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『ホームレスヒーロー。』  作者: あああ
第一章 CHANGE OF HERO ~冬に咲く、ひまわり~
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第十八話 正義の味方

 蝶野会の事務所の扉を開けて広がっていた、小さなコンクリートの一室。

 隅の方には自販機と長椅子が置かれている。

 すぐ隣に、階段がある。

 その一室では、俺以外の全員が口を半開きにしたままだ。

 蝶野会の構成員四人と、俺の後ろにいるパンチパーマの鉄さんにマユ無しノッポの小鉄さん。

 なぜ口が半開きなのかというと、俺がさきほど巨漢を吹き飛ばし壁に叩きつけたからだ。

 巨漢は壁にもたれかかったまま、白目をむいている。

 息はしているので死んではいないのであろう。

 俺は、『暴君 壱号』を構え直す。


「どうした? もう来ないのか?」


 俺の発言でキレた他四人の蝶野会構成員の顔が、怒りに染まり始める。


「ちょ、調子乗んなや! クソガキが!」


 そのうちの一人がまたしても、右の拳を突き出す。

 軌道を横に逸らすと、そのまま胴に剣を抜く。

 そしてそのまま振り向きざまに、後頭部に一撃。男が倒れこむ。

 それを見て一人では無理と思ったのか、二人で同時に向かってくる。

 二人の間を姿勢を低くしてすり抜ける。

 一人が振り向く瞬間に顎に斜めに一撃。もう一人が振り向く瞬間にノドに突きを入れる。

 五人中、最後の一人を残して全員が床に突っ伏している。

 俺はその最後の一人に剣先を向ける。


「ひっ、か、カチコミだーーー!!」


 そう叫びながら隣の階段を上って行ってしまった。

 一息ついた。

 ……ちゃんと動けた。

 全然剣握ってなかったから、動けるか心配だったが、案外体は覚えているものだ。


「あ、兄貴、すげえええっす!」

「ま、まさかここまで、腕っぷしが強えなんて。……御見それしやした!」


 鉄さんと小鉄さんが頭を下げる。


「ちょ、なんで頭下げるんですか?」


 慌てて顔を上げさせた。

 本当この人たちは何でついてきたんだ?


「それよりも、引き返すならここですよ? ここから先は本当に引き返せません。命を捨てる覚悟はありますか?」


 俺は確かめるようにして、目を見つめる。

 すると、二人は笑った。


「何言ってるんでやすか、兄貴」

「捨てるんじゃなくて、取り戻しに行くんでやしょ?」


 小さくため息をついた。

 まったく、余計なことは覚えてるんだから。


「行きやしょう。兄貴」


 パンチパーマとマユ無しノッポの二人がバットを肩に担ぎ、階段に向き直る。


「はい。行きましょう」


 俺は階段の一段目に力強く足を乗せた。


 階段を上ると長い廊下が続いている。

 この建物は三階建てだ。

 ここに三階へ上がる階段がないということは、この廊下の先にあるということか。

 廊下の左側には窓、右側の壁には扉がいくつもある。

 俺たちが廊下を歩き出すと、いくつもの扉が同時に強引に勢いよく開けられた。

 何人もの黒スーツを着た、イカツイ顔した男たちがぞろぞろと出てくる。

 有難迷惑なことに、手には金属バットやメリケンサック、ゴルフグラブなどの武器えものをチラつかせている。

 これからパーティーでもする気ですか?


