第十二話 初めての依頼人
痛っ。
ベンチで寝ていた俺は、目を覚ました。目の前には、ボールが転がっている。
十二月になって、寒気が極まってきた。
そのせいで、夜は毛布一枚じゃとてもじゃないが、ぐっすり眠れない。
よって最近は、昼間によく眠るようになった。
ベンチの前に小さな男の子がボールを取りに来る。
ボールを掴み、軽く俺に頭を下げると、母親のもとへ走って行った。
それから、楽しそうにボール遊びをし始める。
親子連れか。珍しいな。
知っての通り、この公園には珍獣共がたむろするため、人はあまり寄り付かないのだ。
母親と本当に楽しそうに笑っている。
その笑顔を見ていると、どうしても思い出してしまう。
母の笑顔を。
俺の母親は、七年前に死んだ。丁度、小学四年生の頃だ。
俺と担当医師と看護師さんに看取られて。
そこに親父はいなかった。
今でもハッキリ覚えている。
* * *
――――――母が死ぬ少し前の話だ。
その日は、剣道の大事な試合があった。
俺は大将で出る予定だったが、母の体調が悪いということで、俺は病院に残って母のそばにいた。
突然のキャンセルで大将戦は、不戦敗にすることになっていた。
いつもと同じように母と『覆面ライダー ユウキ』を見る。
正直、あの時の俺はソワソワしていた。
今、こうしている間にも、試合が行われていると考えると、どうしても心配で仕方がなかったのだ。
そんな俺の態度を察したのか、母は俺にこんなことを聞いてきた。
『ヒーローの第一条件って何だと思う?』と。
突然の問いに驚きつつも、俺はこう答えた。
「……強いことだろ? 正義は必ず勝つって言うし」
「ブッブー! 不正解」
口を突き出して言う母。
「……じゃあ、正義の心だろ」
「う~ん。惜しいっ!」
「じゃあ、なんなのさ」
俺がそう聞くと、母はニコリと笑い、こう答えた。
『……それはね、正義を貫く勇気よ』
「正義を貫く勇気?」
「そう。本当の勇気の前じゃ、力の強さなんて何の意味もない。デウス。あなたが今、貫かなきゃいけない正義は何?」
「え?」
「……剣道。行きたいんでしょう?」
「で、でも、母さんが」
「私なら大丈夫。行ってきなよ。デウスが帰って来るまで、死んだりなんかしないから」
そう言って、母は笑った。
それでも俺は、行くか行かないか迷っていた。そんな俺を見越して、母は言った。
「もう、いつまで悩んでるの? 今、この瞬間にみんなが助けを求めてるかもしれないのよ? それをヒーローが無視するの?」
その言葉を聞いて、俺は立ち上がる。
「ごめん! 母さん。俺、行ってくるよ。すぐ戻るから」
俺がそう言うと、母は綺麗な口元にシワを寄せ、笑った。
今思えば、あの笑顔が俺の見た、母の最高の笑顔だった。
病院を出て、急いで向かい、ギリギリ大将戦に間に合った。
引き分けでまわってきた大将戦。不思議と負ける気がしなかった。
そして、見事試合に勝つことができ、大会で優勝した。
だが、その喜びは一瞬だけだった。
先生の次の一言で、俺は凍りつく。
母が、危険な状態だ。と言う内容のものだった。
急いで病院に向けて走って。走って。走った。
俺が母を目の当たりにした時には、全ての器具が外され、心電図の不気味な音だけが鳴っていた。
母に駆け寄り、手を握る。
すると、少しだけ母は目を開けた。
「お…おかえ…り」
「母さん!」
「言ったで…しょう? 帰って来るまで…死なないって」
「でも!」
「泣か…ないで、デウス。私は、約束を…守ったわ。今度は、デウスの…番」
俺は頷いた。
「剣道…続けて…ね。剣道をしているあなたは、とても…楽し…そう…だから」
俺は大きく頷く。
「あなたは強い子。…弱い人を救う、正義の味方に…なりなさい。…みんなの…ヒーローになれなくてもいい……たった一人だけでいいから…その人にとっての…ヒーローになりなさい」
俺は必死に涙をこらえる。
「うん、分かったよ。俺、ヒーローになるから! 弱い人を護れるヒーローになるから! だから…だから!」
「約束」
母は、弱々しく小指を立てる。
俺は、それを小指で強く絡める。
力なく母は笑うと、力を失くした腕が重力に逆らうことなく落ちた。
絶え間ない心電図の音が、病室に鳴り響く。
何回、母に呼びかけただろう。何回、母さんと叫んだだろう。
その後のことは、記憶にない。
