紅里華はジロリと天使を睨め付ける。その視線にたじろぐ様に、天使は後退り、九尾の影に隠れようとした。
だが、思い詰めたような表情をしながら、その場に立ち尽くす。真っ向から紅里華の眼力を受け、真っ直ぐに向き合う。
「…私に聞きたい事とは、なんでしょうか?」
紅里華の迫力に押されて、だいぶ引き気味の小さな声だが、それでも天使の「答えられる事ならば語る」という誠意が伝わる声だった。
「単刀直入に聞く。嬢ちゃんは、その力…何処で手に入れた。」
一瞬、何を聞かれたのか…理解出来ずに、天使な戸惑いの表情を浮かべた。
紅里華は何を言ってるんだろう?
ハオルチア達は、生まれながらにして特別な葉力を持ち合わせている。多種多様の葉力…その中でも、稀な葉力を持ち合わせた株は、特殊葉力使いとして認定されて、暗号名を授かり国の管理下に入る。
その葉力を悪用しようとする奴等から護る為に…。他国へ渡り、自国に仇なさないようにする事も念頭に入っているだろう。
天使の使う『癒しの光』も、そんな特殊葉力だ。手に入れるも何も…生まれつき持っていた力だろう。
「…確かに、癒しの術を使える特殊葉力なんだろうさ。でも…力の波動が違う。」
紅里華は、椅子の背もたれに深々と身体を預け、足を組む。
「小梅の癒しの術を見ただろ?嬢ちゃんの癒しとは、全く違う。」
そりゃ、使い手が違うのだから…そうなるのも必然なのでは?
私が、頭の中で反論しているのが紅里華には聞こえているのだろう…煩そうに首を振る。
「術の成り立ちの話だ。傷を治す…その術は、体内時間を加速させる。自己治癒能力を向上させて、治す。小梅だけじゃない…ハオルチアの中に居る治癒師達だってそうだ。」
私は、紅里華の話に驚きを隠せずに…九尾の腕の中から、思わず身を乗り出してしまった。
天使の他に治癒葉力を使えるハオルチアが居るのっ!?天使が唯一無二だとばかり…。
「医学の知識を得て、医療に従事してるハオルチア達は、多少の治癒葉力を持ってんだよ…。擦り傷程度を治せる微弱な力だけどね。
…狐は、把握してんだろ?」
話しを振られた九尾は、黙って頷く。
「そんな中で、嬢ちゃんだけが特別なのは…その葉力の波動が違うから。威力が絶大だからだ。」
治癒力の絶大さが、特殊葉力として認定された…って事?
確かに、天使の『癒しの光』は凄まじい。でも…万能では無い。救えずに散った命も沢山ある。…あの可哀想な子株のように。
「そう…万能では無い。神にも、絶対は無いんだ。」
天使の顔色を伺うように、紅里華はじっと見つめていだが、少し疲れたように溜息を漏らした。
天使から視線を外し、何かを思案している風だった。
「…自覚は、無い。みたいだね…。なら、説明するか。」
紅里華は気持ちを切り替えたように、身を乗り出して、改めて天使の顔を見つめる。
「嬢ちゃんの癒しは、回復じゃない。ハオルチアの力…体内時間を加速させるモンじゃない。
ーー逆だ。
無かった事にしちまう…そういう力だ。…過去の傷すら消し去る。どんなに大怪我をしても、傷跡ひとつ残らない。体内時間を巻き戻して、傷を、病を、受ける前に戻す。
ソレが嬢ちゃんの『癒しの光』と呼ばれる力だよ。」
紅里華の言葉に、天使は目を見開く。
「その力は…神、セレナの力だ。」
私達は、まるで紅里華から神託を下された様にーーその場で、固まった。
誰も言葉を発せず、ただ…サヤサヤと
風に唄う笹の音色だけが、響いていた。
時には、キャラたちと共に笑い、
時には、共に憤り――
彼らが抱える想いに、どこかで共鳴してもらえたなら。
ゆるやかに、この世界観を満喫して頂けたなら。
それが、私にとって、何よりの幸いです。
――読んでくださって、本当にありがとうございました。