「お前ら、蜂谷組だな。娘助けるためにたった三人でカチコミか? 泣かせるね~」


 一人の男の発言で全員が笑いだす。


「今なら、見逃してやってもいいぜ? まさかこの人数をたった三人で相手する気じゃないだろうな?」


 さっきよりも馬鹿にしたような笑い声が反響する。

 ……確かにこの人数が相手なら少しきついかもしれない。

 それでも、コイツらを片付けないと先には進めない。

 ここで引くわけには行かない。


「弱い犬ほどよく吠えるっていう言葉知ってるか? 一人じゃ何もできねえテメエらが何人束になろうと、何にも怖くなんてねえんだよ」


 俺の言葉で男たちの顔が見る見る赤くなっていく。


「何だと、ガキが!」

「上等だ!」

「ぶっ殺してやる!」


 次々と飛び交う罵声が不思議と俺の中の熱いものをさらに熱くさせる。


「遠慮はいらねえ。殺っちまえ!」


 その言葉を引き金に、男たちはこちらへ向けて叫びながら走り始める。

 その刹那、目に映るものが全てスローモーションになるような感覚に陥った。

 胸の中にある小さな臓器が激しく脈を打ち始める。

 本当にポンプが入っているような感覚だ。

 恐怖感は消え、残されたのは高揚感。

 その高揚感を確かめるように剣を握りしめる。

 鉄さんと小鉄さんも走り出す。

 そのスローモーションは徐々に加速し、現実へと調和した。

 ……やってやる!

 俺は駆け出した。

 一瞬にして混戦状態になる。

 鉄さんと小鉄さんはバットを使い、前から来る奴らを次々と叩きつけていく。

 俺も剣を構えた。

 どんどん迫ってくる男たちに引くことなく、蹴りを腹に叩き入れながら少しずつ進む。

 さすがに武器えものを持っているとなると、素手とはまた違ったリーチの取り合いになる。

 しかも相手は本気のフルスイング。

 何とか耐えつつ、反撃に身を転じる。

 俺が相手に剣を叩き入れる場所は全て急所だ。

 ノドに顎に頭。相手を一撃で仕留められる場所。

 拳や蹴りや剣をすべて使い、薙ぎ払う。

 次の瞬間、頭の端を固いものがかすれた。

 ギリギリで避けたものの、痛み始める。

 その振り終わりに、顔面に剣を思い切り振り込んだ。

 もう一人を巻き込んで吹き飛ぶ。

 ヤクザたちはそれを見て少し立ち止まったが、すぐに二人同時に襲い掛かる。

 左の拳を小手で下に向けると、そのまま頭に振り下ろす。

 続けて男の懐へ入り込み、柄の先で顎を打ち上げると一回転して左頬に振り切る。

 息つく暇なく襲い来る男たち。

 軽く十人は倒した気がする。

 また一人を倒したところで、俺の腕が動かなくなっていた。

 後ろから男に両腕をガッチリ掴まれ、身動きできない状態にされていたのだ。

 手の空いている男が俺の腹にバットを突き入れる。


「ヴっ!」


 腹に響く鈍い痛み。息ができない。

 俺は吹き飛びそうな意識を何とか引き止め、後ろの男の足を思い切り踏み、解放された体をねじり後ろの男を吹き飛ばす。

 もう一ねじりして、腹にバットを突き入れた男の顎にも剣を叩き入れる。

 何人かの男たちが後ずさる。が、すぐに正気を取り戻しそれぞれの武器えものを握りなおす。

 多分、俺のこの姿を見ているからだろう。

 頭の端からは血が流れ、左目に入り込み開けることができない。

 さっきのかすれたのが今になって、激しく動いたせいで血が噴き出してきたのだ。

 拭っても拭っても、さらに目に入り込んでくる。くそっ!

 そんな俺に容赦なく襲い来るヤクザども。

 暗く閉ざされた左からの攻撃には、当然ながら反応が遅れてしまう。

 気づけば囲まれていた。

 男たちはニタリと笑っている。

 まずい。

 このままでは左右同時に攻撃をされてしまう。

 そうすれば、見えない左は確実に一発喰らうことになる。

 どうする? 何か手はないか?

