失われた腕と黄金の奇跡
ランド・エッジの拠点を出た私たちは、急ぎ足でオスカー・ド・ライオネル辺境伯の城へと向かった。
街中がまだ昨晩のワイバーン襲来の混乱と恐怖に揺れる中、城の正門前には、一般の立ち入りを厳しく制限するような張り詰めた空気が漂っていた。
カイが先頭に立ち、鋭い表情で門番の騎士へと近づいていく。
「緊急を要する重大な件がある。オスカー辺境伯に目通りを願いたい」
その真剣な眼差しと、ディートムの街でも屈指の実力を誇るAランク冒険者パーティ『ランド・エッジ』の知名度もあり、門番の騎士は一瞬だけ表情を引き締めた。
「……少々お待ちください。確認してまいります」
門番の一人が足早に城の中へと消え、しばらくして戻ってきたのは、仕立ての良い衣服を隙なく身にまとった、執事と思われる気品ある老人だった。
「これはランド・エッジの皆さん。申し訳ありませんが、さきほどまで一緒にワイバーン討滅に参加されていたお仲間なら、現在の城内の状況はよくご存じのはず。今は大変立て込んでおりまして、旦那様にお会いいただく時間はございません」
執事の丁重ながらも断固とした断りに、カイは一歩も引かずに言葉を返した。
「その、立て込んでいる問題の手伝いができるかもしれないんだ。頼む、話だけでもさせてくれないか」
カイの強い言葉に、執事は怪訝そうに眉をひそめた。
その時、老執事の視線が、ランド・エッジの後ろに静かに控えていたガウルと、私の姿へと初めて向けられた。
こんな緊迫した事態に、なぜ幼い子供を連れているのか――そんな疑問が執事の瞳に浮かんだようだったが、彼は少しの間沈黙したあと、深く息を吐いて頷いた。
「……分かりました。こちらへどうぞ」
私たちは城の中へと導かれ、メイドによって静かな待合室らしき部屋へと通された。
ふかふかのソファに腰掛けて待っていると、それほど時間を置かずに扉が開き、執事と共に二人の男性が入ってきた。
一人は豪華な衣装を身にまとった、威厳あふれる男性。
そしてもう一人は、強固な鎧に身を包んだ、体格の良い鋭い眼光の騎士だった。
カイを筆頭に、ランド・エッジのみんなが綺麗な動作で礼を執る。
私とガウルも、その動きを真似るように慌てて深くお辞儀をした。
豪華な衣装の男性が、少し疲労の滲む声で告げた。
「こんな事態の時に緊急で訪ねてくるとは、お前たちにしては珍しいな。できれば手短に頼むぞ」
どうやら、この豪華な衣装の男性がオスカー辺境伯のようだ。
「単刀直入に申し上げます。治癒魔法が使える者を連れてきました。魔道士の魔力が回復するまで、お手伝いができると思います。ですが、できればこちらの正体は完全に秘密にしておきたい。今、怪我人を集めている広場では人目が多すぎます。どうか怪我人を別の部屋に運んでいただくか、関係者以外を部屋から出してもらうことはできないでしょうか」
カイが真剣な面持ちで、私が道中で人目に付かないように治療したいと頼んだお願いをそのまま伝えてくれた。
その言葉を聞いた辺境伯は、値踏みするような視線を後ろの私たちへと向けた。
大柄でいかにも戦士といった風貌のガウルの姿を見て、彼がその治癒魔法の使い手なのだろうと推測したらしい。
「ふむ……。お前がその使い手か。なぜ正体を隠そうとする?」
辺境伯がガウルに問いかけた、その時だった。
私はすっとソファから立ち上がり、辺境伯の斜め後ろに立っていた騎士の方へと、小さな足取りで迷いなく歩み寄っていった。
「ん? 小さな子が、一体なぜここに……」
騎士が不思議そうに私を見下ろした瞬間、私は彼に向けて、小さな手をかざした。
「ハイヒール」
私の手から、リズの時よりも遥かに濃密で、眩いほどの温かい光が一気に溢れ出した。まばゆい純白の光が騎士を優しく包み込んでいく。
