第十話 遅れて来たファミリー
『ありがとうございました!』
店員の元気な挨拶が耳に響く。
ハニトーって、結構高いんだな。知らなかった。
思わぬ出費だ。……おのれ、あの性犯罪者め。
次に会ったら、文句言ってやる。
俺は気を取り直して買い物を続けることにした。
えっと、次は何を買うんだっけ?
……ああ、毛布か。
でも、待てよ。毛布を買って、さらに買い物を続けるとなると結構きついな。体力的に。
そうなると、まず毛布以外のものを買って、風呂に入ってから毛布を買った方が、効率的にも体力的にも良いかもしれない。
うん、そうしよう。
俺は、駅前の大型ディスカウントショップへ向かうことにした。
ディスカウントショップに着く。
店内は、商品が隙間なく並べられており、半ば迷路のようだ。
やっとの思いで見つけた、石鹸、シャンプーリンス、歯ブラシセットを二つずつカゴに入れる。
次に、クロックコーナーで時計を探すことにした。
やっぱり、日付なんかが分かるデジタル時計の方がいいかもしれないな。
たくさんの腕時計や目覚まし時計が並ぶ棚を流すようにして眺める。
―――っ! アレは!?
俺は、たくさんの時計に埋もれた、一際目立つ目覚まし時計を手に取る。
こ、こ、これは、『覆面ライダー ユウキ』の目覚まし時計じゃねえか!
『覆面ライダー ユウキ』とは、普段は臆病でへタレな主人公ユウキが、ある日家の物置で見つけた『勇気のマスク』を被り変身して、ヒロインや大事な仲間を護るために、悪の秘密結社『アク―』と戦うという特撮ものだ。赤いマフラーが特徴的で、設定もよくあるものなのだが、ユウキの変身前と変身後のギャップが物凄くカッコよく、個人的にもすごく好きだった。ライダーシリーズの中でもかなり人気があって、今は主人公を新しくして第二期が始まっているそうだ。
って、何盛り上がってんだ俺。
落ち着け。
……でも、欲しいっ! 物凄く欲しい!
俺は、時計の裏の値札を確認する。……膝が崩れ地面に手をつく。
無理だ。高いよ。福沢1人分だよ。
とてもじゃないが、手に負えないよ。
人気だもんな~。そりゃ、このくらいするか。
許せ、ユウキ。いつかお前を迎えに来るから。
渋々時計を棚に戻すと、近くにあった小型のデジタル時計をカゴに入れた。
ついでに、下着五枚と懐中電灯をカゴに入れて、レジに向け歩を進めた。
* * *
大体の目的となる商品を買ったところで、第二の目的となる銭湯へ向かうことにした。
『ホームレスは汚い』というイメージは、実は、あまりあてにならない。
頻繁に銭湯に通い、汗を流している人たちも多いのだそうだ。
今朝、炊き出しに行った時にハカセから聞いた。
それで、「できるだけ安く済む銭湯はないか?」と聞いたところ、俺の目の前にある銭湯を紹介された。
ハカセ曰く、ここの銭湯は若い夫婦とその祖母で経営しているらしく、週三で祖母が番台に立つことがあるらしい。その祖母はもう八十歳を超えていて、ボケが凄まじいのだそうだ。よって、百円玉を十円玉に変えて出しても気づかないまま通されることが多々あるらしい。そして、今日がその祖母が番台に立つ日なのである。
銭湯の暖簾をくぐり番台の前に立つ。
「いらっしゃい」
小さなメガネににシワだらけのおばあちゃんがニコリと笑う。
「お、大人一人で」
「四百五十円になります」
いいのか? こんなことして?
だが、やるしかない! 許して、おばあちゃん!
俺は、ポケットから五十円玉一枚と十円玉四枚を取り出し、番台に置く。
「はい。これ。ごゆっくり」
そう言って、風呂桶と大小のタオル、ロッカーの鍵を差し出す。
マジか。本当に通っちゃうのか?
おばあちゃんが小銭を掴もうとする。
……やっぱ、無理!