 俺は不意にポケットに手を入れた。

 っ! これがあったじゃないか。

 コイツを使えば、この場を一気に突破できる。


「鉄さん、小鉄さん、伏せてください!」


 俺はそう叫ぶとポケットの中で手を動かす。

 何かが抜ける甲高い独特の音が鳴ると、それをポケットから取り出し頭上に放り投げる。

 それと同時に俺は耳を両手で閉じ、目を強く閉じる。

 次の瞬間、空を裂くような激しい轟音と、目をつむっていても分かるほどの眩しい閃光があたりを覆い包む。

 ハカセから貰った、スタン・グレネードだ。

 その轟音が鳴りやむと俺はゆっくり目を開けた。

 男たちが目や耳を押さえながら、苦しんでいる。

 俺はこの好機を見逃すまいと、立っている男たちの急所に次々と剣を叩き込む。

 さっきまで、この廊下を覆い尽くしていた黒い塊は全員床に突っ伏していた。

 すごい威力だ。

 ハカセには感謝だな。


「あ、兄貴がこんな隠し玉持ってるなんて、知りやせんでしたよ」

「もう少し早く言っておいていただくと、有難かったっす。いててっ」


 そう言いながら鉄さんと小鉄さんは耳を押さえている。

 二人もボロボロだ。


「すみません。さっき思い出したもんで」

「いいんすよ。それより兄貴。怪我してるじゃありやせんか」

「大丈夫っすか?」


 イカツイ顔のくせに随分と優しい人たちだ。


「大丈夫ですよ。それより先を急ぎましょう」

『へい!』


 二人の声が重なる。

 再び、歩き出そうとしたその時、廊下の先からまたしても黒い集団が現れる。

 ……おいおい、嘘だろ?

 こちらの方へぞろぞろと近づいてくる。さっきとは比べ物にならない数だ。

 その先頭にいる男がこの光景を見るなり、驚いた表情になる。


「たった三人でこの人数打ち負かすなんて大したもんだな」


 しかし、その驚いた表情はすでに笑い顔へと一変していた。


「だが、その様じゃここらが限界ってとこだな」


 確かにその男の言うとおりだ。

 俺も後ろの二人もすでにボロボロだ。

 でも、まだここで終わるわけにはいかない。

 コイツらも薙ぎ倒して、先に進まなければ、萌香を助け出すことなんてできない。

 ……ホント。現実はゲームのようにうまくいかないもんだ。

 激しい戦いがあった後は、普通休ませるだろ。

 そのまま第二ラウンド開始なんてな。

 まあ、こんな皮肉なことを思っても今からやることは何一つ変わらないわけだが。

 後ろを振り向くと、デコボココンビの力強い視線とぶつかる。

 そして、力強く頷く。

 前に向き直り、剣を構えなおす。

 俺が駆け出そうとした時、俺たちの後ろの方から多くの足音が聞こえてくる。

 目の前の黒スーツの男たちが驚いた表情をしている。

 恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいた人物に俺は激しく動揺してしまった。

 ツルツルの頭に眉間には深いシワ。目の下や額やアゴには所々刃物で付いたであろう傷があり、目はギラギラしている。スーツをビシッと着込み、襟のところには金色の蜂のバッチが付いている。

 蜂谷組組長、蜂谷 巌夫だ。


「な、何でここにいるんですか?」


 あまりに予想だにしていなかったことに、俺は目を丸くしながら問いかける。


「兄ちゃん。ワシらのこと甘く見過ぎやで。腐ってもワシらはヤクザや。サツなんかに頼ってたまるかい。それに、堅気の奴が命張っとるっちゅうのにワシら極道がすごすご引きこもったら、お天道様に顔向けでけへんじゃろうが」


 組長の後ろの方で何人もの蜂谷組構成員が声を上げている。


「鉄と小鉄もご苦労やったの」


 二人は組長に頭を下げる。

 そこでようやく俺は気づいた。


「もしかして、俺を利用しました?」


 そう聞くと二人は申し訳なさそうに苦笑い、組長はニヤリと笑った。

 俺は肩を大きく落としながら、ため息を吐く。

 組長の後ろにいる人数を見ればすぐ分かった。

 この人は俺たちがここで暴れている間に数を集めていたのだ。

 それも蝶野会との争いを一気に片を付けられるほどの数を。

 つまり、俺を時間稼ぎに使ったのだ。


「兄ちゃんには悪いと思っとるで? せやかて、やっぱり戦争に必要なんわ数や。まあ、その代わりと言っちゃあなんやが、そこの蝶野の奴らはワシらに任せい。兄ちゃんは先に萌香のところに行ってくれや。ここに仰山おるんやから、三階にはもう誰もおらへんやろ」

