秘密の交渉と、最強の賄賂
大食堂の重厚な扉が閉まり、今朝の救護所での出来事を知る関係者だけが残された。
私はオスカー辺境伯を真っ直ぐに見つめた。
「オスカー辺境伯様。今朝、救護所で私が使った治癒魔法のことなのですが……どうか秘密を守っていただけないでしょうか。また、できる限り外に情報が漏れないように手を回していただきたいのです」
私のお願いに、オスカー辺境伯は力強く頷いてくれた。
「もちろんだ。あれほどの奇跡を無防備に晒すわけにはいかんからな」
私は、辺境伯の傍らに控えているセバスへと視線を移す。
「セバス様も、お願いできますか?」
「もちろんでございます、セリア様」
セバスが綺麗な礼をとると、オスカー辺境伯が少し表情を和らげて言葉を続けた。
「昨日、君に治療してもらった騎士団の者たちにも、同様のことは既に伝えてある。彼らは皆、自らの命を救ってくれた君に心から感謝していてな。『命に代えてもセリア様の秘密は守る』と言ってくれている」
騎士団の人たちがそこまで言ってくれていると知り、私はほっと胸を撫で下ろした。
ここまで守ろうとしてくれるのなら、私も相応の信頼を返さなければならない。
「ありがとうございます。それでは、私もオスカー辺境伯様たちを信頼している証として、秘密をもう一つ教えますね」
私はみんなに分かりやすいように、わざと声に出して唱えた。
「アイテムボックスオープン。からあげ一セット、缶ビール二本」
何もないテーブルの上に、緑の大きな葉に包まれた塊と、金属の筒が二本現れた。
葉っぱの中身は、食べやすいように五個をワンセットにして包んでおいた、私のお手製からあげだ。
「な?!アイテムボックスまで使えるのか!」
驚愕するオスカー辺境伯とは違い、セバスは動じることなくオスカー辺境伯の横へやってきて、恭しく葉の包みを開ける。
その瞬間、揚げたてで熱々の湯気と共に、醤油とニンニクの食欲をそそる匂いが、ぶわっと部屋中に広がった。
「旦那様、私が毒味をいたします」
セバスはキリッとした声でそう言ったが、その顔はとても毒味をするような深刻なものではなかった。
満面の笑顔である。
セバスは素早い手つきでからあげを一つ取ると、フォークとナイフで綺麗に半分に切り、ひょいっと口へ放り込んだ。
「これは!!」
目を見開いて硬直するセバスに、オスカー辺境伯が慌てて身を乗り出す。
「どうした? セバス!」
「召し上がれば、お分かりになります!」
セバスはそう言うと、包みからからあげを三個だけ皿にのせ、オスカー辺境伯にサッと渡した。
オスカー辺境伯もまた、堪えきれないといった様子で半分に綺麗にカットし、ふーふーと息を吹きかけてから口へと運ぶ。
「な! なんだこれは! 美味しい!」
外はカリカリ、中は熱々でジューシーな肉汁が溢れるからあげに、大貴族のオスカー辺境伯もすっかり夢中になっている。
私はテーブルに出しておいた、表面に水滴がつくほどキンキンに冷えた缶ビールのプルタブをプシュッと開け、セバス様に差し出した。
「セバス様、こちらも毒味をお願いします」
「おや、これはなんでしょうか?」
セバスは不思議そうに缶を受け取ったが、そのまま迷わず口をつけた。
キンキンに冷えた液体が喉を駆け抜け、セバスは驚きにカッと目を見開く。
「おお……冷たい! ビールですな。それにしても、これほどまでに冷たくてキレのある美味しいビールは初めてです!」
セバスは感動したように言い、ゴクゴクと勢いよく飲み始めた。
それを見たオスカー辺境伯が、「お前は毒味じゃなかったのか?」と呆れた顔をしながら、無言で私の方をじっと見つめて訴えかけてくる。
私は苦笑いしながら、もう一本の缶ビールのプルタブを開け、オスカー辺境伯に渡した。グラスに注ぐのが普通なのだろうけれど、早く飲みたくてたまらないらしく、全く気にしていないようだ。
キンキンに冷えたビールと熱々のからあげ。この最強の組み合わせの前では、お皿が空になるのもあっという間だった。
「ところでセバスよ。なぜ一つ残しておる?」
オスカー辺境伯が、葉っぱの上にぽつんと残った最後の一個を見つめながら言った。
「旦那様、これはセリア様からの賄賂と考えれば、わたしが二つもらう権利があるのでは?」
