胎動の刻―侵食の叫び『奔流③』
世界は、沈黙の奥で胎動する――
芽吹きは命の兆し。
だがその根は、静かに歪みを孕んでいた。
風は優しく、花は揺れ、
それでも確かに、何かが侵されていく。
交錯する想いは、やがて一つの流れとなり――
いま、侵食の夜を迎える。
『奔流③』
九尾と共に、声が聞こえてきた方向へ全力で走る。
竹がしなり、その葉が揺れる音を拾った。多分、マリンにぶっ飛ばされた氷が、竹にぶつかったのでは無いか…そう思っている。
その反対に、マリンが氷にぶっ飛ばされたとは考えられないのが…我ながら不思議だ。
雫もそうだった。マリンが氷を追って、逆襲されて、殺されるとは考えていない。
雫は「氷を殺してしまうから、止めて」と九尾に訴えていた。
あのネブラリスと対等に渡り合ったマリンだ。氷に倒される訳がない。実は…氷がネブラリスよりも遥かに強い、隠し玉的存在だと言わない限り、この先入観は消えないだろう。
バキッ!バサバサッ…ザザザザ…
凄い音が響いたと思った瞬間に、周囲の竹をしならせながら、へし折れた竹が目の前に倒れてきた。
猫の反射神経で、横っ飛びでその竹を避ける。ぶっとい竹の幹が直ぐ横に、ズシンという地響きと共に倒れ込む。
あっぶねー…猫じゃなかったら、下敷きになってたな。
振り返ると、少し離れた場所で九尾が竹を避けて下がっているのが見えた。
「クソがっ!」
吐き捨てるような氷の声が聞こえてきた。直ぐ近くだ。
「大人しく同行するなら、命だけは助けてあげるけど?」
マリンの冷ややかな声。
「はんっ、誰がっ。テメェみたいなクソメイドに…。ホラ、来いよっ!」
挑発する氷の声に、ザリッと枯葉が踏み締められた音が重なる。
ヤバイ…コレは、ヤバイ。
私は声をする方角へ視線を向けると…
居たっ!
太い竹の向こう側。マリンのメイド服がチラリと見えた。
「マリン、ダメーっ!!」
私は絶叫と共に、マリンに突っ込む。ダッシュからの大ジャンプ!
しかし…其処に居た筈のマリンは既に移動していて、空振りした私は、マリンの背後に着地した。
うっ。
マリンの身体に体当たりして止めるつもりだったのに…。
でも、突然の乱入で、氷とマリンの動きが止まってる。マリンは振り返る事なく、氷から視線を外さないが、氷は呆気に取られた表情で私を見ていた。
とりあえずは、止まったから…まぁ、ヨシ!
「マリン、駄目。雫が悲しむ…今は抑えて!」
私は背中を見せるマリンに声を掛ける。
「…」
頑ななマリンの背中。何も言わなくても、その背中が「邪魔をするな」と言ってるような拒否感を感じる。
「あっれー…輪ちゃんじゃないっスかぁ〜?」
いきなりスイッチが切り替わるように、戯けた声をあげる氷。幾分慣れてきたように思うが、まだ戸惑ってしまう。
「って事はぁ〜?兄貴も来てるのかなぁ。」
氷は、マリンなど気にも止めて無い様子で、キョロキョロと周囲を見回す。そして、太い竹の幹の影から九尾が姿を見せると…パァーッと花を咲かすように氷の表情が明るく輝いた。
「兄貴ーッ!」
ブンブンと手を振る氷。まるで…昨夜の氷とは別人のようだ。
アレは…私が見た悪い夢だったんじゃ無いだろうか?