 俺は黙って頷いた。


「よし、者ども! 久しぶりの戦争じゃ! 思いっきり暴れろや!」

『おおおおおおおおおおお!』


 その声はコンクリートに反響し、軽い地響きが起こる。

 そして、色とりどりのスーツやカラフルなシャツを着た、蜂谷組構成員が俺を追い越しながら走り出す。

 黒い集団と混ざり合い、罵声が飛び交う。

 見る見るうちに廊下の真ん中に細い道ができていく。

 蜂谷の連中が道を切り開いてくれているのだ。


「行くで」


 組長が俺を追い越し、細い道を歩き出す。俺もその後ろに着いていく。

 組長に殴りかかってくる男を組長は豪快に殴り倒しながら進んでいく。

 階段のところまで来ると立ち止まった。


「萌香のこと頼んだで」


 その驚くほど落ち着いた口調に俺は驚きつつも、頷いた。

 さまざまな物々しい音を背に俺は、階段を駆け上がり始めた。


     * * *


 三階も二階と同じような長い廊下が続いていた。

 奥の方は行き止まりだ。

 二階の騒々しい音はここにも聞こえてくる。

 それにしても、本当に誰もいない。

 気を取り直して、扉の一つ一つを開けて萌香を探すことにした。

 最後に残った扉を開けると、ロッカーがいくつもある部屋へ出た。

 その隅の方にもう一つの扉。応接室と書いてある。

 多分ここにいるのだろう。

 ただ、疑問に思ったことは明かりが点いていないということだ。

 扉を開けても、暗いのでよく分からない。

 一歩踏み出した。

 すると何かから背中を押され、中に押し込められる。

 扉が閉められ、視界は真っ暗になる。

 すると、パっと明かりが点く。

 明かりが点くことで、自分の置かれている状況に気付く。

 結構な広さのある一室。

 真ん中にはテーブル、横にはソファ、奥にはデスク。

 応接室というよりは社長室だ。

 俺の周りはまたしても黒スーツの男どもに囲まれている。

 十人、いや、二十人はいるだろうか。

 廊下に人がいなかったのは、罠だったのか。


「いらっしゃい。ようこそ蝶野会へ。私が蝶野会組長だ」


 デスクに腰かけているメガネで痩せこけた男。

 危なく鋭い目に、頭はオールバック。

 はたから見たらやり手のビジネスマンだ。


「君が探しているのはその子だろ?」


 そう言って部屋の隅を指さす。

 翼の折れた天使がそこには横たわっていた。

 金色の翼は地面に落ち、瑠璃色に輝く瞳は閉じている。

 手はロープで縛られていた。


「萌香!」


 駆け寄ろうとすると、男が立ちふさがる。


「どけよ!」


 俺が強引に行こうとすると、突っぱねられる。


「萌香に何をした!」

「何もしてないさ。暴れるものだから少し眠ってもらっているだけだよ」


 蝶野は不敵に笑うとこう続けた。


「君、強いね。さっきから監視カメラの映像で見てたんだ。君みたいな子が蜂谷なんて言う甘ちゃんな組織にいるのはもったいない。どうだ? 蝶野会へ来ないか? 一緒に蜂谷を潰そう。そうすればその女は君のものじゃないか。その女に惚れてるんだろ? だからそんな必死になって助けに来たんだろ?」

