表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/22

エピローグ 前日譚のおわり

 その日、エルディラード王国の王は年甲斐もなく浮足立っていた。

 午後に入っていた公務や人と会う予定も全てキャンセルし、朝昼夕食に精のつくものをふんだんに摂り、寝室には秘蔵の20年もののワインを用意させた。

 普段より念入りな入浴を終え、新品のバスローブに身を包み、その時を今か今かと待ちわびていた。


 コン、コンと扉を叩く音がした。

「入れ」と王が言うと、ゆっくりと扉が開き深紅のドレスに身を包んだ絶世の美女が現れた。

 纏められた美しく艷やかな髪は黒真珠のようであり、切れ長の目に宿る青い瞳はサファイヤのよう。

 豪奢な貴金属を纏っていてもそれが見劣りしてしまうほどの美貌を持つ彼女との逢引こそが王の心を落ち着かなくさせていた原因である。


 エマニエル・ニュートリア公爵夫人。

 王国の西部に領を構えるニュートリア公爵の妻であり、『女郎蜘蛛公爵』の異名をもつ『最後の英雄』の一人。

 だが、社交界において彼女の名前は不身持ながらも王国随一の床上手として知れ渡っている。

 名だたる貴族家の男たちが彼女に骨抜きにされ身上を潰したという話は枚挙にいとまがない。

 凡庸な上、老齢に差し掛かっていたニュートリア卿が飛ぶ鳥を落とす勢いで公爵家にまで取り立てられたのは彼女によるところだと言う者も多い。

 少女趣味に寄りがちな王であるが、そんな噂を耳にしたからには磨き上げられたその絶技に身を委ねたいと思い、彼女に再三の誘いをかけていたのだ。


「待っておったぞ。エマニエル」

「へえ、ウチも今日の日が来るのを指折り数えておりましたんや」


 エマニエル・ニュートリア公爵夫人は西部の訛りのかかった言葉で王に答えた。

 彼女は王の隣に座り、彼のグラスにワインを注ぐ。


「そなたも飲め飲め!」

「へえ……王がお望みであれば。

 どうぞ、お手柔らかに」


 機嫌よく王は彼女のグラスにワインをなみなみと注ぎ、


「この夜に乾杯」


 と言って、グラスを掲げた。


「まさか、そなたの方から来るとは思わなんだぞ。

 こちらからの誘いは一年以上も袖にしてくれおって」

「申し訳ありませんでした。

 何分、ウチがいない間に領地がずいぶん荒らびておりまして。

 やけど、そろそろ遊びに出ても、許される頃やと思いましてな」


 エマニエルの長い指が王の太ももに添えられる。


 フン、このあばずれめ。

 と王は心の中でうそぶきながらも下半身に血が溜まっていくのを感じていた。


「それに王はモテはりますから。

 聞いておりますよ、今度ゼーゼマンの妹も輿入れされるとか。

 第17夫人でしたっけ?

 コッチの方は全く老い知らずですなあ」

「ああ、ゼーゼマン……ああ、ライオニアの『獅子王』のことか。

『最後の英雄』の中でも奴は武力だけでなく権力も持っているからな。

 その上、若く器量も良い。

 愚民どもが崇めたがるのも分かるが、上下関係をしっかりさせておかなければならん。

 これも世を治める者の務めよ」


 そうは言うものの、王は内心その婚儀に乗り気である。

 件のミアセラ・ファン・ライオニアは15歳と若く可憐な美貌の持ち主である。

 半年前に開いた舞踏会で彼女を見た王はぜひとも褥を共にしたいと側近に命じた。

 だが、彼女はエルディラードの傘下にあるライオニア王国の『獅子王』ゼーゼマン・ファン・ライオニアの唯一の妹であり、また彼が溺愛しているということもあってその場で手を出すことは出来なかった。