「おばあちゃん、ごめん! 小銭間違えてたっ」
俺は急いで十円玉を百円玉に替えて男湯の方へ走り去った。
ダメだな~、俺。
シャンプーで頭を洗いながら、少し落ち込んでいた。
ああいうところで、もっとずる賢くなれなきゃ、生きていけないんだろうな。
シャンプーを洗い流し、体を洗ったところで浴槽に浸かることにした。
浴室は、二つに分かれた浴槽が壁際にあり、奥のドアを開けると小さな露天風呂がある。いかにも、元祖って感じだ。
浴槽の方へ向かうと、目の前の壁面に描かれた、大きなペンキ絵に目が行く。
富士山だ。
「ベタだな~」
「うん。でも、こういうの結構好きなんだよね~」
「俺も嫌いじゃないです」
「なんか江戸って感じがしていいよね?」
「……」
今更だ。今更になって俺が誰と会話してるのか疑問に思った。
恐る恐る横を見る。
そこにいたのは、性犯罪者もとい、イーグルさんだった。
「やあ。偶然だね」
「やあ、じゃないですよ。何でここにいるんですか?」
「さっき、デウスがここに入るのが見えてさ。俺もついでに入ろうかなって」
「さっき、偶然だねって言いませんでした?」
「まあ、そんなことより早くお風呂入ろうよ」
イーグルさんは、浴槽に浸かる。
俺も続けて浸かる。
うお~~~~。気持ちぃ~~~。
風呂に入るなんて何日ぶりだろう。
体がお湯に溶けてしまいそうだ。
「そんなに気持ちよさそうにお風呂入る人、初めて見た」
イーグルさんの一言で、水面に映る自分の顔が『えびす様』みたいになっていることに気付く。
慌てて、引き締める。
「そ、それで、女の子はどうしたんですか?」
「ん? うん、楽しくおしゃべりしてきたよ。大きくなったらお嫁さんになってくれるんだって。可愛いよね」
そう言いながら、頭の上にタオルを乗せる。
どうやら、楽しく会話をしただけの様だ。
「最後に、ほっぺにキスをプレゼントしてきた」
良い子のみんな。知らない人からは何も貰わないように。変態かもしれません。
十五時なので、銭湯の男湯には俺と彼以外に誰もいない。
「さっき、番台の前にいたデウスを見てたんだけどさ」
「……もしかして、あの場面を目撃してました?」
「うん。バッチリ」
「すみませんでした! 悪気はなかったんです! どうかご勘弁を!」
「いや、そんな謝らなくても。誰かからここのおばあちゃんの話を聞いて来たんでしょう? それに、ちゃんと百円玉に変えて行ったじゃん」
「まあ、そうなんですけど」
「ホント、君は面白いよ。でも、ずる賢くならないと、いつか裏切られて自分が傷つくだけだよ?」
……そんなことは分かっている。
ずる賢い奴が結局は得をして、真面目な奴が損をする。
「でも、そんなずる賢いだけで、人の痛みを知れない大人にはなりたくないんですよ」
あっ。つい、言葉に出てしまった。
「す、すみません。なんか知ったようなこと言っちゃって」
「……いいや。羨ましいよ。でも君みたいなタイプは正直、これから苦労するだろうね。でも、デウスの
その思いは、きっと大きな力になる」
そう言って、笑ったイーグルさんの顔は、どこか憎たらしくて、それでいてどこか暖かかった。
しばらく、温まり浴室を出た。
脱衣所で着替えていると、イーグルさんが何かを思い出したような表情で「あっ」と声を上げる。
「そういえば、ファミレスのお会計任せちゃってたよね?」
「あっ」
俺も思い出した。
「そうですよ! おごるって言っておいて、何なんですか!」
「ごめんごめん。お礼にコーヒー牛乳おごるから」
ハニカミながら、自販機からコーヒー牛乳のビンを二つ買ってくる。
「こんな物で許されると思ってるんですか?」
「いいから、飲んでみて」
言われるままに蓋を開け、一口。
……悔しいが、うまい。
ていうか、この風呂上がりの一杯の破壊力は凄まじすぎる。
「ね? うまいでしょう?」
「う、うまいですけど、こんな物じゃ俺の傷ついたハートは、そう簡単には治りませんよ」
「じゃあ、今度女の子紹介するから」
「もう結構です」
たくっ。これだからホストって奴は。
顔がいいから何でも許されると思ってんじゃないのか?
