増えたお兄ちゃん
お昼ご飯を終えた私たちは、再びディートムへと向けて出発することになった。
私は馬車に乗り込む前、父のそばへと駆け寄る。
「パパ、次の休憩場所なんだけど……できるだけ人が少ない場所がいいな」
ディナとディートムを繋ぐこの街道は、ロゼッタ王国の主要都市間を結ぶ道ということもあり、それなりに人通りが多い。
道中には旅人たちが休憩に使う広場もいくつか設けられている。
「ママの体調のことか?」
「うん。スープを飲んで少しは良くなったみたいだけど、まだ万全じゃないと思うの。これからもっと暑くなるし……だから、人目につきにくい静かな場所で、ゆっくり休ませてあげたいの」
私がそう伝えると、父は嬉しそうに頷いた。
「わかった。次は少し街道から外れて、木陰の多い場所を探そう」
「ありがとう、パパ!」
父と約束を交わした私は、母が待つ馬車へと向かった。
扉を開けると、母はシートに深く腰掛け、まだ少し気怠そうではあるものの、ずいぶん顔色もマシになっている。
「ママ、ちょっと待っててね」
(ナビ! 小さい氷を出したいんだけど、そういう魔法ある?)
≪氷を生成する基本魔法として【アイスクリエイト】がございますが……セリア様は、すでに出したい氷の具体的なイメージをお持ちなのではないですか?≫
(そうなの。前世のお店で売っていたクラッシュアイスを思い浮かべてたんだ)
≪魔法の本質は、術者の明確なイメージです。であれば、一般的な【アイスクリエイト】ではなく、セリア様になじみのある【クラッシュアイス】と詠唱なさった方が、イメージの再現性は高くなると予測されます≫
(なるほどね! 自分がよく知ってる言葉の方が、ずっと具体的にイメージを固定できるもんね!)
私はアイテムボックスから大きめの深鍋を取り出すと、前世のお店で見慣れていたクラッシュアイスを頭の中で強く思い浮かべる。
(魔法はイメージ! よし、これなら完璧にできそう!)
「クラッシュアイス」
カラカラカランッ、と涼しげな音を立てながら、思い描いた通りの氷が次々と鍋の中へ転がった。
「これ、置いておくね。布に包んで首の後ろとか脇の下を冷やすと、体を冷やしやすいから使って。それと、水筒のお水もぬるくなってると思うから、氷を入れて冷やして、少しずつ飲んでね」
「まぁ……こんなことまでできるのね。ありがとう、セリア」
「さっきスープも飲んだけど、まだ体調が戻ったわけじゃないんだから、ちゃんと水分も取ってね。氷もすぐに溶けちゃうと思うけど、なくなったらいつでも言って。いくらでも出せるから!」
私が念を押すようにそう言うと、母は少し困ったように、それでも嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ、わかったわ。今度は我慢せずに、ちゃんとセリアにお願いするわね」
「うん!」
これなら大丈夫そうだ。
私は母が馬車の中で横になってゆっくり休めるように、そのまま外へ出ることにした。
途端に、じりじりとした日差しが降り注いでくる。
(うぅ……やっぱり暑い)
私は先ほどと同じように、御者台に座るガウルお兄ちゃんの隣へ向かおうとした。
その時だった。
「セリア様。次は、私と一緒におしゃべりをしませんか?」
後ろから声をかけられて振り返ると、旅人に見えるよう地味な服を身につけたクライスが、こちらへ歩いてくるところだった。
「クライスさん?」
そういえば、クライスとは救護室や食事の席で何度も顔を合わせているけれど、二人でゆっくり話したことはほとんどない。
私がちらりとガウルお兄ちゃんを見ると、彼は何も言わず、行っておいでと言うように笑って頷いた。
「うん!」
「では、僕はあちらの馬車に移りますね」
ガウルお兄ちゃんが両親の乗る馬車へ向かい、代わりにクライスが御者台へと上がる。
そして私が後に続こうとすると、クライスはごく自然な動作でこちらへ手を差し伸べた。
「どうぞ」
「ありがとう!」
そのあまりにも慣れた仕草に、私は思わずクライスの顔を見上げた。
(おお! クライスさんって、こういうのすごく自然にできるんだ)
じーっと見ていたせいだろう。
クライスが少し困ったように眉を下げた。
「……何かおかしかったでしょうか?」
「え?」
「女性をエスコートする機会などほとんどないので……失礼があったのではないかと」
(ええっ!? 慣れてたんじゃないの!?)