 もちろん王はその程度で引き下がりはしない。

 権力を駆使してライオニア王国に様々な無理難題を申し付け、国を疲弊させた挙げ句、その忠誠を疑った。

 生真面目なゼーゼマンは王に直接申し開きをしたのだが、その席で忠義の証としてミアセラを側室に差し出すよう命じられた。


 気に食わない若造の鼻っ柱を折ってやった上にその最愛の妹を奪う征服の悦び。

 そして若い美姫を抱くことができる性の悦びは他の何物にも代えがたい。

 誰も真似することの出来ないことを強引にやり遂げる、これこそ王にふさわしき快楽というものだ。


 王はその時のゼーゼマンの屈辱と怒りに満ちた顔を思い出して悦に浸った。


「ほんに悪いお人や。

 ウチらの姫さんの時もたいがいなことしはると思っとりましたけど」


 ジークリンデのことか……ふん。

 ワシに傷をつけた賊のことなどすっかり忘れておったわ。

 一年前に奴の首を死んだバルディオスの配下から受け取った時には心躍らせて、その綺麗な死に顔を思いつく限りの下劣な行為で汚してやったものだが……


「所詮平民の娘よ。

 土臭いあの者に対しても礼を尽くし、歓待してやったというのに恩を仇で返しおったわ」

「あんまりうら若い娘さんばかりと遊んでてもあきまへんで。

 ほら、たまには年増の上手な方と手合わせしておかへんとご自慢の槍も鈍るというものや」


 エマニエルはスルリとソファから降りて、王の足元にかがみ込んだ。

 片手で王の腿の内側を撫でながらもう片方の手で纏めていた髪を解く。

 夜空を広げたように長い髪が広がり、甘い香りが漂った。

 男の裸を見たこともないうぶな少女をねじ伏せ、泣き顔を踏みにじる悦びは己の力を実感させてくれる。

 だが、歳と経験を重ね、男を悦ばせる術に長けた年増の女に精気を搾り取られる快楽はそれとは違う趣と快楽がある。


「そなたの言うとおりかもしれんな。

 フフ……たまには防衛戦というのも一興だ」


 王は背もたれに体重を預け、来るべく快楽に身を委ねようとする。


「陛下はホンマにすごいお方ですわ。

 魔王を倒し、聖剣の勇者の首を取り、獅子王を這いつくばらせて……

 きっとこの世に叶わぬことなど無いように思われているんやろうね」

「あたりまえよ。

 王に叶わぬことなどあってはならんのだ。

 誰よりも人生を楽しむことこそ人類の長たるワシの務め。

 ワシ自身が欲を禁じれば、下々の者が欲に興じることなどできぬであろう」

「フフフ、なるほどなあ。

 さすが上に立つお方は下々のことまでよく考えておられるわ。

 その在り方……ウチも見習わなアカンなあ」

「さて、おしゃべりはこのあたりで十分だろう。

 噂に名高い絶技がどれほどのものか試させてもらおうか」

「ええ……それはもう――」


 足の間から王を上目遣いに見つめるエマニエルの目がキュッと歪んだ。

 同時に、王は己の股間に耐え難い激痛を感じ、絶叫した。


「うぎゃあああああああああ!!

 ヒィッ! ひいいい……ヒギィィィィィィィ!!」

「たっぷり味合わせたるわ」


 エマニエルはすっと立ち上がり、王の肩を足で踏みつける。


「陛下、あんたはちょっと欲張りすぎやったわ。

 人魔大戦終結時の王として歴史書に残してもらえるだけで満足すべきやったのに、ウチらが勝ち取った平和を自分の力やと勘違いしよってからに。

 挙げ句、姫さんやゼーゼマンの妹さんまで手篭めにしようとか、増長するにも程があるで」


 エマニエルは右手を顔の前にかざし小指を軽く曲げる。

 すると、王は再び凄まじい悲鳴を上げた。


「これがウチの絶技、八束脛やつかはぎ流繰糸術や。

 上手いもんやろ? 魔王の腕も切り落としたんやで」


 王は愚息の危機を感じ、青ざめる。


「ま、待て! やめろ! 何が望みだ!」

「交渉で条件を最初に聞くのは悪手やで。

 まあウチは交渉に来たわけではないからに、ええんやけど」


 エマニエルは蠱惑的な笑みを浮かべながら恐怖に引きつる王を見下ろした。


「早い話、ウチらが命がけて勝ち取ってきたもんを手放してほしいねん。

 そう。この嘘くさい平和ってもんを」

「ど、ど、ど、どういうことだっ!?」

「だってそうやろ。

 先の戦で戦ってたのって魔王軍に侵攻されていた領主や属国の人々や。 

 あんたはこのお城に引きこもって酒を飲んで女抱いとっただけやん。

 なんでウチらのもんで遊び呆けとるん?」

「わ、ワシは人類の統一国家エルディラード王国の王であるぞ!