セバスが自分のからあげだと主張をすると、オスカー辺境伯は「ぐぬぬ」と悔しそうに唸りながら、一つ残ったからあげをじっと見つめていた。
とりあえず、二人がからあげとビールに満足して落ち着いたと見て、私は改めてオスカー辺境伯を見つめ直した。
オスカー辺境伯は、子供の前で取り乱したのが恥ずかしかったのか、コホンとわざとらしく咳払いをして、姿勢を正す。
「ふむ。信頼してもらえて嬉しいぞ。治癒魔法については、あれほどの重傷者が一晩で治っていることからして、隠すのがむずかしい。そこで、一人協力者としてうちの筆頭魔道士もこの件に巻き込んでもいいだろうか?」
ルクの神眼で信頼できると言われた辺境伯からの提案だ。
きっと信じるに値する人なのだろう。
「はい、わかりました」
私が頷くと、オスカー辺境伯はセバスに指示を出した。
しばらくすると、セバスがゆったりとしたローブを着た魔道士を連れて部屋に戻ってきた。
「お呼びでしょうか?」
フードを深く被ったその魔道士に、オスカー辺境伯が静かに問いかける。
「昨夜のワイバーン討伐で多くの負傷者がでたことは知っているな?」
「はい。魔力が足りず、全員を治癒することが出来ず、申し訳ございません。魔力が回復しましたので、これより重傷者から治療を始めます」
深く頭を下げる魔道士に、オスカー辺境伯は落ち着いた声で告げた。
「そのことで、相談がある」
「一刻を争いますので、負傷者が集められている部屋を教えて頂けないでしょうか? 今朝からどこかに移動したと聞いています。なるべく早く治療に当たりたいのです」
魔道士は焦ったように顔を上げ、早口でオスカー辺境伯の言葉を遮った。
彼女の真面目さと、患者を第一に想う責任感が伝わってくる。
「今から話すことは、他言無用だ。これを聞いてからでも、治療は間に合う」
オスカー辺境伯のただならぬ気配と重いトーンに、魔道士は少し戸惑いながらも姿勢を正した。
「はい。ご当主様の命令であれば、もちろん他言無用といたします」
「それでは言うが、重傷者はすでに完治している」
「はい。完治ですね! え? 完治?!」
勢いよく返事をした直後、魔道士は己の耳を疑うように素頓狂な声を上げた。
「そうだ」
「まさか、教会に依頼したのですか? 一体、いくらお布施を!!」
魔道士が血相を変えてオスカー辺境伯に詰め寄る。
(ナビ、教会に治療をお願いすると、そんなに高いの?)
≪はい。お布施という名の『賄賂』と言っていいでしょう。怪我の度合いや緊急性によっても価格は跳ね上がりますが、重傷者の場合は一人につき最低でも大金貨一枚は要求されます。昨夜の人数と緊急性を加味すれば、総額で大金貨六十枚はくだらないかと……≫
(大金貨六十枚......? え?! 六千万?)
私がその金額に驚いて固まっている間にも、横ではオスカー辺境伯と魔道士の話がどんどん進んでいく。
「いや、違う。教会には頼んだが、間に合いそうになかった」
「それでは、どなたが!!」
叫ぶような魔道士の問いに、オスカー辺境伯は無言で私の方へと視線を向けた。
つられて、魔道士もバッとこちらを振り向く。
そして、私とバッチリ目が合った瞬間――。
魔道士の顔からスッと険しさが消え去り、ふにゃりとだらしない満面の笑顔になった。
しかし、すぐに表情を戻してオスカー辺境伯の方を向く。
「いまは、天使様の話をしている場合ですか!!」
(ん?なんか天使呼びされてる?)
私は突然の奇行に、内心でこっそりツッコミを入れた。
オスカー辺境伯は大きなため息をつき、冷静に訂正を入れた。
「うむ。そこにいるのは天使ではない、天使のような少女だ。その少女が治癒魔法をつかったのだ」
「何を仰っているのですか?? ということは、天使じゃないですか! 治癒魔法を使う天使ですよ! ご当主様、しっかりしてください!!」
完全に論理が破綻している魔道士の叫びが、広い大食堂ホールにこだました。
目を血走らせて力説する魔道士の様子を遠巻きに見つめながら、私を含め、この場にいる全員が全く同じことを思って静かに見守っていた。
(なんだか、説明するのが大変そうだな……)