ただ記憶にあったのは、心臓が止まった後も、母が笑っていたということだけだった―――
* * *
――――――目を覚ます。
いつの間にかまた寝ていたようだ。
ということは、夢だったのか。
……あの時、俺が試合に行かなければ、母は死ななかったのかもしれない。
なんて、何、感傷に浸ってんだ。俺。
一度消えたものは、もう、二度と帰ってこないというのに。
もう、あの親子はいなくなっていた。
起き上がり、空を見る。
輝く太陽に、雲一つない空。晴天だ。
昼飯を食べに行くために、立ち上がり、背伸びをして、歩き出す。
青天の霹靂と言う言葉があるが、今思えば、あの時の夢や天気は、これから起こることの序章にしか過ぎなかったのかもしれない。
* * *
炊き出しを食べ終わり、公園へ向けて歩き出す。
俺たち固有の時間の凍結にも慣れてきた。
公園に着くと、俺は立ち止まる。
アヒルの遊具の上に誰かが座っているのである。
もう少し近づいてみた。
俺は、目を疑う。
そこにいたのは、天使だった。片翼だけの天使。
正確に説明すると、性別は女の子で若い。
それも、少女の前に美を付けていいくらいのだ。
金色の髪に瑠璃色の瞳。
外国人かと思ったが、顔立ちはどうも日本人な気がする。
横髪を片方だけ翼のように結んでおり、後ろ髪は腰のあたりまで伸びている。
短パンに黒のストッキング、ピンクのダウンベストという、見るからに寒そうな格好だ。
空を見上げたまま、動かない。
モデルか何かだろうか?
まさか、こんなところで撮影……なんかするわけないか。
俺はそのまま通り過ぎ、ハウスに歩を進める。
「ちょっと、ちょっと、デウス」
すると、ママに小声で呼び止められる。手招きされ、ママのハウスに行く。
どうやら、ハカセもいるようだ。
「どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、お客さんよ。お客さん」
「お客さん? 誰の?」
「あなたのよ。便利屋のお客さん」
「あ~」
そういえば、俺、便利屋してたんだっけ。依頼があまりにも来ないから忘れかけてた。
「それで、その依頼人とやらはどこにいるんだ?」
「あそこじゃ、あそこ」
そう言って、ハカセが指を指す。
その指の軌道を追うと、アヒルの上に座っている女の子に行き着く。
「え? もしかして、あの女の子のこと?」
「そうよ。あなたのハウスの前にいたあの子に話しかけたら、依頼しに来たって言うから待たせておいたのよ」
マジか。最初の依頼人が外国人だなんて、ハードルが高すぎないか?
ていうか、ママやハカセを見て逃げ出さないなんて、大した奴だ。
……仕方ない。
とりあえず、依頼だけでも聞いてみるか。
でも、俺のオーラルコミュニケーション能力は皆無だぞ?
ええい。もうどうにでもなれ。
俺は、アヒルの遊具の前まで行って、立ち止まる。
まだ、空を見上げたままだ。
や、やってやる!
「は、ハロー? ユウアー、ヒトリ? スピーク、リッスン?」
とりあえず、ジェスチャーも入れて、「こんにちわ。あなた、1人ですか。依頼内容を聞きますよ?」と言ったつもりなんだが。
さあ、どう出る? かかってこいや。
その女の子は、顔をこちらに向けてアヒルから飛び降りる。
今にも噛みつきそうな瑠璃色の視線が、俺に突き刺さる。
アレ? 俺なんか気に障るようなこと言ったかな?
「は、ハロー?」
なんとなく、もう一回挨拶をした。
「何それ? 新手のナンパ?」
どうやら日本語が話せるようだ。
ていうか、え? ……ええええええええっ!?
な、ナンパだと!? 俺のあの言動が、ナンパに間違われてしまっている!?
「ちょっ、ちょっと待って」
俺がその子に手を伸ばす。
だが、その手は空を切り、一瞬にして目の前からその子の姿が消えていた。
と思ったら、すでに俺の後ろに回り込み、腰にガッチリ手が回されている。
「え?」
その刹那、視界が逆転する。
視界が止まったと同時に、後頭部に激しい痛みが走る。
気のせいか、息ができない。
そのまま、三秒の時が流れ腰の手が外れる。
その時初めて気づいた。
ジャーマンスープレックスだったのだ。
「っ!!」
あまりの痛さに悶絶。
この子、馬鹿なんですか? そういう技は、もっとこう、柔らかい場所でやるべきものじゃないの?