「あっ、そうだ。イーグルさんの本名ってないんですか?」
「ん? 本名ね~。田中太郎とか?」
「あの、結構真面目に聞いてるんですけど?」
「テヘペロっ」
「テヘペロじゃないですよ!」
「ははっ、ごめん。本名は、とうの昔に捨ててきたよ。あっても、自分を縛る縄にしかならない」
そう言って、コーヒー牛乳の蓋を開けながら苦笑いをする。
「……そうですか」
この人にもいろんな過去があるのだろう。
「今、何歳ですか?」
「十九かな」
「まだ未成年じゃないですか!? ホスト何てしていいんですか?」
「大丈夫だって、ほら俺、未成年に見えないじゃん?」
確かに。大人のオーラが溢れ出ている。
ていうか、俺と二つしか変わらないのにすごいことしてるな。
その後も、イーグルさんのことについていくつか聞いた。
高校を中退して、しばらく知り合いのコネでホストをしていたが、時間に縛られるのが面倒になり、日雇いホストに転職したのだそうだ。
さすがにそれ以上聞くのは気が引けたので、さっさと着替えを済ませた。
「じゃあ、俺、先に行くから」
白いスーツに身を包んだイーグルさん。
「はい。コーヒー牛乳ご馳走様でした」
「俺もいろいろ話せて楽しかったよ。またね」
そう言って、暖簾の向こうへ消えて行ってしまった。
俺も支度をして、脱衣場を出る。
番台の前で、風呂桶とロッカーの鍵を返す。
目を合わせづらかったので下を向いていると、おばあちゃんはニコリと笑い「またのお越しを」と言ってくれた。
もしかすると、このおばあちゃんはワザとボケている振りをしているのかもしれない。
その笑顔を見ていると、そんな気がした。まあ、気のせいか。
俺は、軽く会釈をすると銭湯を出た。
* * *
銭湯から出て、毛布を買うと俺は帰途に就く。
帰りは荷物のせいで一時間半くらいかかった。
だんだん、日が沈むのが早くなってきている。
もう日は沈んでしまい、歓楽街の電飾を多用した派手で目立つ看板が、夜の街を強調している。
都心から少し離れた、公園に俺のハウスはある。
その名も阿比留公園。
公園に着くと、俺のハウスの方から光がこぼれているのが見えた。
不思議に思い、少し早歩きでハウスに近づく。
近づくにつれていい匂いがしてきた。
勢いよくダンボールでできたドアを開ける。
「よ~~、邪魔してるぜ~~」
ドアのすぐ内側で待ち伏せていたのは、酒瓶を持ったウミサルだった。
疲れて帰ってきた体を、出迎えたのが酔っぱらったオヤジだなんて……悲しすぎる。
「おいっ! もうそんなに顔赤くして、デキ上がってんじゃねえか!」
「まあ~、固いこと言うなって、お前も鍋食うだろ?」
ハウスの真ん中にはカセットコンロの上に鍋がある。
また、鍋をしたのか。てか、鍋の中の具、ほぼないじゃねえか。
俺は堪らずため息を吐く。
「そんなところに突っ立ってないで入りなよ」
どうやら、他にも誰かいるようだ。
ハカセとサヤエンドウと? ―――っ!