「……違えよ。俺がコイツを助けに来たのは約束をしたからだ」

「はっ。約束なんて曖昧なもののために命を懸けるというのかね、君は?」

「ああ。懸けるさ。曖昧なもんなんかじゃねえからな。この小指で交わした約束は、俺と萌香の確かな繋がりなんだよ」


 蝶野は肩をすくめる。


「理解に苦しむよ。君も蜂谷のようなことを言うんだね。極道だの仁義だの金にならないものに真剣になって、義理だの人情だので金にもならない奴らを雇い、挙句の果てには盃まで交わす。私はね、盃が大嫌いなんだ。この社会、雇うか雇われるかなんだよ? それを五分五分の盃だのなんだのって反吐が出る。血より濃いものは金なんだよ。正直目障りなんだよ! だから私は蜂谷と別れて、蝶野会を作った。だから、十年前奴らに警告をしてやった。それなのにまた立て直しやがった。こんなことなら、十年前殺しておくべきだった」


 言い終わった瞬間、自分の中から何かドス黒いものが出てくるんじゃないかって思った。

 そのドス黒いものは、一つ一つが言葉になり、怒りとなって俺の口から零れる。


「……ふざけんじゃねえよ! テメエらヤクザの事情なんて知らねえ。どうだっていいんだよ! でもな、テメエらの勝手な事情に何の関係もない女の子巻き込んでんじゃねえよ! アイツがどんな思いでこれまで生きてきたかテメエは知ってんのか? それも全部テメエらが起こした十年前の誘拐のせいなんだぞ! テメエらはまたコイツを巻き込んだんだぞ? 挙句の果てには、殺しておけば良かっただと? テメエは本当に人間なのか!?」


 蝶野は呆れたようにため息を吐く。


「君とは気が合いそうにないね。交渉決裂だ。君も蜂谷と共にこの世から消えるといいさ」

「何言ってるんだ? 追い詰められているのはテメエだろ? 二階には何人もの蜂谷組がいるんだぞ?」


 蝶野は不敵に笑い、デスクの上にあるモニターをこちら側へ向ける。

 モニターには、一階の階段に黒い集団がを上っている映像が映し出されている。

 監視カメラだ。

 ま、まさか!


「さっき援軍を呼んでおいたんだよ。この街には小さい事務所があと一つあるんだ。これで、アイツらは挟み撃ち。そして、君も」 


 そう言って親指を下にして首を切る仕草をした。

 俺を取り囲む男たちが迫ってくる。

 くそっ! ここでお終いなのか。

 すぐ近くに萌香がいるっていうのに、こんなところでお終いなのか。

 俺が片膝を着き、あきらめかけた―――刹那。

 遠くの方から、何やらけたたましく唸るエンジン音が聞こえる。

 それは毎秒ごとに加速しながら、近く、大きくなる。

 そして、次の瞬間ドアが赤い破片と共に飛び散る。

 ―――真っ赤なバイクだ。

 鋭くドリフトの後を地面に焼き付けながら、俺の目の前で止まった。

 燃えるように赤く、そのフレームはまだ買って間もないのではないかと思うくらい光を反射させている。

 それに腰かけていたのはフルフェイスの二人。

 一人は黒いYシャツの上にディープレッドのスーツを羽織った長身の男。

 もう1人は、赤いドレスに身を包んだガタイの良い……男……性?

 ちょっと待て。このドレスどこかでみたことあるような。


「パーティー会場はここかい?」


 そう言って赤いスーツの男がフルフェイスを取る。

 俺はもう何が何だか分からなくなった。

 頭の中が激しくトレースする。


「な、何でここにいるんですか? ……イーグルさん」


 そう、茶髪に長身で時折見せる白い歯。

 間違いなく、イーグルさん。

 ただ、いつもと違うのは、白いスーツではなく赤いスーツだということ。


「アタシもいるわよ」


 もう1人もフルフェイスを取る。

 いや、まあ、なんとなく分かっていたけどさ。


「……ママも何でいるの?」


 赤いドレスはママの仕事着だ。


「まったく酷いよデウス。一人で何でもしようとしちゃって」

「そうよ。帰ったらお仕置きだから」


 お仕置きって。

 ていうか、この緊迫した状態でよくそんな落ち着いてられるな。

 ほら見て、今にもヤクザさんが襲ってきそうだよ?