いや、そんな訳がない。
アレが夢だったら…。マスターである九尾の許可無く、マリンは氷を襲ったりしないだろう。
「氷…」
明るい氷に対して、九尾の顔が暗く翳る。
「マスター…。」
九尾の姿を見て、マリンが動揺する。
でも、その手に嵌めたナックルガードの鋭い爪は収めない。
「収めろ…マリン。雫が泣いてる…。」
九尾の声に、マリンがピクリと身体を揺らす。
「雫が泣きながら…マリンを止めてって。だから、私と九尾で来たんだよ。」
雫が泣くのは…マリンの本意では無い筈だ。だから、九尾の話にマリンは躊躇を見せた。そこを追い込んで、マリンを止めるつもりで私が言葉を添える。
「ほぇ〜。姫様が泣きながら…ですかぁ。涙を流せるようになるなんて…凄い回復ですねぇ。」
マリンが反応を示す前に、氷が反応した。両手をプラプラをさせて、柔軟体操をしているように。
でも氷も、手にしたナイフを手放そうとはしていない。
「姫様はずっと…何を言われても無表情でさぁ〜。何か、本当、綺麗な人形みたいで。すげ〜、可愛かったのに。それが、オレ、凄く好きだったんスよぉ〜。」
氷はヘラヘラと笑いながら、懐かしそうに眼を細めながら話す。
「感情とか、姫様には必要無いっスよねぇ?
生き人形のままの方が、可愛らしいッスよぉーっ!」
プチッ…と。
ーー何かが切れた音が
…聞こえたような気がした。
氷が…何を言ったのか、分からなかった。
え、何。
雫に感情が無い方が良かったと言ったの?
あのまま…感情が抑制されて、無表情の雫が好きだと…そう言ったの?
笑った雫を見て…感慨深かそうに…氷は喜んでいたじゃない。アレは嘘だったの?
一瞬、迷う。
切れたのがーー
九尾か、マリンか。
それとも…私だったのか。
目の前で、ゆらりとトリコームが舞い、仁王立ちしたマリンを包み込む。殺気が湯気のように…湧き上がる。
「貴様…。」
ギリっと歯を食い縛る音が低く響く。強く握り締めた拳には、爪が食い込み、微かに血の香りが漂う。
「おー、こわっ!クソメイド様が、ご立腹らしい〜ぃ!」
ケラケラと笑い、氷がマリンを挑発してくる。
こんなに怒ったマリンは…初めてだ。
マリンの葉力は、確か…『肉体強化』だったはず。マリンがトリコームを舞わせるなんて…このまま戦えば氷はズタボロどころでは済まないのでは無いだろうか?
粉微塵にされるかも知れない。
マリンの怒りが頂点に達した事で、自分の中に湧き上がった氷への怒りが、冷たく萎れていくのを実感する。
それは九尾も同じようだったらしく、一瞬、眼の色が変わったが…直ぐに冷静に戻っている。
「マリン、駄目だ。」
今にも氷に飛び掛かりそうなマリンの肩を、九尾は引き寄せようとする。…が、マリンはそれを払い除けた。
「申し訳ありません、マスター。命令違反の罰は、幾らでも受けます。今は…この駄犬を滅します。」
マリンは氷を見据える。
「駄犬。貴様が雫様を愚弄して、マスターの怒りを煽ろうとしているのは承知しています。しかし、貴様の思惑通りには成りません。」
マリンは、怒り心頭で、頭に血が昇っているのかと思ったけど…そうでもないのかな。殺気は凄いけど…。
私の身体は、マリンの放つ殺気に萎縮してしまい…ペタンと耳を伏せてしまっている。
「マスターがその手を血で染める事は、二度と有りません。
その手を汚さぬ為に、私がお側に控えているのです。
白夜様配下を手に掛け、マスターの顔に泥を塗り、雫様までもを愚弄する愚行。許容出来ません。
二度とその歪んだ笑みを浮かべられぬよう、マスターに代わり、このマリンが地獄へ送って差し上げます。」
マリンが一歩足を踏み出す。
踏み出した瞬間に、サクッと枯葉が鳴る。
「本当に、邪魔な奴。…クソメイドは話が長いんだよっ!イイから、来いよっ!」
氷が両手にナイフを構えて、腰を落とす。薄ら笑いがスッと消えて、氷の少年らしい身体からトリコームが舞い上がった。
氷の葉力は…九尾と同じような『認識阻害』しかも九尾よりも劣っていたような。今、まさにマリンにロックオンされた状況で…通用するのか?
