ママの告白
ルクの突然の発言に、両親も私も動けずにいた。
ルクはそんな私たちをじっと見つめていた。
「セリアは、生まれてから一度も教会にいっとらんやろ?」
ルクの何気ない問いかけに、私は一瞬、言葉を失った。
そんなこと、考えたこともなかった。
改めて言われると、確かにそうだ。
ディートムにも教会はあるのに、不思議と足を向けた記憶がない。
胸の奥に、小さな違和感が広がる。
その時、母が椅子から転げ落ちるようにして、そのまま床へと崩れ落ちた。
「聖獣様、申し訳ございません……! セリアを教会へ一度も連れて行かなかったのは私のせいなのです」
額を地につけるように、深く頭を下げた。
「エリーナ!?」
父が慌てて母の肩を掴み、起こそうとする。
だが母の身体は強張ったまま、まるでそれを拒むように震えていた。
「エリーナ、落ち着け。それは二人で決めたことだ。君一人の責任じゃない」
「だけどバルト……! セリアは聖獣様と契約しているのに、教会に足を運んだことすらないなんて……」
「なんや、別に責めとるわけやないで。二人とも落ち着き」
ルクのいつもの軽い声が割って入ると、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
母はようやく我に返ったように息を吐き、父に支えられながら椅子に座り直す。
部屋に、重たい沈黙が落ちた。
(たしかに……言われてみれば、教会に一度も足を運んだことがない。前世でも、お正月に初詣に行く程度で、普段から神様を拝みに行く習慣なんてなかったから、あまり気にしていなかったけど……)
しかし、この世界は日本とは違う。
神は過去に人前へ姿を現したことがあり、使徒ミカエルの存在も広く知られている。
私は自分の胸の奥に引っかかるものを感じながら、ぼんやりと考える。
心の中で創造神様に感謝を伝えたことはある。
けれど、両親から『教会へ行こう』と言われたこともなければ、教会という言葉を聞いたことすら一度もなかったのだ。
母が、震える声で口を開いた。
「……申し訳ございません。聖獣様……私たちは決して邪神を信仰しているわけではありません。ただ……教会を避けていただけなのです」
「ママ……」
「私は……かつて教会関係者に、誘拐されたことがあるのです」
「えっ……!」
思わず声が裏返る。
誘拐?
しかも、教会関係者に?
言葉の意味がすぐに飲み込めず、私は母の顔を見つめたまま固まった。
母は小さく息を吸い、静かに続ける。
「私もセリアと同じく、聖属性の適性があります。しかし、私の魔力は多くありません。ヒールを使うのが精一杯です」
母はルクを見つめて、ゆっくりと言葉を続けた。
「セリアが生まれる数年前、ひどい干ばつで食料も薬も足りない時期がありました。傷薬もポーションも不足していて……そのため、ヒールしか使えない者でも重宝されていました」
その言葉に、私は息を呑む。
そんな時代があったなんて、想像すらしていなかった。
「私もサファイアブルーの瞳をしているため、周囲にも聖属性の適性があることが知られていました。干ばつで薬が不足すると、外出のたびに治癒を求める人々に囲まれ、家にまで押しかけられることもありました。そんな私の状況を見た教会の一部の者は、私を助けるという名目で教会へ囲い込もうと必死でした」
母の声は淡々としているのに、どこか遠くを見ているようだった。
「断り続けていると、いつからか狙われるようになりました。幾度となく危険な目に遭い、その度になんとか逃げていましたが、結局最後は捕らえられてしまったのです。私を捕まえた者の中に知り合いの神父がいたときには絶望しました」
母はそこで言葉を切った。
指先が小さく震えている。
思い出したくない記憶なのだろう。
父は何も言わず、そっと母の手を包み込んだ。
その仕草だけで、あの日の出来事が二人にとってどれほど深い傷になっているのか伝わってくる。
(私だったら……きっと怖くて教会なんて近寄れなくなる)
母は一度だけ目を閉じ、小さく息を吐いてから続きを話し始めた。
「捕らえられた私は、教会の権威を私物化した者たちによって、高額な献金と引き換えに、ある貴族へ差し出されるところでした」
母は怒りと悲しみの混じった表情で、当時の記憶を語る。
「私を貴族の屋敷へ引き渡すため、無理やり馬車に乗せようとしているときでした。その場面を偶然通りかかって目撃した、冒険者のバルトに助けてもらったのです」