光が収まった時、騎士の顔に刻まれていた痛々しい切り傷は、完全に消えてなくなっていた。
「ま、まさか……っ!?」
騎士は驚愕の声を上げながら、右手にかっちりと巻かれていた包帯を力任せに引き剥がした。
そこには、さっきまでワイバーンとの死闘で骨まで届くほどの深手を負っていたはずの腕に、傷一つない綺麗な皮膚が蘇っていた。
「お、おい嘘だろ!? 無詠唱で上位魔法のハイヒールまで……!?」
「セリアちゃん、容赦ないわね……」
後ろを振り返ると、ランド・エッジのメンバーが目を剥いて、信じられないものを見るような表情を浮かべていた。
ただ一人、私の規格外な力を知っているガウルだけは、静かに頷いている。
この世界では魔法を使用するときは詠唱が必須という認識が広がっているため、私がスキル名だけで魔法を発動させたことも、彼らを驚かせる原因だったのかもしれない。
カイは苦笑しながら、呆然と立ち尽くす辺境伯に向かって肩をすくめてみせた。
「ご覧の通りです。このセリアという少女が、治癒魔法を使えます。ハイヒールまで使えるというのは、今初めて知りましたが……この年齢で、これだけの才能があります。この力が世間にバレてしまえば、それこそ大変なことになります」
そこからのオスカー辺境伯の判断は、驚くほど早かった。
「……すぐに重傷者を別部屋へ移動させるよう指示を出す。話はあとだ!」
辺境伯はそれだけを言い残すと、騎士を引き連れて、弾かれたように部屋を飛び出していった。
辺境伯たちが部屋を出ていったあと、先ほどの執事が、私たちのために温かいお茶を運んできてくれた。
お茶をテーブルに置く際、執事は私に向けて、とても優しく、どこか敬意の籠もった眼差しを向けてくれた。
きっと最初に私たちが門前に現れた時は、「こんな重大な局面で子供を連れてきて何を考えているんだ」と不審に思っていたのだろう。
けれど、今の彼の目には、確かな感謝の色が宿っていた。
オスカー辺境伯達が部屋を出てから十分もしないうちに、部屋の扉が再び勢いよく開いた。
戻ってきたオスカー辺境伯は、少し息を切らせながら私を見つめた。
「すまないが、横の部屋に特に状態の悪い重傷者を集めさせた。みてもらえないだろうか」
辺境伯ともあろうお方が、四歳の私に向かって深々と頭を下げようとする。
私は慌てて小さな手を振った。
「顔を上げてください、もちろんです!」
案内された隣の部屋の扉を開けると、そこは重苦しい血の匂いに満ちていた。
部屋の中には、背中を大きく引き裂かれた者や、腕や足に重傷を負った騎士たちが、二十名ほど隙間なく横たわっている。
鎧の傷から、彼らがどれほど激しい戦いを繰り広げたのかが痛いほど伝わってきた。
どの騎士も出血が酷く、すでに顔色は土色に変色し、呼吸の音さえも消え入りそうなほどに弱々しい。
一刻の猶予もない。
私は一番近くにいた、息も絶え絶えの騎士の方へと駆け寄り、その胸元にそっと両手をかざした。
「ハイヒール」
私の小さな手のひらから溢れ出た濃厚な光が、目の前で横たわる騎士の身体を包み込んだ。
まばゆい純白の輝きが肉体に染み込んでいくと同時に、ざっくりと引き裂かれていた痛々しい傷口が、急速に塞がっていく。
苦痛に耐えかねて激しく歪んでいた彼の表情がみるみるうちに穏やかになり、浅く途切れがちだった呼吸も、スー、スーと少し安定したように思えた。
一命を取り留めたのは間違いない。
しかし、ホッとしたのも束の間、私はハッと息を呑んで部屋全体を見渡した。
この広い部屋には、まだ二十名近くの重傷者が残されている。
これほど重篤な怪我人を、今みたいに一人ずつ順番に治療していたのでは、全員を救う前に確実に手遅れになる人が出てしまう。
(これじゃあ、全員を治療している間に手遅れになりそう! どうしよう!)
