10)欲しかった言葉
(……体が動かない)
(錬斗を……助けなきゃ……)
意識が朦朧とする中、沙耶はゆっくりとまぶたを開いた。
霞む視界の先には、自分を守るように立ちはだかる錬斗の背中があった。
「……錬斗……?」
かすれた声でその名を呼ぶ。
だが次の瞬間、沙耶の意識は再び闇へと沈んでいった。
──やがて。
激しくぶつかり合ったエネルギーの余波が静まり、立ち込めていた煙がゆっくりと晴れていく。
そこに、ゼノイドの姿はもうなかった。
アーツは静かに全身に纏った力を解除していく。
深紅の光は消え、逆立っていた髪も元へ戻る。
そして完全に錬斗の姿へ戻ると、その場で静かに目を閉じた。
次の瞬間。
錬斗の意識がゆっくりと戻る。
「……」
無言のまま辺りを見回す。
その視線の先には、静かに眠る沙耶の姿があった。
錬斗は安堵したように微笑む。
「アーツ……ありがとう」
全身が軋むように痛む。
だが、そんなことはどうでもよかった。
──沙耶を守れた。
その事実だけで十分だった。
(ああ……約束だからな……)
錬斗にしか聞こえないアーツの声。
その響きは、どこまでも穏やかで優しかった。
(レント……ワタシはエネルギーをほとんど使い果たした……)
(すまないが……しばらく眠りにつく……)
(あとは……任せた……ぞ……)
「うん……」
錬斗は小さく頷き、夕焼けに染まる空を見上げた。
いつの間にか日は傾き、空は茜色へと染まっている。
大きく背伸びをすると、左腕にひんやりとした風が触れた。
「うわっ……左腕の服、なくなってるし……」
思わず苦笑すると、錬斗は沙耶のもとへ歩み寄る。
そっと彼女を背負い、林の出口へ向かってゆっくりと歩き始めた。
「……お腹減ったなぁ」
──翌朝。
沙耶はゆっくりと目を覚ました。
窓から差し込む柔らかな朝日が、部屋を優しく照らしている。
体を起こし、ぼんやりと時計へ目を向ける。
時刻は午前七時だった。
そのとき──。
コンコン。
部屋の扉が静かにノックされる。
「お嬢様、失礼いたします」
ガチャ。
扉が開き、執事が姿を現した。
「お、お嬢様!お目覚めになられたのですね」
沙耶が起き上がっている姿を見た執事は、心から安堵したように表情を緩める。
そしてベッドのそばまで歩み寄り、静かに腰を下ろした。
「ご無事で本当に何よりでございます」
「錬斗様がお嬢様をお連れになって戻られたときは、私ども一同、胸が潰れる思いでございました」
その言葉に、沙耶は小さく首をかしげる。
「……錬斗が、わたしを?」
「はい」
「錬斗様がお嬢様を背負い、この屋敷までお連れくださいました」
沙耶は目を閉じ、昨夜の記憶をたどろうとする。
しかし思い出せるのは、激しい衝撃と──錬斗の背中を見た、あの一瞬だけだった。
そんな沙耶の様子を見た執事は、穏やかな口調で言った。
「お嬢様。恐れながら、昨夜の経緯を私からご説明させていただきます」
「少々長い話になりますので、その前にお飲み物をお持ちいたします」
そう言って一礼すると、執事は静かに部屋を後にした。
執事から事の顛末を聞いた沙耶は、錬斗の部屋へ向かうため廊下を歩いていた。
執事の話によれば、廃屋で大きな爆発が起きたあと、しばらくして避難警報は解除された。
屋敷へ戻った執事たちの前に、ほどなくして、わたしを背負った錬斗がふらつきながら現れたという。
そして、わたしを執事へ預けると、その場で力尽きるように気を失ったらしい。
「まったく……とんだ無茶をしてくれたわね……」
そう口では呆れながらも、沙耶の胸は錬斗への心配でいっぱいだった。
本来なら、守るべきだったのは自分の方だ。
それなのに、最後は逆に助けられてしまった。
けれど、不思議と悔しさやプライドの傷つきを感じることはなかった。
それ以上に──生きていてくれたことへの嬉しさと、無事でいてほしいという想いの方が、はるかに大きかった。
気づけば、錬斗の部屋へ向かう沙耶の足取りは、自然と速くなっていた。
沙耶は錬斗の部屋へ着くなり、ノックをすることも忘れて勢いよく扉を開けた。
ガチャン!