というか、どんだけ力強いんだよ。地面が固いことをコイツは知らないのか?
「あら、案外丈夫なのね。普通の人間なら気絶していると思うけど」
俺もそのまま気絶しとけば、どれだけ楽だろう。……そうじゃなくてっ!
「人にいきなりジャーマンかましといて、第一声がそれかよ!?」
叫んだ。それはもう、怒りに任せて。
「だって、アンタがしつこいから」
「大体、俺はナンパしてんじゃねえっつーの!」
「うるさい。叫ばないで、空気が汚れるから」
「くっ!」
何なんだコイツは! 侘びも無しかこの女。
ふぅ~、落ち着け。俺。
深呼吸を一回。
こういうガキには、もっと大人の対応をしなければな。
「……先に言っておく。俺はナンパしてるんじゃない」
「じゃあ何しに来たの?」
それは、こっちのセリフなんだが。
「お前、便利屋に用事があるんだろう? 俺がその便利屋だ」
少し目を見開くと、また怪訝そうな目に戻る。
「アンタが便利屋? 思っていたより、若いのね」
「そりゃ、どうも。それで、依頼をしに来たのであれば、お前のことについていろいろ聞かなきゃならないんだが?」
「何で聞く必要があるのよ?」
「お前が依頼人だからだ。情報の提示ってヤツだよ。別に言いたくないことは言わなくていいから」
俺がそう言うと、女はしばらく目を伏せ考えた後、目を開けた。
「分かったわ。聞いていいわよ」
上から目線かよ。
「じゃあ、まず、お前の名前は?」
「人に名前を聞くときは自分から名乗りなさいよ」
それもそうだな。
ていうか、俺流されっぱなしだな。
「俺の名前は、大神 大神だ」
「外見のわりには、大層な名前ね」
「そっとしておけ。それで、お前の名前は?」
「萌香よ」
「苗字は?」
「言いたくない」
早速、黙秘権か。まあいいや。
「歳は?」
「十七」
「何だ俺と同い年じゃねえか」
「どうでもいい」
ですよね~。
コイツは、とことん俺に関心がないようだ。
聞くことはこのくらいか。
なら、そろそろ本題に入るとしよう。
「……それで? お前の」
「お前じゃない、萌香よ」
「……萌香の依頼ってのは何だ?」
俺のその問いに萌香は、戸惑うようにして両手を胸の前で弄る。
何だ? そんなに深刻な依頼なのか?
「依頼に黙秘権はないぞ?」
「分かってるわよ! ……いいわ。依頼してあげる」
何で、上から目線なんだよ。
「私の依頼は、今日一日、私のボディーガードをしてもらうことよ」
「―――はあっ!?」
えっ、今コイツ、ボーディ―ガードって言わなかった? まさかな。
「も、もう一回言ってくれる?」
「今日一日、私のボディーガードをしなさい」
だから何で、一々上から目線なのコイツ?
ていうか、便利屋がなんなのか分かってるわけ?
「おいおい。依頼する場所が間違ってんじゃねえか? そういうことは、探偵か警察に頼めよ」
「探偵に依頼するほどのお金ないし、警察は親の職業上無理だから」
コイツの親は、一体どんな職業なんだ? お偉いさんなのか?
俺はしばらく考え込む。
そして、ある一つの答えに行き着く。
この依頼……断ろう。
こういう面倒な依頼は、引き受けないのが身のためだ。
「悪いが、この依頼受けられねえ。俺じゃ、護ってやれねえかもしれねえからな」
「そんな……」
萌香は、視線を落とし、落ち込む。
悪く思うなよ。これが、世に云う拒否権ってヤツだ。
すると、萌香はポケットを漁り始める。
「これ!」
そう言って、取り出したものは、俺が作った便利屋のチラシだった。
「ここに、‘困ったことや助けてほしいことがある人は、アヒルの遊具が特徴的な阿比留公園までお越しください! 便利屋 正義の味方が必ずお助けします!’って書いてあるわよね? これって嘘なの?」
涙目でそんなことを訴えてくる。ちょっ、それは反則だぞ。
「正義の味方は、困ってる人が助けを求めてるのに無視するの?」
それが止めの一言だった。
どこかで聞いたことのある一言が、俺の胸の奥の何かをえぐる。
「……はあ~。分かったよ。やりゃあ良いんだろう? だから、泣くんじゃねえよ」
慌てて萌香がソッポを向く。
「な、泣いてなんかあらへんよ」
いや、目が潤ってるんですが。
てか、今、違和感なかったか?