 獅子王もそう認めたからワシに妹を――」

「くだらん歴史や血統にもう縛られる必要ないってことや。

 みんな、各々好きな王を選んで仕えればええ。

 ウチはそうしたで」


 エマニエルの言葉に王は狼狽する。


「ま、まさかゼーゼマンが謀反を!?」

「さあ、どうやろなあ?

 ゼーゼマンだけと違うてあんたのやり方に不満を持ってる輩はたくさんおるからなあ」


 エマニエルは笑い、王の耳に舌を這わせた。


「さんざん贅も快楽も味わい尽くしたやろ。

 今日限りで打ち止めや」

「ま、待て! ワシを殺すな!

 いかにゼーゼマンが大器であったとしてもワシの代わりは務まらん!

 何故なら――」

「『封蝋』のことやろ?

 存じ上げておりますわ。

 ウチが王族とは寝たことないと思うてましたか?

 あんたの息子はんは中々ええもん持っとりましたで」


 王家に伝わる『封蝋』のことを知っているのは王族の中でも限られたものだけだ。

 ワシの息子……ということはアスラン?

 バカな!? あの堅物がよりにもよってこんなあばずれの人妻に口説き落とされただと!?

 そして、ワシの味わっていないこの女の蜜を吸って呆けた猿のようにエルディラード王家の秘密をベラベラと漏らしたというのか!?


「認めたくない、って顔やなあ。

 それは息子はんが案外おしゃべりやったこと?

 それともアンタを差し置いてウチと寝たこと?

 あんたはどうしようもない愚物やけど、そういった反応は実に人間味があっておもろいわぁ。

 嬲って遊ぶには最高のおもちゃになってくれそうや」


 王はしばし呆然とした後、口を震わせながら問いかけた。


「アスランが口を割ったのならば分かっておろう!

 ワシは『継承』しておらん!

 そのワシを殺せば――」

「もちろん殺しやしまへん。

 ウチは自暴自棄でこんなことやっとるんとちゃいます。

 ただ、苦しませへんつもりはありまへん」


 エマニエルは王の額に自分の額をピタリと合わせて、


「陛下、知っとりますか?

 蜘蛛はねえ、網にかかった獲物は一気にがっつかず、少しずつたっぷり時間を掛けて喰っていくんや」


 と言い、右手の小指を強く折り曲げた。

 ボトンと血が上っていた王の体の一部が床に落ち、その場所にまたたく間に血溜まりが出来た。




 ライオニア王国の王城キャスタロスの最上階にあるバルコニーでゼーゼマンは夜空の星を眺めていた。


「お兄様、お邪魔してよろしいですか」

「ああ、ミアセラ。構わないよ」


 バルコニーの手摺に手を着いているゼーゼマンの隣にミアセラが立つ。

 豪奢な衣装とそれに見劣りしない美しい容姿を持った二人の並ぶ姿は天上の星の美しさに勝るとも劣らない。


「輿入れの準備を取りやめるようお命じになられたとか」

「ああ。もう必要なくなったからね」

「どういうことですか?」

「……決心をつけたということさ」


 そう言って、ゼーゼマンはミアセラを背中から抱きすくめた。


「もっと早く決心するべきだった。

 ジークリンデの時にだって、その機会はあったのだから」

「『聖剣の勇者』様の?」

「そうだ。王に、いや……愚かな世界に殺された哀れな少女だ。

 魔王を倒すだけでは足りなかったんだ。

 この世界を本当に救うためには」


『最後の英雄』の一人、ライオニア王であり『獅子王』の異名を持つゼーゼマン・ファン・ライオニアは世界を救うため、『聖剣の勇者』ジークリンデが率いる魔王討伐軍に参加した。

