第十一話 体験から開業へ
あれから、二週間が経った。
十一月になって、寒さに痛みが混じり始める。
とりあえず俺は、生きていた。
イーグルさんは、新しい女を見つけたので、またヒモ生活をしているらしい。
ホームレス生活にも大分慣れてきている。
飯は作らなくていいし、好きな時に休むことができる。
『乞食は三日やったらやめられない』という言葉があるのだが、これはあながち間違いではない。
乞食とは、やむをえない事情、あるいは本人の意思により、他人から物品や金銭の施しを受けて生活している者のことを指す言葉。
つまり、ホームレスや路上生活者のことだ。そして、俺も。
働かずに飯を食うことができるのだから、当たり前である。
ただ……仕事がない。
三ヶ月以内に五千万の借金を返さなければならないのだが、俺は借金を返そうとする努力をまったくと言っていいほどしていない。
まあ、その日一日を生きるのに精いっぱいなのだけれども、それにしても何もしていない。
……正直、もう返さずに東京湾のミイラになってもいいかな、と思っている。
本当なら俺の人生は、あの橋の上で終わっていたのだ。
しかし、ハカセに出会い、ママに出会い、ウミサルとサヤエンドウに出会った。
俺を家族と言ってくれるホームレスたちに。
なんていうか、もう人並みの幸せを味わったのではないだろうか。
だったら、俺の人生も少しは救われたのかな、なんて最近はよく考えるようになった。
だとしても、残された余命を過ごすためには、飯を食べなければならないわけで。
未だにダンボールを食おうとは思えない。
どちらにせよ金は必要なのだ。
だが、住所不定の俺をバイトなんて雇ってくれるわけがない。
せめて、運転免許書でもあれば日雇いくらいはできるらしいのだが、免許証なんてとる金もなければ気力もない。
本格的に金(ママから貰った給料)が尽きた時のために一日だけ、公園へ帰らず飯を自分で探したことがある。
最初にぶち当たる壁は、どう探せばいいかということだった。
なんとなく、ゴミ箱を漁ればいいかと考えて行動に移してみたが、思ったより何もなかった。
飲みかけを捨てることがあっても、食べ残しを捨てることはあまりないからだ。
次に、コンビニが賞味期限切れの商品を捨てるのを狙ってみたが、これは手に入らない。
なぜなら、店側もホームレスが店の前に集るのを避けて、店の近くに捨てることはないし、そういった食料はベテランのホームレスがすべて掻っ攫って行くからである。
その日は結局、拾ったペットボトルの水を飲んで過ごした。
初心者ホームレスが自力で食料を見つけるのは、至難の業だ。
今更、ハカセやママに拾われたことを感謝した。
歩き疲れたので、駅のホームにダンボールを敷いて寝転がった。
寝転がって気づいたことは、コンクリートは冷たいということ。
風をそのまま受け流すのだ。当たり前のことだが、紛れもない事実。
駅のホームで同じように寝転がっているホームレスと少し話をした。
その人はこう言った。
「俺たちが安心して眠れるのは、お日様が照らしてくれている時だけだ」と。
最初は、どういうことか分からなかったが、少し考えてみるとすぐ答えは見つかった。
ホームレスが昼間寝るのを見て、『怠け者』と思う人もいるかもしれないが、アレは怠け者なのではない。
昼しか眠れないのだ。
寒さと襲撃の恐怖の中、安心して眠れるはずがない。
温かく、人の目がある昼間だけが安心して眠れるのだ。
しばらく休んで、公園に帰るために歩き出す。
ダンボールを取り忘れたので、振り返る。が、俺は戻らなかった。
さっき話していたホームレスが物色している。
この世界も人間社会。
自分の物を忘れる奴が馬鹿なのだ。
以上が俺の『一日、本気で浮浪者体験』だ。
この体験で分かったことは、『乞食は三日やったらやめられない』ではなく『乞食は三日できたら大したもの』ということだった。
ホームレスになって、ホームレスのみんなと過ごしてみて思ったことがある。
ホームレスになるということは、紙のない日記帳とインクの入っていないペンを渡されるようなもの。
何も描けない。未来も過去も何もない。あるのは、ただの虚無感だけ。
そんな日記帳とペンを持たされてなお、ホームレスは生きるという選択をした。
生きてさえいれば何かが変わるという、ある種の『あきらめ』を持っているからだ。
その『あきらめ』こそがホームレスたちの生きる理由。
* * *
俺は『一日、本気で浮浪者体験』のことをいつもの奴らに話した結果、見事に酒のつまみにされた。
「ははははっ。居ないと思ったらわざわざそんなことしてたのかよ」
ウミサルが笑う。相変わらず嫌な奴である。
「ぷっ、ぷぷっ、ウミサルダメですよ笑ったら。ぷぷっ、デウス君も本気なんデウス……ぷぷっ」
サヤエンドウのその一言で、その場がドッと湧いた。
酔っぱらっているせいか、いつもよりみんなの笑いのツボが浅い。
ここは北極かなんかか?