「何でここが分かったんですか?」

「ん? これ」


 イーグルさんが差した出した携帯の画面には、地図らしきものに赤いマークがついていた。


「これもしかして……GPS?」

「正解」

「いつの間にそんなもの付けたんですか?」

「君の手に持っている、それ」


 そう指さしたのは『暴君 壱号』。

 頭の中にゴーグルをかけて笑うカエルの顔が思い浮かんだ。

 ハカセか。


「おい! お前ら一体何者だ!」


 蝶野が存在を忘れられていることにキレた。


「アタシたち? アタシたちはホームレスよ」

「ふざけんな! このオカマ!」


 うわあ。禁句を言っちゃったよ。


「デウス」

「な、なに?」

「コイツら殺していいのよね?」


 俺は固まった。

 あの穏便なママが激しい怒りに目覚めている。

 顔では笑っているが、ママの中にいる珍獣がすでに外に出ようとしているのが見えた気がした。

 その時、蝶野のデスクの上の受話器がやかましく震えた。

 蝶野は荒々しく受話器をむしり取る。


「はい、こちら蝶野。おう。お前らか。もう蜂谷は片づけたんだろうな? ああ? 変な集団が来て、身ぐるみはがされた!? 今どこだ? 事務所で身動きが取れない!?」


 蝶野の冷徹な口調は崩れていた。

 俺はその会話を聞いて、イーグルさんとママを見る。


「モニター見てみ?」


 言われるままにモニターを見ると、二階にいた黒い集団は全員が床に突っ伏している。

 残っているのは、ハイカラな蜂谷組と白いYシャツの集団。

 それと、床にはいくつもの黒スーツの上着だけが脱ぎ捨てられている。

 白いYシャツの集団なんていたか?

 そして、カメラへ向けてピースしている白いYシャツの三人に俺は目が飛び出そうになる。

 ハカセにサヤエンドウにウミサル。

 何かが少しずつ擦れ合いながら音を立てて繋がり始める。


「……随分と無茶をしたようですね?」


 そう俺が言うと、ママとイーグルさんがびっくりしたような表情を浮かべる。


「君が言うの?」

「あなたが言うの?」


 ハモリながらそんなこと言われたので、一歩後ろに引いてしまった。

 なんだよ。俺そんなに無茶なことしたか?


「貴様ら、一体何をした!?」


 蝶野が頭に血管を浮かべながら叫ぶ。


「……俺も、よく分からないけど。一つだけ言えることは。……テメエの味方はもう、この部屋にいるソイツらだけってことだ。……ですよね?」


 俺が二人に問いかけると、頷く。

 すると、蝶野は不気味に笑い始める。


「ふふふふっ、まあ、良い。お前らを人質にすれば、奴らも手は出せまい。お前たち!」


 蝶野の言葉で俺たちを囲んでいた男たちが、武器えものを構える。


「面白くなってきたわね」


 ママがいつの間にか黄色いヘルメットを被っている。

 ヘルメットには『安全第一』と書いてある。

 そういえば、元大工さんなんだっけ。


「怪我人の弟は、そこで終わるの待ってていいよ?」


 イーグルさんが挑発するような笑みを浮かべる。

 確かに足が重くて、体のあちこちが悲鳴を上げている。

 俺一人じゃ、立つこともできなかったかもしれない。

 そう。俺一人だけなら。

 でも今は違う。

 俺は……一人なんかじゃない。

 気づくと立ち上がっていた。


「冗談言わないでくださいよ、兄さん。それに、ヒモなのに喧嘩なんてできるんですか?」

「言うようになったじゃん。このご時世、顔だけじゃ女は護れないんだよ」

「あら、色男たちだけで愛し合ってないでアタシも混ぜてよ」

『誰が愛し合ってるって?』

「ふふっ、それじゃあ、背中は任せたわよ?」

『任せとけ!』


 イーグルさんと俺の声が重なると同時に、俺たちは飛び出した。

 重かった足は今は軽く、体の痛みはどこはへ吹っ飛んでしまった。

 左目も血が乾いて、少しだけなら見える。

 これならやれる!