焦燥感に駆られた私が心の中でそう叫んだ瞬間、脳内にいつもの頼れる声が響き渡った。
≪セリア様、ご自身を鑑定されてみてください≫
(え? こんなときに何を言ってるの!? レベルを確認している場合じゃないんだけど!)
一刻を争うこの極限状態で、なぜ自分のステータスなんて見なければいけないのかと疑問に思ったが、ナビが意味のない提案をするはずがない。
私は緊迫した状況に焦りながらも、心の中で強く唱えた。
(鑑定)
【鑑定結果】
セリア
レベル:1
体力:30(防御+400)
魔力:994,999
魔法属性:火、水、風、土、聖
スキル:魔力カンスト、防御スキル、鑑定、サーチ、経験値増加、アイテムボックス、言語理解、地球調味料セット
契約:ルク(聖獣)
(ん? 契約って、項目が増えてるね)
浮かび上がった半透明の画面の最下部を見て、私は思わず心の中で呟いた。
以前確認したときにはなかった項目だ。
聖獣であるルクと正式に魂の契約を交わした証が、ここに刻まれているのだろう。
≪セリア様、今はそこを確認している場合ではありません。いまのハイヒールで5000ほど魔力を消費しています。セリア様の自然魔力回復量から考えて、先ほど騎士に使用した魔力はすでに全回復していると考えられます。実践したことはありませんが、広範囲を対象とする上位魔法エリアハイヒールを使ってみてはいかがでしょうか≫
(エリアハイヒール……!)
≪理論上は可能です。セリア様はエリアハイヒールを使用するだけの魔力量も十分に足りています≫
(全員を助けるには、エリアハイヒールしかない)
その頃、一人目の騎士を治癒したあと、その場から一歩も動かずに考え込んでいた私の姿を見て、周囲の大人たちは全く別の解釈をしていたようだった。
鑑定の儀すら終えていない、わずか四歳の幼い少女だ。
さきほど別室で騎士にハイヒールを使用し、続いてこれほどの重傷者にもハイヒールを使い完全に治療したのだから、とうに魔力が底をついて倒れかけているのではないか――誰もがそう思ったのだ。
「セリアちゃん大丈夫か!?」
「いくら凄い魔法が使えても、まだ四歳の子供よ!? すでに二回もハイヒールを使ったのよ。無理させてるんだわ!」
カイやローラたちが色めき立ち、部屋の空気が一気に緊迫する。
それを見たオスカー辺境伯が、声を荒らげて一緒に様子をみていた老執事に鋭く告げた。
「至急魔法回復ポーションを持ってこい!早くしろ!」
大人たちが大慌てでポーションを手配しようとした、まさにその時だった。
私は一歩、また一歩と、重傷者たちが横たわる部屋の中央に向かって真っ直ぐに歩いていった。
「セリアちゃん、どこへ行くんだ……?」
周囲がどうしたんだろうと不思議そうに私を見つめる中、私は部屋の中心で静かに膝をついた。
外から差し込む朝の光を浴びながら、小さな両手を胸の前できつく結び、深く祈るようなポーズを取る。
(魔法の本質はイメージ。長い詠唱なんて必要ない。この部屋にいる全員の怪我が綺麗に治って、また元気に笑い合える、その幸せな光景を、完璧に頭の中に思い浮かべるんだ。絶対に成功する!)
