第五話 変わらない力
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「む?」
大きな物音を立てた木々の隙間から、金色の瞳が二つこちらを見つめていた。
低いうなり声。
パキ......パキ......と草を踏みしめる重い足音。
やがて姿を現したのは、大人の馬ほどもある巨大な魔物だった。全身を銀灰色の硬い鱗で覆い、太い尻尾が地面を叩くたび、小石が跳ねる。鋭い牙の並ぶ口からは、白い息がゆっくりと漏れていた。その魔物は、昔の時代にも存在し、英雄と一緒に戦った経験もある、人に迷惑をかける魔力を帯びた害獣__シルバーバジリスクだ。
ディメトロはこの世界での第一住人、もとい第一魔物との邂逅に首をかしげる。
「ほう。大きな蜥蜴よの。」
珍しそうに眺めながら、その表情の読めない魔物に一歩近づく。シルバーバジリスクはヴルルと喉を震わせるような低い唸り声を上げた。のこのことやってきた弱そうなニンゲンから目を離さずにじりじりとにじみ寄ってくる。
「腹でも減っておるのか。」
ディメトロは余裕たっぷりにふむと頷いた。そして、
「そういえば、お前は昔も人の家畜を食い荒らしておったな。......我を食うつもりなら、覚悟が要るぞ。」
表情をわずかに引き締め、毅然と言い放つ。魔物は問いに答える代わりに、鋭いキバが生えた口をガバッと開いて、地面を抉る勢いで飛びかかってくきた。
「む。」
ディメトロは反射的に身をひねる。白い牙が鼻先をかすめた。
そのままの勢いでよたたと数歩よろけたのち、魔物の方へ体を向きなおすと、少しだけ目を丸くした。
「......返事はそれか。」
歓迎ではないようだ。魔物は着地するとすぐさま向きを変え、再び突進してくる。今の体ではあの牙の攻撃はひとたまりもないことを察知して、ディメトロも走り出した。飛ぶのが得意な光龍ではあったが、太く強靭な脚で地を駆ければ風を切るように走ることもできる。はずだったが、
「むぅ......。」
ディメトロはシルバーバジリスクの突進をいなして駆けだすと、すぐに違和感を覚える。
思うように速くない。身体が軽いはずなのに、龍だった頃の感覚で踏み込むと足がもつれてうまく走れない。そのまま木の根を飛び越えようとして裾を踏み、危うく転びそうになる。
「袖も、裾も邪魔だな......!」
陸のままでは歩が悪いと、背中に力を入れるが何も起こらず体勢がぐらっとよろめいた。
当然、翼はないからだ。
そしてよろめいた身体を支えようと反射的に腰をひねるが、さらに大きく体勢が揺らぎ、よろめいて尻もちをついてしまった。
尻尾があれば体バランスを保つことができたはずなのに。
「なんと不便な身体よの.......。」
ここにきて初めてディメトロは人間の弱さを実感して愕然とする。龍なら空へ飛ぶことが可能だったし、尻尾一本あれば体勢も立て直せた。だが今は違う。
今あるのは、鱗もなく、牙もなく、一撃受ければ深手を負う脆い身体だけだ。そして、龍よりずっと短い人の足で森を駆けるしかない。
後ろから唸り声が迫る。どうやら距離は、ずいぶん詰められているようだ。
このままでは追いつかれてしまうと、ディメトロは龍の頃と比べて随分小さくなった身体を活かし、機転を利かせて開けた道から木々が生い茂る横道へと逸れて入り、華奢な体でひらりひらりと木々の間を縫うように走った。このままなら体の大きいシルバーバジリスクは木々に阻まれてうまく進めず、距離を稼いで逃げることができる。ディメトロは元より龍族には珍しく、無益な戦いを選ぶ性格ではなかった。よって逃げることになんの躊躇いもない。
よし、このまま撒いてしまおう。そう思ったその時だった。ディメトロの姿を見つめ続けるバジリスクの金色の瞳がギラリと妖しく光る。
「む?」
すると直ぐにディメトロの足元が急に冷たくなる。違和感を覚えて足へと視線を落とすと、すらりとした右足のつま先が、灰色の石へと変わり始めていた。灰色はどんどん右足を侵食していく。つま先から足首へ、足首からふくらはぎへと。生気を感じない滑らかな石肌が生き物のようにじわりじわりと這い上がってくる。
「......ほう。」
ディメトロは立ち止まり、感覚が無くなっていく自分の足をまじまじと見つめた。
「これは石化か、自分でかかるのは初めてだ。」
どこか感心したようにつぶやくと、まだ石化されていない太ももの筋肉が動くことを確認し、ものは試しにと一歩踏み出そうとした。
ガキッ。
かろうじて重たい右足上げることはできたが、石になった足は思うように曲がらず、身体が大きく傾いた。
「む。」