父が静かに言葉を継ぐ。
「……ちょうど依頼の帰りだった。明らかに怯えるエリーナを無理やり馬車に押し込もうとしているのを見かけて、ただ事じゃないと思ったんだ。教会の人間だろうが何だろうが関係なかった。怯えている女性を無理やり連れて行こうとしていたからな」
そう言って、父は母の肩を守るように抱いた。
(教会の一部の人間が、ママを貴族へ売り渡そうとしていたんだね。ヒールが使える人を、道具みたいに扱うなんて)
母が誘拐されたという事実に胸が張り裂けそうになる。
とても怖かっただろう。
「なるほどなぁ。大変やったな」
ルクがぽつりと呟く。
「そのせいでというのは言い訳かもしれませんが、娘の瞳の色を見たときに……なるべく教会へは近づけたくないと思ってしまったのです」
私は無意識に自分の瞳に手をやった。
母と同じ色。
私はこの瞳を綺麗だと思っていた。
でも母にとっては、大切な娘が狙われるかもしれないという恐怖を思い出させる色でもあったのだ。
(だから教会へ私を連れて行かなかったんだ……)
父は母の手を握ったまま、静かにルクへ視線を向けた。
「ディートムの町にたどり着いたときには、水不足も解消し状況は落ち着いていたが、一度エリーナがそのような目に遭ってしまったことで、私たちの教会への不信感は消えることがなかった」
父も母も当時のことを思い出しているのか、とても苦しそうな表情を浮かべていた。
「教会そのものが悪いわけやないけど、自分の権力のために教会を利用する厄介なやつは、いつの時代もおるもんやな」
ルクに向かって、母は深く頭を下げた。
「教会に行かず、信仰心が足りないのでしょうか……申し訳ございません」
「ちゃうちゃう、信仰心とかそういうの気にしていったんやないで」
ルクはひらひらと前足を振る。
「じゃあ、ルクなんで邪神なんて話になったの?」
私はルクが、なぜ急に『邪神を信仰している』などという話を持ち出したのか分からなかった。
「セリアには、ないねん」
「ない?」
ルクは私をじっと見つめたまま、話を続ける。
「ワイは聖獣やからな。神力を感じることができるんや」
「神力?」
「せや。教会で祈ると、ほんの少しだけ神力が宿るんや。人間は気づかへんやろうけどな。微かな神力でも聖獣は感じ取れるんや」
「じゃあ、私からは神力を感じないから、疑ったってこと?」
「せや。神力がまったく感じられへんかった。普通は子どもの頃に、一度くらいは教会で祈るもんやからな。せやから『なんでや?』と思ったんや。教会を避ける理由があるとしたら、邪神絡みくらいしか思いつかへんかったんや」
そしてルクは、じっと私を見つめた。
「まぁ、セリアは一度教会に行っといた方がええ。初めて行くときは人目を避けといたほうが無難やな」
「人目を避ける? なんで?」
「まぁワイも確信あるわけちゃうからな。行ってみてからのお楽しみちゅーことや」
「えぇぇ……」
不安だけ残して話を終わらせないでほしい。
父が軽く咳払いをして、話を切り替えるように口を開いた。
「教会へ行くなら、人目につかない方法がないかオスカーに相談してみます」
「お、それがええと思うで」
ルクは頷いた。
「それと、今更そんなにかしこまらんでええで。だいたいワイが聖獣って気づいとったやろ。これからも、ルクでええで」
「気づかれていましたか……では人前では『ルク様』と呼ばせて頂きます」
「なんやワイだけ、様付けで呼ばれたら寂しいわ。壁感じるわー」
ルクは前足で目元を隠し、大げさに泣いている真似をした。
父はやれやれという感じでため息をつき、微笑んだ。
「わかったよ、ルク」
「おお、それそれ。最初からそれでええねん」
重苦しかった空気が、ようやく少しだけほどけていく。
母の表情にも、かすかな笑みが戻っていた。
温かい空気が部屋を満たしたその時、私はふと思い出し、父に向かってニヤリと笑った。
「そういえば、パパって冒険者だったんだね!」
父はしまったという顔をして、ひどくオロオロし始めた。
「あ、いや……隠してたわけじゃなくて、すっかり忘れてたというか!」
(まぁ、パパの冒険者プレートをこっそり見たときから知ってたんだけどね!)
父の慌てぶりを見て、母にも笑顔が少し戻る。
和やかな雰囲気に戻った空気を壊したくなくて、そのあともしばらく私は父をからかうのだった。
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