「でも、そんな真面目なところが、ス・テ・キ♪」
ママのその一言で俺の血の気がサアーっと引いた。
北極なんかじゃなく、動物園だった。
「ていうか、何で俺のハウスにいるの? 超狭いんだけど」
「いいじゃないか。狭い方が温まるじゃろう?」
「そんなに温まりたいならハカセ、ストーブでもなんでも作ればいいだろ?」
「灯油もコンセントもないんじゃ、作っても意味なかろうて」
「それもそうだな」
作ることはできるらしい。
「そういう時にはこちら!」
そう言ってウミサルが持っていたのは七輪だ。
「こちらの七輪なんと! 暖を取ることもできる他に、魚も焼ける優れモノなんですね! 今なら、この外れた馬場くじも付けてなんと千円! 千円ですよ! 買う人はいませんか?」
やたらと高い声。どこかのTVショッピングの司会者の様だ。
「買わねえよ! それタダの七輪じゃねえか! しかも、外れた馬場くじ付けて千円って付ける意味ねえだろうが!」
久しぶりに俺のツッコミが炸裂した。
「お前、知らねえな? 七輪の多様性を。冬は絶対コイツが必要なんだって」
「でも、七輪付けたまま寝たら、一酸化炭素中毒で死にますよ?」
「……サヤエンドウ。それはリアル過ぎて怖いよ」
俺は、笑ったままそんなことを言うサヤエンドウに、軽くツッコんだ。
本当にシャレにならない。
今日も相変わらずの鍋だ。
変わり映えしない具財をみんなでつつく。
「でも、デウス。そろそろ本気で仕事探さないと。それとも、アタシの店で働く?」
「勘弁してくれ」
どうにかそれだけは避けたい。
あんな珍獣だらけの店で働いたら、俺も珍獣になってしまう。
いやホント、勘弁して欲しい。
「ていうかよ、お前なんでママの店行かねえんだ?」
嫌味に言うウミサル。
せめて、その汚い歯を閉じてから聞きやがれ。
「何でって、男が減るからだよ」
「別に仕事があるだけいいじゃねえか。世の中にはな、毎日職安行っても仕事が見つからねえ奴が山ほどいるんだぞ? こんな時代だ。仕事なんて選んでる場合じゃねえだろ」
「じゃあ、ウミサルが働いてみろよ」
「残念でした。俺ァ金に困ってませ~ん」
何だコイツ。非常に腹立たしい。
でも、ウミサルの言うことにも一理ある。
仕事なんて選んでる場合じゃないんだよな。
ママはスナックバー。
ウミサルとサヤエンドウは、自給自足した物を売ったり、そのまま食べたりしている。
ハカセは発明したものを売る。イーグルさんは日雇い派遣ホスト。
みんなそれぞれの蓄えをもっている。
……自分の蓄え。仕事を選んでる場合はない……か。
…………っ! そうか!
俺は勢いよく立ち上がった。そのせいで、頭を打った。
「ど、どうしたんじゃ? いきなり立ち上がって」
俺は不敵に笑う。
思いついてしまった。完璧な仕事を!
「ふふふふふっ。そうだ。仕事なんて選んでる場合じゃないんだ。だったら、何でもやればいいんじゃないか」
みんなの顔が不思議そうに傾く。
「どういうこと?」
ママのその問いを振り切るかのように、俺は腕を横に突き出す。
「頼まれたことを何でもやるんだよ。そう。……便利屋だ」
沈黙があたりを包む。
最初に口を開いたのは、ママだった。
「なるほどね。……いいんじゃない?」
「じゃが、儲かるのか?」
「いや、儲からないだろう。大体、便利屋ってのは格安でやらなきゃ誰も依頼に来ないだろうし」
「そうですね。だったら、自分から仕事を探しに行くっていうのはどうですか?」
アレ? 思ったより、不評?
その後も良く分からん討論をした結果、「面白そうだから、やってみろ」という結論に至った。
面白そうって、絶対面白がってんだろ。
「どちらにしろ、やってみる価値はあるんじゃない。アタシも店で宣伝しておくから」
「ありがとう。ママ」
「ワシらもホームレス仲間に宣伝しておく」
「サンキュー」
俺の思いつきにこんなに協力的だなんて……良い奴らだ。
「まあどうせ、犯罪に巻き込まれて豚箱入りになるだろうが、頑張れよ」
ウミサル以外は、良い奴だ。
その日は結局、いつも通り飲み会で終わった。
* * *
翌日、早速行動に移した。
集積所で拾ったダンボールをいい感じの大きさにして、文房具店の試し書きコーナーに向かった。
そう。看板を作るためだ。
俺はどうやら、形から入るタイプらしい。
店員さんの怪しげな視線に耐え、何とか書き上がった。
うん。いい出来だ。
そのまま、公園に帰る。
「なんじゃこれ?」
ママから借りたガムテープで、俺のハウスのドアに貼ってある看板を見て、ハカセが聞いてくる。
「何って、昨日言っただろ? 便利屋だよ」
「あ~、そんなこと言っておったな。何々……『正義の味方』?」
「そう。……『便利屋 正義の味方』だ」
俺は誇らしげに胸を張る。
「ダサいわよね~」
ママが茶々を入れる。
「なっ! ダサいって何だこらっ! 俺は真剣なんだぞ」
「今時、正義の味方なんて流行らないわよ」
ぐっ! リアルに傷ついた。
ブロークンハートだよ、ちくしょう!