 若く優秀な王であり国民の信望も厚く、また彼自身の性根も善良で弱者が虐げられる世界を良しとすることはできなかった。

 戦後、盟友であるジークリンデに対するエルディラード王からの抹殺命令が出た時、彼は苦悩した。

 無実の罪を着せられている盟友を守りたいという本人の正義心と小国であるライオニアの民を守りたいという王としての使命に板挟みにされ、彼は後者を選んだ。


「ミアセラ、友一人救えなかった男に世界を救うことなどできると思うか?」


 ゼーゼマンは自嘲気味にミアセラに問いかける。

 ミアセラは兄の手を握る。


 ミアセラの、兄ゼーゼマンへの信頼は崇拝と言い換えても遜色のないものだった。

 年若くして両親を失った自分を王宮に跋扈する魑魅魍魎さながらの王族や重臣から守り抜いてくれたこと。

 民のための政治と国造りを目指し、多くの民を救い慕われていること。

 自ら剣を取り、邪悪なる魔王の討伐に赴いたこと。

 偉大なる兄と同じ血で繋がっていること自体がミアセラの誇りだった。


 そんなミアセラの望むことはただひとつ。

 ゼーゼマンが人という種族の頂点に立つことである。

 最高の王が統べる世界にこそ、人類の幸福はあるのだから。


「ええ。お兄様ならば」


 とミアセラは答えた。





 それから間もなく、エルディラード王国は王が行方不明になるという前代未聞の事態に瀕し、国中が混乱に飲み込まれた。

 と、同時に王の悪政に不満を持っていた王国傘下の諸王、諸侯の多くが反旗を翻し、またたく間に人類の統一国家エルディラードはこの世から姿を消した。

 人魔大戦の終結から3年も保たず、人類の平和は終わりを告げたのである。





 そして、さらに4年の月日が立ち、世の中の混迷が日増しに深まる中、一艘の船が街から離れた海岸にて出立の準備をしていた。

 船に乗り込んだのは亜麻色の髪をした妙齢の女性。

 それと狼の耳と尻尾を生やした老齢の魔族、人狼とされる種族の男である


「これでそなたも晴れてお尋ね者だな」

「ええ。おかげさまで失職の上、寝床も失いました。

 責任とってくださいよ」

「嫁ぎ遅れとはいえ、こんな老骨で済ませようとは不憫な……

 しかし、なんだ……

 拙者もオス故、求められれば、やぶさかではないが」

「求めておりません!!

 くだらない冗句を飛ばさないでいただきたい!」


 軽口を叩く人狼に女はがなりたてる。

 彼らを載せた船はどんどん岸を離れていく。


「思い切った賭けに出ましたけど……

 本当にアテになるのですか?

 あなたの知っている者は」

「もはやあの方しか頼るお方はおらぬ。

 バアル王の死後、魔界で勢力争いをしているのはどれもこれも小物ばかり。

 畏怖されるべき力と、大局を見渡すことができる度量を持つものなどいない。

 だから我々は行かねばならん」


 人狼はしわが深く刻まれた口端に笑みを浮かべ、空に吠える。


「偉大なるバアル王の最後の子、シオン様……

 あの方こそが人類も魔族もまとめて救うことができる唯一の王……

 運命の神よ、今一度あの方のもとにこの身をお導きくだされ」




 世界を救った勇者が魔王の息子と結ばれる奇天烈ながら幸せな小話。

 だが、それはこれから始まる大戯曲の前日譚でしかない。

 手前勝手な世界は自ら追い出した異物が小さな幸せを掴み、舞台から降りることすら許さない。

 仮初のハッピーエンドは、運命という大河の一滴となりて、新たな時代に向かう流れの中に飲み込まれていく。






これにて、ジークリンデとシオンの恋物語は一旦、完結です。


とある映像作品に影響を受けまして。「大河ドラマ的なでっかくて人間模様が凄まじいファンタジー作品が書きたい!」とチマチマ書き溜めていたのですが、その冒頭となる勇者と魔王の息子のお話が結構なウェイトを占めてしまったため、独立したお話として発表することとしたのがこの『無人島のジークリンデ』です(タイトル変更多くてごめんなさい)。



そういうわけなので、次の作品はこの物語の続編となります。

序盤はご新規さん向けにこの物語をリフレインする箇所もありそうですが、ここからが本番のつもりですので引き続きお付き合いください。


『叛逆のファミリア 〜最強の家族に過酷な運命を与えたせいで世界がヤバイ〜』

https://ncode.syosetu.com/n8335fg/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