第7話 れんげ亭のお子様ランチ
調査帰りの五人がれんげ亭へ入ったのは、昼をだいぶ過ぎてからだった。店の前の植木鉢は朝の水を吸いきっていて、ガラス戸の向こうでは、扇風機が冷房の補助みたいに首を振っている。洋食店なのに、どこか家へ帰ってきたような匂いがするのは、バターの甘さに、味噌汁の湯気と、磨いた床のワックスの匂いが混じっているからだ。
未羽は店へ入るなり、調査仲間の顔から仲居の顔へ切り替わった。
「はいはい、探検隊のみなさん、泥は入口で軽く払って。冷たい水は勝手に飲んでいいけど、一気飲みするとお腹冷えるから二杯目からにして」
「二杯目から自由なのか」
陸矢が真面目に確認すると、未羽は笑う。
「先生だけ一杯目から自由。説明が役に立ったから」
カウンターの奥から、未羽の父が「全員自由だ」とぶっきらぼうに言った。その声のあとにフライパンへ油を落とす音が重なる。言い方は固いのに、厨房の火加減は優しかった。
五人がテーブルへ着くと、未羽は何も聞かずにメニューを並べた。その一番上に、場違いなくらい楽しそうな写真が載っている。旗つきのオムライス、海老フライ、ナポリタン、ポテトサラダ、プリン。子どものころに一度は見たことのある、しかし大人になると、頼む口実をどこかへ置いてきてしまう皿だった。
「おすすめ、これ」
未羽が写真を指で叩く。
「大人が頼んでも笑わないから」
洸太は写真と未羽の顔を見比べた。
「笑われる前提みたいに言わないでください」
「だって今、少し頼みたい顔してる」
図星だった。汗と土でくたびれた体に、旗つきの皿はあまりにも不意打ちだった。
香音が先に口を開く。
「じゃあ私はそれ」
陸矢も続く。
「僕も」
千加子はメニューを閉じながら、少しだけ笑った。
「じゃあ、私もそろえようかしら」
章光はいないのに、なぜかその席の空きまで巻き込んで、話がまとまってしまう。洸太は最後に、観念したように頷いた。
「……同じので」
未羽は勝った顔を隠そうともせず、注文を通しに厨房へ引き返した。
しばらくして運ばれてきた皿は、写真より少しだけ大人しかった。けれど、だからこそ食べ物としてちゃんと美味しそうだった。ケチャップの赤が濃すぎず、海老フライの衣は立ち、ナポリタンには細く刻んだピーマンが混じっている。旗だけが、子どもの遊び心みたいにまっすぐ立っていた。
「いいな、これ」
洸太の口から、考えるより先に言葉が出た。
未羽は水差しを持ったまま、得意げに胸を張る。
「うちの皿、泣いた人でも一回スプーン止まるからね」
「止まるの、泣くからじゃなくて、旗が気になるからでは」
「それでも止まれば勝ち」
洸太はオムライスをひと口すくう。卵は薄く、でもぱさつかず、中のケチャップライスは酸味がきつくない。驚くほど特別な味ではないのに、口へ入れた瞬間、気持ちのざらつきが一段だけ下がる。食べ物に慰められるとき、人はそのことをすぐ認めたくないものだが、この皿には変に意地を張る気が起きなかった。
向かいの千加子も、海老フライを一口かじってから、静かに言う。
「懐かしいだけじゃないわね。ちゃんと今の味」
未羽は、その言葉を嬉しそうに受け取った。
「祖母の配合を元にしてるけど、油もソースも昔のままじゃ重いから」
「祖母さんが考えたメニューなのか」
洸太が聞く。
未羽は頷き、カウンターの奥を顎で示した。
「あの帳場、昔は祖母の席。客の顔見ながら、今日はご飯多めにするとか、プリン先に出すとか、勝手に決めてたらしいよ」
「プリンを先に?」
「泣いてる子には、とりあえず甘いもの」
未羽の父が、厨房から「勝手に決めてたんじゃなく、見て決めてたんだ」と口を挟む。その言い方には、亡くなった人への癖みたいな敬意がにじんでいた。
食べながら話しているうちに、さっきまで石垣の陰で抱えていた重い話が、少しずつ席へ馴染んでいく。誰かが助かったかもしれない道。消された寺の名。表と裏で違う町の顔。そうしたものが、皿の上の旗一本で急に軽くなるわけではない。けれど、重さを抱えたままでも食べられる、という感覚は、確かにそこにあった。
食後、未羽が空いた皿を下げているときだった。
帳場の引き出しを閉めようとした父が、「あれ」と小さく声を上げる。
「まだ残ってたのか」
奥の棚と帳場の隙間から、くしゃりとした紙束がのぞいていた。未羽が腕を差し込んで引っ張り出す。料理の納品書にしては古く、家計簿にしては装丁が柔らかい。油の染みたメモや、輪ゴムの跡がついた紙片が何枚も挟まっている。
その一番上に、少し滲んだ鉛筆で走り書きがあった。
『切ったあとの一皿』
洸太は、立ち上がりかけたまま止まった。
未羽も、その文字を見つめている。いつもの軽口が、珍しくすぐには出てこない。
店の外を、荷物を積んだ自転車が通り過ぎた。風鈴が一度だけ鳴る。店内の静けさは短かったはずなのに、文字のほうが長く残った。
未羽は紙束を胸の前で抱え込み、ようやく息をついた。
「これ、あとで一緒に見て」
頼むというより、巻き込む言い方だった。
洸太は深く頷いた。
皿で受け止めてきたものの続きが、今度は文字で見つかる気がした。