先に動いたのは、氷だった。
ゆらりと姿がブレた瞬間に、マリンとの間合いを一気に詰める。ナイフを突き出して、避けたその喉元を狙い、もう片方のナイフが一閃。
それすらも、マリンは余裕で躱す。
マリンの拳を警戒している為か、氷の体勢はかなり低い。その位置から、マリンの胸元、喉元を狙うとなると、自然と身体を起こす必要がある。その瞬間をマリンは見逃さない。爪で切り裂くように拳を奮う。
氷は既で躱すが、服の胸元がマリンの拳の爪で切り裂かれた。
氷は身を翻して、マリンから距離を取った。苦々しい顔をして、切り裂かれた服を気にしている。
戦闘力はマリンの方が圧倒的だ。
「マリン、止めろ!お前が殺すのを、雫は望んで無い!!」
九尾が叫ぶが、マリンは止まらない。宣言通りに、氷を引き裂くまで追うつもりなのだろう。
どうする?どうしよう…このまま続けたら、間違いなく氷が地へ伏せるだけだ。
九尾が止められないなら…私なんかが何をしても止められない。
氷を止める?何か…興味を引くような事を言って。いや、氷が止まったら瞬間に、マリンの拳の的になるだけだ。
私は、苦い顔をした九尾を見上げる。マリンと氷の争いを止める手段を模索しているのだろう。眉間には深い皺が寄っていた。
九尾が僅かに腰を落とす。まるで走り出すタイミングを測るように。
まさか…あの手数の多い二人の間に割って入るつもりなのか?
氷は両手に構えたナイフを突き技、切り技と、クルクルとナイフを持ち替えながら、マリンへ仕掛けている。
マリンはそんな攻撃を余裕で躱しながら、一撃必殺の拳を繰り出すタイミングを測っている。
その間に割り込むのは…かなり危険だ。マリンならば、打ち出したその拳を、既でで止める事は可能だと思う。けど…氷の刃を引き戻すのは難しいだろう。それだけのスピードが氷の刃には乗っている。
…この争いを止めるには、身体を張るしか無い。九尾はそう考えて、実行するつもりなんだ。
でも、万が一…九尾が氷の刃に倒れたら。マリンが余計に逆上するのではないか?
九尾が危険を負うのを止めたい。だけど、マリンと氷も止めたい。
私は判断出来ずに、ただ息を詰めてその状況を見守るしか無いのか…。
自分の無力感に苛まれた一瞬に、九尾は躊躇する事なくーー動いた!
今まさに…一撃必殺のマリンの拳が氷の胸元に狙いを定めた瞬間。
氷の刃が、マリンの喉元を狙い閃いた瞬間。
九尾が走り、そのインパクトの狭間に割り込もうとした瞬間。
三株の狭間に…何か透明な壁でもあったかのように
ーー弾き飛ばされていた。
マリンの拳が、壁に打ち込まれ…弾き返されて吹き飛ばされる。
氷の刃は壁を切り裂くが、強風に煽られるように態勢を崩し、吹き飛ばれる。
九尾はマリンと氷の狭間に割り込もうとしたが、壁にぶち当たり、そのまま反動で吹き飛ばされる。
…何が、起こった?
意味が分からずに、皆が呆然としている中で。
「全く…うちのシマで血を流そうとするとは、良い度胸じゃないかっ!悪いが、止めさせてもらったよ。文句があるなら、幾らでも聞こうじゃないかっ!!」
ドスが効いた、がなり声が響く。
透明な壁が現れたように思われた位置に…ぼんやりとした霞が浮かび出す。息を飲んで見守る中で、その霞はあっと言う前に人の姿へと変化した。
ずんぐりした体型。
真っ白な髪を団子に結え、赤い蜻蛉玉の簪を刺して。
晒しを胸元まで巻き。焦茶の袴に、白い足袋。赤い鼻緒の草履。
濃い桃色の派手な着物を、半被のように着こなして…
皺深い顔を顰めながら、老女は私達を睨みつける。
…誰? 精霊…だよね。
いきなり現れた謎の精霊は、呆気に取られている私達の顔を見ると。
太々しく、ニヤリと笑うのだった。
100話突破!
じみぃーに、じみぃーに歩み続けて、気づけば、
物語も100話を越えることができました。
ここまで読みに来てくださった皆さま、本当にありがとうございます。
まだまだ輪たちの旅は続きます。
これからも、のんびりお付き合いいただけましたら幸いです。