「イ、イーグルさんじゃないですか!?」
「やあ、今日はよく会うね」
今日何度目なのか分からないくらい見た、イケメンスマイルのイーグルさん。
どんだけ会うんだよ。何の因果だ。
「ていうか、なんでイーグルさんがいるんですか?」
「まだ、話しておらんかったか? こやつも、ファミリーの一人なんじゃよ」
「え? でも、仕事してるんじゃないんですか?」
「仕事してても、帰る家がなきゃホームレスなんだよ」
酒瓶を覗き込むウミサル。
前に、ママからも聞いた。
ホームレスには、二つの種類がいる。職はあるけど家がない奴と家もなけりゃ職もない奴。
イーグルさんは、職はあるけど家がない奴なのか。
「でも、今まで見ませんでしたけど、どこに住んでたんですか?」
「元カノの家。彼女にした子の家に泊めてもらうんだ」
「……えっと、それって、俗にいう『ヒモ』ってヤツじゃないんですか?」
「そうともいうけど、人は皆、俺を見てこう言う『愛のイリュージョニスト』ってね」
―――はっ。一瞬意識を失っていた。
彼女に貢がせて何もしないヒモが、愛のイリュージョニストだってさ。
俺はもう泣きそうだ。
「でも、勘違いしないでよ? ちゃんと愛していたんだよ?」
「過去形ですか?」
「うん。ヒモは、一定時期の間にたった一人の女を本気で愛せる奴のことを言うんだよ」
何かカッコいいこと言ってるように見えるけど、結局はダメ人間じゃねえか。
* * *
その後もいろんな話をして馬鹿騒ぎした。
すると、ウミサルが口を押えて吐き気を訴え始める。
それを草の茂みで介抱していると、見事に吐きやがり、あろうことかそのまま眠りやがるものだから、サヤエンドウと河川敷のハウスまで運んだ。
自分のハウスに帰るとハカセまで酔い倒れていたので、ハカセのハウスまで運び横向きに寝かせた。
そして、ようやく落ち着けると思ったらイーグルさんが、俺の買ってきたばかりの毛布で、すでに眠ってやがる。
とりあえず、鍋とカセットコンロとその他の転がった紙皿などを片付けた。
腹の中にある赤い感情を何とか抑え、アヒルの遊具の首にまたがる。
「はあ~」
大きなため息をつく。
夜空には星が瞬き、静かな虫の音が次第に赤い感情を鎮めてくれる。
目を閉じる。
馬鹿騒ぎしているみんなの姿が目蓋の裏に思い浮かぶ。
「何ニヤケてるの?」
その声で目を見開く。
赤いドレスを着たママがそこにいた。
いないと思ったら、仕事に行っていたのか。
「アレ? ニヤケてた? 俺?」
「ええ。とても、楽しそうに」
俺は顔を両手で覆う。
思い出し笑いかよ。俺。
しかも、それを他人に見られるなんて。
死んでしまいたい。
「イーグル来てたんだって?」
「あ、ああ。今、俺のハウスで寝てるよ」
「そう。どうせ、またみんな馬鹿騒ぎして、デウスが介抱したんでしょう?」
正解。ママだけだよ。分かってくれるのは。
一瞬ママに抱き着きたい衝動に駆られたが、意識を殴って止めた。
「はい」
ママが缶コーヒーをくれた。
そして、一口飲む。
口の中に広がる暖かさが妙に心地良かった。
「また、ニヤケてる」
俺は慌てて顔を引き締める。
「……家族って、いいなって思ってさ。こうやって馬鹿騒ぎして、怒って、泣いて、笑って。昔の俺の家族ではできなかったことだよ。母さんが死んでからは、親父はそれまで以上に俺に構わなくなった。構う余裕もなかったのかもしれないけど。家ではいつも一人だった。だから、一つの家の中で誰かと馬鹿騒ぎできるのがどうしようもなく切なくて、どうしようもなくうれしいんだ」
って、何言ってんだろ。俺。
こんなこと話しても何かが帰って来るわけじゃないのに。
あの日に戻れるわけでもないのに。
「それは、多分あなただけじゃないわよ」
アヒルの遊具に背を預け、ママはこう続ける。
「みんな、そうなのよ。過去を捨てた自分と同じ心境の仲間と騒げることがどうしようもなく楽しいの。だから、迷惑に思うこともあると思うけど、見捨てないであげてね」
「……当たり前だ」
俺のその言葉を聞いたママが微笑む。
見捨てるも何も、俺はみんなが、この場所が、結構好きなんだと思う。
過去はどうあれ、過去でしかない。
今は、ここが俺の居場所なのだ。
ママにおやすみの投げキッスを軽く受け流すと、俺は自分のハウスに戻った。
イーグルさんの毛布をブン取り俺も眠りにつく。
疲れていたせいかすぐに意識が体の奥深くに吸い込まれていった。
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