受け身も取れないまま斜面のある方向へ倒れこみ、開けた草むらへゴロゴロと転がっていく。乾いた土が舞い、プラチナブロンドの髪には枯れ葉が絡み、腕や脚には細かな擦り傷が増えていた。かつて空を翔けた光龍の威厳はなく、そこにいたのは魔物に追われて息を乱す一人の少女だった。手に力を入れて起き上がろうとするが、どんどん重くなる右足が言うことを聞かない。足を投げ出すような格好で倒れ込んだまま、顔を上げる。
「......本当に、不便だな。」
ダメージや疲労が積み重なり、珍しくのんきな表情が消えた顔でつぶやいた。そして視線を自分が来た方向、さらに言うと斜面の上方を見上げる。ずいぶんと距離を開けたはずだったが、すぐ近くにバジリスクが来ており、大きく口を開いていた。先ほどのように飛びかかり、仕留めるつもりのようだ。鋭い牙が赤々とした夕日に照らされて鈍く光る。
一瞬で詰められる間合いだ。表情の読めない無機質な金の瞳と、ボロボロの姿でも毅然とした輝きは変わらないディメトロの金の瞳がかち合う。普通の人間なら、ここで終わっていただろう。
逃げられない。避けられない。
だから。
「......一か八か。」
ディメトロは目を閉じた。
そして右手を静かに掲げると、指先をバジリスクへ向ける。
次の瞬間だった。
ディメトロの内に眠る凄まじい魔力が、一気に解き放たれる。
見えない圧迫感のような何かが森全体を押し潰すように錯覚させる。
それは単なる魔法を放つ前兆ではない。
そこに龍がいると、本能へ直接刻み込まれるような威圧感だった。
そして、森から音が消えた。
風が止まり、葉の動きが止まり、静寂だけが森を包む。
ゆっくりと瞼が開く。
そこに宿っていたのは、人のものではなく光龍の眼差しだった。
(体の一部のように......いつもブレスを吐くように......思い出せ、我が身よ......)
指先には、小さな光が一粒生まれた。それは蛍火ほどの淡い輝きだった。
しかし一粒、また一粒と集まり始める。
やがて無数の光が渦を巻き、右手の周囲をゆっくりと巡り始めた。
(足りぬ。もっとだ......もっと練る。)
ちり、ちり、と空気が焼ける。
バジリスクは飛びかかろうとして低くした姿勢のまま止まった。
「ギ......。」
本能が叫ぶ。目の前にいるのは獲物ではない。
逆らうな。逃げろ。そう身体中が悲鳴を上げている。
それでも脚は動かなかった。
ディメトロは輝く金の瞳で敵を見据え、口を開いた。
「失せよ。」
その一言だった。
世界が白く染まる。
轟音とともに放たれた極太の光は、バジリスクの身体を飲み込み、森を貫き、空を裂き、そのまま雲の彼方へ消えていった。
幾本もの大木が跡形もなく消え、大地が深く抉られていく。
それに伴い爆風が遅れて吹き荒れ、草木を大きく揺らした。
数秒後。ようやく静寂が戻る。
先ほどまでバジリスクがいた場所には、大きく抉れた大地だけが残っていた。
「......。」
ふっと力の抜けたディメトロはしばらくその光景を眺めていた。次に、ゆっくりと自分の小さな手を見つめる。魔法の威力の衝撃故かまだびりびりとしびれており、力なく小刻みに震えている。
「よかった......人になっても......出るのか。」
勝手の利かない体でも土壇場で放つことができた。安堵とともにぽつりと言葉を漏らしたその直後だった。胸の奥から急激に力が抜けていく。
「む......。」
視界がぐらぐらと揺れる。立ち上がろうとしても、身体に力が入らない。
腰から力が抜け、呼吸が乱れる。胸の奥が焼けるように熱い。
龍だった頃、この程度の魔法で息が上がることなどなかった。人の身体では、この力はあまりにも大きすぎたのだ。
「......眠い。」
その一言を最後に。ディメトロは草の上へ静かに倒れ込んだ。
白い髪がふわりと広がる。風だけが何事もなかったように吹き抜け、草花を優しく揺らした。
__一方その頃。
森を巡回していた一人の青年が、ここら一帯を駆け抜ける強大な気配を察知し、突然立ち止まった。
バッと周囲を仰ぐと、陰り始めた夕方の空を貫く眩い光が見えた、そのあとすぐにものすごい轟音と風圧が押し寄せる。思わず青年は顔を腕で覆った。
「......なんだ、あれ。」
先ほどの強い光に驚いて目を見開く。単なる魔物同士の争いではない。人の放つ魔法でもない。
もっと異質だ。もっと圧倒的だ。
「まさか......依頼にあったシルバーバジリスクが出た方角か?」
青年は腰の剣を確かめる。
「う~ん、頼むから厄介な事になっていないといいんだがな。」
そうぼやきながらも、その足はすでに走り出していた。
空を裂いた、あの光の落ちた場所へ。その胸に、言い知れぬ胸騒ぎを抱えたまま。
作品のタグ通りのチートっぷり発揮です!次回は箸休め的な感じの別視点のお話になります。