心の中でそのイメージを極限まで膨らませ、一気に解放した。
「エリアハイヒール」
その瞬間、部屋全体が言葉を失うほどの眩い純白の光に包み込まれた。
それは数秒だったのか、それとも数十秒だったのか。
あまりの光量に大人たちが思わず腕で目を覆う中、やがて光が収まり、視界がじんわりと戻ってくる。
目が慣れてきて周囲が見えるようになると、そこには信じられない光景が広がっていた。
さっきまで血を流し、息も絶え絶えだったはずの二十名ほどの騎士たちが、見える部分だけでも傷ひとつ見えず綺麗に治っており、青白かった顔色も驚くほど良くなっている。
「お、俺の傷が……完全に消えている?」
「身体が軽い……! さっきまでの激痛が嘘のようだ!」
部屋の中に、信じられないという驚きと、生き延びたことへの深い感動の声が広がっていく。
辺境伯も騎士も、ランド・エッジの面々も、目の前の奇跡に言葉を失い、ただただ圧倒されていた。
誰もが「本当に良かった……」と胸を撫で下ろし、感動に包まれていた、まさにその時だった。
部屋の隅の方から、何事かを引き裂くような悲痛な声があがった。
「副団長!!」
その叫びに導かれるように、全員の視線が部屋の片隅へと集中する。
そこには、表面的な傷も綺麗に塞がっているものの、右腕の肘から先が完全に失われたままの騎士が寝ていた。
騎士は、自分を呼んだ青年の声でゆっくりと目をあける。
そして、自分を呼んだ青年の傷がすっかり治っているのを見て、ホッとしたように微笑んだ。
「よかった……お前も無事だったんだな」
だが、青年の顔は真っ青だった。
彼の視線が自分の右腕に釘付けになっていることに気づき、騎士も自身の右腕へと視線を落とす。
そこにあるはずの腕がないことに、彼は静かに気が付いた。
「あぁ、もう剣は振れないな。だが、お前が無事でよかった」
騎士がぽつりと呟いたその言葉に、部屋中が重く沈痛な空気に包まれる。
≪セリア様、通常のハイヒールやエリアハイヒールでは、すでに失われてしまった肉体――欠損部分は治療できません。欠損部分を治療するためには、さらに上位のパーフェクトヒールしかありません≫
ナビの冷静な声が、私の脳内に響く。
(初代聖女のみしか使えなかったと言われる、伝説のパーフェクトヒール……私には無理だよ)
あまりにも規格外な魔法の名前に、まだ治癒魔法を使えるようになって一週間程度の私が出来るとは思えなかった。
その時、私の肩の上でずっと様子を見守っていたルクから、力強い念話が飛んできた。
『セリア、何を考えとるんか? セリアならパーフェクトヒールぐらい使えるやろ? 過去の聖女はな、圧倒的に魔力量が足りんかったんや。ワイの魔力を使ったとしても足りんかった。まぁ、パーフェクトヒールを使うだけのセンスもなかったけどな。セリアは違うやろ。誰に教わったわけでもなく、ハイヒールも使えたんや。自分を信じてみ。足りんかったらワイの魔力を使ってもええで』
(……ありがとう、ルク)
ルクの力強い言葉に、私の心から不安が完全に消し飛んだ。
私は立ち上がり、部屋の隅にある、片腕がない騎士の前に静かに座り直した。
周囲の者たちは、先ほど部屋全体を癒す大魔法を使ったばかりで、魔力も完全に枯渇しているであろう少女が、諦めずにまたハイヒールを使おうとしているのだと想像した。
これ以上の無茶は命に関わると誰もが思った。
リズが痛々しそうな表情で私に近づき、私の肩を叩こうと手を伸ばした。
「セリアちゃんいいのよ。自分を責めないで」
その優しい制止の手をすり抜けるようにして、私は騎士の右腕の断面に向けて、小さな両手を真っ直ぐに突き出した。
「パーフェクトヒール!!」
次の瞬間、部屋を埋め尽くしたのは、先ほどまでの純白の光とは明らかに一線を画すものだった。
神聖で、圧倒的で、まばゆい黄金の光の粒が空間全体に激しく煌めき、騎士の身体を優しく、しかし力強く包み込んでいく。
そして黄金の輝きが静かに収まったとき、そこには――。
指先までが完璧に、何事もなかったかのように元通りに再生された右腕があった。
騎士が信じられないといった様子で、新しく生え変わった右手の指を、グッパー、グッパーと動かす。
その瞬間、その場に立ち会っていたオスカー辺境伯、騎士たち、ガウル、そしてランド・エッジのメンバー全員の顔が驚愕に染まり、部屋中に絶叫が響き渡った。
「「「「「「「ええええええええ!!」」」」」」」