「錬斗っ!」
部屋の中では、錬斗が枕を抱きしめながら幸せそうに眠っていた。
「むにゃむにゃ……沙耶先輩……そんな……だめですよ……僕、まだ……」
沙耶は無言のままベッドへ歩み寄る。
そして──。
バサッ!
布団を容赦なく剥ぎ取ると、そのまま錬斗をベッドから突き落とした。
ゴトンッ!
「いったぁ!?」
錬斗は頭を押さえながら飛び起き、寝ぼけたまま辺りを見回した。
「あれ……?僕、いったい……。ここ、どこ……?」
そんな錬斗へ、にこやかな笑みを浮かべた沙耶がゆっくり近づいてくる。
「あっ、沙耶先輩!良かった!目が覚めたん──」
そこで錬斗の言葉が止まった。
笑っている。
なのに、沙耶の眉間には青筋が浮かんでいた。
「おはよう、錬斗」
「ずいぶん楽しそうな夢を見ていたみたいね」
「よかったら、その内容をわたしにも聞かせてくれるかしら?」
「えっ!?い、いや……なんだったかなぁ……」
「忘れちゃったなぁ……あはは……」
錬斗は必死に視線をそらしながら乾いた笑いを浮かべる。
しかし、何が沙耶の機嫌を損ねたのかは、本人にもさっぱり分かっていなかった。
「ご、ごめんなさい……!」
理由も分からないまま、とりあえず謝る錬斗だった。
──午前十時。
二人は身支度を整えると、少し遅めの朝食をとることにした。
沙耶が優雅に紅茶を口に含みながらパンを食べている向かいでは、錬斗が凄まじい勢いで朝食を平らげていた。
「すみません、おかわりお願いします!」
もう何杯目か分からないほどのおかわりに、沙耶は思わずため息をつく。
「錬斗、あなた前はそんなに食べる子じゃなかったわよね?」
「急にどうしたの?」
モグモグ……ゴクン。
錬斗は口いっぱいに頬張っていたパンを飲み込むと、少し照れくさそうに答えた。
「それがね……アーツのエネルギーが底をつくと、回復するために大量の食事が必要なんだって」
「だから、その分だけ僕のお腹もすごく空くらしいんだ」
そう説明すると、運ばれてきた皿に手を伸ばし、再び勢いよく食べ始めた。
「そういうことだったのね……」
沙耶は呆れたように錬斗を眺める。
「沙耶先輩も食べますか?」
「遠慮するわ……」
「あなたを見ているだけで、お腹いっぱいよ……」
食事を終えると、錬斗は沙耶に連れられて彼女の部屋へやって来た。
「座って」
促されるまま椅子に腰を下ろす。
(沙耶先輩の部屋だ……)
(なんか、いい匂いがする……)
錬斗の胸は少しだけ高鳴っていた。
「錬斗」
沙耶は真っすぐ錬斗を見つめる。
「改めて、お礼を言わせて」
「ありがとう」
不意に向けられた柔らかな笑みに、錬斗は思わず見惚れた。
「あっ……い、いえ!」
「僕の方こそ、何も考えずに突っ込んでしまって……。結局、沙耶先輩に助けてもらっただけです」
「本当に、僕は足手まといでしかありませんでした……」
その言葉に、沙耶は静かに首を横へ振る。
「どうして、そんなことを言うの?」
「実際にあのゼノイドを倒したのは、あなたでしょう?」
「違うんです」
錬斗は寂しそうに笑った。
「あのときの僕は何もできませんでした」
「だからアーツにお願いして、全部任せただけなんです」
「僕は……何もしていません」
沙耶はしばらく黙って錬斗を見つめていた。
「じゃあ、一つ聞くわ」
「あの廃屋へ来たのも、アーツに言われたから?」
「いえ……」
「それは……沙耶先輩が心配で……僕の自分勝手な思いで行きました……」
怒られると思い、錬斗は俯く。
しかし、返ってきたのは優しい声だった。
「だったら、やっぱりわたしを助けてくれたのは錬斗よ」
「あなたが来てくれなかったら、わたしはあそこで死んでいた」
「あなたがアーツに助けを求めてくれたから、わたしは今ここにいる」
「だから、『何もできなかった』なんて言わないで」
「あなたは、あなただからこそできることをしたの」
「だから──」
「ありがとう、錬斗」
その一言を聞いた瞬間、錬斗の瞳から大粒の涙があふれ落ちた。
余命三か月と宣告され、アーツと融合し、家を飛び出した。
生き延びることだけに必死で、行く当てもなく彷徨い続けてきた日々。
そんな錬斗が、今、誰よりも欲しかった言葉。
その「ありがとう」を、沙耶は真っすぐ錬斗に伝えてくれたのだった。
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