この物語における前提とありがちな展開。
充邦は、世界はいくつかの数式で成り立っている、とは言わないまでも、物事にはそれなりの因果関係があり、根拠があり、それが作用して様々で複雑な事柄が成立するのだ、と思っている。
例えば、植物は、種が植えられ自身の栄養を使って芽吹き、根を出してからは地面の栄養分を吸収しながら育っていく。それは植物の細胞一つ一つが役割にあった働きをしているために可能となっていて、さらに、細胞が単位となりそれぞれの役割がある、ということは様々な実験によって示されてきた事実である。
と、いうように、つまり充邦は周りから見ればとても面倒くさい性格をしているのだ。
しかし本人はいたって真面目にそれが当たり前のことだと思っている。さらに、性根が一極集中型なので、一度理にかなわないことがあればすぐにそれについての検討を始め、周りのことは目に入らなくなる。
要するに、ひたすらにどこまでも面倒くさい野郎なのである。
「よう、変人」
大学内を図書館へ向かって歩いている充邦に、まさに言い得て妙な言葉が投げかけられた。
手の中にある文庫本から目を離し振り向けば、充邦と同じアパートに住む坪井だった。
「坪井、俺は変人なんかじゃ、」
「まあ、いいだろ。特に言ったことの意味はないよ。ただ注意をひこうと思って」
坪井はそういって充邦の肩を数回叩き、脇を抜ける。
注意を引く、とは一体なんのことだろうか。
疑問に思いながらも、充邦は坪井に続こうと足を踏み出し、
盛大にこけた。
混乱した頭は状況をうまく把握できず、ただ少し離れたところでする大爆笑の声だけが聞こえた。
コンクリートにぶつけ擦った膝や手のひらを見るに結構な血が出ている。そして少し鼻の頭もヒリヒリとする。なんとか体を起こして辺りを見回すと、坪井が充邦を指差して腹を抱えていた。可笑しくてたまらないというように、足まで踏みしだいている。
「おい、坪井」
「なんだよ充邦。」
地べたに座り込み、坪井の笑いが引くのを待ってから充邦は声を掛けた。
「早く言えよ」
「えーだってつまんないし」
でしょ、とまるで悪気なく微笑みかけられる。
「それに一度声かけたしさ」
そう、初めに坪井が注意を引こうと声をかけたのは、充邦の目の前に誰かの忘れ物であろうバケツが置いてあったからだった。おそらくすぐそばの花壇を整えるために使ったのだろう、少し泥が付いていて使い込まれた風である。
「だいたい本読みながら歩いていいのは金次郎だけだぜ?」
と、坪井は偉人と評されている人をまるで友達か何かのように例に挙げ話す。本人曰く、先人はこの世の道理を伝えるためにあるのだ、ということらしいが、それでも友達口調で呼び捨てなのは如何なものか、と充邦は常々思っている。
しかし、今のこの状況、坪井となんやかんや言い合っている場合ではない。浅い傷の割にとにかく血が出すぎている。
「ティッシュとかあるか」
充邦は自分のカバンから半分ほどしか入っていないポケットティッシュを取り出して、傷口に当てた。さっさと洗い流したいが、いかんせん近くに水場はない。
「いや、持ってるわけない」
「あの、大丈夫ですか」
坪井の言葉に合わせて別の声が降ってきた。
充邦が慌てて大丈夫、と言いかけ、見上げると、彼女だった。例の喫茶店の。
「あ、いや、大丈夫じゃない」
「へ?ああ、そうですよね、とりあえずティッシュないのでこれ、使ってください。」
思わず否定の言葉が口から出て、充邦自身驚いてしまう。側で見ている坪井は、なんだこいつ、と怪訝な顔を隠しもしない。
彼女から差し出された可愛らしいハンカチを受け取ると、充邦の思考は固まった。
え、一体なんだこれは。何がどうなっている。
ぱくぱくと彼女の口が動いているのが見えるが、耳に入ってこない。視線を落とすとハンカチが見えてさらに現実味をなくしている。脳内の愉快な充邦たちは結束力を失って、それぞれ慌てふためいている。カオスだ。
しばらく呆然と立っていると、腕を強い力で揺すられた。坪井だ。
「おい、充邦大丈夫か」
声を掛けられてようやく脳が動き始める。
「彼女だ…」
充邦の呟いた一言に、坪井は合点がいったと小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「なるほど、あれがお前の想い人ってやつか。かわいいじゃん」
「だよな」
「即答かよ」
ふふっと今度は心底可笑しそうに、坪井は笑った。
充邦の手にはしっかりと花柄のハンカチが握られていた。