てっきりこういうことには慣れているのだと思っていた。
しかも、いつも凛々しいクライスが不安そうにしているのが、なんだか妙に可愛らしい。
「違うよ! すごく自然だったから、慣れてるのかなって思っただけ!」
「そうでしたか……」
クライスはほっとしたように息を吐き、少し照れくさそうに笑った。
(おお……これはなかなかの破壊力)
そんなことを考えながら隣に座ると、馬車は再びゆっくりと走り始めた。
けれど――。
「…………」
「…………」
なぜか会話が始まらない。
パカ、パカ、と馬の蹄の音だけがやけに大きく聞こえる。
「なんや? しゃべるんやなかったんか?」
私の膝の上で寛いでいたルクが、呆れたように口を開いた。
「う、うん……」
私が慌てて声を上げると、クライスも苦笑する。
「すみません。帝国へ行く前に、一度セリア様とゆっくりお話をしてみたいと思っていたのですが……いざ二人になると、何を話せばいいのか緊張してしまいました」
「その前に!」
私はクライスの方へ体を向けた。
「『セリア様』はやめてほしいな。セリアでいいよ」
「セリア、と……?」
クライスは困ったように私を見た。
「さすがに呼び捨てにはできません」
「えー、どうして?」
「セリア様は私の命の恩人ですから。いくらご本人から許していただいたとしても、呼び捨てにするのは少し……」
そこまで言うと、クライスはしばらく考え込んだ。
「では……『セリアちゃん』とお呼びしてもよろしいですか?」
「セリアちゃん?」
「はい。それなら、私もあまり畏まらずにお呼びできそうです」
セリア様から、いきなりセリアちゃん。
ずいぶん大きく変わった気もするけれど――。
「うん! それがいい!」
私が笑顔で頷くと、クライスもどこか嬉しそうに目を細めた。
「では、セリアちゃんも私のことをクライスとお呼びください」
「うーん……クライスお兄ちゃんでもいい?」
さすがに、大人のクライスをいきなり呼び捨てにするのは私だって少し気が引ける。
すると、クライスは一瞬きょとんと目を丸くしたあと、なぜかとても嬉しそうに笑った。
「もちろんです」
「じゃあ、クライスお兄ちゃん!」
「……いいですね」
クライスがしみじみと呟く。
「実は、ガウルさんが少し羨ましかったのです」
「ガウルお兄ちゃんが?」
「ええ。セリアちゃんから『お兄ちゃん』と呼ばれていましたから」
「そうなの?」
まさか、そんなことを羨ましがっていたとは思わなかった。
「クライスお兄ちゃんって、弟や妹はいないの?」
「いません。兄と姉が一人ずついますから、私が末っ子なのです」
「ええっ!?」
これは本当に意外だった。
騎士団の副団長として皆をまとめていた姿から、勝手にしっかり者の長男みたいなイメージを抱いていたのだ。
「十六で家を出てから、もう八年になります。今年で二十四になるというのに、家族に会えば今でも頼りない弟扱いです。特に兄と姉には、いつも心配されています。ですから、誰かに『お兄ちゃん』と呼ばれるのは初めてなのです」
「え? 二十四歳で副団長だったの!? すごい!」
「いえ。私が貴族の出身なので、他の団員をまとめやすいだろうという理由もあったのですよ」
クライスは謙遜するように笑った。
でも、私は知っている。
救護室で騎士団をまとめていた姿も、皆がクライスに向けていた信頼に満ちた表情も覚えている。
きっと、家柄だけで副団長になったわけではない。
「でも……そっか。クライスお兄ちゃんは末っ子なんだね」
「そうなのです。ですから、セリアちゃんにお兄ちゃんと呼ばれると、本当に妹ができたようで嬉しいですね」
クライスが少し照れくさそうに笑う。
なんだか私まで嬉しくなってきた。
(私も、本当にお兄ちゃんが増えたみたい)