 男から蹴りを剣ではじくと、そのまま下から顎を突き上げる。

 続けて、隣の男の腹に蹴りを入れ、柄で顔面を弾く。

 男が後ろから木刀を振りかざしているのを確認すると、裏拳で頬を殴り飛ばす。

 次の行動へ移ろうとしたその時、目の前がグラッと揺れた。

 しまった。ここへ来てダメージが。

 それを見逃さなかった男二人が俺に向けて、武器えものを振りかざす。

 やられるっ!

 俺は咄嗟に目を閉じた。

 ―――アレ? 何も起きない。

 俺はそっと目を開ける。

 イーグルさんが一人の男の顔面に蹴りをキメていて、ママがもう一人の男の顔面を片手で掴んでいる。


「おりゃあっ!」


 ママが豪快に男を投げ飛ばした。

 男は二人を巻き込んで壁に叩きつけられる。

 イーグルさんの足元にも男が倒れこんでいる。


「まったく、世話が焼けるんだから」

「そこで、じっとしてなよ。怪我人さん」


 こんなに強かったんだ。

 この人たち本当にホームレスなのか?


「お前たち、怯むな! 私たちの方が数は多いんだぞ!」


 蝶野が檄を飛ばす。

 男たちは頷き合い、怯むことなく二人に向かっていく。

 イーグルさんは、一人の男の膝、腹、顔面を順に踏み台にして空中へ舞い上がると反転し、後ろの男二人の頭にかかと落としをぶち込んだ。

 一気に三人を蹴散らしたのだ。

 さらに、長い足を活かしての素早く豪快な足技で次々と男どもを床にねじ伏せる。

 そのあまりに鮮やかな動きに見とれていると、すぐ隣から小さな地響きが起こった。

 壁には何人もの男たちが積み上げられている。

 ママが今まさに男を担いでいる。

 まさかあの人数を投げ飛ばしたのか?

 疑問を打ち砕くような音を立てて、ママが担いだ男を地面にたたきつける。

 男たちの顔が青くなっていく。

 この二人の強さもあるが、何よりも一番怖いのが表情だ。

 ―――笑っている。

 俺は男たちに同情した。

 ふと、デスクの方へ眼をやる。

 蝶野がいない。

 どこへ行った? あたりを見回す。

 萌香がいないことに気付く。

 デスクの横にある扉が少し開いている。


「ここ任せられますか?」


 戦闘中の二人に尋ねる。

 俺の真意が分かったのか、ママは黙って親指を突き出す。


「任せてよ。自分てめえの女は自分てめえでしっかり抱きしめるんだよ!」

「はい!」


 イーグルさんに返事をすると、俺は扉を開けて駆け出す。


     * * *


 扉を開けると、ベランダに出た。

 天井から非常用の階段が垂れ落ちている。

 多分、屋上へ上がったのだ。

 俺は非常用階段を慌てて駆け上がった。

 屋上へ出ると、もう空は夕日に染まっている。


「案外気づくのが早かったな」


 夕日を背に蝶野が萌香を無理やり立たせながら、こめかみに鉄の塊を押し付けている。

 拳銃だ。

 体が足の底から冷えていくのを感じる。

 息を呑む。


「さすがの君も拳銃を前にしたら、おとなしくなるようだね」

「どうせ、モデルガンだろ?」

「試してみるかい?」


 この笑い方。

 明らかに実弾が入った本物だ。

 いろいろとヤバいものに手を出していたとイーグルさんは言っていた。


「テメエ、もう逃げ場はねえぞ。さっさと萌香を解放しろ」

「うるさいうるさい! 何で、どうしてこの私が追い詰められなければいけないんだ! これも全部この女のせいだ。この女さえいなければ、お前らみたいな化け物に邪魔されずに蜂谷を潰すことができたんだ! 蜂谷の大事なものを全て奪ってやる!」


 蝶野が引き金に指を置く。


「待て!」

「近づくな!」


 俺は立ち止まった。


「テメエふざけんじゃねえぞ! 何でもかんでも人のせいにしてんじゃねえよ! 大切な人を失う怖さをテメエは知ってんのか!?」

「そんなもの知ったことじゃない!」


 萌香のこめかみに銃口を押し付ける。

 どうすれば、どうすればいい。

 みんなに助けられてやっとここまで来たのに。

 萌香はすぐそこにいるのに。

 何かこの状況を打破できる手はないのか。

 何か、何か!