「それに、この絵何?」
「ばっ、おまっ、知らねえの!? 覆面ライダーユウキだよ。この赤いマフラーが見えねえのか?」
「へえ~、デウスにもそんな一面があるなんてね。子供みたい」
ぐっ! しまった! つい、熱くなっちまった。
「と、ともかく、俺は今から宣伝に言ってくるから」
「宣伝って何をするんじゃ?」
「駅のホームの伝言板に書いてくる」
「今の時代伝言板なんて、誰も見らんじゃろう?」
「それ以外に方法なんてあるのか?」
「……」
俺たちは、考え込む。
宣伝か。誰でも見れて、誰もが見てくれる場所。
……っ! またしても、完璧な閃き。
「ブログだ。ブログを作るんだ。ネットなら誰でも見れて、誰もが見てくれる」
「……そうね。でも、そのブログを見てくれなくちゃ意味ないわ。シャイッタ―を使えばいいかしら?」
「ママ、ナイスアイディアだよ! じゃあ、早速、作って来る」
「ちょっ待っ!」
ママの声を振り払って、俺は走り出した。
俺はネットカフェの個室で頭を抱えていた。
勢いよく出てきたのはいいが、ブログって、どうやって作るんだっけ?
ママに聞いておけばよかった。
誰か頼れて、若くて、ブログに詳しそうな人いないかな。
「……あっ」
一人思いついてしまった。
この人に頼むのは気が引けるな。……仕方ない、背に腹は代えられん。
俺はポケットから黒い名刺を取り出すと席を立った。
「これをこうしてっと……はい、完成」
イーグルさんの白い歯がこちらに向く。今日も汚れ一つない純白のスーツだ。
貰った名刺に、書いてあった番号に電話したのだ。
頼れて、若くて、ブログに詳しそうな人、ピッタリだろ?
事情を話したところ、喜んで来てくれた。
三十分程度でブログを作り終わってしまったのである。
「すみません。忙しいのに」
「いや、今、丁度暇だったんだ。それにしても、便利屋か。面白そうだね」
この人も面白がってやがる。
ちなみに、ブログの名前は『正義の味方 見参!!』だ。
「ダサダサだね」
「なっ! 名前は何でもいいって言うから、カッコいいの考えたんじゃないですか!」
「別に名前なんて言ってないじゃん。でも、ダサい」
確信犯か! しかも二度も、二度も言いやがったよ。
「そんなことはいいとして。折角ブログ作ったんだから、最初の記事書きなよ。宣伝するんでしょう?」
俺は、言われるままにパソコンのキーボードに体を向ける。
小見出しは『便利屋 正義の味方 開業!』だ。
内容を書き始める。
【格安で何でもやります! 犯罪行為は勘弁してください! 困ったことや助けてほしいことがある人は、アヒルの遊具が特徴的な阿比留公園までお越しください! 便利屋 正義の味方が必ずお助けします!】
こんな感じか。
「うん。いいんじゃない?」
早速この記事を投稿した。
「じゃあ、このブログのURLをママに送っとくから」
「え? ……あ~、はい。お願いします」
そういえば、ママにシャイッタ―で宣伝してもらうんだった。
「これで、よしっと」
「なんかすみません。何から何まで」
「いいって、いいって。デウスは、俺の可愛い弟分みたいなものだから」
弟分か。俺には兄弟がいないからよく分からないのだけど、イーグルさんのような人が兄なら嬉しいかもしれない。
「ありがとうございます」
「うん。あっ、そうだ。ブログはこまめに更新しなきゃダメだよ?」
「分かりました。困ったときは、また呼びますね」
「うん。いつでも駆けつけるよ」
その後、少しだけ会話をして、イーグルさんが女の人に呼び出されたので別れた。
その日は、そのまま公園に帰った。
一週間経ったが一向に依頼人は現れず、仕方なく、ママの店で働いた。
その後、ブログだけでは宣伝が足りないと思い、簡単なチラシを何枚か作って、いろんなところに貼った。
そして、二週間が経って、軽く便利屋であることを忘れかけてた頃、俺はアイツに出会った。
全ての始まり。
便利屋初依頼は、波乱の幕開けだった。
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