私は少し迷ってから、以前から気になっていたことを尋ねた。
「クライスお兄ちゃんは、このまま家族に会わないでクロノス帝国に行くんだよね?」
クライスは一瞬だけ黙り、それから前を見たまま静かに頷いた。
「……そうですね」
「寂しくない?」
今度は、答えが返ってくるまで少し時間がかかった。
「寂しいですよ」
意外なほど素直な答えだった。
「父にも母にも、兄にも姉にも……会いたいと思っています」
その声は穏やかだったけれど、どこか寂しそうだった。
「じゃあ……」
「ですが、今は会わない方がいいのです」
クライスは自分の腕へと目を落とした。
「私がこの国を出る頃には、家族にも私が腕を失ったことが伝わっているでしょう。それなのに何事もなかったかのようにこの姿で戻れば、当然理由を尋ねられます」
「……うん」
その理由を説明すれば、私の治癒魔法についても話さなければならなくなる。
「家族に嘘はつきたくありません。だからこそ、今は会わない方がいいと思っています」
私は胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。
「……ごめんね」
「なぜ謝るのですか?」
クライスが驚いたようにこちらを見る。
「だって、私が力を隠してるから……。そのせいで、クライスお兄ちゃんは家族にも本当のことを話せないんだよね?」
「違います!」
思っていたよりも強い声で否定された。
「セリアちゃんは、ご自分の力を隠さなければならない状況だったにもかかわらず、私を見捨てずに助けてくださいました」
クライスは自分の手を開き、ゆっくりと握りしめる。
「だから私は、いつかセリアちゃんが困った時には、今度は自分も力を貸せるようになりたいのです」
「クライスお兄ちゃん……」
「家族に会えないのは寂しいですよ。でも、私は今こうして自分の足で前へ進むことができる。それは、セリアちゃんが私に与えてくださったものです」
クライスは前を向き、少しだけ笑った。
「それに、腕を失って苦しむ姿を家族に見せずに済みました」
その言葉を聞いても、胸の痛みが完全になくなったわけではない。
それでも、クライスお兄ちゃん自身が前を向いているのなら、私まで暗い顔をしていてはいけないと思った。
「私はね、クライスお兄ちゃんの幸せを願ってるよ」
私はまっすぐクライスお兄ちゃんを見つめた。
「だから、帝国でも無理しすぎないでね。それで……いつかちゃんと家族にも会えるといいね」
一瞬、クライスお兄ちゃんの目が大きく開かれる。
やがて、その顔に穏やかな笑みが広がった。
「ありがとうございます、セリアちゃん」
クライスお兄ちゃんはそう言うと、どこか遠くを見るように目を細めた。
「遠く離れていても、家族との縁が切れるわけではありません。生きていれば、いつかまた会えるでしょう。その時まで、私は帝国で自分にできることを頑張るつもりです」
「うん」
「それに……」
クライスお兄ちゃんは一度言葉を切ると、今度は私を見て微笑んだ。
「不思議なのですが、またいつか会えるような気がするのです」
「私も!」
いつになるかなんて分からない。
それでも私も、クライスお兄ちゃんとはいつかまた会えるような気がしていた。
「また会う時までに、私ももっと立派になってるからね!」
「それは楽しみですね」
「だから、クライスお兄ちゃんもちゃんと元気でいてね」
「もちろんです」
馬車は照りつける日差しの中、ディートムへと続く街道を進んでいく。
今日、ほんの少しだけクライスお兄ちゃんのことを知ることができた。
そして私には、もう一人、お兄ちゃんができたような気がした。
最後までお読みいただきありがとうございます!