 ふと、萌香に目を向ける。

 萌香の目が、瑠璃色の瞳がこちらに向いている。

 金色のきれいなストレートが風にたなびき、夕日の光に反射して茜色に染まる。

 いつぞやの観覧車を思い出す。

 そして、俺に笑いかけている。

 起きていたのか。

 ……何で笑ってるんだ。

 萌香は、口を大きく開けた。

 おい。何をする気だ。


「おいっ!」


 俺が叫ぶと同時に萌香は、自分の首の前にある蝶野の腕に思い切り噛みついた。


「うわああああっ!」


 萌香は解放され地面にたたきつけられた。

 俺は走り出す。


「この、あま!」


 銃口が無防備な萌香に向けられる。

 ゆっくりと引き金の指が沈む。

 もっと早く、走れ俺の足!

 もう失うわけにはいかねえんだ!

 約束を破るわけにはいかねえんだ!

 頼む!

 間に合ってくれ!

 ―――虚空を切り裂き、一筋の甲高く鋭い銃声が鳴り響く。

 その音と同時に左手に焼けてしまいそうな痛みがはしる。

 燃える様に赤く、熱い液体が流れ出す。

 俺の左手は銃口を覆い隠して掴んでいる。

 咄嗟に体が動いたのだ。

 でも、間に合った。


「な、なんでこんな女のために、他人のためにそこまでできる?」


 蝶野は怯えた表情で俺に問いかける。


「さっきも言っただろう? 萌香は他人なんかじゃねえんだよ。繋がってんだ。もう、俺の大切な人の一人なんだよ。テメエは大切な人を失くす怖さを知らねえから分かんねえのかもしれねえが。これ以上俺の目の前で大切な人を失くすわけにはいかねえんだ。テメエも探してみるといいさ。大切な人を。……地獄でなっ!」

 

 俺の拳は一直線に蝶野の顔面へ伸び、メガネをぐしゃぐしゃにしながら、そのまま地面にたたきつけた。

 目の前がグラつく。

 俺はよろけて、地面に倒れこむ。

 血を流し過ぎたようだ。

 左手はマヒしているのか、痛みを感じない。


「アンタ、どうして来たのよ!?」


 すでに、泣きそうな表情で俺に詰め寄る萌香。


「お前も狸寝入りなんて、随分と神経が図太いな。さすがは組長の娘だ」

「バカっ! 真剣に聞いてるのっ!」

「そんなもん決まってるだろう」


 ……母さん。

 俺は弱い人間だよ。

 些細なことですぐ立ち止まっては、躓いて、転ぶ。

 一人じゃ立ち上がることさえできない。

 それでも、ヒーローになる約束だけは果たせたかな?

 たくさんの人のヒーローに何てなれなくてもいい。

 ただ一人の、萌香の、ヒーローになれたかな?


「俺は正義の味方だぜ? ―――お前が、俺の正義だからだ」


 視界がぼやける。

 萌香が何か言っている。

 もう泣きそうだ。

 頼むよ。笑ってくれよ。

 お前の泣き顔を見るため来たんじゃないのに。

 視界が真っ暗になる。

 

 ……この世に神様なんてものがいるとしたら、頼みがあるんだ。

 少しだけでいい。

 もう一度だけ、萌香に会わせてくれよ。

 まだ、伝えなきゃならないことがあるんだ。

 これを伝えなきゃ死んでも死にきれねえんだよ。

 ……頼んだぜ。

 ―――神様。




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