「それで? 俺は何からおま……萌香をガードすればいいわけ?」
またしても、萌香が考え込む。
そして、こう口走った。
「私を拒絶する全てのものから」
「はあ? お前、詩人にでもなりたいの?」
「う、うるさい! この偽善者!」
「なっ! 依頼を受けてやってるのに、その言いぐさは何だ!」
「と、とにかく!」
咳払いをして、仕切りなおす。
「私を追って来たり、攫おうとするような全てのものから、私を護ればいいの!」
俺と萌香の間に流れる沈黙。
随分と曖昧だな。何から護ってもらえばいいか、自分でも分からないんじゃないだろうな。
「か、勘違いしないでよね。別に、何から護ってもらえばいいか分からないんじゃないんだから。ただ、その、秘密なだけなんだから!」
なんだそれ。
俺がげんなりしていると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おーい! この魚つまみにして飲もうぜ!」
ウミサルだ。サヤエンドウもいる。しかも、ウミサルの顔が赤い。
昼間っから飲んでやがるな。
……まずい! アイツ、空気読めないから、何言い出すか分からんぞ。
とりあえず、俺のハウスに萌香を隠そうとするが、時すでに遅し。
「おおっ! なんだ? デウス。昼間っから彼女連れ込んで、アツアツだな」
言っちゃったよ。
ウミサルの後ろで、顔を赤らめた萌香がすでにスタンバっている。
きれいな弧を描き、むごい地響きが起きた。
きっちり三秒してから、ウミサルの体が横になる。
俺もこんな感じでやられたのか。
俺は、手を合わせた。
ウミサルは気絶。サヤエンドウは、口をポカンと開けている。
「ちょっと、ちょっと」
ママにまた小声で呼び寄せられた。
「あの子の依頼なんだったの?」
ジャーマンにはそれほど驚いていないようだ。
それもそうか。なんたって、二回目だからな。
俺は、ママとハカセに依頼内容を話した。
「ボディーガードか。また、面倒なのを引き受けたのう」
「仕方ないだろ。しなきゃいけない空気だったんだから」
「デウス、デウス。これで、ちょっと遊んで来なさい」
ママが差し出したのは、二つのチケットだった。
「何これ?」
「遊園地のチケット。お客さんがいらないからってくれたんだけど。アタシ、行く人いないからあげる」
「おい! 俺に生け贄になれって言うのか?」
「あなたの依頼人なんだから、仕方ないじゃない」
それを言われたら反論できない。
「若いんだから、たまには息抜きしないとね。ウミサルたちのことは、アタシたちに任せなさい。それに、あの有名なゆるキャラの『デス・ベアラー』もいるらしいわよ」
デス・ベアラー? なんか、ネーミングがゆるくないんだけど。
「……分かった。ちょっと、言ってくる」
俺は、またアヒルの近くで膝を抱えてる萌香のところへ行く。
「なあ」
「話しかけないで、変態」
「……」
さっきのウミサルの発言がダメージになっているようだ。
どんだけ俺、嫌われてんだろ。
「そ、その、ゆ、遊園地行かないか? チケットがちょうど二枚余っててよ」
すると、眉間にシワを寄せた萌香が、顔を上げ睨む。
「はあ? 何でアンタなんかと遊園地行かないといけないわけ?」
俺もお前なんか誘いたかねえよ。
「その、なんだ? そのお前を追って来たり、攫おうとする奴もまさか遊園地で遊んでいるとは思わないだろう?」
「……それもそうかも」
「そ、それに、何だっけ? デス・ベアラーなんていうゆるキャラもいるらしいぞ」
そう言った瞬間、勢いよく萌香は立ち上がった。
「ホンマに!?」
「あ、ああ」
何で、関西弁なんだ?
それに、心なしか目がキラキラしているように見える。
「し、仕方ないわね。アンタがそこまで言うなら行ってあげてもいいわよ」
「そ、そうか」
別にどうしても行きたいわけでもないが。
萌香は踵を返して、公園の入り口に向かう。
「何してんの? さっさと行くわよ!」
結構、乗り気なんだな。
俺は、ママたちに手を振ると萌香の後に付いて行く。
この時、もう少し詳しく依頼について聞いていれば、あんなことにはならなかったかもしれない。
長い、一日の始まりだ。
感想やアドバイス、誤字・脱字などの指摘お願いします。




